第十二話:“歯車の君”と“了”
ーー無邪気に華やいでいたのは、了ではなく、この世界なのかも知れない。
無防備に眠る了の横顔を見詰めながら、天秤の君は考えていた。
長子たる私こそが、母たる女神の代わりにその役目を務めていると、同胞達は思っているのだろう。
では、そもそも、その役目とは何だったのか?
見守ること。導くこと。
どちらも間違いではないが、正解ともいえない。
何故なら、神々の数が百を超えた頃には、既に手分けして担っていたからだ。
彼岸の君が白蛇の君を見守り、風袋の君が羽衣の君を導いたように。
では、母たる女神だけが担っていた事とは一体、何だったのだろう?
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幼少の同胞の面倒を、近しい司を持つ年長の神がみるようになったのは、誰からともなくだった。
弟でもあり妹でもあるところの幼子は勿論、愛らしい。
しかし、それより切実だったのは、母の傍らに自らの居場所を作ることだった。
成長し世話の必要がなくなったところで、“母の愛”以上のものを知らないことに変わりはなく。
そしてそれは、生まれた時から同胞の手で育てられた年少の神々でも、同じことだった。
…いや、むしろ世話をされた事がないからこそ、余計に“女神”として崇拝した。
まるでこの世界が続く限り、変わることの無い永遠なるものであるかのように。
何より、母の愛は“平等”であることに安らぎを求めた。
実際は、気まぐれなところもあったし、ちょっとした依怙贔屓もあった。
彼岸の君の悪戯に腹を立てたかと思えば、不死鳥の君のやんちゃには甘かったり…風袋の君が始めて起こした嵐に大騒ぎしたこともあった。
世界に生まれ出でて生きていれば、当然のことだろう。
…そう、お母様とて“零”によって生み出された存在なのだから。
今にして思えば、そんなお母様の人柄を“女神”に憧れる年少の同胞達に、もっと伝えておいても良かったのかも知れない。
けれどお母様に直接、世話をされ育った年長の神々は、その理想像を壊すような言動を慎んだ。
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末子の神は、兄でもあり姉でもあるところの神々を、分け隔てなく慕った。
つまり、母なる女神が残した“最後の子”は、とても無邪気だった。
本当に、そうなのだろうか?
恐らく、“了”と名付けたあの時から、あの子はお母様の“末子”ではなく、我等の“末弟”となったのだろう。
いつも明るく振る舞い、誰にでも懐いた。
それは、お母様の不在を巧みに覆い隠していった。
…我等もまた、女神の“子ら”ではなく、了の“兄もしくは姉”となったからだ。
そういえば、お母様の胎内に居た頃を懐かしむ了を、見たことがない。
同胞達は多かれ少なかれ、お母様の胎内に居た頃を覚えている。
それは“自ら”という存在すらあやふやで、唯々唯々、育まれる喜びに満ち足りた記憶。
時々、無性に懐かしくなり、形を変え生きる目的ともなる。
だから同胞達は度々、それを懐かしみ語り合うのだが…そんな時、了はいつも無口だった。
自らの誕生によって、お母様が死の宿命を迎えたからだろか?
皆も了の前では、お母様を懐かしむようなことは控えるようになっていった。
私達はそうやって、過去を封じた“今”を謳歌してきのだろう。
そして了は、それを大切にした。過去からも未来からも、切り離されたまま…
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「天秤の君?」
「えっ、あっ、了。起きてたのかい?」
「…流石に、ここまでジッと見詰められたら、ね。」
そう言って一つ伸びをすると、了は起き上がった。
こんなふうに見上げてくる時の了は、今まで通りいつも通りに見える。
「何か悩み事?」
「うん、ちょっとね。」
立ち上がり、頂の一点の地点で両手を延べる…
瞳の紺碧は深みを増し、漆黒の髪が棚引く。
何かを、手繰り読み解くその横顔に、もう幼さも無邪気さも無くて…まさに、運命を司る“歯車の君”がそこに居る。
「これから、どうなるんだろう?この世界は…」
私の発した言葉に、“歯車の君”が振り返る。
「自ら歩んでゆく…ただ、それだけですよ。」
「それは…」
「それこそが、お母様の願いでもあります。」
「了?」
スッと両手を下ろして、空を見上げる。
再び振り返った顔は、いつもの“了”だった。
「帰りましょう。皆のところに!」
「ええ。」
私は了の手を取り、立ち上がる。
その背を追いながら、なんとなく引き止めたくなる衝動を抑えて、横に並んだ。