彼女の決意
「お邪魔します」
ナギさんは小さくそう言って、遠慮がちに家の中に入った。
僕も彼女に続く。
暗い家の中で、ステラさんがランプを手にしている。
僕は真っ先に、家の天井の低さに気づいた。
それにかなり年季が入っている。
薄暗くてもわかるぐらい、調度品や板張りの床には使い込まれた形跡がある。
先祖代々住んできた家なんだろうな。
それにしても、肝心のステラさんのお父さんはどこだろう?
僕があたりを見回していると、ステラさんはつかつかと廊下を進み、突き当りのドアをバタンと開けて叫んだ。
「お父さん!」
部屋の中にいた人影が、その声に呼応するかのように動く。
ランプに照らし出されたのは、白髪交じりの黒髪をした男性だった。
顔のしわが深く刻まれている気がするのは、決して部屋が薄暗いせいばかりではないだろう。
この人がステラさんのお父さん、マクレーン氏か。
僕がぼんやりとその顔を眺めていると、彼はゆっくりと口を開いた。
「ああ、ステラか。手紙もよこさずに帰ってくるなんて、また珍しいな。」
さっきまで盗賊団のボスに命を狙われていた人だとは思えないほどの、のんびりとした声。
ステラさんは父親とは対照的に、早口で尋ねる。
「お父さん、大丈夫だったの?」
「大丈夫って、なにがだ?」
「なにも気づかなかったの?
さっきまで家の前に変な連中がいたというのに」
「うーん、なにも感じなかったな。
なにしろ仕事に集中していたからな。
依頼人が早めに頼むというから、急いで仕上げをしていたんだよ。
大丈夫だ、もう完成のめどは立った」
その言葉を聞くが早いか、ステラさんはへたへたとその場にへたり込み、声を絞り出してもう一度叫んだ。
「もう、お父さん!」
「ん? 私のことが心配で、いきなり帰ってきたんじゃないのか?」
「確かにそうだけど、ただ心配だったんじゃなくて」
ステラさんは声を詰まらせ、泣きそうになっている。
その姿を見て、ようやくマクレーン氏もただ事ではないと気づいたらしい。
彼は自分の娘をまっすぐ見つめて、尋ねた。
「一体、なにがあったんだ?」
何度も言葉を途切れさせながら、ステラさんはテンプルでなにが起き、なぜテイラーに帰ってきたのかを話した。
家の前でチートと対峙したところまで話し終えると、彼女はきっぱりと言った。
「私、決めました。
神官長様にすべてを話します」
「うん、それでいいんじゃないかな。
ステラがそう決めたのならば、思った通りにするといい」
マクレーン氏は、大きくうなずいている。
この人も、娘が盗みに手を染めてしまった過去について、いろいろと葛藤があったんだろうな。
でも、そうするとどうなるんだろう?
神官長にすべてを話したところで、必ず許してもらえるという保証はない。
それどころか、聖職者を続けられなくなる可能性の方が大きい。
そのとき、ステラさんはどうするんだろうか?
僕がそう考えこんでいると、不意にマクレーン氏が言った。
「ナギ君にダグラス君だったっけ。
娘が世話になったようで、どうもありがとう」
「あ、どうも。
でもあたしたちは別になにかしたってわけじゃないですよ。
今回のことも、結局ステラさんが自分でなんとかしたわけで」
ナギさんは困り顔で頭をかいている。
「でも、おふたりがついてきてくださらなければ、とても今回の件を解決できませんでした」
ステラさんがそう言うと、マクレーン氏は少し考えてから言った。
「ステラがこう言っているわけだし、なにかお礼をしないといけないな」
「お礼だなんて、そんな。
本当に、なにかしたわけでもないのに」
ナギさんは戸惑い、その場に沈黙が流れた。
それを破ったのはステラさんだった。
「では、こうしましょう。
あなたたちふたりに、勇者一行にふさわしい衣装を仕立てるのはどうでしょう?
ねえ、お父さん、いいでしょう?」
「私は構わないが、ふたりはどうだ?」
マクレーン氏に尋ねられて、ナギさんは驚きをあらわにした。
「え、衣装?」
「ええ、出会ったときから思っていたのですが、あなたたちの衣装は、全く勇者一行らしくないではありませんか。
ナギさんの服はくたびれすぎていますし、ダグラスさんの服は、流行遅れにも程があります」
「はあ」
ナギさんには、ステラさんがそこまで言う理由が理解できないみたいだ。
でも、僕にはよくわかる。
ナギさんが来ている服は、ひと目で誰かのお古だとわかる。
僕の服は動きづらいうえに、5年物だからあちこちが擦り切れ始めている。
ここで勇者一行らしい服が手に入るならば、それに越したことはない。
ナギさん、ぜひともうんと言ってくれ。でも当人は、ずっと思案顔だ。
僕は勇気を出した。
「ね、ねえ」
声を発してはみたものの、その先が続かない。
しかもナギさんにステラさん、そしてマクレーン氏という、その場の全員が僕の顔を注視している。僕は焦った。
「え、えっと、あの、その、僕も、ふ、服のことは、ずっと、気になっていて、えーっと」
言葉を絞り出そうとするが、変な汗が止まらない。
僕はそれきりなにも言えなくなってしまった。
「わかった。
あたしは気にしていなかったけど、あんたは気になっていたわけね。
それではステラさん、マクレーンさん、お願いできますか?」
ナギさんが僕の真意をくみ取ってくれてよかった。
マクレーン父娘は、ふたつ返事で聞き入れてくれた。
「では、決まりですね」
「明日の朝に、さっそく採寸をしよう。
ステラはナギ君を頼む。ダグラス君は私が」
「ありがとうございます」
ナギさんはそう言って頭を下げ、僕もお礼を言った。
「それで、今夜はどうしますか?
とは言っても、さっきまでの騒ぎで、食堂も宿屋も開いていないと思いますが。
あまり豪華なもてなしはできませんが、この家に泊まりますか?」
多分ここは、ステラさんの言うとおりにするしかないだろうな。
日が暮れてだいぶ経つというのに、僕らはまだ、夕飯も食べていない。
知り合ったばかりの人の実家に泊めてもらうなんて、抵抗があるけど、ほかに選択肢はない。
「なにからなにまで、すみません」
ナギさんが申し訳なさそうに言った。
僕も一応、お礼を言っておいた。
「いえ、どうかそんなに堅苦しくならないでください。
ふたりは私の恩人なのですから」
ステラさんはそう言ってくれたものの、やっぱり僕は緊張が解けない。
考えてみれば、お互いの家に行くほど親しい友人と言うものが、僕の人生にはいままでいなかったのだから、仕方ないと言えば仕方ない。




