プロローグ
─どうしてこの世界はこんなにつまらないんだろう。
14歳の赤毛の少女─赤音は日々そんな事を思いながら暮らしていた。それも無理はないだろう。なぜならこの世界では皆、美しいものを聴こうとはしても観ようとはしないのだから。ここに美術的概念など存在しない。それどころか、目で観て楽しむという考えさえ人々は受け入れないのである。そんな世界で少女は孤独を感じていた。
「ねぇ、好きな色は何?」幼い頃、友達が欲しくて声をかけた。何の変哲も無く幼気な会話の始まり。
しかし、相手は応えない。
ここでは好きな音色はあっても好きな色は無い─色が色という認識はされるがそれを好きだ嫌いだと考える事はされないのだ。よってこの世界では赤音こそが異質な存在とされたのだ。そんな事が多々あって、音楽と美術の双方を好んでいるのは自分だけなのだと赤音自身も諦めていた。
「君は、本当にそれで満足なのかい?」
時刻は夕刻に差し掛かっていた。少女が独り部屋に籠もり、誰にも見せることのない絵を楽譜の隅に小さく描いていた時、右手にある窓の方からふと、そんな声が聞こえてきた。少女がそちらを見ると灰色で継ぎ接ぎだらけ、おまけに片方の目が無い代わりに黒っぽいボタンが付いている猫のぬいぐるみが窓枠にちょこんと置かれている。
「誰だろう。こんな所にぬいぐるみなんか置いたの......」赤音が窓の外を確認しようと覗き込んだその時─
「ぬいぐるみなんかとは失礼しちゃうよ」
彼女の身体の横から先程と同じ中性的な声が聞こえてきた。
・・・・・・・・。
「ぬいぐるみがしゃべった!?」
「だから、ぬいぐるみじゃないんだって」猫は後ろ足で頭をかきながら呆れたように言った。そしてこう続ける
「ボクはグレイス。クルールの女王であるノイル様とブランシェ様の使い魔さ」
「クルール?使い魔って.....」
「クルールは彩色の魔法少女の総称だよ。そして君もその一人。やっと見つかって正直ほっとしてるよ“赤の魔法少女”赤音いや、“マゼルダ”」
「私が.....魔法少女!?何言ってるのか全然解らないんだけど。それと、マゼルダって何?」
「君の本当の名前さ。クルールである君に“音”のつく名を与えるなんてこの世界は本当に狂ってる。君もそう思うだろ?」
赤音は絶句した。つまらないとは思っていた。悲しいとも。だが、狂ってるなどと感じた事など一度たりとも無い。その表現はあまりにも極端だ。そして驚いたことはもう一つ、まさかこの世にここまで音楽を憎む者がいたなんて考えた事も無い。いや、もとより使い魔などと言っている喋る猫は“この世”のものではないのだろうが。彼女が黙り込んでいると、猫が言った。
「まぁいいさ。理解し難いのは承知の上。ボクについて来ればそのうち解るよ。何故人々は音楽しか愛せなくなったのか。何故この世から美術という概念が失われてしまったのか......その秘密がね」
「世界の.....秘密─」
不信すぎる得体の知れない者からの誘惑。しかし少女にとって、その言葉はあまりにも甘美に思えた。自分を孤独に落とした世界の裏に一体何が在るというのか。
知りたくて、たまらなかった─。
「いいよ、行っても。ううん.....行きたい!.......すぐに帰れるなら...だけど」
不安混じりに言った言葉にグレイスが喜びの声をあげる。
「その返事を待ってたよ!」そして、ボタンではない右目を瞑りニコッと“マゼルダ”に笑って見せた。刹那、窓の在った空間が歪んでいき、代わりに美しいステンドグラスに飾られた大きな扉が現れた。やがてそれが開き、外から眩い光が漏れ出してくる。
「さぁ、行こう。魔法の世界クルールの王国へ」
そう言ってなぜか背後へ回り込んだグレイスが─
「まあ、すぐに帰れる保証なんて無いけどね」
「え!?そんなっ.....」
赤音の背中に飛びついた。
「わっ!キャァァァーッ」
彼女の身体はバランスを失い光の中へみるみる吸い込まれていく。
マゼルダはとうとう足を踏み入れてしまったのだ。壮絶な運命の渦の中へ─。