泣き虫だね
あるが、わたしをよんでる。
身体が揺さぶられるのを感じながら、重い、重い瞼を必死で押し上げた。
頬に生暖かい雫がポタポタと落ちてくる。
やっとの思いで押し開けた目は、なんだかぼやけていて焦点が合わない。
左手がなんだか痛いなとぼんやりと思いながらも、何度か目を瞬いて焦点を合わせる。
良く見えるようになると、至近距離に作り物めいた白皙の美貌があった。
わたしの、愛しい可愛い異世界に住まう恋人の黒髪エルフ・アスタールだ。
平時ならばツンと取り澄ましたようにしか見えないに違いない彼の顔は、今は涙と鼻水に塗れてグシャグシャだ。
「リリ……ン……」
わたしと目が合うと、しゃがれた声でもう一度、確かめるように名前を呼ぶ。
彼の金の瞳から、また一粒涙が零れ落ちた。
「アルは、泣き虫だねぇ?」
からかう様に呟いて、涙を拭ってやろうと手を上げかけて左の肘から先がない事に気が付く。
さっきの千切れた感触はコレか、と、ない事に気が付いたせいか痛みを強く感じ始めたのを無視して、反対の手で彼の涙を拭う。
利き腕が逝ったのは痛いけど、無ければ無いでなんとでもなる。
「きみを、うしなう、かと……」
「ここにいるよ?」
ギュウっと、わたしを抱きしめると、彼は肩に顔を埋めるようにして声を殺して泣き始めた。
震えるその背中をそっと撫でながら、「ごめんね」「そばに居るよ」「もう大丈夫」と繰り返し伝える。
そうしながら、彼の肩越しに自分が今置かれている状況を視認していく。
わたしはどうやら、床に裸で、でーんと転がっている状態らしい。
で、その上に彼が半ばのしかかるような状態?
うん。
裸でアルに押し倒されてる、って言った方が早い感じだ。
場所はだだっぴろい何にもない部屋に見える。
アルの身体が邪魔で見えないけれど、部屋の中には他に、ひぃ…ふぅ…みぃ…よぅ……。
5人の気配を感じる。
1人分の気配が消えた瞬間、それが創造主様のものだった事に気が付く。
あの後すぐに、こっちにきて何かやっていたのか。
……もしかしたら、余計な事をしたのかも。
そうは思っても、後の祭り。
『ここからはもう、僕は関与しないからね。』
そう言っていたって事は、これは自己責任だ。
余計な事をしたのなら、自分で何とかするしかない。
それはそれとして、だ。
すごいね、この体ってば高性能だ。
それとも魂の増設工事の賜物、ってやつだろうか?
取り敢えずあっちの世界でこんな分析が出来なかったのは確かだから、いわゆる『転生チート』ってヤツだと思っていいかもしれない。
泣きじゃくっていたアルは、いつの間にか静かに寝息を立てている。
泣きつかれて力尽きたらしい。
彼の後ろ頭を撫でながら、艶やかなその黒髪の手触りを楽しむ。
「リエラ!?」
暫くの間、そうやっていると不意に驚いた様な声が上がり、誰かが抱きとめられたのにしてはやけに軽い音が部屋に響く。
「リエラ? $#@%$#?! リエラ?!」
ああ。
リエラちゃんもいたのか。
そうすると、この部屋に居るのはアルの親兄弟っていうところかな。
きっと、今リエラちゃんの名前を呼んでるのがアルのお兄ちゃんか。
3日前に結婚式を挙げて、今日のお昼に親族との昼食会を開いたところでお開きとかそう言う話だった様な気がする。
おめでたい日だった筈なのに、こんな大騒ぎになって申し訳ないな。
そう思いながら目を閉じると、上に乗っていたアルの体が誰かに持ち上げられて、彼の下から抜けだせるようになった。
流石にいつまでも、アルの下に居る訳にもいかないし、正直重かったので有難く思いながら彼の下から抜けだすと、肩に大きな上着が掛けられる。
アルをどけてくれたのは、ほっそりとした黒いウェービーヘアの男性。
『アルの実父』だと、前に彼から聞いていた話しからその名前を導き出す。
確か、フーガさん。
肩に上着を掛けてくれたのは、小柄なゆるふわヘアの少女は……『アルの実母』イリーナさんだろう。
上着を掛けた後はさっさとフーガさんの側に移動して行ったから、そうするように頼まれただけなんだなと思う。
アルによると、イリーナさんにとってはフーガさんだけしか興味がないらしいって言ってたし。
フーガさんはアルに何度か声を掛けていたものの、すぐに彼に肩を貸すようにして立ち上がる。
わたしも貸して貰った上着に腕を通すと、慌てて立ち上がり、すでに部屋を出ようとしている彼の後を追い、反対側からアルを支えるのを手伝う。
幸い、身長差がそんなにひどくなかったから何とかいないよりはマシそうだ。
アルを1人で運ぶのは少しきつそうだし、さっきの状態を考えると、起きた時に私が居ないと錯乱しかねない。
部屋を出る前に、意識を失っているリエラちゃんを横抱きにしながら、運び出されるアルを心配そうに見送るアスラーダさんを横目で確認。
アルが、彼を頼りにするのも分かるな。
と、言うのが第一印象。
でも。
意識のない新妻抱えて、弟の方ばっかり見てるのはちょっと減点。
アルの心配をしてくれるのは有難いけど、彼女の状態も少しヤバいのが見てとれる。
創造主様がここに来ていたのは、彼女にアルがもっていた『輝影の支配者』としての権限を一部とはいえ移行させる為だったらしい。
そうされた事によって、彼女の存在が少し格上げされているのが感じ取れた。
そして彼女が格上げされた分、アルが格下げになったのも。
『余り短時間の間に管理者が変わるのは、好ましくない。』
あの言葉からすると、一時的なものだろうとは思うけれど、それでもその負担は結構なものなんじゃないだろうかとそう思う。
自分に施された、魂の増改築の規模を考えると余計にだ。