車椅子のナンパ師
(またあいついるよ……)
室井彩奈は忌々しそうに眉根を寄せた。
駅前の交差点近辺で車椅子に乗った男がウロウロしている。齢は三十代半ばぐらい。週末、いつもこの辺りに出没する。
大学生の彩奈はこの先のイタリアンレストランでアルバイトをしていて、店に行くにはその交差点を渡る必要があった。
男は器用に車椅子を操り、若い女の子に声を掛けている。清楚系、ギャル系、ふんわり系……美人を選んでる風でもなく、とにかく手当たり次第である。
(いい歳してよくやるよ……)
車椅子で声を掛けられると、みんな最初は驚いて足を止める。身体に障がいのある人を無視するのはまずいと思うのだろう。
だが――それがナンパだとわかった瞬間、なんともいえない戸惑いの表情を浮かべ、そそくさと歩き去る。
信号が青になり、彩奈は顔を伏せ、早足で横断歩道を渡った。
「あれえ、彩奈ちゃんじゃない?」
背後から声を掛けられ、彩奈は顔をしかめる。道を渡り終えたところで足を止め、睨み付ける。
「あの……前も言いましたよね? 名前を呼ぶのやめていただけませんか? 私とあなた、別に友達じゃないんですから」
初めて声を掛けられたとき、バイトの時間が迫っていたので、その場を逃れるため、メッセンジャーのIDを教えてしまった。速攻でブロックしたが、アイコンに「AYANA」に書かれていたので、名前を覚えられた。
「いや、でも他人ってわけでもないんだし……」
男は坊主に近い短髪をポリポリとかいた。猿顔というのか、なんともいえない人なつっこい顔をしている。
「1000%他人ですよ。だいたい、私、あなたの名前も知らないし」
「樫村! 樫村シュウイチ、修学旅行の修に、一は数字の一。シュウイチさんって呼んでよ。ほら、覚えたろ?」
彩奈は腹立ち紛れに言った。
「おじさんもよくやるよね、その歳でナンパなんて……他にやることあるんじゃないの?」
ターミナル駅前のこの交差点ではナンパをしている男も多いが、ほとんどは二十代の若者だ。おっさんの姿は見当たらない。
「人を好きになるのに年齢は関係ないんじゃないかなー。あ、ちょい失礼――」
車椅子を走らせ、通りがかった若い女性に声を掛ける。
「あの、すいません……すごく可愛らしい方だと思って声を掛けちゃいました。あそこにあるカフェ、限定ドリンクが美味しいんですよ。十分だけお時間いただけませんか」
「すいません。用事があって……」
女性は申し訳なさそうに謝り、スタスタと歩き出す。
「いや、あの……バリアフリーなんですよ! あの店」
彩奈はぷっと吹き出す。バリアフリーって、相手にとっちゃ関係ないだろう。
樫村はしばらく女性に併走しながら熱心に話しかけていたが、やがてあきらめ、別の若い女性が通りがかると、また果敢に声を掛けにいく。今度は足も止めてもらえず、完全にシカトされていた。
(よーやるわ、ほんと……)
彩奈はバイトの時間が迫っていることを思い出し、あわててその場を離れた。
◇
「ボンゴレロッソ、上がりました。7番にお願いしまーす」
厨房の中からシェフが白い丸皿をカウンターに置く。彩奈は皿を受け取ると、テーブルの客のもとへ運んでいく。
彼女がバイトをしているイタリアンレストランは、公園に面したテラス席が売りで、デートや記念日で使われることもある人気店だった。
「アヤちゃん、お疲れさま――」
閉店後の店内、ビールサーバの掃除をしていると、黒のベストを着た男性が彩奈に声を掛けてきた。
「あ、お疲れさまです」
カポカメリエーレ(ホールのスタッフ長)の青山徹。給仕スタッフたちに指示出しを行う、いわばホールの司令塔だ。
背がすらっと高く、頭が小さくてモデルのようにスタイルがいい。雑誌にイケメン店員として紹介されたこともあり、彼目当てに店に通う女性客も多い。ちなみに二十七歳、独身である。
「今日はディナーのお客様が多くて大変だったね」
「ホールにヘルプに来てもらって申し訳なかったです」
「こっちが厨房のヘルプに入ることもあるんだから気にしないでいいよ」
青山が優しげに部下の労をねぎらった。客だけでなく彼を慕う女性店員は多い。かくいう彩奈もその一人で、ずっと片思いをしていた。
着替えを終わり、更衣室を出ると、帰り支度をした青山が待っていた。
「アヤちゃん、駅まで一緒に帰ろうよ」
「あ、はい」
バイトの彩奈は、鍵を閉める最後まで残らなくていいのだが、青山と二人きりで帰れるよう、あえて他の人の雑用も引き受け、遅くに店を出るようにしていた。
二人は駅までの道を並んで歩いた。
「アヤちゃん、今、大学二年だっけ?」
「はい、そうです」
「勉強の方はどう?」
「なんとか単位は落とさずにがんばってます」
「来年は就職活動だよね。やりたい仕事とかあるの?」
「やっぱり英語を使う仕事がしたいです。あと、飲食関係にも興味があります」
「そっか……勉強や就職活動で忙しいと思うけど、少しでもウチで長く働いてもらえるとうれしいな」
「もちろんです! お店の雰囲気がいいし、バイト仲間のコとも仲がいいので……働いていて本当に楽しいです」
彩奈は大学での専攻科目や中学から続けているテニスの話などをしゃべった。駅までの道がもっと長く続けばいいのにと思った。
会話が切れるたびに「彼女はいるんですか?」という一言が喉まで出かかるが怖くて訊けなかった。
駅前の交差点にやってくると、例の車椅子の男がナンパをしていた。
(あいつ、まだやってるよ……)
夕方からいたから、もう六時間近くこの交差点にいる。週末とはいえ、いい歳をしたオッサンが他にやることがないのか。
「どうかしたの?」
「あ、いえ別に――」
樫村が彩奈に気づいた。男連れなのを見たからか、親指を突き立て、おまえもがんばれよ、みたいなエールを送ってくる。
「知り合い?」
彩奈はブルブル頭を振った。
「いえ、違います! 知らない人です」
あんなおっさんのナンパ師と知り合いだと思われたら変な誤解をされる。樫村のことを頭から追い出すように、彩奈は最近ヒットしているアニメ映画の話を始めた。
◇
翌日の日曜日、バイト先に向かおうとすると、交差点であの車椅子のナンパ男、樫村がまた声を掛けてきた。
「よ、彩奈ちゃん、なんかいいことあった?」
普段は無視するが、その日はうふふ、と笑った。
「私、彼氏ができるかもしれない」
「もしかして昨日一緒に歩いてたイケメン?」
「まあねー」
あの後、駅で別れ際、青山から目を見つめられ「君がいなくなったら、僕はすごくさみしくなると思う。この意味はわかってくれるよね?」と言われた。昨夜は興奮でほとんど眠れなかった。
「ふーん、良かったじゃん。ちゃんと彼氏ができたら報告してよ」
「なんでおじさんに報告しないといけないのよ」
彩奈は鼻先で笑い「おじさんもいつまでナンパなんかしてないで、ちゃんと長く付き合える人を見つけなよ」と手を振り、軽やかな足取りで歩き去った。
◇
開店後のフロア、スタッフが掃除や後片付けに追われる中、隅のテーブルでホール長の青山とオーナーが打ち合わせをしていた。
オーナーは女性だ。年齢は四十代半ば。やり手という噂で、この店以外にも、ネイルサロンやペットショップなど、複数の店舗を経営していた。
二人の姿を遠目に見ていると、同僚のバイト女性が近づいてきた。
「青山さん、オーナーとデキてるんでしょ」
「え?……」
「青山さん、スタッフの女の子が退職したいって言ったら、君がいなくなったら困るとか言って引き留めるんだって。ホストの色恋営業みたいだよね。あんた、言われてない?」
「別に……」
内心の動揺を隠して彩奈は答えた。
その日はバイトが終わると店を一人で出た。彩奈は駅までの道をとぼとぼと歩いていた。
なんのことはない。自分がシフトから外れると困るので青山は「君がいなくなったら困る」と言ったのだ。
大学生ぐらいの若い二人組の男が近づいてきた。
「ねえ、彼女、元気ないね。遊んでいかない?」
彩奈は声が耳に入らず、黙って歩き続ける。
「うわっ、ガンシカ? ね、カラオケでも行ってパーッと楽しもうよ」
男たちはしつこく話しかけてくる。小走りで逃げた。横断歩道が見えた。信号は赤だったが車は来ていない。思い切って道を渡ろうとしたとき――
手首をつかまれ、グイッと歩道に引っ張られた。
直後、バイクが猛スピードで目の前を通り過ぎた。道路に出ていたら撥ねられていただろう。
振り返ると、車椅子に座った樫村が手を握っていた。ショックで声を失っていると、例のナンパをしてきた二人組が追いついてきた。
「ねえ、そのコ、俺たちが先に声を掛けたんだけど」
「おっさんは邪魔しないでよ」
樫村が少し先にいるホスト風の男を指さした。
「あれ、ここを縄張りにしてるスカウト。さっきから君らを睨んでる。この交差点はナンパをしていいエリアが細かく決まってて、無視するとボコられるよ。たまに地回りのヤクザにさらわれるやつもいるから」
スカウトの男が指を銃の形にしてこちらを指した。二人組の若者の顔が強張り、気まずそうにその場を離れていく。
その後、彩奈と樫村は人の流れが少ない場所に移動した。樫村が自販機で二人分の缶コーヒーを買ってくれ、彩奈は石造りの植え込みの縁に腰を落とした。
「そっか、彼氏、オーナーとデキてたのか……」
彩奈の話を聞き終え、樫村は生真面目な顔でうなずく。
「馬鹿みたいでしょ? 彼女になれるかも、なんて思い込んで」
「いや、恋なんて思い込みから始まるもんだろ」
ナンパ師は妙に悟ったようなことを言う。
「……樫村さん、なんでナンパなんてやってるの?」
膝の上で缶コーヒーを握り、樫村がぽつりと語り始めた。
「俺は車の事故で歩けなくなって、一年くらい家で引きこもってたんだよ。でも友達も彼女もいないまま、薄暗い部屋の中で人生が終わっていくのは嫌だなって思ってさ……」
仕事に復帰したのを機に、路上でナンパを始めたという。
「まあ、俺もいい歳だし、おまけにこの身体だろ? そりゃ、路上じゃいろいろ不利だけどさ。たまに連絡先を教えてくれる女の子もいるぜ」
ただし、メッセンジャーのIDを教えてもらっても、ほとんどは「死番」、即ブロックされたり、女性から未読スルーされる連絡先らしい。
「よくネットで言われるだろ。彼女ができるのはイケメンだけとか、年収一千万以上とか、陰キャじゃ無理とか……でも、俺はそうは思わない。恋をする権利は一つだけ、相手に好きですって言えることだよ」
彩奈は雑踏の人の流れにぼんやりと目をやった。
「彼氏がオーナーと付き合ってるってただの噂なんだろ。ちゃんと気持ちを伝えてみなよ。フラれたって彩奈ちゃんは何を失うの? 立って歩けなくなるわけじゃないだろ」
樫村は人なつっこい猿顔をくしゃっとさせた。
◇
翌週の土曜日、バイト先に行くため、例の交差点にやってくると、車椅子の樫村に声を掛けられた。
「よおー、彩奈」
さっそく彩奈ちゃんから「彩奈」と呼び捨てである。どうでもいいけど。
「どうだった? 例のイケメン」
彩奈は首を傾け、苦笑いをした。
「うーん……玉砕。あ、でもちゃんと告白したよ、好きですって」
閉店後、駅までの帰り道で自分の気持ちを伝えた。青山は「うれしいけど君の気持ちには応えられない」と断った。
彼はもうすぐ店を辞め、ワインの勉強も兼ね、本場イタリアの店で働くのだという。オーナーと話し込んでいたのは退職の相談をしていたそうだ。
「そっか……」
「でも、なんかすっきりした。ありがとね、樫村さん」
少なくとも青山に告白する勇気をもらえた。気持ちを伝えないまま、青山がイタリアに行っていたら、一生後悔していただろう。
そうそう、と思いついたように彩奈は言った。
「私からもアドバイス。樫村さん、女の子に可愛いとか、綺麗だね、とかしか言わないけど、もうちょっと言い方を工夫したら? 可愛いコってそういうの言われ慣れてるよ」
一回りも年下の娘に諭され、樫村は苦笑した。
「あと、若いコばっかりいきすぎ。もう少し視野を広げてみなよ」
「うん、たしかにそうだな――」
樫村は照れたように頭をポリポリとかいた。
「あ、ごめん、偉そうに」
「いや、そうじゃなくて……俺が起こした事故なんだけど――」
あの夜、半身不随の怪我を負った事故の詳細は聞いていた。赤信号で道路に飛び出してきた高校生を避けようとハンドルを切り、歩道の電柱に激突したのだという。
「ハンドルを切って歩道に乗り上げたとき、俺は別の女の子を跳ねたんだ。彼女は顔に大怪我をしてさ……」
樫村の人なつっこい顔に苦渋の色がにじむ。ちょうど今の彩奈と同い年ぐらいの若い女性だったという。事故で意識を失い、病院に運び込まれた樫村は、後になって相手の顔の怪我のことを知った。
「事故は樫村さんのせいじゃないんでしょ?」
「それはこっちの言い分であって、彼女からすれば俺の車に撥ねられたことに変わりはないから……謝りたかったけど、弁護士から俺には会いたくないって……」
結局、事故以来、一度も対面できていないという。顔の傷がどうなったのか、整形のようなものを受けたのか、詳しいことは何も知らないそうだ。
樫村は人混みでごった返す交差点を見つめる。
「こうやって街でナンパをしていれば、いつかあのコに声を掛けることがあるかもしれないだろ。そのとき、俺が彼女に最初に掛ける言葉は絶対に、君は可愛いね、にしたいんだよ」
この都会にどれだけ若い女性がいると思ってるのか。それは砂漠で宝石を探すように気の遠くなるような話に思えた。
「まあ、いいオッサンが若い女に声を掛けるための口実だよ」
自分語りに照れたように樫村がポリポリと頭をかいた。
「いつか出会えるといいね、その人に」
「おう、彩奈もまたイイ男、見つけろよ」
車椅子の上で樫村が右肘を上げた。彩奈はその手をパチンとタッチし、じゃあね、と歩き出した。
樫村はその背中を優しく見送ると、「さて、もう一声いくか」とつぶやき、車椅子の車輪を回し、人の流れにまぎれていった。
(完)




