晩餐
「それにしてもうれしゅうございます。
ダグラスが部屋から出てくるなんて」
夕食の席で母親はワイングラスを傾けながら、ずっと同じようなセリフを口にしている。
いくらか酔いも回っているのだろう。
顔がほんのりどころか、かなり赤くなっている。
父親はもう聞き飽きたという表情を布一枚ほど薄く浮かべながら、仔牛肉の煮込みを黙々とナイフで切っては口に運んでいる。
いくらか呂律の回らない口調で、母親が尋ねた。
「それでナギさん、一体どんな魔法を使ったんですか?」
「魔法なんていうものじゃありませんよ。
あたしはただ、ごく当たり前の言動をしただけです」
落としたナイフを自分で拾おうとして、給仕係に止められたナギさんは、慌てて答えた。
いったいどこが当たり前なんだと、ニンジンの添え物をフォークで刺しながら僕は思った。
いくらなんでも引きこもりの人間にいきなり剣を突きつけるなんて、荒療治にも程がある。
ナギさんはおそらく、直感で生きている人だ。
だから母親をはじめとする、理論でガチガチに固まっているような連中にはできない芸当ができたんだろう。
そして結局、その直感が僕には効いた。
まあ、すべての不安が消えたのかと問われれば、そういうわけでもないと僕は答える。
でもこの人となら、何とかやっていけそうだという予感がする。
僕はまだ、ナギさんがどういう素性の人なのか、知らないわけではあるんだけれども。
母親が酒臭い息を吐きながら、再びナギさんに尋ねた。
「それでナギさん、どのように魔王に挑まれるおつもりですか?
まさかとは思いますが、うちの息子とふたりきりで戦おうとされているわけではありませんよね?」
ううむ、やっぱり魔王がどこかに出現したのか。
確かに母親の問いには一理ある。
僕は攻撃系の魔法が得意だけれど、補助系魔法や回復系魔法はまるで使えない。
となると、あとひとりは仲間が必要か。どうしよう。
「そのことなんですが、だれか回復魔法が使える人を探してるんですよ。
なにか知りませんか?」
ナギさんは困ったように頭をかいている。
回復魔法は聖職者ならば使えるはずだ。
それならばひとつ、心当たりがあるぞ。
僕がその不確かな情報を言おうかどうしようか迷っていると、母親が先に口を開いた。
「テンプルはご存じですか?
この町の東側から伸びる街道の先にある町です。
そこには職人の神をまつる神殿があって、聖職者も大勢集まるそうですから、最適な仲間が見つかるかもしれませんよ」
どうやら母親も僕と同じ意見だったらしい。
もっとも僕も母親も、実際にテンプルの町には行ったことはなくて、話に聞いただけなんだけれど。
でも、あてがあるとすれば、そこぐらいしかない。
「ありがとうございます。
では明日、向かうことにします」
ナギさんは大きくうなずいた。
聖職者が集まる町か、少し気になる。
ひょっとしたら、古代から伝わる聖典を拝めるかもしれないぞ。
でも、どんな人が仲間になってくれるんだろう?
そもそも仲間が見つかるんだろうか?
僕は急に不安になった。
「ではナギさん、今夜はうちに泊まっていってくださいな。
あなたはなんといっても、大恩人ですからね。
それにもしも私たち夫婦に娘がいたらこんな風だったのかと、楽しくも感じましたし」
僕の不安は、相変わらずひとりで盛り上がっている母親の声で中断させられた。
「ね、いいでしょ。あなた」
母親はナプキンで口を拭っている父親に同意を求めた。
父親は丸めたナプキンをテーブルに置きながら、ああと軽く返した。
「部屋はメイドに用意させておこう。
準備ができ次第、君は好きに客室を使ってくれて構わない」
父親はナギさんの顔にまっすぐ視線を移して、こう言った。
ナギさんは椅子に座ったまま、テーブルに額がつくんじゃないかというほど深く頭を下げて、お礼を言った。
ナギさんがうちに泊まってくれるならば、少し話をしてみたい。
彼女がどんな人生をこれまで歩んできて、どうして勇者をしているのか、ここまで来る間にどんな旅をしてきたのかをきいてみたい。
ああ、でもどういう風に話せばいいんだろう?
それとも一緒に旅をしていくうちに、少しずつ話をすればいいんだろうか?
「旦那様、客室の用意ができました」
メイドのひとりが、父親に声をかけた。
父親は彼女にご苦労と言うと、再びナギさんの方を向いた。
「旅の疲れもあるだろうから、明朝までゆっくりしていくといい。
朝食も用意させておくとしよう」
「なにからなにまで、ありがとうございます」
ナギさんはまた、深々と頭を下げた。
父親は久々に見せる真面目な顔をして、言った。
「遠慮はいらない。そのかわり、うちの至らない息子をよろしく頼むぞ」
ナギさんは真剣な顔つきでうなずいている。
まったく、なにが「至らない息子」だ。
今まで僕のことは母親に任せきりで、関心なんか持ったこともないくせに。
まあ、その息子が5年間も引きこもっていたわけだから、そう言いたくもなるのかもしれないけれど。
でも、いくらへりくだったつもりでも、実の親からそんな風に言われるのは、あまり気持ちのいいものではない。食後のお茶を前に僕が考え込んでいると、急にガタンと音がした。
「それでは失礼します」
ナギさんが立ち上がって、僕の両親に頭を下げている。
客室に引き上げるつもりだろう。
そろそろ僕も、部屋に戻ろう。
僕はぬるくなってしまったお茶を一気に飲み干すと、席を立った。