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第4話:新しい街、新しい出会い・後


 シスター・リネットの部屋でひと晩過ごしたシェリーは、翌朝、彼女からの紹介状を持って聖教会支部を出た。


 ありがたいことに、移動するのに不便な大きな荷物はシスターが預かってくれることになった。初対面の相手だが、神に仕える敬虔な信者だ。身寄りのないシェリーにとって、今、シスター・リネットより信頼できる人間はいない。荷物がないため、今日のシェリーは身軽だ。昨日よりも軽い足取りで、エラヴァンスの街の居住区にあたるガロンストリートへ向かう。


 ガロンストリートにはアパートメントが建ち並んでいた。大通りに比べて道がほんのわずかに狭いのは、その分、アパートを広くするためだろう。


(一〇七……ここね)


 建ち並ぶアパートの中から目的の一棟を探し出すと、シェリーはドアノッカーを叩いた。少し待つと使用人らしき女性が扉を開けて、なんの用かと尋ねてきた。シェリーが名前を告げて、シスター・リネットからの紹介状を渡すと、生真面目そうな雰囲気の彼女は「少々お待ちください」と言って中へ戻って行く。


 しばらくすると、女性は再び戻って来た。


「奥様がお会いになるそうです」


 硬い雰囲気の女性からは、いい感触なのか悪い感触なのか予想できない。シェリーは彼女のあとに続き、アパートメントの中に足を踏み入れた。


 奥様と称された人物は、グローリアス夫人というこのアパートメントの所有者だ。元々は王国の宮廷貴族の夫人だったが子ができず、夫の死後、王都を離れてエラヴァンスの街に移住して来たらしい。夫は優秀な人物だったようで、領地こそないが不動産を複数所有しており、死後はそのまま夫人が相続したそうだ。


 応接室に通されると、品のいい老婦人がソファに腰を下ろしていた。白髪をひとつにまとめ、落ちついた色合いのドレスを身に纏っている。柔和な顔つきは、シェリーを目に入れた瞬間、ますますやわらかいものとなった。どうやら悪い印象は持たれていないらしい。


「まあまあ、かわいらしいお嬢さんね。シスター・リネットの手紙に書いてあった通り、聡明そうなお顔をなさっているわ。はじめまして。わたくしが、シエンナ=グローリアスよ」

「……シェリー=グリーンと申します。この度は、お会いできて光栄でございます、グローリアス夫人」


 相手は貴族の夫人である。シェリーは腰を折って頭を下げながら、自分が知る限りの、もっとも丁寧な挨拶をした。失敗しないように言葉を選んだ結果、口を開けたまま逡巡、妙な沈黙を呼んでしまったが、不快に思われなかっただろうか。


「あら、やめてちょうだい。そういった堅苦しいものが苦手で王都を離れたの。すぐには無理でも、これから長いつき合いになるのだから、気楽に接してほしいわ」

「え……これから? ということは……」

「シェリーさんさえよろしければ、街外れの家に住んでちょうだい。わたくしのところへ来たということは、こちら側の事情は聞いていらっしゃるのでしょう?」

「は、はい、昨夜シスター・リネットから伺っています」


 グローリアス夫人の言葉にシェリーは頷く。


「ふふふ、でしたらこれで決まりね。細かい契約の話は今度またするとして、お茶を飲みながら話しましょう。マーサ、紅茶とお菓子を用意して」

「かしこまりました」

「あ――」


 あ、いえ、けっこうです……と、言おうとしていた言葉を、彼女は寸でのところで飲み込んだ。


 せっかくお菓子をもらっても、今のシェリーには味がわからない。しかし親切心からお茶の席を設けてくれようとする夫人に、それを口にするのは憚られた。結局「ありがとうございます」とお礼の言葉を告げるにとどまり、彼女はおそらく人生でもっとも高価であろう紅茶と、味のしない焼菓子を口にした――


 ――その後、グローリアス夫人は「シェリーさんに似合いそうだわ」と言って、つばの広い白色の帽子をプレゼントしてくれた。シェリーは恐縮しながら、シンプルなデザインだが上等な仕上げの帽子を受け取る。栄養不良でパサついている上、地味な色合いの髪に合わせるのは恐れ多い気もしたが、にこやかに見つめてくる夫人の好意を無下にはしたくない。シェリーはもらった白い帽子をかぶり、夏空の下へ出た。


 シェリーが紅茶と焼菓子をいただいている間に、グローリアス夫人が馬車を手配してくれていた。貴族用とはもちろん違うが、一般人が乗るものの中ではかなり上級の馬車だ。彼女がエラヴァンスの街に来るのに使った乗合馬車とは、座椅子のやわらかさも揺れの安定感もまったく違う。


 馬車に乗り込んで、一度、聖教会支部へ戻った。預けていた荷物を受け取り、シスター・リネットに挨拶をする。グローリアス夫人に引き合わせてくれた感謝を述べれば、彼女は「落ちついたら必ず連絡をしてね」と温かい言葉をかけてくれた。シェリーはもう一度感謝の気持ちを告げると、シスターに見送られて馬車に乗り込んだ。


 馬車は綺麗に整備されたエラヴァンスの街の道を進み、だんだん郊外のほうへ向かって行った。市街地を抜けて海沿いの道を走り、道の整備の具合がほんの少し悪くなって――やがて馬車は、郊外の海を臨む小高い丘の上に辿りついた。


 賑やかな街からは遠く、どちらかと言えば森のほうが近い場所だ。かろうじて住所がエラヴァンスの街になっているかのようなそこには、一軒の家があった。どれだけ時間がかかるかわからない。馬車の御者に相談すれば、一旦帰るので必要とあればまた呼んでくれと言われた。運賃はすでにグローリアス夫人がチップと共に払ってくれているそうだ。シェリーは乗せてもらった礼を告げると、目的の家に近づいた。


 二階建ての小さな家だが、奥行きはだいぶあるようだ。煙突が突き出た屋根は赤とオレンジを混ぜたような色をしている。周囲には緑が生い茂る巨木や背の低い植木が点々とあり、一応、庭のようなスペースもあった。だが手入れはあまりされていないらしい。硬そうな地面から雑草が生えている。


 五段ほどの短い階段を上がって、玄関のドアノッカーを叩いた。


 グローリアス夫人が格安で紹介してくれた家には、先住の人間がいる。しかし近頃は家賃の支払いが遅れることが続き、夫人が話を聞けば資金難に陥っているとのことだった。そこで夫人はシスター・リネットなどの知人に、赤い屋根の家の住人が家賃を折半してくれる同居人を探していると相談していたらしい。


 エラヴァンスの街からだいぶ離れている上、先住の人間がいるとなれば、なかなか同居人は見つからなかった。そこにタイミングよく現れたのがシェリーだ。懸念事項はいくつかあったが、顔合わせをしてお互いに問題なければ、そのまま賃貸契約をすることになっている。


 玄関の前で待つが、人は出てこない。


(留守なのかしら?)


 乗って来た馬車はすでに帰ってしまっている。もう少し待っても住民が帰宅しないようなら、馬車を呼び戻さなければならない。逡巡し、ひとまずその場で待つと決めたシェリーは、夏の暑さを避けるために青々とした葉が茂る巨木の下に移動しようとして――


「あれ?」


 その時、家の中から物音がした。


 シェリーはもう一度、ドアノッカーを叩く。すると、中から何かを引きずるような音が聞こえてきた。それはだんだんと大きくなって、どうやらドアに近づいて来ているらしい。同時に、低い唸るような声もした。何が出てくるのかと考えている内に、ゆっくりとドアが開く。


「え」


 ドアで身体を支えながら顔を覗かせたのは、シェリーの父親ほどの年齢だと思われる、短い黒髪の男だった。夫人の紹介のため、名前はわかっている。父子家庭の父親のほう――ヴァン=クラム、四十二歳だ。


 筋肉質で鍛えられた身体をしており、背を曲げている体勢でも長身だとわかる。無精ヒゲが生えた顔は精悍だが、とても、青白い。そして何より、鼻にくる強い酒の香りと魔法薬の匂いに、彼女は一歩後ずさる――のと、同時。


「……誰だ、お前さ――うっ……うぼろろろろぉぉ……」


 男は盛大に嘔吐した。


 比喩でもなんでもなく、開口一番に嘔吐した、短い黒髪の男――ヴァン=クラム。口をすすいだり、着替えたりするためにだろう。彼は「悪い……」と言い残すと、青白い顔のまま家の中へふらふらと戻って行った。


(酔っ払い? でも、魔法薬の香りもした)


 なんにしても多量の飲酒をしているのは間違いない。玄関に取り残されたシェリーは、昼間から飲んだくれている男に呆れ混じりの溜め息をつく。そして少しだけ迷った末、玄関を汚す吐瀉物を魔法で片付けることにした。親切心からではない。今後住むことになるかもしれない家だからだ。


 吐瀉物は、ほとんど固形物が残っていなかった。すでに消化されているのか、そもそも酒しか入っていなかったのかまではわからない。咄嗟に観察してしまうのは魔法薬師のサガだろう。吐瀉物を『水魔法』で生み出した水で洗い流し、汚水を球体化して宙に浮かべる。彼女は逡巡したが、この場が海を臨む崖の上であったため、汚水の球体を移動させてそのまま海へ落下させた。


(希釈されるから大丈夫……な、はず……)


 シェリーは自らを納得させるように頷く。そして、体内の『魔力』の循環が良くなっていることに気づいた。昨晩、シスター・リネットの元でゆっくり休めたことが功を奏したのだろう。たったひと晩の安眠でこれほど良くなることを、すっかり忘れてしまっていた。


 聖教会発の創世記によると、大いなる神は数多くの生き物を生み出した。その中でもっとも愛された『人間』という生き物は、唯一、大いなる存在の力の一端を使うことを許されている。それが『魔法』である――と、創世記には記されていた。


 魔法を使うには魔力が必要だ。人間はその魔力を生み出す『魔力核』を体内に有する唯一の生物のため、そのような神話が生まれたのだろう。


 そして個人――血筋によって偏りもある――が生み出す魔力の性質によって、使える魔法の属性が変わった。基本的にほとんどの人間の魔力は『火魔法』『水魔法』『風魔法』『雷魔法』『土魔法』の五つの属性のいずれかに特化している。


 特化属性以外も使えないことはない。だが、使用には厳しい訓練が必要となってくる。そのため特別な事情や意図でもなければ、得意な属性の魔法だけを使用して伸ばしていく人間が圧倒的多数を占めていた。


 しかし何事にも例外はある。


 例えば、シェリー=グリーン――彼女の特化魔法は『光魔法』だ。


 光魔法や、それと対を成す『闇魔法』は世界人口から見ても、圧倒的に数が少ない属性である。師匠である父は土魔法の使い手だったため、おそらく母からの遺伝だろう。光魔法は珍しくはあるが、一点特化とでもいうのか、日常で使用するにはなかなか不便な魔法である。そのため両魔法の使い手は、五属性の魔法のいずれかを学び直すのがほとんどだった。


 シェリーが選んだのは水魔法だ。魔法薬師の仕事をするのなら、水魔法か土魔法が適しているというのが、今は亡き父の考えだったからである。父自身、これほど早く亡くなるとは思っていなかったのだろう。土魔法の部分は自分が、娘のシェリーが水魔法の部分を担い、補い合えばと考えていたのかもしれない。


(土魔法も、学んでみようかな)


 今の彼女はギルドにも、魔法薬店にも、どこにも属していない、ただの魔法薬師シェリー=グリーンだ。家賃の問題が解消されれば、生活費に追われる心配もない。自分のために使える時間が、今のシェリーにはあった。エラヴァンスの街で本屋を探してみようかと考えていると、家の中から「いいぞー、入ってくれ」と伸びた声が聞こえてきた。


 先ほどよりもしっかりした声だ。どうやら胃を空にしてスッキリしたらしい。呆れの溜め息か、倒れていなくて良かったという安堵か、彼女は小さく息を吐いた。飲んだくれの男と、まだ十一歳だという少年のふたり暮らしだと聞いている。もしかすると家の中は荒れているかもしれないと、そこはかとなく不安がよぎった。


(考えてもしかたないことよね)


 シェリーは首を振ると、トランクケースを持って家の中へと足を踏み入れた――。





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