第十四話:巫と神
時の神々の神通力が、了の手許にあらゆる連なりの根幹を集約する。
その中の一つ、人々の祈りの大元を辿る。
始まりは、ある双子の片割れの死であった。
幼くして命を落とした我が子を抱きかかえ、悲しみにくれる母親。
その母に生き残った片割れが、魂の行く末について語った。
曰わく、魂は黄泉の女王の元に帰り、いつの日か再び命を得て地上に舞い降りる。
以降、誰かが命を落とす度に、黄泉の女王に祈りが捧げられた。
やがて、一部の幼子が語る魂の記憶を探ろうと、その気のある者を特別に育てるようになる。
そうして長じた者は、より深く世界の神秘に迫り、神通力に近い力を得ていった。
始めに、黄泉の女王が嘗て女神であった時代に、全ての神々を産んだ事を探り当てた。
そこから、神々の生まれた順を辿り、司を解き明かしてゆく。
そして、巡る星々の動きから、それらを映す水鏡から、世界を満たす精霊の囁きから、天界の様子を伝え聞くのであった。
いつしか“巫”と呼ばれ尊ばれるようになった彼・彼女等は、神々と人々の歩みを綴る中で、ある事に辿りつく。
則ち、始めが“宿命”で、終いが“移ろい”であることに…
姿形の無いそれらは、“死”と同等に恐れ敬われた。
そして今、人々は終いの神に受け継がれた“運命”に、対話の可能性を見いだしていた。
ーーー“運命の糸”は、するりと了の手を離れる。
「…どうだった?」
草原の君が尋ねる。
「大体のことは把握できたと思います。」
ゆっくりと目を開き、了が答える。
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翌朝の正午、了が最高峰の頂にいくと、既に天秤の君がそこに居た。
天秤の君は神器を前に立ち尽くし、見開かれた瞳は、しかし何も映していない。
“黄金の歯車”が不規則なリズムを刻む。
きっと“世界の天秤”が、不規則に揺れているせいだろう。
天秤の君は真っ白な光の世界に…いや、どろりとした奈落の闇の中にいた。
影の一つも無い真白こそが、これ以上ない闇だと天秤の君は思う。
そしてそんな気持ちが、この真白の中に影を落とし、やがて宿命となってゆく。
私はその最初の影。
故に、この真っ白な奈落の闇に、誰よりも深く囚われている。
…だから全ての囚われし者は、我が同胞なり。人間も然り。
人間と神の一つ違うところは、この真白が救いの“光”に見えるところだろうか。
それは、より黄泉の闇の近くに居るからだろう。
…神にしてみれば、母の胎内であるところの“闇”のほうが余程、救いに思えるのだが。
結局のところ、神も人間も失われた懐かしきを求めてやまない。
未知の闇に踏む出すのは、それ程までに恐ろしい。
そして、決して取り戻せない懐かしきを求めていれば、明日に向かって歩み続けることが出来る。
了は、いや“無”は嘗て、その恐ろしい闇を越えて、この宇宙にやってきた。
それこそが、了が“運命”たる所以なのかも知れない。
それは、不可能を可能にする。
その事に気が付いた愚かな人々は、果たしてはならない夢を叶えようと、今まさに手を延ばしていた。
神事を終えた天秤の君が目覚めた時、沈みゆく太陽が空と雲を赤く赤く染めていた。
いつの間にかそこに佇んでいた了も、その赤に照らされ染まっている。
「天秤の君」
少し寂しげな、穏やかな笑みを湛えていた。
近頃の了は大人びていたが、こんな顔を見るのは初めてだった。
「…了」
「お疲れ様です。今日はもう、帰って休みましょう。」
「ああ、そうだね。」
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「僕は、地上に降りてみようと思います。」
天秤の君の住まいの一室で、筆頭の神々を前に了は告げた。
「それには及びませんよ。」
「…彼岸の君」
「此度の件、確かに“歯車の君”のお力に縋るところではありますが…
この天界より神通力を振るって頂ければ十分かと。」
「いいえ、不十分ですよ。彼岸の君。
そもそも“運命”とは、“縁”と“所以”を紡いでゆくこと。
そして“縁”とは出会いです。中途半端なままでは良くないのです。」
「では、地上に降りて、どうするつもりなのですか?」
天秤の君が問い掛ける。
「そうですね。人々と共に、天界を見上げてみましょうか。」
「…了?」
「天界からでも、巫を通じて言葉を伝え合うことは出来ます。
けれど、それは人間に取っては“御告げ”であって会話ではない。
会話をする為には、時を共にする必要があると思うのです。」
「分かった。協力しよう。」
風袋の君が申し出た。
「ありがとう。助かります。」
「構わないよ。俺も人間達が何を考えているか、知りたいと思ってたところなんだ。」
「私も協力しよう。地上は、天の光と黄泉の暗闇がせめぎ合う場所。
炎はきっと、夜闇で役に立つだろう。」
「ありがとうございます。不死鳥の君」
「…仕方ない。我が供をして進ぜよう。大地は我の場ゆえ。」
「かたじけない。対岸の君」
「では、お願いして宜しいでしょうか?了。いえ、歯車の君。」
「はい、ありがとうございます。天秤の君」
「けれど、無茶はしないで下さいね。…了」
「天秤の君…大丈夫ですよ。」
「一体、どうしました?天秤の君」
他の神々が去った部屋に、いつぞやの如く彼岸の君が居た。
「何の事でしょう?」
「了に対して過保護だった貴方が、またあっさりと地上行きを認めたものです。」
「…了なら大丈夫ですよ。未知を越える力を持っているのですから。」
「未知を越える力?」
「それより意外なのは、貴方のほうでは?白蛇の君の為に、手を打ちたかったのでしょう。」
「無論だが…これでは、また別の心配が生じるというもの。」
そう言うと、彼岸の君は夜空を見上げる。
雲の合間から覗く蒼白の月が、頼りなく世界を照らしている。
「そうなのでしょうか?」
「ええ、そうですとも。」
「ねぇ、彼岸の君。中途半端な言葉が“御告げ”になってしまうのは、神々とて同じでしょう。」
「天秤の君?」
「故に私は、口を閉ざしてきました。…“世界の天秤”は、多くの秘密を告げてくるのですよ。」
「何を仰りたいので?」
「きっと人間の巫も、私と同じ。だから了になら、真実を語ることでしょう。」
「…貴方は、それでいいのですか?」
「“宿命”もまた“運命”には抗えませんから。」
彼岸の君は、その蒼白の月をじっと見詰めたまま、目を逸らすことが出来なかった。