女勇者ナギ
「これでもまだ、自分が正しいと言い切れる?
あたしがもう少し剣を下げていたら、あんたは確実に危なかった」
ナギの声はさっきまでとはうってかわって、ひどく険しい。
彼女は本気だ。
僕が固まって動けないでいると、ナギは剣を素早く引いた。
それからスッという音。
彼女は剣をさやに戻したのだろう。
僕は急に張りつめていた緊張から解放され、その場に座り込んでしまった。
そしてあえぐように言った。
「なんで、どうして。
僕は魔法が得意なのに」
僕がへたり込んだまま顔を上げると、ナギは満面の笑みを浮かべて、実に晴れやかな声で言った。
「何事も実践だよ。
経験からしか得られないものも、結構あると思う。
モンスターに出会ったときに、いちいち本をめくっていたら、絶対に負けるからね」
もっともあたしは文字が読めないから、想像がたっぷり入っているんだけど、と彼女は付け加えた。
僕は直感的に、この人にはかなわないと思った。
服装は粗末で、言葉づかいもあまり丁寧じゃなく、僕より年下であろう女の子。
それでもきちんと人生を歩んできたという、気迫みたいなものを感じる。
ナギさんは僕に対して、さっき窓の外から見えた空のような水色の目をまっすぐに向けた。
「いい? あたしは魔王退治の仲間を集めて、王都カルディアに連れてくるように言われているの。
あんたがあたしの仲間になるなら、王都に行ける。
そうしたら、珍しい魔法書をたくさん読めるんじゃないかな」
なんという魅力的な話なんだ。僕は6歳の誕生日に、この国ではちょっと有名な作家である、パルテニアス・マロウの児童文学作品をもらって以来、本が大好きなのだ。
その作品、『みならいまほうつかいベルジリオのぼうけん』は、僕が魔法使いを目指すきっかけになったと言っても過言ではない。
6歳の誕生日以来、子供の頃の僕はお小遣いをコツコツためて、『ベルジリオ』シリーズを全巻買い集めた。
その作品たちは、今でも魔法書と一緒にこの部屋の本棚にきちんと並んでいる。
珍しい本が読めるならば、どんな苦難にでも耐えてみせるぞ。僕は即答していた。
「行くよ」
「ありがとう。
じゃあよろしく、ダグラスさん」
「ダグラスでいい。
こちらこそ、よろしく」
それにしてもナギさんは、どうして僕が本好きだと知っているんだろう?
魔法使いには本が必要だという、ごく当たり前の推論か、あるいは……。
あまり考えたくない可能性だが、僕の母親が吹き込んだのかもしれない。
母親という存在は一体なにを他人に話すか、わかったもんじゃない。
僕が10代後半の頃、学園の三者面談で僕の夜尿症が10歳を過ぎるまで治らなかったと、暴露されたことがあった。
案外ナギさんにも、僕のこれまでの人生に女性の気配がまるでなかったと、しゃべっているかもしれない。
まあ、ナギさんがそんなことは気にしなさそうな感じなのが、唯一の救いではある。
「ねえ、あんたはいつも、一体どうやってここから出ているの?」
ナギさんの困惑した声で、僕は我に返った。
彼女はなんとも言えないという顔で、廊下に続くドアを開けた先にあるバリケードを見つめている。
そうだった。
このバリケードの秘密は、僕しか知らないのだ。
「ああ、ごめん」
僕は頭をかきながらドアの方に向かい、バリケードを構成している箱のひとつを脇に置いた。
こうすると、人ひとり分が通れる道ができるのだ。
僕はその道から廊下に出て、おいで、とナギさんに呼びかけた。
ナギさんは身をよじらせながら、僕に続いて出てきた。
そして僕の姿を見て固まっているメイドに声をかけた。
「ソーンダイク夫人にお話があるのですが」
「は、はい。では客間でお待ちになってください。1階に降りていただいて、玄関の右側にある部屋がそうでございますので」
メイドはなんとか平常心を保っている、という感じだった。無理もない。両親、といっても主に母親の説得に5年間も応じなかった主人の息子が、見知らぬ女の子が来たとたんに部屋から出てきたんだから。
「ダグラス、なんでボーっと立ってるの?
行くよ」
ナギさんが振り返りながら、僕を呼んでいた。
僕は、ああとかなんとか、軽く返事をしてから慌てて後に続いた。
廊下の窓から見える空は、いつの間にか夕焼けの色になっている。
窓から差し込む沈みかけの太陽の光が、ナギさんの金茶色の髪を輝かせていた。