第十一話:天秤と歯車
『“運命”は“移ろい”、“移ろい”は“運命”。
よって、黄金の歯車の主は、移ろいの主なり。』
先程、あの山頂で聞いたのと同じ言霊を、同胞達の前で改めて宣う天秤の君。
そのよく通る澄んだ声を、了は他人事のように聞いていた。
運命とは、確かに移ろいである。
しかし、移ろいとは、必ずしも変化を齎すものではない。
捻れたり、もしくは内包することで、対処することも可能だ。
母なる女神が身罷ってからこれまでが、そうであったように…
けれど一方で、着実に変わってゆくものもある。
了が生きてきた年月の分、母の不在に皆慣れていった。
そして、嘗て母が居た神々の中心には、今は天秤の君が座している。
『ここ御座すは、“運命と移ろいの司”である“歯車の君”なり。』
天秤の君の言霊が終わると、同胞の神々が祝福の声をあげる。
その歓声は、日時計の平野を満たし、天界中に鳴り響いた。
※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※
同じ場に二つの神器ーー即ち、“世界の天秤”と“黄金の歯車”が鎮座している。
天秤の一方には、爛々とした太陽の輝き。もう一方には、煌々とした月の輝き。
どちらの輝きも僅かに光量が変化し、その度に天秤も揺らいでいる。
その揺らぎのリズムに合わせるように、歯車もまた回っていた。
「…これが“世界の天秤”、貴方の神器なのですね。」
そう呟きながら、了はそのクリスタルの支柱に触れようと手を延ばす。
しかし、天秤の君が了の手をそっと掴み、それを制する。
「この天秤は、これよりここに安置します。」
ふんわりと微笑みながら、けれど真っ直ぐに了の目を見詰めながら、天秤の君は言った。
二人はそのまま暫し、輝く黄金の歯車と、煌めくクリスタルの天秤を眺める。
「…そろそろ、始めましょうか。」
「ああ。」
天界最高峰の頂に、天秤の君の言霊が響く。
了の視界からクリスタルの天秤の姿は消え、変わりにそれに絡む何かが見え始めていた。
※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※
言霊の宣いが終わり、宴が始まる。
しかし、了は無表情のまま、どこか遠くを見つめていた。
やがて了の元に、代わる代わる同胞達がやってくる。
杯を片手に祝を述べる神々に、微笑みながら礼を返す了。
けれど、その表情から、少年らしい華やぎは消え失せていた。
これまで、その漆黒の髪だけが漂わせていた、妙に大人っぽい雰囲気。
それが今は、了の全身から発せられている。
その様子に、了と親しい神々は皆、戸惑いを覚えた。
「了…なんだか元気がないようだけど、疲れたのかい?」
羽衣の君が、心配げに声をかける。
「いえ、大丈夫ですよ。」
「…本当に?」
「ええ」
「少し席を外すか?我等で場を繋いでおこう。」
風袋の君も言い添える。
「ありがとうございます。でも、本当に大丈夫です。ただ…」
「ただ?」
「…この“運命の司”の感覚に、まだ、慣れないだけです。」
「了?」
そこに、朝昼夜の三つ子の神々がやってくる。
「おめでとう。了」
「ありがとうございます。草原の君」
「…おめでとうございます。」
「ありがとうございます。陽炎の君」
「おめでとうございます。歯車の君」
「ありがとうございます。水鏡の君」
「今宵は貴方がたの“場”をお騒がせし、申し訳ありません。」
天秤の君が言い添える。
「とんでもない。そのように仰られては、此方が恐縮してしまいます。
“運命の司”となれば、我等が時を司る者の筆頭。場を供するは至極当然。」
陽炎の君が、大仰な手振りと共に応える。
「むしろ、光栄です。」
草原の君も応える。
そんな遣り取りを聞きながら、了は“運命の糸”を見ていた。
その白い糸は、白金と見紛う程に艶々と輝きを放ち、細いもしくは太い束を作っている。
そして、日中の間に絡み合っていったそれらは今、水鏡の君の周囲より広がるようにスルスルと解けていた。
「…今宵の貴方は、まるで孤高の月のようだ。歯車の君」
水鏡の君が、話しかけてくる。
「それは、どういう事かな?」
「いつも周囲にまき散らしていた、あの無粋な星々の様な華やぎは、
どこへやってしまったのやら。」
そう言うと、水鏡の君は了に近づく。
「勿論、このほうが私の好みではあるが…歯車の君?」
そして、漆黒の髪を一房、手に取った。
水鏡の君の、墨色の瞳と月光の様な金髪を見つめてながら、ふと思う。
“月と暮夜の司”の神器である、水鏡の湖面に映るあの月は、今宵もポツリと闇に浮かんでいるのだろうか?
最早、見ることも触れることも無い、あの月は…
そんな事を考えている間に、水鏡の君は漆黒の髪に、口付けを落とす。
「…つくづく、貴方は、捻くれていますね。」
水鏡の君の手から、髪を奪い返した。
「ご覧なさい。満天の星と共に輝く月を、あれこそが美しいというものです。」
了は、夜空を指差す。
「私だって、あれを美しくないとは言ってません。ただ、無粋なのですよ…」
再び、了の漆黒の髪を手に取る。
「この色と添わせるには、ね。」
「水鏡の君」
「なんだい?」
「…今宵の貴方は、気色悪い。」
「やはり君は、まだまだ無粋だねぇ。了」
そうこうしてるうちに、夜空には薄雲がかかり、星々を隠してしまった。
水鏡の君はクスクスと笑い出し、了の眉間には皺が刻まれる。
「……どれ、我等が一踊りして、雲を払って進ぜよう。」
「ええ。」
風袋の君と羽衣の君は、そう言うと空中に舞い上がった。
遥か上空の風をも従え、あっという間に雲を退ける。
やがて、音楽の神々が奏で始めた曲にのって、宴の中心に舞い降りて踊った。
すると了は、漸くいつもの無邪気さで笑う。
けれど、その隣で天秤の君は、了の変化に胸騒ぎを覚えずにはいられなかった。