第七話:秘密と歌声
歌声が草原に満ちる。
音を持たぬその声は、それでも確かに草花達を震わせていた。
登りゆく日の光を受け、風に身を任せ、了は佇む。
澄み切った空気を、胸一杯に吸い込む。
「おはよう。了」
いつの間にやら側に居るのは、“時”に属する者の習性なのか?
朝の神に了も返す。
「…おはよう。」
大地と朝旦の司。
草花が風に揺れる雰囲気そのままに微笑む。
「いつもの如く、よき歌声だが…今朝は何やら、思うところがあるようだね。」
「ああ…少し、気になることがあるんだ。」
「気になること…ね。一体、何が気になるのだろう?」
「貴方に秘密…なんて、無いよね?」
「秘密…?」
若葉色の瞳が眇められ、僅かに割れた顎を老緑の髪が撫でる。
「残念ながら、我にそのようなものは無いな。」
「そう…だよね。妙なことを聞いてしまったな。」
「構わんよ。それより、了。そろそろ、戻らなくていいのかい?
羽衣の君が、待ちかねているのだろう。」
「…そうだった。では、また来るよ。」
そう言うと了は、背を向け谷の方へ走っていった。
やがて、日の光から朝焼けの橙が抜ける頃、草原もまた消え去っていた。
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果てしない平野に揺れる陽炎。了は、逃げ水と戯れていた。
やがて逃げ水は形を変え、ひょろりとした人型になる。
「…捕まえた。」
無邪気に、しかし怪しげに、真昼の神が笑う。
「参ったよ。けど、昨日よりは粘れたかな?」
「さぁ、どうだろう?」
太陽と白昼の司は、純白の髪を掻き揚げながら、首を傾げる。
その仕草はどことなくわざとらしいが、黄金色の瞳は澄み切っていた。
了はその黄金色を、しばし見上げ見つめるが、直ぐに目を逸らす。
「…何か言いたげだな。了」
「あ…えっと、あの。僕には話していて、他の誰にも話していない事って、あるかな?」
先程とは違う方向に首を傾げると、黄金色の瞳を芝居がかった仕草で暫し彷徨わせる。
やがて視線を定めると、ニィっと笑った。
「君と内緒話とは素敵だが…生憎、無いなぁ。」
「…そうか。」
「残念だったかい?」
「そうだね…少しだけ。じゃ、また!」
「ああ。」
太陽と白昼の司と別れ、一番高い山の頂に向かう。
そこでゴロリと横になると、日の光を全身で浴びる。
やがて了の口元から零れでたハミングは、昼間の白い輝きに溶けていった。
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浮かぶ月、そして横たわる月。
足元には水鏡の湖面が広がり、夜の闇と三日月が横たわっていた。
湖面の静寂を深く吸い込むと、了は細く長い裏声を闇に溶かし込む。
すると水面に一つ波紋が広がり、三日月の背後に空と同じく星々が瞬きだした。
「おやおや。せっかく、月を独り占めにしていたのに…無粋だなぁ。」
「だって、このほうが綺麗じゃないか。」
波一つ立てずに湖の水面を歩いて、月と暮夜の司は近付いてくる。
月の光のような淡い金髪を揺らしながら、墨色の瞳を細めて。
「孤高の月の美しさは、君にはまだ分からないようだね。」
「一人ぼっちの月も、確かに美しいけれど…なんだか悲しくなってくるじゃないか。。」
「だから、いいんだよ。なんだか、そそるじゃないか?」
「そんなふうに思うのは、きっと貴方が捻くれているからだよ。 」
月と暮夜の司は、遙か空の月に手を差し伸べながら言う。
「…月は得難きもの。それに手を延ばそうというのなら、捻くれている位で丁度いい。」
今度はしゃがみ込んで、湖面の月に手を伸ばす。
「そうすれば、ほら。こんなふうに、触れることも出来る。」
湖面に波紋が広がり、再び月の背後が闇に包まれる。
了の眉間に皺が刻まれた。その様に思わず苦笑が零れる。
「そういえば最近、了は天秤の君と仲がよいそうだね。」
「ああ…天秤の君は、色んな話をしてくれるよ。」
「そうか。それで、我等三つ子の秘密にも興味を持ったのかい?」
夜と昼と朝は、同時に生まれた三つ子の神である。
「三柱の…というより、皆にはそれぞれ秘密があるのかも知れない。
と思ったんだが…もしかして、二人に聞いたのか?」
「ああ、勿論。なにせ我等三つ子は、同じ場に神器を据えているからな。」
「…同じ場?」
「ああ、そうだよ。なんだ、気付いていなかったのかい?」
“月と暮夜の司”である“水鏡の君”は語る。
“太陽と白昼の司”である“陽炎の君”と、“大地と朝旦の司”である“草原の君”。
三柱の神の神器は、“日時計の平野”という同じ場所に据えられており、それぞれの司る時刻になると現れるのだと。
「…つまり、今朝の草原も昼に陽炎の君と会った平野も、そしてこの湖も、同じ場所だってことかい?」
「その通り。そして、草原も陽炎もこの水鏡の湖も、我等の神器なのだよ。」
了は考え込む。
神器は司る神にしか、見ることも触れることも出来ないはず。
けれど自分はずっと、草原で歌い陽炎に触れ湖を見てきた。
「…もしかして、貴方がたは三つ子だから、互いの神器が見えるのですか?」
「いや。いくら場を共有する三つ子でも、それは無いよ。」
では、三つ子でも無いのに、こうしている僕は何なのだろう?
了の疑問を察したのか、水鏡の君は続ける。
「恐らく了が我等の神器に触れられるのは、君自身に神器も司も無いからではないかな。」
「そう…だね。」
「面白き事なり。我等は他者の神器は、その神の呼び名から想像するほかないが…
了、君は、見て触れて感じることが出来るのだから。」
「…ああ。」
そう言うと了は、湖面の月に歌う。
再びその背後に、星々が瞬き輝く。