パン焼き器がほしかった2-小さな異変
その1
進化したパン焼き器の「パン作」と私は会話を重ねて、信頼関係を深めていきました。「マル」ちゃん、あの掃除機も、まいにちひょうきんな動作で私をなごませてくれました。しばらくは、穏やかで楽しい日々が続いていました。ところが、平穏状態というものは、いつも一時なのですね。先日、洗濯機が壊れ、新しく購入しようとした時から、何かが崩れ始めていることに気づきました。
そこで、ネット画面から最新鋭洗濯機の注文ボタンを押しましたところ、すぐに「大変申し訳ありません。この型はお客様のお住まいに据え付けは困難です。電源設備、床の強度などの環境条件が満たされません。」と応答音声がありました。思わず私は「ええっ」と聞き返しました。「何も入力していないのに、どうして、私のアパートのことがわかるのかしら。」という疑問がわいたからです。わたしのスマフォの位置をGPSで知って、不動産屋のデータベースから部屋の間取りや、築年数を知ったのでしょうか。
いいえ、そんなはずはありません。その時、わたしは、パン作と川べりの道を散歩中だったのですから,川辺の散歩道にいた私に対し、「お客様の現在位置には電源が見当たりません。ご確認後にご注文ください。」とか、言うでしょうし。
「何か変ね。パン作。」と私が抱えていたパン作に話しかけると、犬をつれた老人が、不審そうにパン作を見て、「粗大ごみを河原に捨てるるつもりかな。」と、連れの犬に話かけています。犬はAIスピーカーと違って、関心がないと答えません。もっぱら道端の草の匂いの方に関心を集めワンとも言いません。粗大ごみと言われたパン作はむっつり重さを増しました。
最近、次々にわたしのスマフォに、勧誘や広告が届くようになったのも気がかりでした。広告の数が多くなったうえに、広告される商品の選択が偏っている気がするのです。
住み替えの、バスマット、ごみ箱、スリッパ、靴下、今まであまり目にしたことのない広告が始終私の端末画面に「貴女をより魅力的に」と、あふれるようになりました。ごみ箱を買変えたくらいで、女子力が上がるともおもえません。何かが私の周りでうごめいている感じがするのです。
私は、また、ちょっと疑り深くなりました。もしかして、パン作かと。最近のパン作は寡黙に、パンつくりに専念しているようです。「マルちゃん」とランプで会話をすることもほとんどないのです。
その2
しばらくして、私は原因がわかりました。あの「マルちゃん」、掃除機です。扁平にくるくる回って、よく働くと感心もし、愛らしいとも思っていたのですが、なんと、あれは「回り物」ではなく、製造会社の「まわし者」だったのです。
先日、「マルちゃん」が掃除中に、私は誤って蹴飛ばしてセンサーを壊してしまいました。「マルちゃん」は頭を壁にどんどんとぶつけても方向をかえません。頭と胴体は一体なので、どちらが壁にぶち当たっているのかはわかりませんが、部品を取り換えるために買った店に持ち込みました。ほどなく宅急便で修理された「マルちゃん」が送り返されてきましたが、もう昔の「マルちゃん」ではなかったのです。
センサーのかわりに、カメラと画像処理により、部屋の形状と自分の位置を把握して掃除するようにアップグレードされていました。アップグレード料金はタダでした。インテリジェンスな機能が変わったのかは私にはわかりません。「マルちゃん」は話ができないのです。
戻ってきた「マルちゃん」は、たしかに、やんちゃぶりが消えて、前よりも動線が効率的になり、壁にぶつかることもなく、せっせと働きました。そして、更に、せっせと自分の仕事ぶりをIoTで製造元に送っていたのです。掃除機目線ですから、データはスリッパやら間取りやらごみ箱に限られていたのが幸いでしたが、どういう訳か情報はいろいろな会社に流され、広告になって私のスマフォに戻ってきたのです。
なんだか、私のアパートは天井が外された人形の家のようになっているようです。上からすっかり丸見えで、SNSにパン焼き器ネット、そのうえ掃除機ネットが蜘蛛の巣のように張り巡らされています。わたしは、そこに引っかった凧かハエのような具合です。
とにかく、パン作が寡黙になったのは、何かを感づいていたのでしょう。そして、自分の本当の姿が、「マルちゃん」の目を通して、外に知れることに何か危険を感じていたのです。
これから、どうやって「マル」と付き合っていけばいいでしょう。もう「マルちゃん」と呼ぶ気にはなりません。黙っていたパン作にも、男としてどうなのと腹がたちます。一筋の信頼の糸がほころびはじめると、それを引っ張れば、ズルズルとスカートの裾がほどけていくように、もう元に戻ることはありません。
それにしても、わたしのスリッパは、古くなり汚れてしまっています。これは、「マル」の勧めに従って、買い変えようかと思っています。
「IoTつきならば、スマフォでどこからでも家電を操作できます。」と言われて買ったIoTつき「マル」でしたが、なんか今、わたしが「マル」から丸見えで、「マル」から操作されて、スリッパを買うことになったような気がします。気のせいでしょうか。