第三話
ねぇ、本当についてくるの?青々と生い茂る大木の下。黒いセーラー服に身を包んだ天がガクに問う。
事の始まりはもう一時間前に遡る。忌引きによる休暇が終わり、学校へ向かう準備をしていた天にガクが声をかけた。俺もついて行く。
どうやらガクは、天の学校について行くつもりらしい。天は勿論断った。人間ではないガクは知らないかもしれないけど、学校は無関係な人物を歓迎しないと。
しかし、天に対しては少々過保護であるガクは当然納得しない。ついて行く。連れて行かない。二人は暫く言い合う。
最終的に、またこの前みたいなのに襲われたらどうするんだと半ば脅しまがいの説得をされてやっと天が折れた。
ガクはというといつもの人間の姿ではなく、天とはじめて出会った姿。蔵に住まう角の生えた大男の姿をしていた。
その顔にはあの日のようにしっかりと面布が被せられているためガクの表情は全く読めない。
「安心しろ、ユダと同族以外には姿を見せないようにできるんだ。」
壁にも当たらないんだぞ。ガクが壁に触れれば、その手は壁の奥へと入り込む。
幽霊のように透ける体を披露して、面布の奥で楽観的に笑っていそうなガクに天は内心頭を抱える。そういう問題じゃないのに。そう思いながらも一度連れて行くと了承してしまった天がガクを拒絶することは無い。
そうして、冒頭に戻る。先日のガクの慌てぶりからもう二度と命令を用いた拒絶をしないと決めている天に今更ガクを家に置いていく術はない。
真夏日の炎天下の下。二人は沢山の生徒によって、人通りの多い坂道を上る。二人の間に会話はない。それは勿論、天が一人で話す不審者にならないようにだ。
天と同じセーラー服を着た少女達がはしゃいでいる。それを横目に二人は無言で歩く。坂道は急で、夏の陽射しに照らされた天の額に汗が滲む。
ガクはと言うとあまり陽の光を浴びたくないのかなるべく木陰を選んで進んでいる。
しかし、木陰達は皆ガクよりも背が小さく結局ガクは日を浴びている。そこまでして来なくていいのに。そう思いながら天は坂道の頂上に見える白い校舎を見上げる。
白い校舎こそ、天の通う白鷹学園。その高等部だ。白鷹学園は所謂お金持ちの集まる一貫校であり、天は幼稚園の頃からここに通っている。
古ぼけた拝み屋である月見家の価値を天自身は知らなかったが、千代はどうやら随分と色々な人と交流があったらしい。
「おはようございます。」
校門の前で生活指導をしている教師へ天が挨拶をする。竹刀を構えた教師はおはようと天へ挨拶を返す。ガクは天のすぐ後ろをついて校内に入る。
教師はガクに気づいていないようだ。確かにガクの姿は教師にも周りの生徒にも見えていないらしい。今更だけど、どういう原理なのかしら。
そう考えながら、ガクを見上げる天とは裏腹に、ガクは物珍しそうに校舎を眺めている。
二人は校内へ入る。当然の事だが、学校は十尺もある大男が過ごすようには出来ていない。ガクが角が生えた姿であることは変わらない。
だが、まだまだ長身ではあるが、ひとまずは人のサイズまでガクが縮んだことにより、天は少し驚きの声を漏らす。便利ね、と小声で言えばそうだろう?とガクは自慢げに返した。
校内に入った天が自身の教室の扉を開く。視線が一斉に天へ集まった。
すぐにざわりと教室内がざわめく。皆、唯一の親族を亡くした天へどんな言葉をかけるか悩んでいるようだった。
天はそんな腫れ物を扱うような扱いを気にせず自身の席へと向かう。この学校は財閥の子息息女の多い学校だ。
内部生であるものの、月見家の価値を知らない天は彼等の所謂お金持ちの価値観に馴染めずにいた。その為に天はこんな時、強引にでも彼女を慰めてくれるような友人は持ち合わせていない。
ガクはそんな彼等や天の様子に気づいていないのか、はたまた気づかない振りをしているのか、ゆっくりと教室の後ろに腰を下ろした。
「おはようございます!」
少しだけ気まずい空気の流れる教室内に元気な声と白銀の髪が揺れる。挨拶と共に現れたのはこのクラスの担任である因幡雅だ。
因幡は窓際で教室の隅にあたる席に座る天を見つけるとすぐに天へと歩み寄る。
月見さん、もう平気ですか?その声は優しく因幡の人の良さが伺える。天が頷くと因幡は微笑む。何かあったらすぐ自分に言うんですよ。
「多少のお休みならオマケしてあげますから!」
堂々とした因幡の冗談に天の顔に少し笑みが浮かぶ。その様子を見た因幡は満足したのか教卓へ戻ろう踵を返した。
したが、ふと立ち止まる。その視線、因幡は糸のように細い目をしているため、正しく何処を見ているのかはわからないが、ひとまずはその視線の先。
ガクがいた。天もふと連られてガクを見る。面布で隠されたガクと天達の視線が交わっているのかはわからない。ただ因幡は確かにガクを見た。
だが、それはほんの勘違いのような時間。因幡は何も言わず教卓へ戻る。天は偶然か、はたまた己の勘違いに首を傾げた。
因幡は生徒思いのマメな教師だ。昼休み。因幡が再び天の元へ現れる。何処から用意したのか。因幡は天が休んでいたうちの授業内容がまとめられたノートを天へ手渡した。
その筆跡は、採点や板書で見る天の知る因幡のものではない。天が礼を伝えるために因幡へそのノートを用意した生徒を問う。
しかし因幡は彼が恥ずかしがるのでとどこか楽しそうにはぐらかす。天は暫く粘ってみたが因幡は秘密です。の一点張りで結局天がノートを用意した相手を知ることは無かった。
「青春ですねぇ。」
そんなことを言い残し因幡は去っていく。渡されたノートは全ての教科がわかりやすくまとめられている。残念なことにこれを書いた人物はわからないが、天はノートを大切にカバンへ仕舞う。
そうして、朝からずっと窮屈そうなガクを見かねて天は屋上で昼食を取る事にした。
騒がしい校内。屋上へ向かい天は階段を登る。
「いただきます。」
天はお弁当箱を開く。ガク曰くだが。このお弁当は睡眠を取る必要のないガクが一晩かけて仕込みをし用意した傑作らしい。
サクサクの衣に包まれた唐揚げにほのかに甘い卵焼き。彩りを与えるミニトマトに味の染みたきんぴらごぼう。白米には海苔で丁寧に猫の顔が描かれている。
更に水筒には優しい味の味噌汁が詰められていた。天がおかずを口に運びその表情が美味しさで和らぐとガクは満足そうに頷いた。
「ガクって料理上手よね。誰かに教えてもらったの?」
天に褒められたガクは嬉しそうに人差し指を立てる。独学だ!顔が見えなくとも誇らしげなその声に天はつい笑みがこぼれる。
ガクはいいお婿さんになりそう。呑気な天の言葉にふとガクの雰囲気が変わる。天。ガクが天を呼ぶ。ガク?天がガクを見上げる。
ガクの巨大な手が天の頬に触れた。
「オレは、天が死ぬまで天のマガツヒモノだ。」
だからどうか、オレを決して手放すな。願うような声。大きな優しい手は天の頬をそっと撫でると名残惜しそうに離れた。
その声があまりにも寂しそうで。その手があまりにも優しくて。天は惚けたようにガクを見る。
ガクは天からそっと離れ姿勢を伸ばし、そうして黙って夏風を感じている。夏風がガクの面布を揺らし、時折その美しい顔を覗かせる。陰った赤い瞳が小さく発光している。それがあまりにも綺麗で見惚れていた天は慌ててお弁当へ視線を移した。
天は心地よい温かさの味噌汁をグイッと飲み干す。天達の頭上に夏の澄んだ青空が広がっている。
天は夏の寂しげな静寂の中に、なにかガクとの話題を考えて先程の因幡の行動を思い出す。因幡先生、ガクが見えていたみたいだった。天がそう言おうとガクに視線を移した。
その時、視線の先に人影を見た。屋上のフェンスの上。足を踏み外せば落ちてしまうような場所。
その場所に巨大な黒い人影が立っている。人影は天達へ背を向けてこそいるものの、艶やかな黒髪をした頭に生える大きな黄金の角だけははっきりと視認できた。
黄金の角は太陽の視線を反射してギラギラと輝いている。
「ガク!」
天が慌ててガクに声をかける。ガクが天に振り返り、そうして示された場所を見る頃にはその場所に人影はなかった。
天は必死にガクへと説明をする。黄金の大きな角が生えていてね。もしかしたら因幡先生のマガツヒモノかもしれない!天の突飛な言葉にガクは首だけではなく体全体を捻った。
「理由は?」
好奇心か。はたまたガクを見て、気まずい思いをした先程のことを誤魔化そうという気持ちが先行しているのか。天は興奮気味に話し出す。
因幡がガクを見えていたらしいこと。今のガクの姿が見えるのは、マガツヒモノかユダであること。因幡がマガツヒモノだとは思えず、そして突然現れた黄金の角のマガツヒモノの存在を踏まえてガクに根拠を説明した。
「確かにマガツヒモノがユダから離れることは少ないが…。」
でしょでしょ!興奮した様子の天に落ち着けとガクは言う。
まだ因幡がユダと決まった訳ではなく、マガツヒモノが誰かの所有物だと決まった訳でもない。
天が知らないだけで人間と契約していない野良のマガツヒモノは沢山いるんだぞ。天がユダになったから、突然見えるようになっただけだ。
ガクの言葉に天はだんだんそっかと肩を落とす。ガクはその様子に若干の罪悪感に狩られる。ガク自身、口では否定していたものの頭ではしっかりと因幡と謎のマガツヒモノの正体について考えていた。
勿論、それらが天へ悪影響を及ぼさないとは限らないからだ。もし仮に天の言う通り因幡がユダだとして、因幡とそのマガツヒモノがアポストルに所属している可能性もある。
より一層警戒しようとガクは心の中で決意する。
そんなところで予鈴の音が鳴り響くいた。マガツヒモノに気を取られ時計を見ていなかった天が慌ててお弁当箱をまとめて立ち上がる。
屋上から一歩先に校舎内に入った天を追おうとしてガクは立ち止まった。
「あのユダ、随分溺愛してるみたいじゃあないか。」
お前らしくもない。黄金の角を持つ黒い男が、ガクの背後からそう声をかけた。
覗きか?悪趣味だぞ。ガクは振り返らずに答える。男はクツクツと癪に障る笑い声をあげる。オレだってお前達を見たくて見てたわけじゃない。
ただ、オレのユダがお前を信頼できないらしくてな。仕事だよ仕事。男の煽るような声音にガクが振り返る。男はもうそこには居ない。本当は最初から後ろにはいなかったのかもしれない。ガクは舌打ちをすると天を追い校舎内へと入った。
「天?」
ガクが校舎内へ入る。ガクと黄金の角のマガツヒモノが会話していたのはそんなに長い時間ではない。
だと言うのに。前方に天が居ない。ガクの背中に冷や汗が垂れる。天!叫びガクが天の教室へ向かう。
勿論、天はいない。ガクの顔が青ざめる。天は何処に行った!?ガクは気配を辿ろうと廊下に蹲る。
しかし、微かにわかるのは他のマガツヒモノの気配だけ。天がさらわれた!アポストルかそれともユダを持たないマガツヒモノか、どちらにせよマガツヒモノの仕業だろう。ガクの焦りが大きくなる。どうすれば。考えろ!
「大丈夫ですか?月見さんの…マガツヒモノですよねぇ。貴方。」
随分体調が悪そうですが。焦るガクは突然背後から小声で声をかけられ勢いよく振り返る。
ガクの姿は今、マガツヒモノかユダにしか見えない。そしてガクに語り掛けた目の前の人物。因幡雅は人間だ。すなわち、ユダということになる。
「天は!」
天を何処にやった!ガクは因幡に勢いよく掴みかかる。今にも握り潰そうと言わんばかりに手に力を込める。恐ろしい妖物の獣性が覗く。
因幡はというと読めない表情で、しかし何処か呆気に取られている。自分は月見さんの行方を知りません。
因幡の言葉にガクは嘘をつくな!と因幡を締め上げる。ミシリ、と因幡の体が軋む音がする。
「本当ですって。そんなに心配なら自分のマガツヒモノに探してもらいます?」
これ以上絞められたら死んでしまいますから。その言葉で一瞬正気に戻ったガクが因幡を握っていた手を緩める。すまない…。下ろされた腕に別に構いませんよと因幡は返す。
因幡は自身のズボンのポケットから白い携帯を取り出す。何処かに電話、恐らく自分のマガツヒモノへ電話をかけるらしい。焦るガクとは反対に出るかなぁと因幡は呑気そうだ。
「お、出た。」
意外という風に因幡は声を上げる。もしもし?因幡が電話の向こうへ声をかける前に激しい轟音が鳴り響く。
因幡は慌てて電話を耳から離す。電話の向こうから轟音が続く。派手にやりすぎじゃないですか?因幡の問いに電波の悪い五月蝿いという言葉が帰ってくる。うるさいのはそっちの音ですよ。
因幡はやれやれという風に首を振る。いないと思ったらもう月見さんを追ってたんですねぇ。因幡は呑気だ。轟音は暫く響いていたが、突然パタリと止んだ。相変わらず電波の悪い音がする。
「月見…………。……した。連中、マガツ……ならん。」
すみません、何言ってるかわかんないです。因幡が笑いながら電話の向こうのマガツヒモノへ言う。
「月見のマガツヒモノに伝えろ。」
ハッキリと聞き取れた言葉。突如電話が切れる。おや?と因幡は通話の切れた携帯電話を覗き込む。
その間もガクはずっと気が気ではなく天はどうなったんだ!と因幡に詰め寄る。ガクの言葉に因幡は携帯を仕舞いながら眉をひそめた。
「彼が何を貴方に伝えたかったのかわからないので、なんとも。」
因幡の言葉にガクは無責任な!と憤る。お前のマガツヒモノは何処にいる!捲し立てられる大声に因幡は手で耳を塞ぐ。耳元で騒がないでくださいよなんて言いながら困った顔をする。
彼も無責任なんですから。因幡がそう文句を言った時、因幡の携帯が鳴り響く。因幡が再び携帯を取り出す前に、お前のマガツヒモノからか?とガクが詰め寄る。
「いや、叔父からですね?もしもし?准くん?」
因幡はガクと少し距離を取りながら准くんと呼んだ叔父だと言う人物と通話を始める。何を話しているのか、ガクにはわからないがどうやら天の話をしている。
「そうですか、彼が。そうなんですよ。月見さんを追ってて。あぁ、はい。勿論滅茶苦茶怒ってますよ、月見さんのマガツヒモノ。」
このままだと自分、怒ったマガツヒモノに殺されてしまうかもしれません。
因幡がのんびりと准くんと会話する。ガクはその間も面布の奥で鋭く因幡を睨んでいる。因幡は暫くはい、はい、と繰り返す。
「はい、わかりました。伝えましょう。」
ようやく通話が終わったのか、因幡が携帯を仕舞いガクを見る。准くんが月見さんを取り戻すのを手伝ってくれる見たいです。よかったですね。
そう言うと因幡はポケットからメモ帳を取り出し、とある住所を記載する。メモ帳を破き、ガクに手渡す。ガクはそのメモを怪訝そうに見る。
「准くん…あぁ、ミナカジュンと言います。自分の叔父との待ち合わせ場所です。とても強いユダですので、安心してください。」
ここに行けば天は無事に帰ってくるのか。ガクは因幡に問う。嘘を許さない問い。因幡は。
「約束しましょう。」
しっかりと頷いた。違えるなよ。ガクはその返事を聞くや否や突風のように記された住所へ駆けていく。
ガクの姿は、ガクの髪色と同じ金色をした巨大な狼のような獣の姿に変わっていた。その獣の姿こそ、マガツヒモノの持つ第三の姿だ。
因幡は廊下の窓を開き空を駆ける狼、飛び去るガクを見る。
「やはり、彼は信用なりませんねぇ。」
因幡は遥か彼方に消えゆく獣の尾を見ながらクツクツと笑った。