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魔法薬師シェリー=グリーンのパン屋めぐり  作者: 光延ミトジ
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21/26

第21話:あなたのこと、わたしのこと



 予想以上に話が弾み――とはいえ、話していたのはほとんどシェリーなのだが――ライルとの食事の時間は普段よりも長いものになった。それから夕食の後片付けをして、彼女がシャワーを浴びるなどの寝支度を整えた頃には、とっくに日付けが変わっていた。


 ライルはすでに自室で眠りについている。会話の途中からうとうとし始めた少年をシェリーは浴室に追い立てた。水を浴びてなおライルは眠気まなこのままで、早々に部屋に向かわせたのは今から一時間ほど前のことだ。起きている人間がシェリーしかいないため、赤い屋根の家の中には静けさが漂っていた。


(ヴァンさんは、まだ眠っているのかしら?)


 夕暮れ時に帰宅してから、ヴァンが部屋を出た様子はない。キッチンに残しておいた食事も手つかずのままで、後片付けの時に拭きあげていたキッチンを見る限り、水を飲みに来たような形跡もなかった。


 よほど熟睡しているのだろうと思う反面、妙な胸騒ぎがする。思えば、夕食の前に彼を呼びに行った時、ドアをノックしても返事がなかった。その時は何も思わなかったが、ヴァンほどの冒険者が、ノックの音に気づかず眠り続けるなんてことがありえるのだろうか。


 一度考えてしまえば、だんだん気になってくる。


 村からの帰路にした会話で気まずくなったまま、今に至っている分、余計に胸がざわついた。親しいと思っている相手との関係が、ある日、何気ないきっかけで簡単に崩れることを彼女は知っている。元夫で、幼馴染みのエレズとの関係がそうだった。自分を映す相手の瞳の温度が変わるのを、もう見たくはない。


 考えれば考えるほど、うなじがゾワゾワと震えて、指先が冷たくなってきた。不安を消そうと深く、長く、息を吐く。


 夏は、感情の揺れ幅が大きくなった。悲惨な毎日から解放された季節であるのと同時に、幼馴染みやその母親に切り捨てられて決別した季節で、もっと遡れば、父が死んだ季節でもある。気持ちが不安定になりやすい自覚があった。


 シェリーは頭を振ると、不安を消すためにもと、ヴァンの部屋へ足を延ばした。


 ドアの前に立ち、控え目にノックをする。やはり返事はない。もう一度、今度は少し強めにドアを叩いた。それでも返事はなく――しかし、その時、微かな呻き声が中から聞こえた気がした。


「……ヴァンさん?」


 耳を澄ませるが、呻き声はもうしない。


 彼女は逡巡し――気持ちを固めると、薄くドアを開けた。中を覗けば、カーテンを閉めていないからか、視界は差し込んだ月光でぼんやりと明るい。シェリーは躊躇いがちにドアを開けて、彼の部屋の中に足を踏み入れた。


 もう何度も入ったことのある部屋だ。薄暗くても問題なく進める。彼が眠るベッドに近づき――すぐ、気づいた。


(様子が、おかしい)


 身体を横たえたヴァンは毛布をかぶり、背を丸めて眠っている。肩が上下し、呼吸が荒い。そもそも、シェリーが入って来ても起きないことが異常だ。眉間が刻まれたひたいに汗の玉が浮かんでいる。


 熱があるのかもしれない。確認しようと手を伸ばして、指先がひたいに触れようとした瞬間――


「っ!?」


 強く、手首を掴まれた。痛みにくぐもった声が漏れる。薄く開いたヴァンの目に睨み据えられて、肩が大きく跳ねた。黒い瞳の焦点は合っていない。シェリーはか細い声で彼の名を呼んだ。


「……シェリー、か……」


 掠れた声が耳に届くのと同時、捕まれていた手首が解放される。どれだけきつく握られていたのだろう。手首の太い血管が解放され、止まっていた血液が一気に流れ出したような、指先がじんと痺れる感覚がした。


 青白い月光に照らされる、彼の苦しげな姿にシェリーは眉を顰める。そして伸ばしたままの手を先に進め、ヴァンのひたいに触れた。


「……熱い。ヴァンさん、熱があるわ」

「は……知ってらぁ……」

「それに、苦しいんでしょう? 呼吸に雑音が混じってる」

「……寝てりゃ、治まる……」

「医者を呼んできてもらいましょう。ライルくんを起こしてくる――」

「やめろ」


 静かに、しかしはっきりと、シェリーの提案は却下される。


 街外れのこの辺りには医者はもちろん、他の居住者もいない。大きな街であるエラヴァンスの中心街へ行けば、いくつもの病院があり、夜中であっても医師がつめている。金を払えば往診もしてくれるため、足のあるライルに呼んで来てもらおうと思ったのだが、ヴァンはそれを望んでいないらしい。


「でも……」

「医者は、いい……っ……」


 ヴァンが身体を起こそうとして顔を顰めた。シェリーは咄嗟に彼を支え、そのまま上半身を起こす手伝いをする。触れた肌は熱を持ち、じっとりと汗が滲んでいた。


「悪いな……」

「……お水、持ってくるわ」

「ああ……ついでに、そこの煙草取ってくれ」


 一旦部屋を去ろうとしたシェリーは足を止める。彼の言う煙草とは、魔法薬を染み込ませたシャグを巻いた煙草のことだ。シェリーが調合したもので、それにどんな効果があるのかはよくわかっていた。


「痛みもあるの?」

「まさか……口寂しいだけだ」

「嘘。見ればわかるわ。医者でこそないけれど、薬師なのよ」


 大きな街でこそ、医者と薬師は分業しているが、小さな村などでは薬師が患者を診て薬を渡すのだ。経験こそないが、知識と素養はシェリーにもあった。だから今のヴァンの状態が良くないものだとわかる。


 水を取りに行くのをやめて、シェリーはベッドで上半身を起こしたヴァンと向かい合う。真剣な眼差しで彼を見つめれば、月光に照らされた青白い顔で、ヴァンは眉を下げて目を逸らした。


 それが、答えだ。


「ヴァンさん」


 名前を呼ぶ。彼が、息を吐いた。吐息は微かな拒絶を帯びている。


「なあ、べつに初めてのことじゃねえ……もういいから、気にすんな」

「ヴァンさん」

「……休む。出てってくれ」

「ヴァンさん」

「シェリー、俺ぁ――」


 大丈夫だ、と続いた言葉は尻すぼみに消えていく。シェリーの手がヴァンの頬を左右から包むように触れ、ぐっと押し潰したからだ。手の平から伝わる体温の高さに彼女は眉間に皺を寄せるが、不意に頬を潰された彼も眉間の皺を深くしていた。


「おい」

「わたしは、魔法薬師なの」

「……あ?」

「父の背中を追って、魔法薬師になったわ。それしか残っていなかったし、それさえあれば生きていけるとも思っていた。反対に……それがあったから、ヴァンさんの言う、みじめな人生を送っていたのかもしれない」

「……――」


 手に力を込めて、何か言おうとしたヴァンの言葉を塞ぐ。


「魔法薬師としての知識や能力、経験を捨てることは、たぶん、できたわ。でも、そうしなかったのは……魔法薬を調合し続けていたのは、あの人たちに強制されていたからって理由だけじゃない」


 黒い瞳と絡んだ視線は、どちらも逸らさない。もう言葉を遮られることも、話す前に拒絶されることもないと悟り、シェリーは静かに手を下ろした。


「わたし、あったの、それなりに。魔法薬師として誰かの役に立っているって達成感も、誰もがなれるわけじゃない専門職だって使命感も、やりがいも……魔法薬師としての、誇りも、それなりにあったの」


 尊厳を踏み躙られて、貶されて、見下されて、ただただ労力も能力も搾取されるだけの日々。夫の所有物で、嫁ぎ先の家の道具で――それも、まったく大事になんてされていなかった。心は折られたし、身体もボロボロで、何年経っても元の状態には戻ってくれない。


 そんな中で、頭にはよぎったけれど――自らの人生を放棄しなかったのは、自分が誰かの助けになっているという自負と、矜持を、ほんのわずかにだが、身の内に抱いていたからだ。


「わたしは、そういう人間だから、見なかった振りはできない。あなたのことなら、余計に。だから、選んで。医者を呼ぶか、ヴァンさんの身体のことを、わたしに教えるか」


 彼と、見つめ合う。


 どちらも口を開かない。答えを探す彼と、答えを待つ彼女の間には沈黙が落ち――あまりの静かさに、壁かドアの向こうからライルのいびきが聞こえてきた。


 張り詰めた空気が霧散して、気が抜ける。どちらからともなく、フと軽く笑う吐息が漏れた。


「……医者は、いい」


 ヴァンが、掠れた声で言う。


「これはもう、どうしようもねえからな……医者を呼んだところで、解熱剤と鎮痛剤を処方されるだけだ」

「持病、ってこと?」


 眉を寄せた彼が、深く息を吐きながら黒髪を掻いた。


「少しばかりな……魔力核が、イかれちまってんだ」

「……え――」


 聖教会発の創世記曰く――大いなる神は数多くの生き物を生み出し、その中でもっとも愛されているのが『人間』という存在である。ゆえに唯一、神の力の一端を使うことが許されており、それが『魔法』である――そうだ。


 魔法を使うには魔力が必要で、人間の体内には、その魔力を生み出す器官――『魔力核』が必ず存在している。人間が通常の状態で、健康的に生活するためには、なくてはならない臓器だ。


 先天的に疾患を抱えて生まれた赤ん坊は一年を待たずに早世するとされ、後天的に負傷したり、疾患が生じたりした人間は、魔法が使えなくなる。程度にもよるが慢性的な痛みと疲労感を抱え、日常的な生活を送ることが――生きることが、苦痛だと言われていた。


「イかれているっていうのは、病気由来? それとも、怪我?」

「どっちかって言えば、怪我だな。ちっとばかし無茶して、それで生じた違和感を押して、魔法を使い続けた。その結果、どうにもならないくらい損傷しちまったってわけだ」


 魔力核損傷――基本的に魔力核は自然治癒することはない。不調や違和感を覚えた時にはもう遅く、それ以降は魔法の使用を控え、騙し騙し生きていくしかないのだ。


(だから……)


 これまでにヴァンが魔法を使うところは見たことがなかった。煙草の火をつける時もマッチを擦っていた。それに酒と魔法薬の常習をしていることを鑑みれば、彼が決して、軽度の魔力核損傷患者でないことは、予想がつく。


 医者を呼んでも無駄だというのも納得だ。医者は匙を投げているのではない。魔力核損傷には治療方法が存在しないため、緩和ケアしかできないのだ。


「……ンな顔すんな。二、三日もすりゃ、体調は戻る」


 よほど不安げな顔をしてしまっていたのだろう。ヴァンの手が伸びてきて、シェリーの髪をくしゃりと撫でた。


「症状が、悪化したのは……メイブの森について来てくれたから?」

「ハメ、外しすぎたからだ」


 剣振り回して暴れたせいだな、と血の気の失せた顔で彼が言う。それが本当か、建て前か、判断することはできない。ただ、これ以上の会話を続けるのは、ヴァンの身体に良くないことはわかる。


 シェリーは彼の手を取って、手首に触れた。指先で感じる脈は弱い。


「水、持ってくるわ。それから、薬と食事も」

「……おう」


 自身の身体のことを話したからか、先ほどのような、微かな拒絶はもう感じなかった。


 身体を横たえるヴァンに手を貸して、部屋を出る。やらなくてはならないことがあるから、急いだ。胃に優しく食べやすい食事の用意と、彼の身体に合わせた魔法薬の調合。会話が成り立つ程度に意識ははっきりしているようだが、それは気を張っているからだ。ひとりになって気を抜けば、おそらく彼は眠ってしまうだろう。


(眠りやすいように、解熱作用を強めに……鎮痛剤は……あ、シルバーベルもあるんだから、それも使って――)


 魔力核損傷の患者を直接診るのは初めてだが、これまでにその手の魔法薬を調合したことは何度かある。そもそも、治療薬ではなく症状を緩和させるための薬だ。知識と技術と材料さえ揃えば、用意するのはさほど難しくない。


 頭の中ではぐるぐると調合に関する考えが巡る。前に進む足は速く――少しでも早く、彼を楽にするための薬を作らなければと、シェリーの心は急いていた。





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