第十三話:人間と祈り
“運命の糸”を辿り聞こえてくるのは、人々の祈り。
地上では様々な生き物が群をなし、中でも人間の群は頭角をあらわしていた。
人間は、他に干渉することに長けている。
植物に手を加え、動物を飼う。
そして、精霊達と言葉を交わし、巫を通じ神々にも語りかけてくるようになった。
それが、“祈り”だ。
どの生き物も、その成り立ちより精霊と関わりがある。
だがそれは、おのおの特定の精霊達との間でだ。
しかし、人間は手懐けた他の生き物等を手掛かりに、様々な精霊と関わりを持つ。
そして遂には、巫という才ある者を介して神々の司を知り、祈りを捧げるようになった。
祈りを捧げられたところで、馬鹿正直に応える神ではない。
けれどその影響は大きく、ある神はより美しく、ある神はより雄々しくなってゆくのであった。
ーー人々が信じる、理想の姿に沿うように。
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「ますます、舞に磨きがかかりましたね。羽衣の君」
夕日を背に、了が近づいてくる。
「お帰り、了。…これは、風との対話に過ぎないのだけどね。」
苦笑を浮かべながら、羽衣の君は言う。
「けれど舞の上達と共に、神通力が強くなったのでは?
憂いを晴らす舞だと、人々の信仰を集めているようですよ。」
「それは…また、何故?」
「僕が神器を継承した際の宴での舞が、巫を通じ人々に広まったようです。」
「あれは、水鏡の君が目出度い席で捻くれたことを言うから…
ちょっと気を利かせただけのことだよ。」
「信仰する人々にとっては、神の行いは大きな意味を持つのですよ。」
「…そういうものか?」
「ええ。勿論、僕にとっても、思い出深い出来事です。」
「そっか…」
やんわりと微笑む了の顔を見返しながら、羽衣の君は切なさを噛み締めていた。
“黄金の歯車”を継承してからも、了は特に変わりなく生活している。
昼には最高峰の頂で天秤の君と過ごし、夕方には谷に戻り羽衣の君と過ごす。
けれど、怒ったり笑ったりすることは減り、考え事をしたり冷静な口調で語ることが多くなった。
羽衣の君は思う。
今の了は末子の“了”ではなく、運命と移ろいの司である“歯車の君”と呼ぶほうが相応しいのかも知れない。
それでも、私の可愛い了であることに変わりはない。
だから多少、違和感を感じても、今まで通り“了”と呼べばいい。
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「お帰りなさい、天秤の君。…お久しぶりです。」
山頂から谷に戻り、彼岸の君の宅を訪ねたところ、出迎えたのは白蛇の君だった。
白蛇の君と顔を合わせるのは、最高峰の中腹で追い返した、あの日以来である。
「ただいま。本当に久しぶりだね。」
「あの…天秤の君。その節は、申し訳ありませんでした。」
「私こそ、あれから会いに来ることも出来ずに…ごめんね。」
「いえっ、そんな!あの日、天秤の君は私を探してくださったのに…
なのに私が大人気なく拗ねて、逃げ出してしまったのです。」
そう言うと白蛇の君は俯き、東雲色の瞳をさ迷わせながら、神々の中でも特に長いその桜色の髪を弄ぶ。
その様子に、天秤の君は次にかける言葉を探しながら、ふと弄ばれる桜色の髪に目を留める。
白蛇の君の髪は勿論、以前から美しかった。
だがそれは、清楚な美しさであったはず。
今、目にしている様な、艶めいたものではなかったはずだ。
「白蛇の君。君も…いえ、貴方もまた、信仰を集めているのですね。」
天秤の君は微苦笑を浮かべながら、白蛇の君の髪をそっと撫でた。
「天秤の君?」
白蛇の君は、天秤の君を見詰めながら首を傾げる。
「地を駆け子を孕む者達にとって、“淡水と生命の司”は大切な神です。
人々の貴方への深い祈りは、当然なのでしょう。」
「ええ、近頃では祈りだけではなく、芳しい酒を捧げられます。」
「そうですか。」
再び沈黙が落ちる。
そこへ、彼岸の君が戻ってくる。
「お帰りなさい。彼岸の君、天秤の君がお待ちです。」
「ああ。」
「では、天秤の君。私はこれで失礼します。
…あの、また時々、お訪ねしても宜しいでしょうか?」
白蛇の君が、上目遣いで天秤の君を伺う。
「勿論。では、これで仲直りして貰えたと思っていいのかな?」
「はい。」
「ありがとう。」
「とんでも御座いません。そもそも、私が我が儘だっただけです。」
「…白蛇の君。」
「あっ、申し訳ありません。お時間を取らせてしまって…
彼岸の君も、お待たせしました。では、私はこれで。」
そう言うと白蛇の君は、そそくさと去っていった。
その背を見送った後、彼岸の君は天秤の君に向き直る。
「さて、私にどの様なご用でしょう?」
わざとらしい笑みを浮かべ、尋ねてくる。
「…白蛇の君のあの様子は、いつ頃からなのでしょうか?」
「あの様子とは?」
「少し見ない間に、随分と麗しくなったようですが…」
「特に髪が見事でしょう。」
「ええ。」
「あの子の髪は、神器を宿していますからね。…私もですが。」
しばしの沈黙が落ち、それを彼岸の君が破る。
「こういう事は、宿命を司る貴方のほうが詳しいでしょう。」
「やはり、了が神器を継承したのが切欠なのでしょうか。」
「切欠としては、そうでしょう。けれど、どの道、時間の問題だったのでは?」
「それは…」
「地上の生き物達の上に“時代”がある以上、我々神はこれから益々、影響を受け振り回されるのは避けられないことです。」
「そうですね。…これから、どうすれば良いのでしょう。」
彼岸の君が、今度は盛大に溜め息をつく。
「それこそ、貴方が毎日お会いになっている彼の神に、神通力を奮って頂けばよいでしょう。」
「…彼岸の君。」
「何を迷っておられる。」
「了は、神器を継承して間もないし…それに、まだ幼いです。」
「けれど、事態は既に動いています。後手に廻っては、かえって“歯車の君”の負担が増えることでしょう。」
「それは…確かに、そうなのですが…」
「天秤の君。」
俯きかけている天秤の君の顔を下から覗き込み、彼岸の君が視線を合わせてくる。
「了は歯車の君となった今でも、可愛い末子であることに変わりありません。
けれど今、あまりに多くの同胞が人間の影響に晒されています。」
「そうですね。」
「殊に白蛇の君…あの子への影響は、著しいです。
私も了は可愛いが、それよりもあの子のことが心配です。」
辛そうに眉根を寄せる彼岸の君に、天秤の君が目を見張る。
「…貴方も、そんな顔をされることがあるのですね。」
「私とて、自分で育てた同胞は大切です。」
天秤の君のなお決心のつかない様子に、彼岸の君は諦めるように息を吐く。
そして、いつも通りの表情に戻ると、言葉を続けた。
「“時代”に相対せるのは“運命”と“宿命”です。
歯車の君が駄目ならば…天秤の君、貴方のお力に頼るほかありません。」
「分かりました。早速、神事の支度を致します。」
「そうなさるのが良いでしょう。」
尤も、天秤の君。貴方が仰る程、了は幼くはないと思いますが…
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天秤の君が彼岸の君と話し込んでいたその頃、了は日時計の平野に居た。
三つ子の神を始めとする時を司る神々が集い、筆頭たる“歯車の君”の言葉を待っていた。
「了…本当に大丈夫なのかい?」
草原の君が、心配そうに声をかける。
「大丈夫です。今日のところは、少し探りを入れるだけですから。」
「分かりました。では、始めましょう。了…いえ、歯車の君。」
「…では、皆様。お願い致します。」
そう言うと、了は“運命の糸”を繰りはじめた。