序章 イマは知覚だけ、
宮城県某所。その閑静な住宅街に芦名家は在った。
確実に他の家々より二周りは大きい敷地に、これまたモダンでシックな豪邸が鎮座している。丁寧な仕事を施された庭には雑草一つ見当たらなかった。まさしく勝ち組だ。
そんな勝ち組が住まう家の一室をどこからか眺めるモノがいた。
結構ホントにヤバい状況になりつつあった。後悔なんぞ今さらだった。
それでも、芦名計太の生活は変わらない。
いつも通り、目覚まし時計のやかましい音で目覚める。
はぁー……っ、それがダメなんだよーっ。
「ふぁっ、っくぅ…」
カーテンと窓を開け、朝の光と空気を取り入れる。
そろそろ、三姉妹の誰かが潜り込もうとしてくる時間なので、あらかじめドアを開けて、待ち構えておく。
ちがーうっ! そこは目覚ましでも起きなくて、その三姉妹の誰かと組んず解れつになるばめんだろーがっ!
「あーっ、おにーちゃん起きてたぁー…」
「おはよ。ちゃん」
おーっ! 妹ちゃんキターッ!
三女の美子が、魔女っ子キャラがプリントされたパジャマのまま、部屋に入ってくる。
可愛らしい大きな瞳が計太を見つめている。
小学校に上がっての彼女は、まだ、ぬいぐるみと一緒に寝ないと怖いらしく、今も抱っこしたまま部屋にやってきた。
「うー、ミコがおこしてあげるってきのう言ったのにーっ」
計太がすでに起きていた事が気に入らないのか頬を膨らませている。
「あー、そうだった?」
そうだった? じゃ、ねぇっ。
「そうだよーっ、もー」
計太がさっきまで横になっていたベッドに倒れ込む。
あっ。と思い付いたように身体を起こす。
「じゃあ、きょうはミコがいっしょにねてあげるーっ!」
いーねーっ!
「ダメ」
間髪いれずに放った計太の言葉で、また美子が枕を顔で潰した。
「ぶ———……」
ア——————————っ! も—————————————ッ!
「ちょっとー?美子ーなにやってんの?遅刻しちゃうから早く準備しなーっ」
おほっ? 次女ちゃんキタ———?
「あ、おねーちゃん」
美子の姉。夏子が制服に着替えを済ませてから部屋に乗り込んできた。
んー。中学に上がって、ますます女の子らしくなったねー。美子ちゃんとは違って、ショートカットの髪が健康的で何とも。そんな妹とフラグも立てねーでなんなんだっ? コイツはっ!
「夏子ちゃん。おはよう」
「あ、けい兄。お、おはよ」
計太を見ると、頬を紅らめて声のトーンが落ちてしまった。
うあー、いじらしいなっ! かわいいなっ! そのモジモジした反応っ! たまらんなっ!
「てゆーか、美子っ! なんで、けい兄のベッドで寝てんのっ!」
「だって、おにーちゃんの匂いしてきもちーんだもーんっ、おねーちゃんもきたらいいじゃん」
無邪気っ! いいねぇ。
「なっ! そんな、そんな……いいからじゅんびっ!」
いいいいいいいいいいいいいっ! その反応っ! ウブっ!純情っ!そんな妹たちを前に平静装ってんじゃねーっ!
「美子ちゃん。夏子ちゃんのいう通りだよ? 準備しないと遅刻するし、そんな子はお兄ちゃんキライです」
うわーっ!なんちゅう事をっ!
「えっ、やだっやぁだあー! おにーちゃんミコのことキライにならないでーっ」
計太の一言に顔を歪ませて泣きそうになる。
「ちゃんと準備したら嫌いにならないから、夏子お姉ちゃんのいうこと聞くこと、わかった?」
「うん。いうこときく、そしたらキライなんない?」
「なんない。なんない」
ぐずる美子の頭をぽんぽんと軽く叩くように撫でる。
「えへ——、ほんとにほんとだよっ」
「はいはい」
はいはい。じゃねーよ。
「…………」
その様子を夏子がうらやましそうに見つめている。
「じゃあ、夏子ちゃん連れてって」
「…………」
ぼーっと計太の手が乗る美子の頭を見たまま反応がない。
「…? 夏子ちゃん?」
ぐっと詰め寄ってもう一度、声をかける。
「えっ? ひゃっ!」
急に目の前に現れた計太の顔に驚いたのか飛び跳ねるように一歩下がった。
「よろしくね?」
「あ、あ、あっあ、あっ!う、うん」
より一層、顔を真っ赤に染めて頷いた。
どんだけ可愛いのよっ!
「美子っいくよっ」
計太も着替えを済ませ、一階に下りる。
リビングのソファで先客が新聞を広げていた。
「おはようございます。有子さん」
長女の有子が振り向く。
「あーっ、弟くん———、オハヨ———」
同じ屋根の下に住んでいると知られれば誰もが羨みそうなグラマラスボディが、タンクトップとショートパンツという、なんとも挑発的な格好で計太に近づいてくる。整った顔がまるで女豹のように獲物である計太を捕え、そのまま抱きつきいった。
「ちょっと、なんですか? いい大人がやめなさい」
なんだああああああっ! その反応はああああああああっ!!
「まだ、親のお世話になってるから、大人じゃないもーんっ、だから、弟くんに甘えたっていいんだも―—ん!」
自分の手を計太の首に廻し、完全に体重を預けたままぶんぶんと身体を揺らす。
なんだああああああああっ! その返しはああああああああっ!!
恥ずかしがる事も、避ける事もせず、甘んじてその豊満な胸の弾力を背中で受け止めながら朝食の準備を始める。
「え————? 今日はー? 朝ご飯なにかなー?って思って」
グリグリとあからさまに身体を寄せるが、計太はまったくの無反応。顔を赤面させる事も無いし、下半身が反応する事も無い。まるで死人のようだ。
いやいやいやいやっ!! ねーだろっ! フツーおっ起つだろーがよっ!!
が、有子は計太のそんな反応がお気に入りらしく、さらにスキンシップが激しくなろうとしたところで、
「んなっ!! ちょっとお姉ちゃんっ!! なにやってんのよっ!!」
「ア——————っ!! ずるいっ!! ミコも—————ッ!!」
夏子が美子を引き連れて階段を下りてきた。二人の様子を見つけるや、夏子が先ほどとは違うベクトルで顔面を真っ赤にして吠える。美子も超特急で計太の腰あたりに抱き着いた。
「え———? じゃあ、夏子もやれば———?」
「なっ、なに言ってんのよっ! バカっ! さっさとけい兄から離れてっ!!」
さらに紅くなる。
「え——? 兄妹のスキンシップだもーんっ、ねー? 弟くーん?」
意地悪そうに夏子を見ながら、自分の横にあった計太の顔に頬ずりしてみせる。
うらやまですな。これ。
「hsれvなsmwgは;ろあん;んふぉいjgいいいいいいいいはおgほあんwふぉわhlゔぁんvらwいいいいいいいいいいいいいいいいいいじょいvなおいrgはおいいいいいいいいいいいいいい!!!!!!!!!!!!!!!!」
途端に夏子の沸点を超えたのか頭から蒸気を噴射させ、声にならない声が吹き出ている。
「あーっはっはっはっはっはっ」
妹のその姿を見て満足したのか、その細いお腹を抱えながらソファへと戻っていった。
「けい兄のヘンタイっ!!」
「いやいや、オレも被害者だから」
いやいやいやいやっ! なにを被害者ぶってんだっ! てめぇっ!!
包丁を持つ手元に目を向けながら反論する。リビングの方から、「ひどーい」と笑いまじりの有子の声が聞こえると、夏子が振り向き、足音を鳴らしながら向かっていった。
「おにーちゃん」
「ん? なに? 美子ちゃん」
「ヘンタイってなに? おにーちゃんヘンタイ?」
「知らなくてよろしいです。そして、お兄ちゃんはヘンタイでもありません。今のことは決して先生や、お友達に話してはいけませんよ?」
美子が元気よく返事を返して、リビングに向かった。人数分の箸を持って。
こちらとしては変態もといヘンタイで在って欲しかったのだが、どうもこの主人公はそれを拒む傾向にあるようだ。
準備を終え、食卓につく。微笑ましいひと時だが、かしましい三人を無視するようにマイペースに箸を進めている。
はぁ………、考えらんね。てか、信じらんねぇ。出来る事なら変わりたいわ。そんなんだから、こんなん届いちまうんじゃねーかよー。
通達。
主人公 芦名計太。
右の者は、大学生の長女に中学生の次女、まだ小学校に上がっ太ばかりの三女を含めた。美人三姉妹に囲まれ、それ以外にも多くの才能、容姿にも恵まれ、間違いなく他者から羨望を受ける環境に置かれているにも関わらず、一向に主人公としての責務を全うしていない。これは主人公としては落第点に値する。
ついては、期日までに対策、もしくは改善策を立案し、実行されたし。
また、改善が見られない場合には主人公を『降板』とする。
はぁ、どーすんだよー? 憂鬱だよー。帰りたいよーっ、帰れないよーっ!
あ、さっきからすんません。皆さんには私の声、聞こえてるんすよね?
私。アンタらの世界いうと、神様とか、仏様とか、稲尾様……ちがうちがうちがう。
とにかくっ、ソーユー存在デス。ハイ。まぁ、派遣みたいなもんですけど。
そんな事よりも、アイツですよアイツ。芦名計太、あんにゃろうっぜんっぜん仕事しやがらねえ。
神や仏と名乗った者をよそに計太は一足早く食事を済ませ玄関に向かっていた。
リビングと廊下を繋ぐドアから顔を出す。
「じゃ、いってきます」
急いで三人も後を追う。
「あーっちょっとまってまってっ!お姉ちゃんもイクっ」
「わたしもっ!」
美子も小さな口いっぱいにご飯をほお張りばがら、必死に三人に着いていく。
はぁ…。ちびっ子くらい待っててやれよー。
三女の健気な姿に涙が出そうだ。
計太が家を出てすぐに三姉妹の「いってきまーす」の号令が聞こえた。
そんな芦名家の朝がいつものように過ぎた。眺めていたモノ。ここでは『神』はいつの間にか人の形を持って眺めていた。考える人よろしくなポーズを取って。
スマートフォンのようなデバイスを手に取り、もう一度、通達文の内容を確かめて、完全に首をがくりと落とした。
アイツはほんと、どっから直せばいいんだか。
やっぱり、あいつを主人公にしたのは間違いだったか?




