炎と氷の竜【挿絵】
俺は手を氷によって拘束され、他の氷竜族によって運ばれた。今さら嘘の場所を教える事も出来ない。そんなことをすれば俺を始末したあと、他の皆にも危害が及ぶだろう。
空に行く手を遮る物は何もない。真っ直ぐに炎竜族の棲む山へ飛んで行くと、エルドラの元にみすみす危険な奴を案内してしまう自分を責める間もなく、城が見えてきた。
城へ降り立った俺達。当然、炎竜族は気が付き、駆け寄ってくる。
「貴方は確か以前、女皇様と…」
「あ、あぁ、久しぶり…だな」
使いの炎竜族は俺のことを覚えてくれていたようだ。そして、俺の隣にいる女を見て驚いたような顔する。
「…なぜここに…」
「貴方に構っている時間は無いわ。女皇の所へ案内しなさい」
「っ…!は、はい…」
冷たく見下ろし、命令する女。炎竜族の使いは、小さく震え、頭を下げた。
氷竜族の女の靴の音だけが廊下に響く。歩みを止めたのは俺が初めてエルドラと会った場所。玉座の間だ。
ゆっくりと扉が開かれる。そこには数人の炎竜族と、玉座に座るエルドラが居た。様子を見るに、既に俺達が来たことは知っていたようだ。
「…」
エルドラと女は視線を結んだまま、沈黙が流れる。まさかいきなりおっ始めるなんてことないよな…?
「貴方達、下がっていいわ」
エルドラが口を開いた。すぐに周りに居た炎竜族達が静かに扉から出て行く。三人だけになった空間は今までよりも広く感じる。
「人払いは済んだわ。その方が都合が良いでしょう?」
「…ええ、そうね」
念のためだろうか、女が扉に手をかざすと、外から開かれぬよう氷漬けにした。
「会いたかったわ…」
「そこの彼がまだ居るけど?」
「構わないわ、貴方を前にしてこれ以上抑えられないわ」
女はゆっくりと玉座への階段を上がって行く。エルドラはそれを黙って見つめる。やばいぞこの雰囲気…。
「私は会いたくなかったわ。ワタル、貴方のその様子を見る限り致し方ない事情があったのは分かるわ。けれどこの女は私にとって…」
最後の一段を登り会えた女は小さく息を切らしながら、エルドラへ手を伸ばした。
「ずっと会いたかったエルドラ…様」
女は跪くとエルドラの太股へ顔を埋ずめた。
「は…?」
自然と口から零れた言葉だった。女のあまりの豹変っぷりに。
「ちょっと…!離れなさいよ」
「ふふ…エルドラ様、そんな冷たいことを言わないで下さい…」
エルドラは女を無理やり体から引き剥がす。
「こいつ、苦手なのよ…。気持ち悪いから」
「え、いや、まぁ…確かに今のその様子が気持ち悪いのは認めるけど…」
俺の頬を氷塊が掠め、血が滴った。
「口を慎みなさい。私を侮辱していいのはエルドラ様だけよ」
「やめなさい」
俺を蔑むような目で睨んだ女をエルドラが頭から踏みつけた。
「あ、あぁ…ありがとうございましゅぅ」
恍惚の表情でそれを受け入れる女。エルドラとそれ以外で態度が変わり過ぎだろ。どうやったらそこまで使い分けられるんだよ。だが一つハッキリしてることがある。それは…こいつが蔑まれることによって性的興奮を感じるド変態野郎だってことだ。口には出さない方が良さそうだけどな。
「け、けど、てっきり喧嘩にでもなるんじゃないかと思ってたからそうじゃなくて安心したよ」
「以前はそうだったのだけれど、戦う度に何度も地面を這い蹲らせていたらいつからかこうなってたのよ…私に敗れて傅く相手は珍しくないけど、ここまでだと流石に引くわね」
エルドラは心底、呆れた顔で答える。
「そういえばまだ名前も聞いてなかった。氷竜族?なんだよな?」
「そうよ、ルフレル・レイフラレル。氷竜族の女皇よ」
女皇という紹介と今の絵面が合って無さ過ぎて違和感が凄い。
「あの…ルフレル様?そろそろ俺の手の氷を解いてもらっても…」
「うるさいわね、私は忙しいの、見て分からない?」
はい、分かりません。俺の知る限り、人に頭を踏まれている状態を忙しいと表現するやつは初めてだ。
「いいからさっさとしなさい」
ルフレルはエルドラに頭を小突かれて歓喜を含んだ声を上げる。
そして、ルフレルが指を俺の方に向けると氷は粉々に砕け散った。
「エルドラ様、あの男は何なのですか…?炎竜の匂いがしますが」
「色々あったのよ。炎竜の匂いがするのは私が渡した炎竜の秘玉を上手く使ったからだと思うわ。けどこれだけは言える。彼は私にとって大切な人よ」
「…色々あった…?大切な人…?」
ルフレルは呆然としながら俺とエルドラを交互に見る。とても嫌な予感がする。
「許せない…」
フラフラと立ち上がった彼女の目には憎悪が籠っていた。
「私以外がエルドラ様から寵愛を受けるなんて絶対に許せない…。そんな存在がいて良いはずがない…そう…そうね…消してしまえばいい…。そうすればエルドラ様に最も愛されるのはこの私…」
「いや、私の中で貴方の存在なんて下から数えたほうが早い…」
エルドラの言葉が耳に入らない程、逆上したルフレルはゆっくりと俺へと近付く。まさかのラウンド2かよ…。けどここなら他の誰かに迷惑はかからないな。
やってやる。俺は両手を前に出し…
俺の視界が赤く染まった。ルフレルの立っていた場所を中心に馬鹿でかい炎柱が轟音とともに現れていた。もちろん俺がやったわけじゃない。
「やめなさい」
黒焦げになり、膝を付きそうになったルフレルの後襟をエルドラが掴む。
「止めないで下さいエルドラ様!」
「言い方が悪かったけれど彼とは特別な関係じゃないわ。以前に世話になっただけよ」
「ですが…」
「私の言う事が聞けないの?」
冷たく言い放たれ、小さく身を震わせるルフレル。ていうか焦げたまま普通に話してるけど大丈夫なのかよ。
「貴方には迷惑をかけたわね。こいつにはお詫びをさせるから」
「え、そんな、別にいいよ」
「遠慮することはないわ。そうね…氷竜族の秘玉を彼に渡しなさい」
「…!?人間の如きに秘玉を?お戯れを、あれは百万の人間の命でも釣り合わないほど貴重な物なのですよ?」
「今、貴方の意見は聞いていないわ。黙って渡しなさい。けどどうしても嫌だと言うなら構わないわ。今から貴方の存在自体を無視するけれど」
俺から見ても無茶苦茶言ってんなぁとは思ったけど口を挟むと面倒なことになりそうなので黙って見ていよう。
「うぅ…ひどいです…こんな理不尽な二択を迫るなんて…」
そう言いながらも口の端が若干上がっているのは気のせいだろうか。
「仕方がありません…非常に不本意ですが…」
ルフレルは胸元に手を入れるともう一度引き抜いた。そして、俺へ見覚えのある小さな小瓶を差し出す。ていうか秘玉ってそんなところに仕舞ってたのかよ。
「ほら、これが欲しいんでしょう?受け取ってさっさとこの場から失せなさい」
さっきまでと違い、俺を見下しながら冷たく言い放つ。ほんとに同一人物かよ。
そのルフレルの頭をエルドラが鷲掴みにする。
「貴方が勝手に連れて来たんでしょうがっ…!責任持って街まで送り届けなさい」
「ひゃ、ひゃい、かしこまりましたぁ」
エルドラは手を放すと、彼女の背中を押し、さっさと行くよう促した。
「彼を送ったらもう一度ここへ来なさい。貴方には仕置が必要なようだから」
「は…はい!」
仕置って言われてこんなに嬉しそうに返事する奴を初めて見た。けどツッコんだら怒るんだろうな…触らぬ神に祟りなし、だ。
俺とルフレルは玉座の間の後にした。扉が閉められ、俺達の間に沈黙が流れた。なんて声を掛ければいいんだよ…
「ほら、早く行くわよ」
何事もなかったかのように冷静な態度を取る彼女。人前であんな姿を見せておいてよく平然としていられるものだ。他の人は何も言わないのか?違和感だらけだろうに。
廊下を歩いていると何人かの炎竜族とすれ違う。そして、ルフレルを見た彼女達が小声で何かを言っているのが聞こえた。耳を傾けてみると。
「ルフレル様…いつ見てもお美しい」
「歩いているだけでも気品がある」
「私も一度でいいからそばにお付きしたい」
なんて言葉が聞こえてきた。騙されてる。騙されてるよお前ら…。つまり今回が特別だっただけで、ルフレルが本当の自分を見せるのはエルドラと二人の時だけのようだ。
炎竜の棲む城を飛び立った俺達は、街へと戻った。行きより帰りの方が飛ぶ速度が速いのは早くエルドラの元に戻りたいからだろうか。
しばらくして俺達は街の近くへ降り立った。
「氷竜族の秘玉なんだけどさ。もらっていいのか?エルドラが無理やり渡せって言ってたけど…返そうか?」
「人間の癖に慎ましやかなのね。わざわざ秘玉を狙ってくる者もいるっていうのに」
「欲しくないわけじゃないけどさ。奪うっていうのは間違ってると思う」
「そう…けれど返す必要はないわ。今の私はとても気分が良いの」
「そ、そうなのか…」
これから虐めてもらえるからか?とは言えなかった。
「それじゃ私はエルドラ様の元へ戻るわ。手荒なことをして悪かったわね。なかなか会えずに苛立っていたから」
「気にしてないよ。なんていうかその…気を付けてな」
「あぁ、そうそう…これだけは言っておくけれど…」
俺へ近付き、顔を指差す。
「エルドラ様と私の間で起こったことは貴方の胸の内に留めておきなさい。もし誰かに話したりしたら…分かってるわね?」
「お、おう…肝に銘じるよ…」
手を放すとルフレルは大空へと飛び立った。太陽に照らされた影が徐々に小さくなるのを見送る。
…太陽?俺が後ろを振り向くと暗雲は消え、街には陽の光が振り注いでいた。それはまるで彼女の心模様を現していたように。
さあ、屋敷に戻ろう。けど…炎竜族の城であったことをどう説明すればいいんだろうか…。みんな本気で心配しただろうし安心させてあげたいが口止めされてる部分を隠して説明するのは骨が折れそうだ。…何にせよ早く無事に帰ってこられたことを伝えに行かなければ。