第十五話:地上と黄泉
人々は“旅人”をもてなす。
好奇心、警戒心、そして期待。
それらをやんわりと隠す、作法に則った振る舞い。
地上は生き物達の国。
けれど、まだまだ曖昧さの多いこの世界では、様々な者達が混じっていた。
そして、それらは往々にして、仮初めの姿として“旅人”である。
勿論、大概の旅人は唯人なのだが…。
稀に、信仰を得て存在の強くなった精霊、人霊の類。
更に稀に、黄泉の使い。
そんな者達も村々を訪れるのだった。
いずれも、遠い遠い島や山や国のことを伝えてくれる、貴重な存在なのだ。
だから旅人は客人として、もてなされるのだった。
そして今日は、そのどれよりも珍しい客人を迎えていた。
「お二人は、これからどちらに向かわれるのでしょう?」
夕餉の席で、集落の長は訊ねてきた。
「大巫殿を訪ねて、霊山の麓へ」
対岸の君が返す。
「左様で御座いますか。では、大鏡の湖まで行かれるのですね。」
「はい。深緑の森を経て向かうつもりです。」
了が答える。
「それは、それは…では明朝、私の兄がご案内させて頂きます。」
「ありがとうございます。兄君は巫であられるのですか?」
「はい。我が村の“水鏡”を預かる巫で御座います。」
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家督は長子が継ぐと決まっているわけではないが、やはり年長であることは何に付けても大きい。
故に年の離れた弟妹か、もしくは長子が継ぐのが大概である。
先代の長に弟妹はいなかった。
それにも関わらず次男坊が長を継いだのは、長男には特別な才があったからだ。
即ち、巫の才である。
人間の国に於いて、巫の才はどんな事情より優先される。
まして、長じても衰えないとなれば尚のこと。
故に長の兄は大巫の弟子となり、故郷の村と大鏡の湖を行き来しているのであった。
「この森の木々は、どれも見事ですね。」
大樹の連なりを見上げながら、了は思わず言った。
「はい。これが、何千年もの古えより栄えし深緑の森なのです。」
先導する巫が答える。
昨晩、一宿を供してくれた集落の長の兄である。
「太陽と同じく、遠い時代より信仰を集めてきたと聞き及んでおりますが・・・
祈りを捧げるに相応しい神々しさです。」
「まさに・・・」
対岸の君も、感嘆の溜め息と共に言った。
「そう仰って頂けると、私も嬉しく思います。」
巨木の間の小道を進む。
了は時折、掌を空に向けて木漏れ日を掬う。
ゆらゆらと煌めくそれは、天上界の精霊のようであった。
やがて、木漏れ日のゆらめきが途絶えると、燦々と日光が降り注ぐ。
木々の途絶えたその場所が、大鏡の湖であった。
大鏡の湖の中央には、筏で造られた島がある。
その上には、質素な社が佇んでいた。
湖面がゆれる。
映していた日の光もゆれる・・・まるで、木漏れ日のように。
筏島より小舟でやって来たのは、小柄な老女であった。
「大巫様、こちらの方々が此度のお客人であります。」
長の兄の巫が、老女に手をさしのべる。
「左様か・・・ようこそ、お出でくださいました。
神々の御光臨、有り難い限りで御座います。」
老女はそう言うと、恭しく頭を垂れた。そして弟子共々、跪こうとする。
了はそれを制し、言葉をかける。
「大巫殿の崇拝の念、嬉しく思います。されど、この度は名を伏せての訪れです。
もっと平易に応じて頂けると、こちらとしても助かります。」
沈黙が流れる。
暫しの間、大巫は了の様子を伺っていたが、やがてゆっくりと顔をあげる。
ふと、好相を崩し言った。
「貴方様は、お噂通りの神様でいらっしゃるようですね。
なれば、堅苦しいのも仰々しいのも、無しと致しましょう。」
「ええ、そのようにお願いします。ところで、僕が誰なのかご存じなのですか?」
「はい。この老いぼれも巫の端くれなれば・・・末子の神よ。」
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大巫は、件の双子の片割れであった。
彼女は文字通り、幼くして黄泉に旅立った片割れの分まで生るかのように、人としては長寿であった。
多くの赤子に祝福を授け、そして、多くの死者に弔いの祈りを捧げてきた。
「お母様が如何お過ごしか、お分かりになりますか?」
筏島の社の中、火を囲んで座り語り合う。
了の問いに、大巫が答える。
「そうですな・・・まず、黄泉の女王と母なる女神の御心は、別物と存じます。」
「黄泉の女王は、御隠れになったお母様のお姿のはずだが・・・どういう事ですか?」
「ええ、黄泉の女王の御霊は、確かに母なる女神の御霊。
されど・・・いえ、だからこそ、その御心は全く逆なので御座いましょう。
同じ御霊の裏と表。闇の中の光、光の中の闇で御座います。」
「それは、一体・・・」
戸惑う了に、老女は目を細めて微笑む。
「終焉には程遠い貴方様には、黄泉の気配は捉えにくいことでしょう。
宜しければ、この婆がご案内して差し上げましょう。」
「末子の神を、黄泉にお連れすると申されるか?」
それまで黙っていた対岸の君が、話に割り込む。
「如何にそこな神が運命を司っておられようとも、お連れすることは出来かねまする。」
大巫は、ゆるりと首を横に振る。
「では、どうされるのでしょう?」
了は、大巫ににじり寄る。
大巫は、そっと了の手を取り語る。
「この婆は、もう直ぐ黄泉の女王の元に参ります。」
「大巫殿?」
「運命の糸を手繰られれば、黄泉の様子も伺えましょう。
こうして、お会いした“縁”があります故・・・」
「・・・大巫殿」
「そのようなお顔をされますな。これは、生きとし生ける者の運命。
まして大往生なれば、悼むどころか祝うべき事で御座いましょう。」
「・・・歯車の君」
対岸の君が、了の肩をそっと擦る。
「人としては長かった年月の果てに、貴方様に巡り会えたのも真に幸い。
最後の最後に、この婆の巫としての本来の役目を果たしましょうぞ。」
「巫としての・・・本来の役目」
弟子の巫が、呟くように訊ねる。
「死は命の終焉なれど、その魂の終わりではない。
・・・いつの日にか、また御主とも巡り会うかものう。」