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シャノワールの選択  作者: 雨乃晴彦
第一章 武とクロ
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第五話

 日々は安穏と過ぎていき、秋も一段と深まり始めてきた今日この頃。

 大学の講義を終え、家に帰ろうとしていた時のことだった。

「ぐえ」

 という蛙の鳴き声のような声を喉から発し、俺は駅前にあるベンチの前で立ち止まることを余儀なくされた。

 何故そのような声を発したのかというと、それは急に背後から誰かに襟首を掴まれたからであって別に蛙の鳴きまねをした訳では決してない。

「どういうことですか、武さん?」

「何が……ていうかその前に、苦しいから手を離そうか」

「分かりました」

 襟首から手が離れる。喉を擦りながら振り返ると、そこには黒い髪を風に揺らしながら立つなっちゃんの姿があった。

「で、何か用?」

 そう質問すると、なっちゃんは少し不機嫌そうな顔をして眉を顰めた。

「何か用? じゃないですよ。何で無視するんですか?」

「無視?」

「はい。ベンチで一休みしていたら、駅の中から改札を抜けて出てくる武さんの姿が見えたので、何度も武さん、私はここですよーって……」

 どうやら俺は声を掛けられたことに気づくことが出来なかったようだ。それをなっちゃんは無視されたと誤解したのかもしれない。悪い事をした。ともかく、ここは謝っておくべきだろう。

「もしかして、俺に声掛けた? ごめん、気が付かなかった」

「むう……無視されたのかと思いました」

 そういってふくれっ面を見せるなっちゃんは少し可愛かった。

「で、何か用?」

 再度同じ質問を繰り返すと、なっちゃんは勢いよく手を上げて訊いてきた。

「今何時ですか?」

 俺は腕時計に視線を落とす。時刻は午後四時を回ったところだった。

「丁度いま、四時を回ったところ」

「そうですか。武さんはこれから何か予定とかありますか?」

「ん? 別にないけど?」

「それじゃあ、ちょっと付き合ってください」

「付き合うって、何処に?」

「あそこです」

 なっちゃんが指差した方向に目をやると、そこにはつい最近オープンしたばかりのカフェがあった。

「実は今日ですね、友達とあのカフェに行く予定だったんですよ。でも、授業中に大学生の彼氏から連絡が入ったとかで『今日はこれからデートなの、だから今日の予定はキャンセルね。おほほほほ』とか言ってクルクル回りながら去っていきました……悔しかったので、その友達の机を上下逆さまにしときました……てへっ」

「……なっちゃんは変わらず、今日も変だね」

「よく言われます……って、このやり取り、もう何度目ですかね? まあそれはともかく、そういうわけで一人なわけです。一人でお店に入ると寂しくて死んでしまうので、一緒に行きませんか?」

 まあ、いいだろう。特に予定もない。

「いいよ。行こうか」

「きゃっ、初デート」

「は?」

「冗談です。では、腕を組んでクルクル回りながら行きましょうか」

「普通に行こうか」

 というわけで、俺となっちゃんは喫茶店へと足を向けた。もちろん、普通に歩いて。

「いらっしゃいませ」

 入店すると、背の高い店員さんが迎えてくれた。髪型が凄くツンツンしているウェイターだった。触ったら痛そうだ。

「何名様でしょうか?」

「二人です」

 俺の背後からなっちゃんが答える。

「申し訳ありません。ただいまボックス席の方が満席となっておりますのでカウンター席でもよろしいでしょうか?」

 そう問われ、店内を見渡す。言われたとおりボックス席は埋まっていた。 開店したばかりだからだろうか。外装もお洒落だったし、この町の住人が我先にと足を運んでいるのだろう。

 店内は少し薄暗かった。だが、オレンジ色の証明をうまく使い、落ち着いた雰囲気を演出している。

「カウンター席で……いいよね? なっちゃん」

「はい。いいですよ」

「それでは、こちらへどうぞ」

 ツンツン頭のウェイターに案内され、俺達はカウンター席へと座席した。

 ウェイターはメニューが書かれた冊子を俺達の前に置くと、一礼して去っていった。

「……武さん、あれ、本物ですかね?」

「ん?」

 なっちゃんの視線を追う。カウンター席の向こう側にある小さな台の上に白い猫がいた。

「……猫?」

「やっぱりそう見えますか。どう見てもあれ猫ですよね」

「はい、猫ですよ」

 聞いたことのない女の人の声がしたかと思うと、カウンター席の向こうにある通路からエプロン姿の女性がカウンターを挟んで目の前にやってきた。

 ウェーブの掛かった腰まで長いふわふわした髪と、穏やかに微笑む顔が印象的な女性だった。豊満な体つきが母性を感じさせる。

「飲食店に猫って、やはり駄目でしょうか?」

 どうやらこの女性は、この店の店長のようだ。

 まさかこんなに綺麗な人がこの店を経営しているとは思っていなかったので、俺は多少ながらも驚いた。

「いえ、そんなことないです。むしろ抱かせてください」

 女性の言葉に、なっちゃんは両手を差し出して答える。

「あら、ふふふ。猫、好きなんですね」

「好きというより、愛しています。既に知り合いの猫と婚約してますから」

 知り合いの猫とは、多分クロの事だろう。どうやらいつのまにか婚約している事になっているらしい。知らなかった。多分クロも知らないだろうが。

「ふふふ、お客様、面白いですね。抱いてみますか?」

「是非」

「それじゃあ、ブラン。立ちなさい」

 さっきまで丸まっていた白い猫がすぐに立ち上がる。俺はその光景に驚きを隠せなかった。

「な、え? 言うことを聞いた?」

「はい。ブランは私の言うことを何でも聞きますよ。ブラン、座りなさい」

 ブランと呼ばれた白猫がちょこんと座る。本当に言うことを聞いていた。 犬ならまだしも、猫がお座りをする光景は初めて見た。

 ていうか、猫って躾できたのか。クロにも……いや無理だな。

 俺がクロへの躾を秒単位で諦めている内に、なっちゃんと店長は仲良くなっていく。

「ふわさん、凄いです!」

「え? ふわさん?」

「はい。髪がふわふわしてるので、ふわさんです」

「あ、私のあだ名ですか。可愛いあだ名をありがとうございます。それじゃあ、そんなお客様に、はい、抱いてあげてください」

「わーい」

 なっちゃん命名のふわさんにより、ブランがなっちゃんの腕の中へと収まった。その間、ブランはじっと大人しくしていた。

 こんなに大人しい猫は初めて見た。クロとは大違いだ。猫にも性格ってものがあるらしい。

「……あの、俺も触っていいですか?」

「はい、いいですよ」

 許可をもらったので、なっちゃんに抱かれているブランの頭へと手を伸ばす。

「フカー!」

 威嚇されたので、俺は咄嗟に一度伸ばした手を引いた。

「え! ブラン?」

 ふわさんが何故か驚愕していた。

 だが、俺はそんなふわさんの様子を気に留めることなく、もう一度、大人しくなったブランへと手を伸ばす。

「フー!」

「……あ、あはは、おかしいな。何で俺にだけ威嚇するんだろ」

 さらに手を伸ばす。すると、もう少しでブランに俺の手が触れるかというところで、ブランはなっちゃんの腕から飛び出しふわさんが出てきた通路の向こうへと走り去ってしまった。

「あーあ、行っちゃいましたね。武さんのせいですよ」

 俺は目の前のテーブルに突っ伏した。要は、落ち込んだ。

「残念ですね。あっ、そういえばまだ何も注文していませんでした。ふわさんオレンジジュースください……あれ? ふわさん? 聞いてますか?」

「え、あっ、はい。オレンジジュースですね。そちらのお客様のご注文は何に致しますか?」

「武さんはいま苦い思いをしたので、コーヒーでお願いします」

「こ、コーヒーで、よろしいのですか?」

「……いえ、コーラにしてください」

 なっちゃんへのせめてもの抵抗だった。要は悔しかった。


 会計を済ませ、なっちゃんと共にカフェの外へと出る。薄暗かった店内からまだ外へと出たせいか、少し眩しかった。

「いいお店でしたね。雰囲気は落ち着いてますし、ふわさんは優しそうな人ですし」

「……まあね」

「猫もいますしね」

 最後の所には同意せず、無言で返した。

 それにしても、何故俺はあの白い猫に嫌われたのだろう。あまり猫に嫌われることはないのだが……やはり、人と猫にも相性というものがあるのだろうか。

「あの、お客様!」

 カフェの扉にあるベルが鳴り、振り向くとふわさんが扉の前にいた。

「ブランのことですけど、今日はたまたま機嫌が悪かっただけだと思うんです。なので嫌いにならないでくれますか?」

 何を言い出すのかと思えば、ふわさんはブランのことを擁護しに来たらしい。言われなくとも、嫌いになるつもりなどない。

「嫌いになったりしませんよ。なっちゃんと同じで俺も猫が好きですから」

「それじゃあ、また来てくれますか?」

「もちろん。嫌と言っても連れてきますから」

 質問の返答は俺ではなく、なっちゃんがした。俺はその言葉に苦笑いしながら頷くことで、自分の意思も示した。

「そうですか、良かった。それじゃあ、また来て下さいね。待っています」

 最後にそう言って嬉しそうに笑い、ふわさんは店の中へと戻っていった。

「……そういえばクロさんから聞いたんですけど、武さんって年上が好みでしたね」

 クロの奴は、何を暴露しているのだろうか。後で文句を言おう。

「ふわさんみたいなのがタイプですか?」

「……ふわさんみたいなのは、どんな男も弱いと思うんだ」

「ほうほう……要は、胸ということですね」

 頭を抱える。何でそうなるのだろう。確かに大きかったけれども、それは関係ない。

「それじゃあ巨乳好きの武さん、帰りましょうか」

「ちょっと待て。やめてくれ、別に俺は巨乳好きというわけじゃない。あくまで性格的なことを言ったまでで」

 何か勘違い、もしくは俺をからかっているなっちゃんに弁明しながら、俺達は自然に肩を並べて歩き始める。

 背後で、またベルの音が聞こえた。客が出てきたのだろう。その客は、あのカフェのことをどう思っただろうか。

 俺はとてもいいお店だと感じたので、また来ようと思う。

 ツンツン頭のウェイターと、ふわふわなふわさんと、白い猫のいる薄暗くも落ち着く不思議なお店へと。

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