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女子高生勇者と異世界ピエロ

 ナナミは人混みが苦手だった。

 だがエイルが前に出ようとすると、自然と見物客は道を譲ってくれた。

 おかげで若干の罪悪感はありながらもナナミは最前列に並ぶことができた。


 噴水の前では、真っ赤な服の男が声を張り上げていた。

 幸の薄そうな顔をした中年の男だ。

 頭に大きな布袋を耳朶のように二つぶらさげている。

 彼が頭を振ると、布袋が縄跳びのように跳ねて、ナナミは思わず笑ってしまった。


「さぁ、見てらっしゃい。こちらにいるのは、昨今ではめったに見られない、あの凶暴な種族『オーク』です!」


 ナナミは自分の目を疑った。

 オークという夢想の存在が、確かな生命をもってそこに立っているからだ。

 はじめは脳がそれを受容することを拒否した。

 だが彼の悲哀に満ちた瞳をみていると、不気味だがじんわりと認識できるようになった。


 苔のような緑の表皮だった。

 体躯は人間の大人よりも遥かに巨大で、その重量には圧死という言葉が思い浮かんだ。

 潰れた鼻、牙が覗く厚い唇、側頭骨から垂れる三角形の大きな耳。いずれも人間にはない特徴だ。

 巨大なブラウンのローブを羽織っている。しかし足は何も穿いていない。

 太い首には大蛇のような銀色の首輪がまかれ、息苦しそうだった。


 オークの足元には折られた剣がいくつも散在していた。

 彼の馬鹿力を見世物にしていたことが容易に想像できた。


「さて、今度はとても硬い甲冑を彼に与えてみましょう! ヒュン国兵団も愛用する、とても丈夫な甲冑です。ふひひ……か、かなり重いですね……」


 司会者が顔を真っ赤にして抱える白い甲冑を、オークは軽々しく持ち上げ、林檎を潰すように片手で握りしめた。

 ナナミが工事現場でしか聞いたことがないような金属音が、あの大きな右手から聞こえてくる。

 手を開くと甲冑は歪な球体となっていた。


 観衆たちは静かに息を呑んだ。

 しかし誰かが拍手をすると、自然とみんな手をたたきはじめ、次第に割れんばかりの喝采に変わった。

 ナナミも気づけば拍手を送っていた。


 女として男の力を恐いと思ったことは何度かある。

 しかしここまで飛び抜けていると、恐怖を超えて感動すら覚えてしまう。

 何の芸もないただの力自慢だが、はじめて見る光景に自然と手を叩いてしまっていた。

 オークも相変わらず冷めた目をしているが、心なしか浮きだっているようにみえる。


「すごいね。エイル」

「あ、ああ。これは難敵だ。倒し甲斐がある」

「……倒さないでね」


 司会の男は両手をあげて拍手をとめた。ニヤニヤと嬉しそうに笑っている。


「さぁ、お次は人狼と人間のハーフ。しかも世にも珍しい白毛の少女!」


 司会は声高々に叫ぶが、そんな少女はどこにも見当たらなかった。

 真っ赤な耳朶を跳ねさせながら、司会は慌てて噴水へと近寄る。

 すると水場から勢いよく何かが飛んだ。

 あまりにもそれは素早く、ナナミには白い塊にしか見えなかった。


 それはオークの頭に四つ足で着地した。

 白い耳と尻尾が生えた、幼い少女だった。

 枝毛だらけの乱れた白髪が背中にべっとりとついている。

 犬のような耳をピコピコと動かし、やはり枝毛だらけの尻尾がオークの首筋をくすぐっていた。

 染色されていないベージュのワンピースを着ている。

 首にはオークと同じ模様の首輪があった。


 少女は不思議な目をしていた。

 充血したような光のない瞳。

 そこには何も景色は映っていない。

 観衆を見下ろすその赤い瞳は、闇夜に妖しく光る狐の両目を彷彿させた。

 人の姿に耳や尻尾が生えているだけで、少女の容姿は可愛らしいものだとナナミは思う。

 だが下のオークよりも、彼女の存在は無機質だった。


 少女は身体を犬のようにブルブルと震わせ纏っている水分を飛ばした。辺りに冷たい雨が降りかかり司会が顔をしかめる。


「ス、スンナ。はやく芸を……」


 司会は少女――スンナに声をかけるが、だが彼女は何も反応を示さない。オークも困ったように舌なめずりをしている。

 熱くなった空気も徐々に冷めていった。

 しかしナナミだけは少女に目が奪われている。


 ――……ユウミに似ている。


 昔のユウミの目と、スンナの目がそっくりだったのだ。

 ナナミはスンナを他人のように思えなかった。

 人の姿をした人ではない少女を、旧知の仲のように錯覚してしまう。

 今すぐにでも彼女の元へ駆け寄りたかった。


「興覚めだな。ナナミ」


 ナナミはエイルの言葉で我に返った。


「そ、そうね。オークは凄かったけど」


 すぐに取り繕ったが、スンナからは目が離せないでいた。

 その時、オークに石が投げられた。小さな石ころがオークのローブにあたって落ちる。


「俺はオークに父と母を殺された!」


 石を投げたのは壮年の男だった。観衆のなかから一歩前に出て、オークに向かって指をさす。


「なに当然の顔をしてここにいるんだ! お前らオークは戦争の時、俺たち人間を嬲り殺したんだぞ!」


 その叫びが皮きりだった。石が次々とオークに降りそそぐ。


「そうだ!」「お父さんを返して!」「私は夫を殺されたわっ」「よくも娘を……」


 ナナミは茫然とする。

 きっとあの観客たちは、ずっとタイミングを窺っていたのだろう。

 さっきまで拍手をしていた観客も、不穏な空気にあてられて石を投げていた。

 ナナミにはその気持ちがよくわかった。

 自分も石を投げなければ、標的になってしまう気がしたからだ。

 エイルがそっとナナミの肩を抱いた。その腕は力強く、ナナミは頼もしく感じた。


「大丈夫か?」

「う、うん。ありがとう。オークって、こんなに嫌われてるんだね……」

「ああ。戦時中、最も暴虐な種族がオークだったからな。どの種族よりも殺戮を愉しみ、奪いつくしていたんだ……」


 オークはじっと目を瞑って耐え忍んでいる。

 彼の丈夫な皮膚ならあまり痛くないのかもしれない。

 頭上のスンナも我関せずと佇み、石が飛んできても身軽に避けていた。

 しかし司会の男は的になっていないにも関わらず、芋虫のように身体を丸くして静かに震えていた。


「何が人狼とハーフだ! 忌まわしい血めっ。卑怯な人狼が人間面するな! お前らのせいで一度国が傾いたんだぞ!」


 いつの間にかスンナも標的になっている。

 ナナミは自身の鼓動が速くなっていくのを感じた。同時に過去の忌まわしい記憶が蘇っていく。


 ――……ユウミ。


 犯罪者の父をもつユウミ。

 彼女は周囲から迫害されて生きてきた。

 ユウミを守ろうとしたナナミも攻撃の対象になった。

 信じていた友人に裏切られ、両親にさえ愛想つかされ、ナナミたちは互いに寄り添いながら生きてきた。


 そんなユウミの姿を、ナナミはスンナに重ねていた。

 しかし彼ら遺族の感情もナナミには痛いぐらい響いている。

 彼らの正当性も、怒りも、充分に伝わってくるのだ。


 青年の投げた石がついに少女の顔にあたる。

 少女の頬が少し赤くなった。

 だが少女は表情を変えない。人形のように無表情のままだ。

 投げた青年を一瞥する瞳からも感情は読み取れない。


 オークが手を上げてスンナを石から守るが、それでも少女への攻撃を止まらなかった。

 むしろ一層激しくなる。観客たちはオークの嫌がることを優先したのだ。

 もうナナミは我慢できなかった。


「ごめんね。エイル」


 ナナミは覚悟を決めると、驚くほど思考がクリアになった。

 自分の心臓の音も他人のもののように思える。

 呆気にとられるエイルの腕を振りほどいて、ナナミはオークと観衆のあいだに立つ。

 両手を広げて暴徒となった観客に向き合った。


 ――ユウミ……力を貸して。


 怒声と石の嵐は止まった。しかし今にも爆発しそうな気迫がナナミを捉えている。

 人前に立つのはあまり得意ではなかったが、慎重に言葉を選ばなければ彼女にも観客は容赦なく襲いくるだろう。


「え、えっと……みなさん、冷静になってください」


 ナナミは声が出たことに安心した。

 ――さて、ここからが勝負。

 石があたっても平気そうなオークよりも、まだ幼いスンナを優先的に保護しなければならない。


「オークは、石を投げられても、仕方ないかもしれません。ですがこの人狼と人間のハーフの子は……幼くて、何も知らないんですよ。戦争にも参加してないでしょうし、この子には何も罪はありません。怒りたくなる気持ちはわかりますが、どうかみなさん、落ち着いて考え直してください」


 大衆は不気味に静まりかえった。観客はお互い顔を見合わせて、目で会話をしているようだった。我に返った人もいるかもしれない。

 ――私の世界とちがうなら……もしかしたら……。

 しかしナナミの期待はあっさりと打ち砕かれる。


「あの子、人狼が化けてるんじゃないか」


 誰かの一言で、堰を切ったように雑言が溢れる。


「あまり見ない子よね」「人狼が助けにきたんじゃないか」「黒髪なんて珍しい人がいたら、覚えているよな」「やっぱ人狼じゃないか」


 ゆるやかな放物線を描いて、石が一つナナミの足元で跳ねた。

 同じだった。

 ナナミが元の世界で体験したこと同じことが始まってしまう。


「やってしまえ」


 容赦のない石の雨がナナミを狙った。

 ナナミは思わず目を瞑る。


 しかし聞こえきたのは金属が何かを弾く音だった。


 ゆっくり目を開けると、目の前でエイルが剣を構えて立っていた。

 彼女の足元にはいくつもの石が転がっている。

 剣士の剣がナナミを守ったのだ。


「エ、エイル?」

「勝手すぎるぞ。この他種族を助けたい理由もよくわからない。だが、まぁ――」


 剣を鞘に納めて、エイルは振り返った。厳粛な顔だった。けれども赤髪を指で絡める仕草は変わらない。


「あとは任せろ」


 エイルの言葉にナナミは尻もちをついて地面に座り込んだ。


 ――ああ。何もわかってないのに、助けてくれるんだ。


 ナナミは大きなため息を吐く。エイルに対して呆れているのか、ナナミ自身もよくわからない。

 けれども民衆の空気も変わっている。人気があるというのは本当のようだ。


 緊張が解け、身体中の筋肉が弛緩していた。しばらくは立てそうもない。

 エイルが凛々しい声で民衆に呼びかけているが、ナナミにはあまり内容が入ってこなかった。

 ナナミを勇者と紹介している様子に気づいても、適当な愛想笑いを浮かべるだけで精一杯だった。


 ――……同性の友達は久しぶりかも。

 ――この世界も捨てたもんじゃないなぁ。


 空をふと見上げると、オークが不思議そうな顔でナナミを見下ろしていた。

 スンナも興味をもったのかじっとナナミを見つめている。


「はじめまして。勇者です」

 ナナミは不器用に笑った


最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

活力に繋がりますので、お気軽に感想や評価、ご指摘ください。

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