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いつものように学校に行き、つまらない授業を聞いた振りして転寝し、クラスの奴らと友達芝居をやり、そのまま帰宅する。
もう何年こうやってつまらない生活をしているのか……幼い頃からそうだった。
人と馴染めないというか、大多数の人達が楽しいと思う事が楽しく思えないのだ。
だけどそれじゃあ社会の一員は務まらない。
早熟だったのか、オレは小学低学年にそれを悟り、友達芝居を開始した。
最初は親子芝居だったが、そこに友達芝居が加わった訳だ。
そうして恋人芝居になり、このまま社会人芝居になるのかとぼんやりと感じていた。
このつまらない人生芝居の幕引きが数年後に迫っていたとは、当時のオレには気付けなかったのである。
うわべを取り繕うとストレスが溜まる。
その対策は身体を鍛えて、身体を苛める事で発散した。
服を着ている時は目立たないが、脱ぐとそれなりの身体になっていた。
だけど、そんなものを人に見せる気はなく、体育の着替えも目立たないように地味に、部活は帰宅部という有様だった。
家に帰れば少し悪ガキっぽい少年として過ごし、遊びに行くと称してトレーニングの日々。
親は当たり前に夜遊びと思い、たまには叱られて早く帰る時もあった。
そうして早朝のトレーニングが加わり、二度寝しての寝坊もわざとで、遅刻の常習犯として内申書は悪くなり、自然、レベルの低い学校に行くようになる。
勉強も本当は嫌いじゃない。
知らない事を知るのは興味もあったので、休日は街に遊びに行くと言っては図書館に通っていたものだ。
将来、この芝居が破綻したとしても、1人で暮らしていけるようにと始めた勉強。
それは学年が上がるごとにより現実的なものとなり、サバイバルの知識や応急治療の知識、様々な国の歴史や言語に至るまで、その知識の習得は多岐に及んだ。
中学に上がる頃、夜遊びの内訳は深夜バイトとなり、トレーニングは朝だけになる。
その頃になると親は半ば放任するようになり、多分に諦められていたのだろう。
その分、親の期待は弟に注がれ、それを受けて弟は一身に努力しているようだった。
2つ違いの弟だが、まともに話した事もない。
確かにうわべでの会話はあるのだが、弟の事など興味も特に持てず、かと言ってそれでは家族としてやってはいけないと、それなりの対応をしていた。
ただ、何か言ってくるのは相手からだけであり、自分からそうする事は無かったのである。
そのせいか、何かが無ければ会話もしない兄弟が出来上がったという訳だ。
近所の噂は予測の通り、ダメな兄貴と優秀な弟となっていて、作戦が順調なのを示していた。
そうやって少しずつ家族から離れるように仕向け、高校では独り暮らしを目的としていた。
もうこれ以上、家族芝居がやれなくなっていたからであるが、それは別に罪悪感からではない。
何故かオレは幼い頃からそういう感情が欠落しているようで、他人の痛みも本当は理解が及ばない。
だけど破綻者扱いされる訳にはいかず、だからこその芝居の日々だったのだが、身体を苛めるのにも限界があり、それだけではもう、発散に至らなくなっていたのだ。
恐らくそれは思春期の始まりのせいだったのだろうか、発散を別の方向に向ける事になる。