変化
テルヤも、無理に言葉を引き出すようなことはしなかった。
「先、風呂いけよ」
テルヤがそう言って、顔を背けた。
いつもなら、どっちが先に入るかなんて適当だった。
譲り合うようなこともなければ、特段順番を気にするようなこともなかった。
けれどその一言が、妙に線を引かれたように感じていた。
「……じゃあ、お先に」
自分の声が、少しだけ硬い。
浴室のドアを閉めると、水音がすぐに空間を埋めた。
シャワーを浴びながら、あの言葉が何度も頭の中で反芻される。
——付き合わねー?
軽い調子であったはずなのに、耳の奥に残る響きは、思っていたよりも重かった。
湯気が立ち込める中で、呼吸が少し浅くなる。
――もし、すぐさま頷いていたら……。
そのような仮定を、無意識のうちに考えている自分に気づく。
でも、その先が続かない。
想像しようとすると、必ずどこかで途切れてしまう。
俺たちにも未来があるはずであるというのに、うまく形にならないでいた。
ただ一つ、はっきりとしているのは。
終わりがある、ということだけだった。
どんな関係でも、いつかは終わりが訪れる。
名前をつけた瞬間に、それは避けられないものになってしまう。
そう思うと、胸の奥がわずかに軋んだ。
シャワーを止めると、急に静かになる。
水滴が落ちる音だけが、規則的に響いていた。
その静けさの中で、自分が何に怯えているのか、少しだけその輪郭が見えたような気がした。
ドアを開けると、部屋の空気がどこか違うものであるかのように感じられた。
テルヤはベッドに腰掛けて、スマホをいじっていた。
「はやっ」
「別に……。入れよ」
短いやり取りも、それ以上は続かなかった。
視線が一瞬だけ絡んで、すぐに逸れる。
そのわずかな間に、言葉にできないものが挟まっているような気がしていた。
***
それから、俺たちの間で、少しずつ何かが変わり始めていく。
はっきりとしたきっかけはなかった。
それでも、日常の細部がわずかにずれていくような違和感。
連絡の頻度が、少しだけ減る。返信の間隔が、ほんの少しだけ長くなる。
仕事終わりに、いつもなら何となく送っていた「今日どうする?」というメッセージを、打っては消してを繰り返す。
送らなくてもいい理由は、いくらでもある。
忙しいかもしれない、疲れているかもしれない。
でも、その裏側にある本当の理由には、触れないようにしていた。
——あの話の続きを、しなければいけなくなるから。
スマホの画面を、そっと伏せる。
沈黙が、やけに重く感じられた。
結局、その日は連絡をしなかった。
しなくても、問題はないはずだった。
今までも、そういう日はいくらでもあった。
それなのに、どこか落ち着かなかった。
部屋の中を無意味に歩き回って、またソファに戻る。
テレビをつけても、内容が頭に入ってこなかった。
ふと、推しの写真が想い浮かぶ。
祝福の中にいる二人の、堂々と並んでいるその姿。
――それに比べて、俺は何をしているのだろう。
比較する必要なんてないというのに、勝手に並べて引け目を感じる。
誰に責められているわけでもないというのに。
翌日、テルヤからメッセージが来た。
『今日、友達と飲んでくる』
いつも通りの、内容だった。
『わかった』
とだけ返して、画面を閉じた。
——別に、付き合っているわけじゃない。
そう自分に、言い聞かせる。
テルヤがどこで何をしていようと、干渉する理由はない。それが、この関係のルールだったはずだ。
それなのに、嫌だと思ってしまっていた。
その感情に気づいた瞬間、すぐに蓋をする。
そのようなものを認めたら、面倒なことになるのではないのかと。
欲しがらないから、楽でいられたはずだった。
数日後、俺はテルヤと久々に顔を合わせていた。
特に約束をしたわけでもなく、なんとなくの流れで。
駅前で落ち合って、適当に店に入る。
いつもと同じようなやり取りをして、同じような会話をする。
テルヤの笑い方も声のトーンも、何も変わっていないはずであるというのに。
何かが、かみ合わないような気がする。
「最近どうだ?」
そう、テルヤが聞いてきた。
「別に、普通だけど……」
無難な答えを返して、酒を飲む。
それ以上、踏み込まない。
いや、踏み込めないといったほうが正しいのだろうか。
テルヤもそれをわかっているかのように、それ以上を聞いてくるような真似はしなかった。
グラスの中の氷が、ゆっくりと溶けていく。
その様子を、ぼんやりと眺めていた。
時間だけが、一定の速さで進んでいる。
帰り道、街の光がやけに明るく感じられた。
「……このあと、どうする?」
そうテルヤが、軽い調子で尋ねてきた。
いつもなら、迷わず「行く」と答えていた。
けれどその一言が、喉の奥で止まってしまう。
「どっちでもいいけど」
結局、曖昧な返事しか出なかった。
テルヤは少しだけこちらを見て、それから視線を前に戻した。
「じゃ、今日はいいや」
拍子抜けするくらい、あっさりとした声だった。
その軽さが、逆に胸に刺さっていく。
「そうか……」
もはやそれしか、言えなかった。
そのまま、俺たちは駅で別れた。
改札を抜けて、背後を振り返るようなこともせずに電車に乗った。
窓に映る自分の顔は、思っていたよりも無表情だった。
何も失っていないはずなのに、何かが確実に減っている。
そのような感覚だけが、じわじわと広がっていく。
——このままでいい。
そう思っていたはずなのに。
本当にそうなのか、もはやわからなくなっていた。




