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六話

 それから1時間経つまでの間、保健室には学生はただ一人しか来なかった。

 来たのは凪さんである。

 苦しそうに、ドアを開けてーと言われて開けたら、重そうに本や鞄を持っていたので慌てて中に通した。

「去り際伝えた通り、来ましたよ。これ、今日借りた奴と、伊波くんの鞄。早いけどもう今日は図書室閉めるそうだから、渡しに来たよ」

「あ、ごめん。ありがとう」

 どうやら、図書室で凪さんから最後に伝えられた内容は記憶と全然違ったらしい。

 どんだけ慌ててたのだろうと思う。

「どういたしまして。城ヶ崎さんは?」

「そこで寝てるよ。さっき少しだけ起きて、本人的にも大丈夫そうだった」

「そう」

 ちらりと凪さんはカーテンを見るが、気が抜けたような柔らかな笑みを浮かべると、すぐに視線を戻した。

「そういえば、城ヶ崎さんの鞄は?」

 そこ、と言いながらベッド脇を指さす。

「さっき、千鳥の友達が来てね」

「そうなんだ、ちょっと心配してたけど、問題なさそう。……じゃぁ、用事も無くなったし、私は帰るね」

「うん。夏休み中は図書室でまた会うかもね」

「ふふ、そうね。じゃぁねー」

 

 

 その後には学生は誰も来ず、来たのは、職員室から戻ってきた保健室の先生ぐらいである。

 一言二言会話すると、職員室からの用事を終えた後、部活動の連中を見に行ってきたようだった。

 喋りながら、室内の冷蔵庫を開けている。

「ほれ」

「あの、これは」

「見た通り冷蔵庫に入れてあったお茶だ。本来は自分用だがな。喉でも乾いたろう」

「……頂きます」

 カシュ、という缶を開ける音が響き、そこからまた静かな時間が始まった。

 方や仕事をして、方や本を読むだけの時間。

 幾ばくかして、時計を見て、残り数分で起こした方が良いだろうなとぼんやりと思う。

「先生」

「ん?」

「そろそろ千鳥を起こして帰ります」

「ん。……わかった」

 鞄を持ってベッドに近づこうとした矢先だった。

「少年」

「はい?」

「帰りはちゃんと送ってやれ」

「それはもちろん」

「良い返事だ」

 自分の返答にふっと小さく笑みを返すと、机に向き直り、英語で書かれていると思われる、分厚い本を読みだす。

 それを見た後、ベッドへと向かった。

 


 眠そうな千鳥を起こした後、保健室を去る時に挨拶をしたが、挨拶は自体はしっかりしていたのに、視線はずっと本に視線を向けていた。

 ガラガラと扉を閉めた後、千鳥とともに下駄箱へと向かう。

 窓の向こうから見える景色は、図書室にいたころより暗くなっている。

 会話がなくて困る、というほどの間柄ではないが、保健室を出るときに思ったことをそのまま話す。

「結局、学生だろうが大人だろうが、幾つになっても勉強は必要なんだな」

「どうしたの? 急に」

「いや、先生がさ、英語の……英語だよな……医療系だとは思うんだけど、そういう本を読んでたから。あれって勉強だろう?」

「何読んでるんだろうと思ったけど、娯楽系の小説じゃやっぱりないんだね。仕事中だから? 

でもそうだね、学生だから勉強しなくちゃとか思ってたけど、別に幾つになっても必要なんだよね」

「あまり、周りに勉強する大人ってのも見かけないけどな」

 自分の両親を思い出すが、自宅では勉強している姿勢を見たことは無い。

 自宅に居るとき、父親は本を読んでいるが、娯楽小説だ。母親はテレビを見ていることが殆どな気がする。

 人がほとんどいない廊下を歩きながら、クラスの出来事とか、読んだ小説の話をする。

 下駄箱で履き替える時は、誰も居ないのを良いことに、壁を挟みながらでも話を続けた。

 そのまま、川に沿うように自宅へと向かえば、途中の分岐点でお互いが別れる。

 寄り道さえしなければ、だいたいこの流れだ。

「でさ、あの作家さんの新作が出たんだよ」

「へぇ。あ、でも、じゃぁ前のシリーズは……」

「もう出ないかもね」

「えー? あれ面白かったと思うんだけどなぁ……」

 ただ、どうしてか、今日は千鳥の歩みが遅い気がする。

 今日倒れたから体調が本調子でない、という理由ならわかるのだが、まだ廊下を歩いていた時の方が早い。

 ついでに、なんかこう、学校を出てからというもの、いつもよりちらちらと顔を見られている気がする。

「千鳥さ」

「……な、何?」

「うーん」

 単刀直入に聞くべきだろうか。

 立ち止まって千鳥を見ると、千鳥も合わせて立ち止まる。

 こうして見ると、やっぱりすらっとしていて格好よくて、綺麗だなと思う。

 それに長くつややかな髪と揺れるリボンは言いしれない良さを感じる。

 顔立ちは整っていて、女子生徒のファンが付いているという辺りに、自分とは違う世界にいるという感覚が若干ある。

 今は、その顔立ちに少しだけ不安の色が見える。

 夕日が彼女の憂いを強調する。

 快活な本人が何か気にしているなら、やっぱり直接聞いてしまおう。

 それぐらいの仲ではあるはずだ。

「何かさ」

「うん」

「言いたいこと、ある?」

「うー、うーん」

 ぎくりという擬音が聞こえた気がした。

 それぐらい、目に見えて硬直している。

 そうして何か、こう、どう切り出そうか? みたいな表情で悩み出す。

 夕日を受けて、全身を赤く染める千鳥は、幻想的な印象を与えてくる。

 いや、幻想的というよりは、日常ではあまり見かけないという意味での非日常的な感覚だろうか。

 自分よりも少しだけ身長が高い千鳥。

 学生服を着て、そわそわと腰まで伸びている髪を揺らしながらこちらをちらりちらりと見るその仕草は、何処を見ても普通の、何時ものキリッとした印象を前面に押し出す千鳥ではなく、普通の可愛らしい女の子に見えた。

 質問の返答を待つ間、その見慣れない風景に戸惑いながら、千鳥を眺め続けた。

「……」

「あ、あー。その、伊波? 見るのは構わないけど、見つめ続けられると、そのぉ、恥ずかしくて困るんだけど」

「!? ご、ごめん!」

 ハニカミながら抗議する姿を見て、慌てて視線を別のとこにやる。

 嫌悪感を出されなくて良かったと心底安堵する。

 視線を変えた先の河川敷には、親子連れや、犬の散歩をしている人たちがまばらに見えた。

 川の向こうへと視線をやれば、一戸建てやマンションが連なって建っているのが見える。

 どれも、日を受けて赤く染まっている。

「聞きたいんだけど」

 千鳥の声に再度目を向ければ、幾分か落ち着いた姿がそこにはあった。

 1拍、間をおいてから再度口が開かれる。

「今週の土曜、神社でお祭りがあるんだけど、一緒に行かない?」

 その言葉は淀みなく発せられた。

 そうして今週の土曜……と振り返ると、あいにくと先約があったのを思い出し、少しだけ顔をしかめる。

「ごめん、その日は用事が」

「そっか! まぁ、そうかもと思ってたけど!」

 こちらの言葉が言い終わる前に、早口に割り込まれる。

 苦笑したような表情を見せる千鳥。

 笑おうとして、しょうがないなと思ったら、こんな表情になりそうな気がする。

「じゃぁ、ここでお別れだね! 夏休み、楽しみだなー」

「あ、うん。夏休みは楽しまないとな。それより、体調崩した後だから、送ってくよ」

 先生の言いつけ通り、家まで送ろうと考えた。

 が、かなり慌てた様子で千鳥からは大丈夫だと言われてしまった。

「いや、全然大丈夫、大丈夫だよ! 結構寝たから! もう何時も通りって感じ!」

「そ、そう……なの?」

「大丈夫、大丈夫! 心配性だね、まったく! それじゃ、ついてこなくていいからね! 真っすぐ帰っても大丈夫だから!」

 ばたばたと手を振りながら強気に主張し続ける姿に、これ以上の主張は出来なかった。

「今日は、迷惑かけてごめんね、本当にありがとう」

 そのまま、急いだようにじゃあね、と言葉を告げると身を翻した。

 その時、一瞬千鳥の苦笑した表情がまったく別の何かになったような気がした。

 が、それが何だろうと思い至るより先に、こちらに背を向けて階段を下りて帰っていった。

 何処か、一瞬、しょぼくれた雰囲気を感じたような……。

 心なしか、階段を下りている千鳥の、腰まで伸びている印象的な長髪がしょげかえっている気がする。

「……妹の野郎め、お前との約束がなければ」

 その後ろ姿を見ながら、あるはずだった楽しい土曜日を邪魔にした、忌々しい存在を口にした。

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