第五話:山頂と午睡
真っ白な山肌に、漆黒の髪が散らばる。
天界の雲の山々、その中でも最も高い頂。
お天道様がちょうど真上に差し掛かる頃、了は今日もここで昼寝をしてる。
黄金の歯車を目にしたあの日から、一月が経とうとしていた。
天秤の君は了の眠りを妨げぬよう、そっと隣に座ると、その寝相を眺めた。
手足は大の字に放り出だされ、口元は弛んで微妙にあいている。
呼吸に合わせて上下する胸板は、まだ厚みがなく頼りない印象を与える
眉はくっきりと黒く、長い睫毛は時折、僅かに揺れていた。
あどけない寝顔。…その頬を軽くつついてみた。
すると了は、不機嫌に眉をしかめ、寝返りをうつ。
天秤の君に背を向け、先程より少し縮こまった体勢になった。
目に付くのは、真っ直ぐに伸びた髪。張りがあり、それでいて艶やかだ。
漆黒のその色の深さだけが、妙に大人っぽい雰囲気を醸し出している。
天秤の君は、徐に手を延ばす。
山肌や肩に散らかされた漆黒の髪を、白く長い指に絡め取り、纏めて背に流してゆく。
そうして、惰眠の後片付けが終わった頃に、漸く了が目を覚ます。
表れた瞳は紺碧。深く濃い空の色。
そこに、ふわりとした微笑みを浮かべた、天秤の君が映される。
「おはよう…了。」
「…ああ」
二人の間を、緩やかな風が横切る。
この場所で天秤の君と過ごす時の沈黙は心地いい。
だから了は、よく眠っているフリをした。
先程も実は、頬をつつかれたあたりで目が覚めていたのだ。
白藍色の瞳が、真昼の風よりも柔らかに了を見詰める。
「今日は、何を話そうか?」
天秤の君が了に話し掛ける。
了が生まれる以前の様々な話をするのが、日課のようになっている。
嘗ては、天秤の君や同胞達も、母である女神とそのように過ごしたものだ。
「ずっと気になっていた事が、あるんだけど…」
「何かな?」
「お母様が“運命と時代”を司っていたこと、皆は知っているのか?
他の同胞達からは、そのような話、一度も聞いたことがないんだが…」
柔らかな微笑みが一瞬、苦笑に変わる。
「恐らく皆は、知らないだろうね。
お母様は、誰にも話していなかったし…察した者もいないでしょう。
運命を司ることは、母なる女神の“宿命”だったのだから。」
「つまり、“宿命”の司である貴方しか、知らない事だと?」
「ええ。だからお母様は、黄金の歯車を私に預けていかれたのです。」
了は考える。
誰もこの事を知らないということは、天秤の君もまた誰にも話していないのだろう。
つまり、運命と時代の司とその神器の存在は、この世界の秘密だということ。
「天秤の君。お母様は何故、皆に伝えなかったのだろう?
御自身が、運命と時代を司っておられたことも、
この場所に神器である黄金の歯車があることも…」
風が銀色の髪を揺らし、白藍色の瞳を一瞬、隠す。
「それは、伝えきれるものではなかったからじゃないかな。
御自身の死とその後の“時”を以て、伝えようとされたのだと思う。」
「ならば何故、僕に話した?」
「了は自らこの場所に辿り着いたからだよ。それに…」
「それに?」
紺碧の瞳が、その言葉以上に問いかけてくる。
何を秘しているのか?そして、何を考えているのか?
「…了は特別だから。」
「一体、僕のどこが特別だと??」
不満げな了の様子に、天秤の君はいたずらを思い付いたかのように微笑む。
「そうだね。例えば了は、他の同胞達とも秘密を共有しているんじゃないかな?」
「そ、そんな筈はない!」
「本当に?」
「…嘘を言っても、仕方ないだろ。」
天秤の君は、何故かクスクスと笑いだした。
「そう…けど、他の同胞達からは聞いたことのない話を聞いたことなら、あるんじゃない?」
「それは…たまたま、話が被らなかっただけだろ。」
「そうかな?その司の主でないと、知り得ない事ではなかった?」
「…それは、確かめたことがないから、分からない。」
「そう。じゃあ今度、それとなく確かめてごらんよ。」
そう言うと、すっくと立ち上がり、了に手を差し伸べる。
「そろそろ、皆の所に戻ろう。」
腰を浮かしながら、天秤の君の手を取る。
「ああ。」
傾き始めた日の光に背を押されるように、二人は白い山の頂を降りていった。