納豆経済
国民のほとんどが『がまぐち』を所有している。
国民のほとんどの財布は重い。
国民のほとんどの財布が臭っている。
オレの財布も、例外なく、『国民仕様』に準拠している。
それが『国民性』というものである。
日曜日。
オレは、買い物に出かけなくてはならない。
大きな『がまぐち』にチェーンを取り付け、盗難防止のため、首からぶら下げる。
ズシリと首の付け根に負担がのし掛かる。
財布が重いのは、肩が凝る。
生ものだから傷みが早い。
悪くなる前に使い切らなくてはならない。
だから、こうして買い物に出掛けるのである。
オレにとって、というよりは、国民にとって、買い物とは、『排泄行為』に限りなく近い習慣である。
なぜなら、それが『国民性』だからである。
古本屋に入る。
天沢退次郎の詩集を見つける。
オレは、さっそくそれを手に取り、レジへ持っていく。
「税込みで150グラムになります」
レジの女性が言うと、お椀をオレに手渡す。
オレは、『がまぐち』の口を開き、中に手を入れる。
ネバネバして、特有の匂いを放つ『それ』は、いつもながら、直接手で触るのはイヤな感触なのである。
150グラムというと、だいたい二掴みぐらいだろうか?
オレは、まず一掴みの『それ』をお椀に入れる。
ネバネバする糸を断ち切るのに、いつも苦労させられる。
こんなモノは、早く無くすに限る。
レジの女性は、さっそく『それ』を秤に掛ける。
「112グラムです。あと32グラム、お願いします」
女性は、お椀の中身をレジの引き出しに投げ入れ、空にしたものを、再びオレに手渡す。
オレは、目分量で32グラム程度を掴み、お椀に入れ、女性に渡す。
女性は、さっきと同じようにお椀の重さを測る。
「38グラム。少し多いですね。返却します」
と、女性は言うと、秤に載っている『それ』を指先で少しだけ取り、オレの『がまぐち』に戻す。
『がまぐち』と秤の間に、数本の粘るのある橋が架かったが、女性は指先をクルクルと回して、器用にそれを断ち切る。
実に、慣れた手つきである。
「これで、ちょうどですね。ありがとうございました」
女性は、ペコリとお辞儀をし、白いおしぼりをオレにくれる。
オレは、手に着いたネバネバを、それで拭き取る。
ノドが渇いたので、ジュースでも買おうかと、自販機の前で立ち止まる。
自販機には、赤いボタンが付いていて、ボタンを押すと、『がまぐち』の中の『それ』を入れるための引き出しが手前に出てくる。
引き出しは、何人かの使用後のため、『それ』の残骸が乾燥して、こびり付いている。
2つ3つほど、機械が回収しきれなかった粒状の『それ』が、固まって残っていたりもする。
缶コーヒーは、60グラムである。
オレは、さっきの古本屋の感覚を思い出し、一掴みの『それ』を引き出しに入れる。
引き出しは、自動で奥へ引っ込む。
ジュバッ、ジュバッと、まるで掃除機でプリンを吸い込んだような、騒々しい音がしばらく響いた後、もう一度、引き出しが出てくる。
『それ』の出し入れを何度か繰り返した後、機械はようやく納得したのか、コーヒーの選択ボタンが一斉に赤く点灯する。
オレは、安堵のため息を漏らし、コーヒーのボタンを押す。
自販機の横には手洗い所が設けてあり、オレは、ネバネバを綺麗に洗い流す。
これで合計210グラム使ったが、まだまだ『がまぐち』は重い。
オレは、デパートの電化製品売り場に向かう。
「いらっしゃいませ」
店員が両手を揉み擦りながら、オレに近付いてくる。
「重そうな『がまぐち』ですね。ぜひとも、当店で減らしていって下さい」
「そうすることにするよ。液晶テレビを見せてくれ」
「はい、こちらに」
店員は、いくつもの液晶テレビが陳列されている売場に案内する。
ニュースとか、スポーツ中継とか、映画とか、アニメとか、実に様々な放送が映し出されている様は、まるでお祭りのようである。
「これは、お買い得商品ですよ」
と、店員が32型テレビを紹介する。
オレは、他のテレビと比べることもせず、率直に「それを下さい」と言う。
重い『がまぐち』が肩に食い込み、もう我慢ができなかったのだ。
「ありがとうございます」
店員の揉み手のスピードが一段と速くなる。
「ちょっと失礼します」
店員はニコニコしながら、オレの首から『がまぐち』を丁寧に外し、そのまま秤の上に載せる。
「24300グラム。消費税を加えますと、25515グラムになります。お客様、申し訳ございませんが、2329グラムほど不足しております。『残納豆』は、いかがいたしましょうか?」
「カードで払うよ」
オレは、クレジットカードを店員に渡す。
店員は、「少々お待ち下さい」と言って、軽いステップでレジ機の方へ駆けていく。
待っている間、オレは展示してあるテレビが放送しているニュースを観る。
《またもや、ニセ納豆事件です。先日、D町通り沿いにあるKタバコ店の自動販売機に、『おふく印の納豆』が混ざっていました。『おふく印の納豆』はホンモノとの区別が付きにくく、その精巧な手口から、県警は国際的な偽造組織JROの仕業と断定し………》
「お待たせしました」
店員がカードと空になった『がまぐち』を返しにやってきた。
店員は、ニセ納豆事件の放送を耳にするなり、にわかに厳めしい表情に変わる。
「またニセ納豆事件ですか。イヤな時代になったものですね」
と、愚痴ってみたものの、オレと目を合わせるとニッコリと商売人らしい笑顔に戻る。
《東京取引市場です。本日は1納豆=65.71バナナと、昨日より1.22の納豆高となっております》
「このまま、景気が回復するといいねぇ」と、オレは呟く。
店員も、それに頷く。
《来年1月より、消費税が10パーセントに引き上げになります。駆け込み需要に合わせ、小売店業界は年末に展開する商品の仕入れに………》
「納豆経済の良いところは、税率の引き上げが消費の低迷の要因にならないというところだね。みんなが、減らしたいと思ってるんだから」
と、オレが言うと、店員は、
「重いですから」
と、相づちを打った。
いざという時には、食料にもなるしね。
(了)