第一話②「誤発動、そして」
「――もしかして、これってスキルの『誤発動』?」
そうだ、よくよく見れば汗にしては多すぎる。
人間の体の保水量を考えると、それこそ脱水で死んじゃうレベル。
ステータスカードに書かれていた『粘液』が勝手に発動して溢れているのだと考えると説明がつくんだけど、だとすると……。
ぬるぬる:ぬるぬるの粘液を生じる。
ねばねば:ねばねばの粘液を生じる。
どろどろ:どろどろの粘液を生じる。
スキルの詳細欄からは、どう見ても危険な香りしかしない。
しかも――
追記:緊張すればするほど威力が増す。
なんていう項目まであって、不安をどんどんかき立ててくる。
「なんとか止めないと……っ。解除……そうだ、解除とか出来ないのかなっ?」
僕は慌ててステータスカードを操作した。
しかし、どこを探してもスキル解除の仕方なんて載ってない。
異世界にはグー〇ル先生だっていないし、誰かに聞こうにも仲の良い人はいないし、そもそもこんな状況だし……っ。
「うう……どうしようどうしよう……?」
今はただの『ぬるぬる』だから滑るだけだけど、これがこの後『ねばねば』、もしくは『どろどろ』に変化してしまったとしたら?
「このままだと、どう考えても十八禁な光景が展開されてしまうことになるんだけどっ?」
「きゃっ……っ?」
僕の流した粘液に気づいたみんなは慌てて逃げ出したのだが、そのうち何人かが逃げ遅れて足をとられてしまった。
緊張により『ぬるぬる』度が増したせいだろう、次々に滑って転んでいく。
「うわ……なんで女の子ばっかり……っ?」
しかもクラスでも可愛い方のコばかりだ。
「やだ、汚い……っ」
「気持ち悪い……助けてっ」
嫌悪感も露わに立ち上がろうとする女の子たちだけど、『ぬるぬる』力が凄すぎて床に手をつくことすらままならない。
何度も転び、床に倒れ、そのつど全身が例の薄い本みたいに『ぬるぬる』塗れになっていく。
年頃JKたちのそういう姿は、言うまでもないことだけどすごくエッチだ。
「っていけないっ、見とれてないで助けないとっ」
僕は慌てて手近の女の子に手を伸ばしたんだけど――これがまさかの逆効果。
焦った僕の手から、さらなる粘液が飛んだ。
粘液は枝分かれし、広範囲に散らばった。
範囲内にいたのは身動きのとれない女の子ばかり。
躱すことの出来ない彼女たちはどんどん被弾し、しかも今回の粘液の効果はよりにもよって『どろどろ』で……。
「やだやだ……服が溶けてく……っ? なんでっ?」
「見ないで! 見ないでー!」
事前に予想していた通りの『衣服だけを溶かす粘液』だったらしく、女の子たちの制服が溶けて、色とりどりの下着が露わになっていく。
「うわちが、ちがうんだっ、これはちがくて……っ」
なんとかしたいんだけど、具体的にどうしたらいいのかわからない。
「てめえキモ男! 何してやがる!」
この惨状を見たシンゴが、怒声を上げて近寄って来た。
「異世界来た早々スキル使ってセクハラかよ!? ホントに救えねえクズだなてめえは!」
「ち、違うんだ! 僕はそんなつもりは……っ!」
「うるせえ! 言い訳すんな!」
普段から女の子の前でカッコつけているシンゴは、ここぞとばかりに叫んだ。
僕の胸倉を掴むと、拳を思い切り握り込み――
「――っ!」
顔面を襲うだろう痛みを予想し、僕は目をつむった。
歯を食い縛って、ショックに耐える姿勢をとった……けれど痛みはこなかった。
目を開けてみると、シンゴが顔面を床にぶつけていた。
どうやら勢い余って足を滑らせたらしいんだけど……。
「……ちょ、ちょっと大丈夫!?」
あまりにも痛そうなので慌てて助け起こそうとすると……。
「ち……ちくしょうてめえ、汚い真似をしやがって!」
シンゴは僕を突き飛ばすと、すぐに体を起こした。
ガバリと立ち上がると、再び拳を握り込んだ。
それだけ見ると、女の子たちのために拳を振るういかにもイケメンな行動……なんだけど……。
「……あ、鼻血」
突き飛ばされ尻餅をついた僕のすぐ傍に、真っ赤な滴が一滴垂れた。
一年生にしてサッカー部のエースでイケメンで、女の子たちの憧れのマトが無様に転び、鼻血を流している。
しかも理由が、こんな僕に構ったせい。
思ってもみなかった光景に、みんなはどっと笑った。
「おいおいあいつ鼻血流してるよ」
「あのシンゴが。かーっ、こうなったらイケメンも台無しだなあ」
「ぷーくすくす」
「ちょ、ちょっと笑っちゃ悪いよ」
クラスメイトのまさかの反応に、シンゴは逆上し――
「――てめえだけは絶対に殺す」
近くにいた兵士の腰から長剣を奪い取ると、上段に構えた。
スキル『剣聖』のものだろう超常の力を発動させると、長剣が眩い閃光を放った。
「や、やめてよ! そんなので斬られたら死んじゃうよ!」
「うるせえ! こっちは最初から殺すつもりだよ!」
僕の命乞いを無視したシンゴは、容赦なく剣を振り下ろし――
「うわあああー!?」
思ってもみなかった本気の攻撃に、僕の頭は真っ白になった。
その場に尻餅をついたまま、必死に両手を突き出して――
「ね、ねねね『粘液』!」
具体的に何かをイメージしてやったわけじゃない。
とにかくなんとかなればいいなと思っての行動だ。
それが結果的には良かったのだろう。
ランダムで発動した『粘液』は『ねばねば』。
僕の反撃なんか予想もしていなかったのだろうシンゴの顔面に、真正面からぶち当たった。
「も……もがっ!?」
無色透明の粘液に顔面を覆われたシンゴは、当然の如く呼吸困難に陥った。
「もがももがーっ!?」
しかもこの『ねばねば』、トリモチみたいに粘性が強くて剥がそうにも剥がれない。
みるみるうちにシンゴの顔が青くなっていく。
「……やべ! 死ぬぞあいつ!」
「みんな、力を貸せ!」
「皆の者! 勇者殿をお救いしろ!」
状況の危険性を感じ取った周りの生徒や騎士たちが助けようと動き出した。
ぎゅうぎゅう、ぎゅうぎゅう。
『粘液』を掴み、シンゴの顔面から剥がそうとみんなで頑張った結果……。
――べりぃぃぃっっ!
凄まじい音と共に『ねばねば』が剥がれ……。
「えっと……」
シンゴの顔が、もう大変なことになってしまった。
産毛に眉毛、まつ毛に髪の毛。およそ頭部についていた毛のすべてが抜けてしまった。
こうなってしまってはイケメンも台無しで……。
「あははははは! あーはっはっはっは!」
「お、おいやめろよ、笑っちゃ悪い……ぷふっ」
「いやいやおまえの方が笑ってるじゃん」
「無理無理。こんなの無理だって」
普段偉そうにしていたシンゴだけに、その醜態が痛快だったのだろう。
王の間に生徒たちの笑い声が響いた。
それは現地の人たちの間にも広がり、やがて王の間全体を揺るがすような大爆笑となった。
「………………おい、キモ男」
完全にキレてしまったのだろう、シンゴがやたらと低いトーンで話しかけてきた。
「おまえ今、どんな気持ち?」
顔だけをぐりんっとこちらに向け、ハイライトの消えた目で見つめてくる。
「あの、その、信じてもらえるかわからないけど僕にはまったく悪気がなくて……」
「へえ」
「最初から最後まで不可抗力で……」
「ふうん」
「誤発動っていうのかな。ほら僕って緊張癖があるじゃない? そのせいで……」
「なるほどなあ~」
こ、これは怖い。
こうしてゆっくり詰められる方が、思い切り怒鳴られるよりよっぽど怖い。
「毛はまた生えてくるよ。それまでは帽子でもかぶって過ごしてさ……」
「毛は生えてもよ、人の思い出までは消せねんだわ」
「あ、はい」
シンゴは僕の提案をバッサリ却下。
「おまえの顔を見るたび、みんなはこのことを思い出すだろうな。そんで、裏で笑いものにするだろう。『キモ男ならぬ毛無男』ってな。……あ? 『キモ男と毛無男で語呂がいいね?』 ざけんな」
「そ、そんなことは言ってないけど……」
「なあ、わかるだろ? そんなことになるぐらいならいっそ、思い出すきっかけ自体を無くせばいいと思わねえか?」
「へ? それってどういう……」
「そんなもん決まってるだろうが、こうしておまえを殺すんだよおおおーっ!」
シンゴは長剣を構え直すと、僕に向かって歩き出した。
「うわあああああああああああああああー!?」
ものすごい殺気を募らせるシンゴから、僕は必死で逃げ出した。
王の間を脱し、中庭を突っ切り、門を抜けて外へ。リディア王国の街中へ。
それが僕の異世界生活の始まりだった――