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例え祝福されなくても  作者: 陽花紫


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3/3

逃げることはできない

 それから、顔を合わせない時間が増えていく。

 決して、意図的に避けているわけではない。


 そう言い聞かせられる程度には、理由はいくらでもあった。

 仕事が忙しいとか、疲れているとか、天気が悪いだとか。どれも、嘘ではなかったからだ。

 ただそれを選んでいるのが自分だということも、わかっていた。

 テルヤから連絡が来るようなことも、前より減った。

 来たとしても、ひどく短い用件だけのやり取りばかりで。

 それが、悪いわけではない。

 元々、俺たちはそういう関係であったはずだ。


 それでもどこかで、こんなはずじゃなかったと思っている自分がいた。


***


 ある夜、珍しくテルヤから電話がきた。

 画面に表示された名前を見て、一瞬だけ指が止まる。

 ほんの数秒迷ってから、通話ボタンを押していた。

「もしもし」

『今、平気?』

「ああ、うん……」

 通話越しの空気は、直接会うときよりも、余計なものが削ぎ落とされているような気がしていた。

 テルヤの声だけが、やけに近い。

『今さ、外なんだけど……。ちょっと飲んでて……」

 そこで、雑音が混ざる。

 誰かの笑い声や、グラスが当たる音。

 その中に、テルヤの声だけが浮かんでいた。

「それで、どうした……」

『この前の、話なんだけど』

 心臓が、わずかに跳ねる。

 わかっていたはずなのに、いざ言葉にされると逃げ場がなくなるような気がした。

「……ああ、」

 それ以上、言葉が出てこなかった。

『お前はさ、どうしたいんだ?』

 ひどく、まっすぐな問いだった。

 責めるわけでも、急かすわけでもない。ただ、確認するためだけの声。

「どう、って……」

 時間を稼ぐように、静かに言葉を繰り返す。

 その間にも、答えは出てはいなかった。

『このままでもいいのか、それとも……やめるか……』

 一瞬、音が消えたような気がした。

 周りの雑音も、空気のざわめきも、全てが遠くなっていく。

 残ったのは、その言葉だけ。


 ――やめる。


 簡単に言える言葉でありながらも、それが指しているものの重さを、嫌でも理解してしまう。

「……どうして、そうなるんだよ」

 やっと出た声は、思っていたよりも掠れていた。

『このままだと……』

 テルヤの声は、変わらなかった。

 落ち着いていて、少しだけ疲れているようにも聞こえていた。

『このままだと、ただの都合いい関係じゃん?』

 図星だった。

 何も、言い返すことができなかった。

『俺は、それでもいいと思ってたけど……。お前は、違うだろう?』

 その言葉に、胸の奥がひどく軋む。


 ――違う。


 確かに、どこかでそう思っていた。

 しかしそれを認めたら、何かを選ばなければいけなくなってしまう。

「……別に」

 反射的に否定しようとして、言葉が止まる。

 言ってしまえば、嘘になる。


「……わからないんだ……」


 結局、それしか言うことができずにいた。

 沈黙が落ちる。

 電話越しの静けさが、やけに重く感じられた。

『そうか……』

 テルヤは短く、そう言った。それ以上は、何も言わなかった。

『じゃあ、またな』

 ぶつりと、通話は切れてしまう。

 あまりにもあっさりと。


 俺はスマホを見つめたまま、しばらく動くことができなかった。


 それからさらに、俺たちの距離は目に見えてわかるようになっていく。

 連絡は来なくなり、こちらから送るようなこともなかった。

 いや、送れなかったといったほうが正しい。


 何を言えばいいのかわからないまま、時間だけが過ぎていく。

 その間に、日常は何事もなく進んでいく。

 仕事をして、食事をして、眠る。

 それなのに、ふとした瞬間にテルヤの顔を思い出す。

 そのたびに、胸の奥がじわりと痛む。


***


 ある日、俺は共通の知り合いと会っていた。

 たいした用事ではなく、ただの飲みの場。

 何気ない会話の中で、ふとその名前が出てきた。

「そういえばテルヤ、最近よく誰かといるらしいぜ」

「へえ」

 特に興味のないような顔をして、俺は言葉を返していた。

「お前、何か知らねーの?」

「さあ……。あいつ、顔広いからな……」

 そう笑いながら言葉を吐き出すものの、その言葉が、妙に現実味を帯びて響く。

 グラスを持つ手が、少しだけ強くなる。

 氷が当たって、小さく音が鳴る。

「……別に、いいんじゃないのか……?」

 口から出た言葉は、驚くほど平坦だった。

 しかし内心、何かが確実に崩れていた。



 一人で歩く、帰り道。

 夜風が少し冷たくて、頭の中は妙に静かだった。

 さっき耳にした言葉が、繰り返し浮かんでは消えていく。


 ――もしかしたら、テルヤは誰かと過ごしているのかもしれない。


 それが現実になる可能性を、今まで本気で考えたようなことがなかった。

 この関係に名前がないせいで、縛られない代わりに、失われるようなこともない。

 我ながら、都合のいい考えだと思う。


 しかしそれはただ、自分が何も選ばなかっただけの結果だ。

 そのような当たり前のことに、今さら気づく。


 ――もしこのまま、テルヤが別の誰かと付き合ったら……。


 俺は、何も言えない。

 そもそも、引き止める理由もなければ、その資格もない。

 それでも、嫌だと思ってしまった。

 胸の奥から、はっきりとした感情が浮かび上がる。今まで曖昧にしてきたものが、形を持ってしまうような気がしていた。

 誤魔化せないくらい、はっきりと。


 ――好きなんだ。テルヤのことが。


 ただそれを認めると、失う可能性も一緒に受け入れなければいけないから、見ないふりをしていただけだ。



 全てを過去のせいにして、環境のせいにして。

 祝福されないから仕方がないのだと。


 その結果が、これだ。

 何も持っていないまま、手の中からこぼれそうになっていく。

 喉の奥が、ひどく苦しい。

 それでも、足は勝手に動いていた。


 一歩進むごとに、心臓の音が大きくなる。

 逃げることは、もうできない。


 静かに、マンションの前に立つ。

 ゆっくりと見上げると、そこには明かりがついていた。

 その光を目にした瞬間、胸の奥が強く締めつけられた。


 ――まだ、間に合うのかもしれない。


 なぜだか、そう思ってしまった。


 インターホンの前で、指が止まる。

 これを押せば、何かが変わる。押さなければ、このまま終わる。

 どちらを選ぶのかは、もうわかっていた。


 ゆっくりと指を伸ばして、ボタンを押した。


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