雨が降る朝
ナギさんを部屋まで送り届けてから、僕は自分の部屋のベッドに再び倒れこんだ。
でも今度は、ひとつの考えが頭をかすめて、すぐには眠れなかった。
野宿をしていたとき、彼女は僕のそばで眠っていたけれど、僕が変な考えを起こさないかと心配しなかったのだろうか。
ナギさんは服装こそ粗末だが、なかなかに魅力的な女性だ。
それなのに出会ったばかりの異性の前で、すやすやと眠れるものなのだろうか?
念のために断わっておくが、僕は女性とつき合った経験はないけれど、別に同性愛者だというわけではない。
かわいい女の子は好きだ。
それとも自分の強さを見せつけたあとだから、僕がなにもしてこないと確信していたのだろうか?
本人に尋ねてみるのが手っ取り早いが、今からそのためだけに動くのは、悲鳴を上げている状態の体では無理だ。
すると急に眠くなってきた。
まだまだ先は長いのだから、聞いてみるチャンスなんていくらでもあるはずだ。
いつの間にか朝が来ていた。
だけど、外は暗い。
窓に近づいてみると、空は鈍色の雲に覆われて、本降りの雨が降っている。
僕らは運がよかったのかもしれない。下手をするとこの雨で、フォート川が増水して渡れなかったかもしれないのだ。
この雨でも進むのかと考えて僕が軽く絶望していると、軽いノックの音が聞こえた。
慌ててドアを開けると、ナギさんが立っていた。
「おはよう、ダグラス。
雨が激しくなりそうだから、今日は足止めになっちゃうけど、いい?」
「うん」
そう答えた僕の声は、いくらか明るさを含んでいたに違いない。
いまは暖かい季節だとはいえ、さすがに雨に打たれれば体が冷えて体力が奪われてしまうだろう。
僕らは食堂に行き、黒パンと牛乳だけの朝食を会話もないままに食べた。
さて、今日一日をどう過ごそう。
僕は、はっとした。
雨で出かけられないならば、必然的に民宿にいるしかなくなる。
引きこもり歴の長い僕だが、自宅の部屋にいて退屈しなかったのは、本のコレクションがあったからだ。
でも今はそれがない。
となると、できることは限られてくる。
ひたすら惰眠をむさぼるか、あるいは……。
勇気がいるが、ナギさんと話をして時間を過ごすかだ。
彼女に聞いてみたいことは山ほどある。
勇者に任命された経緯や、それまでの生活、僕と出会うまでの旅路、ざっとこんなところか。
そうだ、引きこもりだった僕のところに、わざわざやってきた理由もまだ聞いていなかった。
食堂から戻って2階に上がると、彼女はもう自分の部屋に戻ろうとしていた。
僕はありったけの勇気を振り絞った。
「ナギさん!」
「ん? なに?」
彼女は振り返った。
僕はつかえながらも、なんとか言葉を続けた。
「あの、えっと、き、聞きたいことがあるんだ」
「えーっと、急に改まってどうしたの?」
ナギさんは僕の考えをわかりかねたような顔をしている。
僕は慌てて言った。
「と、とりあえず僕の部屋へ」
「わかった」
ナギさんは相変わらず不思議そうな顔をしたままで、僕についてきた。
僕は部屋に戻ってベッドに座ると、ナギさんに椅子をすすめた。
宿の部屋には、いくらか傷のある素朴なテーブルを挟んで木製の椅子が2脚、向かい合わせに置かれていた。
自分も椅子に座らなかったのは、ナギさんとずっと差し向かいで話をするのは、さすがにまだ無理だろうと思ったからだ。
ナギさんは後ろ手にドアを閉めて壁側の椅子に座ると、僕の方に向き直って言った。
「で、聞きたいことって?」
ナギさんは水差しの水を、木製のカップに注ぎながら言った。
「えっと、なんで僕のところに来たのかっていうのと、なんで勇者なのかと、あと、ええっと……」
そこまでは言葉が出てきたが、後が続かない。
黙り込んでうなだれてしまった僕に対して、ナギさんは意外な言葉を発した。
「え、なに? あんた、知らなかったんだ? てっきりお母さんから、全部聞いていると思っていた」
本当にただ驚いたという口調だった。
さすがに家に上がり込んできたぐらいだから、母親となにか話はしているだろう。で
も僕は、ナギさんに言われるまで、ごく当たり前の推論に至っていなかった自分にようやく気付いた。
まあ、女性の影がまるでない人生を送ってきた引きこもりの男が、自分の部屋にいきなり女勇者が来た事実に驚くのは当然か。
思いは頭の中を巡るけれど、言葉がうまく出てこない。
僕はまた黙り込んだ。
双方向のコミュニケーションというものは、どうも苦手だ。
相手の言葉を真正面から受けて、しばらく動けなくなってしまう。
どうやらそれが、僕の弱点のひとつらしい。
まあさすがの僕も、自分を完璧だなんて思ってはいないわけだけれど。
「えっと、なにから話せばいいかな?」
ひとり歩きし始めた僕の思考は、ナギさんの言葉で中断した。
でも僕は、なんと答えたらいいものかわからなくて、沈黙した。
ナギさんはそんな僕を見て、軽く息を吐くと、少し考えてから言った。
「じゃあ、あたしがなんで勇者になる羽目になったか、そこから話そうか」




