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自転車は隣の県へ走る。もう来る事も無いだろう町を抜け、県境の峠を越えて下り坂。
もう急ぐ必要は無いのでのんびり旅。
当初は平均時速が20キロだったから3時間も掛かってたが、あいつが引越しする前は50分で通ってたな。
今はどれぐらい短縮しているのかは知らんが、そんなのはっきり言ってどうでも良い。
町々を巡る産業道路をのんびりと走り、見覚えのある町並みに突入する。
午前中で式が終わり、昼頃に見送っての帰郷だが、時計を見ると13時過ぎ。
のんびりだったつもりでも、それなりの速度だったらしい。
ふむ、自転車で欧州とか走ってみたいな。
今では3ヶ国語もいけるし、特に不自由は無いだろうし。
金はあるんだし、旅行をしてみるのも手だなと、そんなこんな考えながら家の前に着く。
自転車を置いて荷物を担ぎ、呼び鈴を鳴らすと出て来る母親に対し、学校卒業したと言うと、そう……それだけかい。
部屋はあるかと聞くが物置だと言うし、中に入ろうとすると、もううちの子じゃないとのたまう。
どうやら親父が中に居るようで、追い出せとか小さく聞こえる。
やれやれ、どんな誤解が積み重なったのかは知らんが、すっかり組織の一員みたいに思われているようだ。
そのうち親父が出て来て、お前は勘当だ、何処へなりとも好きに行け。家は聡史(次男で弟)に継いでもらうと……
念の為、生前分与を聞いてみると、出て行けと扉をバタンと閉めた。
小型録音機の最後の仕事になったのかも知れないな。
家の前でケータイで弁護士に連絡をして、今、勘当の通告を受けたので起訴をお願いしますと告げておいた。
後半月だったのに無理だったのと言われたが、他人になったから仕方が無いですねと告げれば彼はそれを受諾した。
まあ、別に本当のところを言えば誤解じゃ無いんだけど、疑惑も無いし、そもそも証拠が無いからな。
野次馬が居たので軽く説明。
苛めの正当防衛での逆恨みで刺され、相手の親と示談にしたのにそれを信じず、喧嘩で刺されたのだと信じたり、根も葉もない噂を信じて警察に訴えたり、とにかくあの親は何故か自分に冷たかったのだと。
弟が生まれたらそっちに係りきり、自分は居ない子として過ごしていたと。
もしかすると自分は養子だったのかも知れないと。実家を無くしたので旅に出ようかと。
そんな感じの事をつらつらと話し、得意技のひとつ、涙腺崩壊を使用した。
ボロボロ流す涙に周囲は同情の気配。それではと自転車を押して俯き加減に歩いて行く。
いやぁ、中々難しかったな、お別れ芝居は。
さてと、何処で寝ますかね。とりあえず駅前の簡易宿に泊まり、翌朝シャワーで髪を決める。
スーツ姿で革靴履いて、サングラスを掛ければ……ううむ、やはり人が避けるな。
駐輪場は最長1ヶ月。本当ならすぐ旅に出たいが、起訴の件があるから待たねばならぬ。
とりあえず、昨日の会話は聞かせたが、後に証拠として提出になるかも知れんと言ったから保管はしているが、新しいテープがもう無いんだよな。
新しいテープを買い、セットして録音済は保管。ICレコーダーのほうが良いんだけど、音質がまだまだ及ばない。
もちろん、高いのを買えば良いが、証拠収集にそんな高いのは要らない。なので型遅れのテープ式にした訳だ。
実は女との会話もいくつか録音している。後々、何があるか分からんと、保険の意味で保管してある。
銀行の貸金庫の中には、そういうのがいくつか入っている。
預金が1千万を超えた頃に申し込み、学生だからと断られて全額預金を下ろすと言って1024万円って書いて通帳を出したら、少し待ってくれと言って受理された。
それから1週間後ぐらいに連絡が来て、窓口でカギを受け取って説明を聞いたんだったな。あれから2年か……
毎年3万の出費は痛かったが、利息で1万円引きになってたので多少はましか。
今では実質3000円で借りているのと同じって事だ。しかし、何とも低金利だよな。
そういや、法律を学んだ時に株式の事も色々と調べてみたが、上げ下げは情報が無いと無理そうだ。
それに、未成年はおいそれとはやれない。18じゃちょっと早いよな。やはり2年は旅行でもしてみるか。
銀行で200万下ろし、当座の資金とする。
残り2500万か。暇なので喫茶店でのんびりして、窓から外の様子を眺めたりしていた。
せかせかと歩いて何処に行こうと言うのか……そのうちケータイに連絡が入る。先方が示談にしたいとの話。
勘当して他人にしといて勝手なものだが、仕方が無いのでスーツから学生服に着替え、髪は元に戻した。
実家から離れた料理屋の個室を予約して、そこで話をするらしい。実家でやると近所の噂になるからだろうな。
だがもう遅い。近所の野次馬連中に話はしておいたんだからよ。
先に弁護士事務所に行って証拠のテープを渡す。機材が無いと言うから本体も。
改めて聞いて、これは酷い親だねと言われ、とりあえず200万は用意したので決裂したら裁判にしても構いませんと告げる。
金の出所はバイトと告げておいた。
時間まで暇なので蔵書を読ませて貰う事になり、判例辞典や法解釈の本を読み始める。
様々な人間模様がそこに見て取れ、興味のままに熟読する。
肩を叩かれてハッと気付き、時間になった事を告げられる。どうやら夢中で読んでいたらしい。
興味があるなら目指してみないかと言われて迷ったが、しばらく旅に出てみたい事を告げる。
なので帰ってからその気になるなら、うちに来ると良いと……ふむ、司法書士か、そういうのも良いが、大学に行かなくて良いのかねぇ。
叩き上げになるかも知れないが、その道もあるかも知れん。
ただ、ひまわりと天秤を背負うと、何かの時に罪が重くなる。それがちょっとネックかな。
逮捕はされてないし、罪にも疑いにもなってないが、オレはかつて14人殺している。そんな奴がなって良いのかねぇ。
時間となり、弁護士と共に指定の料理屋に赴く。
父親は機嫌が悪く、オレの顔を見るなり罵声をあげるが、弁護士の姿を見て勢いが弱くなる。
やれやれ、開始前に心証悪くしてどうしようってのかね。
さて、弁護士さんの査定はどれぐらいになったのかと、話を静かに聞いてみる。
本来ならば起訴にしても良いように既に書類は整っていて、それは半年前から預かっていると。
そして卒業後に家に戻って話をした結果、和解に終われば破棄する約束になっていたと告げる。
すなわち、門前払いをしたそちらのせいで今、こういう話になっているのだと。
勘当を本当にしたいなら、彼の言うとおり生前分与もすべき事で、それも無しに未成年を路頭に迷わせる事は親の責任放棄に繋がると。
それらを鑑み、示談金は2500万円だと。
到底払えないと親父は言う。しかし、さすがは弁護士。
財産をざっと調べていたらしく、全評価額合わせて1億余り、その4分の1と示談金、それから少し割り引いての額だと告げる。
話が決裂すれば明日にでも起訴状の提出になるので、話は今決めて欲しいと。
散々迷った後、親父は分割払いでの支払いを決める。
遂にこいつはオレを切る事を止めなかったな。
弁護士さんに示談の席上で勘当を取り消すようなら、我慢してみないかと言われたが、こんな結果になっちまったと。
示談合意書に双方がサイン捺印をし、分割払いで口座振込みで合意した。
毎月50万の50回払いか。本来ならこれに金利が掛かるのだが、それは無しにした。
最後の親孝行だな、クククッ……
店を出る前に、全ての冤罪を真に受け、長男を排除しようとしたそちらが全ての原因。
オレは将来、弁護士になるかも知れんが、そうなったらオレみたいな奴を助ける弁護士になりたいと話す。
弁護士さんも君ならきっと良い弁護士になれるよと、オレの後押しをする。
元親はそれでも、お前みたいなろくでなしになれるかと毒舌。なので最後にドイツ語でさようならと告げて別れた。
旅は海外かと聞かれ、造詣あるんですねと笑う。
これでも若い頃はと世間話は始まり、タクシー乗り場で彼と別れた。
示談合意書は貸金庫に収まり、用事は全て終わった。
追加費用は結局受け取らず、彼は旅を楽しみなさいと告げてくれた。