171話 2学期のお昼
「いってきまーす!」
いつもと同じ平日の朝。わたしはお母さんの「いってらっしゃい」を聞いて、お家を出た。
昨日から二学期が始まったので暦では9月になったけど、まだまだ暑い。この時間でもこれだけ暑いと感じるということは、日中はもっと暑い。
ニュースでも、しばらく暑さは続くと言っていたので、夏服とはまだまだ長い付き合いになりそうだ。
セミの声を聞きながら、通学路を進んで学校へやって来る。
上履きに履き替えて、教室へ向かう途中、
「てれす」
と思わず言葉が零れてしまった。
てれすと席は離れてしまったけど、てれすの席は廊下側の一番後ろ。つまり、ドアの近くなので、すぐにあいさつができる。のだけど、基本的にはてれすの登校時間よりもわたしの方が早い。
てれすは早く来ようかしら、なんてことを言っていたけど、てれすに無理をしてほしくなくて断った。
でも、もしかしたら早めに来てるかも。なんてちょっとだけ胸の中に期待が膨らむ。教室に入ってすぐにてれすの姿を見ることができて、言葉を交わすことができる。素敵だ。
そう思いながら教室に入る。
「……」
てれすの席には誰もいなかった。
そりゃそうだ。昨日てれすに、早く来なくていいって言ったのは他でもないわたしだ。
教室を見渡してみても、わたしの登校時間がみんなよりも早いこともあって、来ている生徒の数はほんの少しだけ。てれすが来ていないのも当たり前と言えば当たり前。だけど、期待して夢見てた分、寂しくなって無意識にため息が出てしまった。
ちょっと残念な気持ちになりながら、気分の席へ移動して腰を下ろす。
てれすが教室に来るのを寂しく待っていると、時間の経過とともに段々と生徒の数が増えていく。教室内に活気が溢れ始め、赤川さんと一緒にやって来た高井さんが、わたしの左隣の空席を埋める。
「おはよう、最上さん」
「高井さん、おはよ」
あいさつを返すと、高井さんはカバンから下敷きを取り出して扇ぎ始めた。額にはうっすらと汗が浮かんでいて、制汗剤の爽やかな香りもこっちに届いてくる。
「もしかして朝練?」
「うん、疲れた」
とは言いつつも、高井さんの顔には充実感が滲んでいた。期末テストのときといい、どれだけ部活が好きなのかが伝わってくる。
「まだ学校が始まったばっかりなのにもうなんだ。早いね」
「そーなの。やっぱり最上さんもそう思うよね」
「うん。まだ暑いし、気を付けてね?」
「心配してくれてありがと。めっちゃ気を付けるね」
と高井さんと会話をしていると、教室後方の扉が開いたので、音に反応して自然と視線がそっちへ向く。
てれす!
そこには眠たそうに目を擦るてれすの姿があった。てれすは一番近い机にカバンを置く。そして、わたしが見ているのに気が付いたのだろう。てれすがこっちに顔を向けたので目線がばっちり合う。
するとてれすは、さっきまでの寝惚けたような顔から一転して目を開いて、わたしの席へ真っすぐ向かってきた。
正確には机やいす、生徒を避けるから真っすぐではないけど、すぐにてれすがやって来る。
「ありす、おはよう」
「おはよう、てれす」
あいさつをした後、てれすはわたしの机に腕を置いて、その上に顔を乗せてしゃがんだ。上目遣いな感じと、僅かに表情から読み取れる嬉しそうな色に、わたしまで笑みが零れる。
てれすは見た目こそ猫っぽい雰囲気だけど、性格は犬っぽいよね、なんて思いながら仕草にきゅんとしていた。
……席が離れたからこそ見ることができた光景。隣じゃなくて寂しかったけど、案外いいかもしれない。
でも、てれすばかりに来てもらうと、てれすもつかれちゃうだろうから次はわたしがてれすの席に行こう。
と、てれすが不思議そうに首をかしげる。可愛かった。
「ありす?」
「あ、ごめん」
「いえ。でも、その、ご飯なんだけど」
「ご飯?」
「ええ。どうする?」
「えっと、お昼だよね? 食べる……よ?」
てれすはぶんぶんと首を横に振る。
「そうではなくて、どこで食べるかってことよ」
「あぁ、そういう。どうしよっか、わたしがそっち行こうか?」
「わたしが行こうかと思っていたけれど、ありすがそう言うのなら。わたしは、どっちでもいいわ。ありすと一緒なら」
てれすがちょっとほっぺたを赤くしたので、こっちまで恥ずかしくなってしまう。
とにかく、お昼はわたしがてれすの席へ行くということで。
これも楽しみの一つなのかなぁ、なんて思っていると隣から、
「あ、ねぇねぇ二人とも」
高井さんに呼ばれて、顔を向ける。
「お昼ご飯なんだけどさ、わたしと赤川も一緒してもいい?」
「ありすが、いいのなら」
てれすが「どうかしら」と目で聞いてくる。
わたしの答えは決まっている。もちろんYESだ。てれすが断らない以上、断る理由はない。……てれすと2人で食べられなくなるのは、ちょっと残念だけど。
「もちろん。一緒に食べよう」
「ほんと? ありがとう」
ほっとしたのか、高井さんは安堵の息を吐く。
「えっと、それじゃあ赤川にも伝えないと」
「あ、それはわたしがしておくわ」
「高千穂さん、いいの?」
「ええ、構わないわ。隣の席だし」
意外だった。
たしかにてれすと赤川さんは席が隣だとはいえ、てれすが自分からそんなことを言うなんて。
目をパチパチさせていたわたしに、てれすが言う。
「ありす、わたしが赤川さんに言って、お昼はこっちに来るわね」
「あ、う、うん」
「どうかしたの?」
「いや、なんでもないよ。よろしくね」
「ええ、任せて」
こうして、新学期のお昼ご飯は新しいメンバーで食べることが決まったのだった。
……けど、わたしはちょっとだけ、ほんの少しだけ、もやっとした気持ちを抱いたのだった。




