女子高生勇者の異世界デザート
「ところで勇者殿――いや、ナナミ。もう我がヒュン国には慣れたか?」
「……慣れたのかな?」
ボコボコした石畳をナナミと女剣士は歩く。
歩幅の大きい剣士に、ナナミは歩く速さを合わせていた。
ナナミは利発そうな顔をした黒髪の少女だ。
髪を後ろに束ねている。
白のシャツを着て、男性用の黒いズボンを穿き、ゆるやかな風に黒いマントをなびかせていた。
ナナミは腰に挿した銀色の剣をときどき確認した。剣を持ち歩くことに恐怖があるのだ。
まだこの世界に慣れているとは言えないだろう。
広場をかこむ煉瓦造りの家々。
日本の管理された匂いとはほど遠い、香水が入り混じった不思議な香り。
楽しそうに広場を闊歩する町娘たちも奥ゆかしい羊毛のワンピースを着ている。
これは夢ではないか。
目を瞑れば元の世界に戻るのではないか。今でもそう考えてしまう。
女子高校生のナナミには、まだ日本でも明るい未来が待っているはずだったのだ。
「私に聞かれても困るぞ」
腰まで伸びる赤髪を指でいじって、女剣士――エイルは困ったように笑った。
エイルは端整な顔立ちをしている、凛々しい女性だ。
同年代だがナナミよりも背は高く、身体つきもしっかりしている。
薄い白の甲冑を装着しているが、足取りは誰よりも軽い。
白銀の剣には龍の意匠があり、ナナミのものより上等そうだ。
きっと絵画のモデルになるのは、エイルのような女性だろう。
それをナナミは悔しいと思わない。こうして一緒に歩けることに誇りすら感じてしまう。
「剣の訓練で、慣れるどころじゃないって。剣道部でもあんなに辛かった記憶はないよ」
「ふふん。私の訓練は厳しいからな。ケンドウブとやらは知らないが、私に勝るものはないさ」
「そう思うなら、少し手加減してもいいんじゃない? こっちはなんで訓練するのかもわかってないのに」
「……国王様が訓練をしろと言ったのだから仕方ないだろう。悪く思うな」
「納得がいかない……」
「言うようになったな。召喚されたばかりの頃はずっと泣いていたのに。言語理解の魔法をかけた途端、ユウミ、ユウミと言いながら――」
「それは言わないで!」
ナナミはわざとらしく口を尖らせた。
ナナミがこのヒュン国に召喚されてからまだ日は浅い。
召喚された目的も知らず、言われるがまま剣の修行に明け暮れていた。
もしエイルが指南役でなければ、嫌気がさして不貞腐れたままだっただろう。
しかし目標がないのは不安定だ。自分がこの世界で何がしたいのかも定かではない。
「こうして甘い物を奢ってやるのだから許せ」
「今の分で一品追加ね」
「なっ……」
こうしてエイルと話していると、ずっとこの世界にいたように錯覚する。
エイルの厳格で、どこか抜けたような性格が、ナナミと妙に馬が合ったのだ。
しかし周りを見渡すと、知らない場所にいることを痛感してしまう。
幼いころ動物園で迷子になったときのような孤独感がふと胸をしめつける。
大声で客寄せをする出店の男が、ナナミを物珍しそうに見てくる。
母に連れられる小さな子供がナナミの黒髪に指をさしている。
ここにいてはいけない。お前の居場所はここではない。
そう目で訴えられているように感じた。
甘い物は楽しみだが、この広場からは早く抜け出したかった。
エイルの足は小奇麗な店の前で止まった。
広場の噴水を一望できる見晴らしのよい店だ。
若い女性に人気らしく、甲高い声が外からでも聞こえてくる。
「ここが私のおすすめだ。よくパパとママに連れてきてもらったんだ」
「そうなんだ。エイルはいいとこのお嬢様みたいだもんね」
「よく気がついたな。何を隠そう私は国を代表する貴族であり、先代勇者『アイル』の子孫だからな。民衆からの人気も高い」
「そう。スゴイのね。さ、はやくお店に入ろう。訓練ばかりで腹ペコなの」
「う、うむ……」
釈然としない様子でエイルは扉を開いた。
お店に入ると蜂蜜の匂いが鼻孔をくすぐった。
女性客がパンケーキを切り分けながら会話を楽しんでいる。
このようなところは日本と変わらない。
「おう。いらっしゃい。エイルちゃん」
気のよさそうな男に声をかけられた。恰幅のいい男でコック帽を頭にかぶっている。
「この子が噂の新しい勇者様かい?」
「そうだ。店長殿。今はこの私が手ほどきをしている」
エイルは自慢するかのようにナナミの身体を前にだした。
店長はジロジロと彼女を観察する。
興味をもたれるのは仕方ないが、やはりナナミは不快に感じた。
「なるほど。今度の勇者様は美少年ってわけか」
「私、女です」
「おっと、すまねぇ。だけど、勇者様は男にも女にもモテそうだな。……そう睨まないでくれ。サービスしてやるからさ」
「うむ。いつもの場所で頼む」
店長は二階へとナナミたちを案内した。
二階はバルコニーなっていて、品のよさそうな女性客やキザなカップルたちが優雅な昼下がりを過ごしていた。
勇者たちは噴水の全体がみえる最も見晴らしのよい席に座った。
エイルは甲冑を脱いで早くも寛いでいる。
甲冑の下は上等そうな白のブラウスだった。黒いリボンが膨らんだ胸に載っている。
「このパンケーキでよいな。クリームとフルーツがたくさんだから美味しいぞ。サービスをすると言っていたから、もっとあるかもしれない」
顎をさすりながらメニューを覗くエイルは、子供みたいでおかしかった。
パンケーキがやってくるのは早かった。
きっと店長はエイルが何を頼むかわかっていたのだろう。そう思うと朗らかな気分になった。
パンケーキはナナミの手のひらよりも大きかった。
三枚重なっており、その上には苺やバナナ、クリームが山のように載っている。一番下のパンケーキは蜂蜜の海にびしゃりと浸かっていた。
――もしユウミがいたら、見ただけで胸焼けしただろうなぁ。
食べると濃厚な甘みが口のなかに広がった。
「美味しいだろう?」
「うん。美味しい。久しぶりに美味しいものを食べたかも」
「そうだろう。そうだろう。うちのコックの味は古臭いからな。甘い物があまりない」
「うん。うん」
エイルはかなりおしゃべりだ。話を聞く方が好きなナナミとは、このようなところで噛み合ったのかもしれない。
会話に夢中になっていると、あの重厚に感じられたパンケーキも綺麗になくなっていた。
ナナミは噴水の方が騒がしくなっていることに気づいた。
目を遣ると緑色の巨人を中心に人だかりができている。
「あれはオークだな。最近、奴隷商が捕まえたと聞いたが、こうして見世物になっていたのは……」
「オークって……あの豚の顔をした、おっきい……やつ?」
「そうだな。私も見るのは初めてだ」
「そうなんだ。この世界は人間以外にも種族がいるんだね」
「ナナミの世界には人間しかいないのか……平和そうでいいな」
「…………平和じゃないの?」
「今は平和だ。だが昔はすごかったらしいぞ。七つの種族がずっと戦争をしていたのだ」
エイルは眉間に皺を寄せて難しそうな顔をした。
「我らが人間、オーク、エルフ、人狼、吸血鬼、魚人、ドラゴン。この七つの種族の戦争が少し前までの日常だったのだ」
ナナミにとって戦争という言葉は意外でもなかった。
人間同士でも争うのだ。ちがう種族なら戦争をして当たり前だろう。
この帯剣の必要性も腑に落ちた。
同時にナナミは平和であることに安堵した。
召喚されたのが戦争の最中だったならば、勇者も戦力に数えられただろう。
「でもどうして平和になったの? どこかの種族が勝ったの?」
「もちろん、我らが勝った――と、言いたいがそうではない。勝った種族はないんだ。魔王と呼ばれる者の一人勝ちさ」
「魔王?」
「ああ。突然戦争に現れて、圧倒的な力と恐怖で戦争を終わらせたのだ。いったい何者かは誰も知らない。魔を極めたエルフとか、ナナミや私の先祖と同じ異世界人とか、色々な説がある。なかには神様の生まれ変わりだと提唱した学者もいた。まぁ、良くも悪くも、魔王の支配によって平和になったのだ」
「そうなんだ……」
ゲームの話を聞いているような気分になった。しかし、あの場所にオークがいる以上、現実を受けとめなければいけない。
けれどもナナミは空気を飲み込んだみたいに実感が湧かなかった。
「そうだ。せっかくだから、見に行ってみよう。私もオークを見ておきたい」
「……うん」
見てみたい気持ちはあったが、ナナミには他人を笑いものにするようで抵抗があった。
ユウミに申し訳ない気持ちになってしまう。
だが、エイルは少年のように無邪気に笑っている。彼女を止めることは難しいだろう。
エイルに奢ってもらい、ナナミたちは店を出た。