アベンダ・テレスタの痕跡①
/1.0202 アベンダ・テレスタの痕跡
王都居住第五区画。
デュランダルにおいて居住区の番号は、そのまま等級を意味する。
第一区画の、王侯貴族。
第二区画の、ギルド上層部や近衛騎士などの特別階級。
第三区画の、国営機関に勤める一部エリートや豪商などの一般富裕層。
そうしてようやく第四区画から大衆レベルになる。
この区画が最も広大で、サフランがあるのも第四区画だ。その視点で言うと、第五居住区というのはスラムとまではいかなくとも、貧民街で有ることには違いない。建造物は密集していて一戸の敷地面積も狭く、木造ばかりが目についた。少なくとも、テスフロスのような鉄筋製の高層ビルなどは一つもない。
道は石畳ではなく、街灯も数少ない。空き地が多いことも印象強い。だが一方で上下水道はきちんと整っているらしい。というのは、所々で銭湯屋が開店しているからだ。清潔な水が送られている証拠である。風呂付き住宅はこの区画では少ないのだろう。前を通る際にちらっと覗き見してみると、それなりにお客は入っているようだった。
「初めて来たのですが、なんだかほのぼのした場所ですね」
「そうね」
第二区画にあるルルキエルの自宅を出発し、鉄筋製建造物が建ち並ぶ工業地区の本拠地テスフロスを経由して、富裕層の第三区画を突っ切って来ただけに、余計にそう感じるのかもしれない。
裕福には程遠い。しかし行き交う人に悲壮感はなかった。貧相だが荒れた土地ではないということだ。であれば、一人暮らしをしている女性がいたとしてもおかしくはないだろう。ギルド職員なら、もう少しマシな物件に住めそうなものだが。
ふと、ルキアの隣で地図を広げている少年が前方の曲がり角の右を指差した。
「ルキア様、次の角を右です」
指示通りに右に曲がる。
調査に乗り出したルキアがまず向かったのは、この第五区画居住区だった。この先、後十分も歩けば見えてくるだろう、一ヶ月前に辞職したアベンダ・テレスタのアパートが目的地である。
「ねぇ、アルトくん」
その道すがら、ルキアは少年に問いかけた。
「なんでしょう?」
「ルルキエルは来なかったけど、彼は何をしてるの?」
「お師匠様ですか?」
きょとんとした表情でこちらを見上げてくる少年の名は、アルト・カッツェンテペスといった。少し垂れ目気味だが、大きく綺麗なブルーアイが特徴の小柄な男の子である。
昨夜、ルルキエルの自宅にて彼が案内役であると紹介された時には耳を疑ったが、いくらか会話して最初に抱いた不安はすぐに払拭された。線が細くひょろっとしている割りに、不思議と言葉と態度に少年らしからぬ落ち着きを見たからだ。
ルキアを見上げたその拍子に癖っ毛の金髪がぴょこんと立つのを、アルトはまたか、といった表情で手で押さえつけた。どれだけ頑丈にセットしても言うことを聞いてくれない頑固な髪の毛は、彼にとっての天敵らしい。
ルルキエルを師匠と呼ぶこの少年は、彼のただ一人の直弟子である。だから見た目通りのただの子供でないことは間違いない。しかしそんなところに四苦八苦している様は、十歳近く年上のルキアからすれば微笑ましいものだ。九歳の子供らしさが垣間見える瞬間である。
「お師匠様は、もちろんお仕事ですよ」
「その仕事ってどんなの?」
「すみません。僕は弟子と言ってもまだまだ下っ端ですから、全てを把握し切れていません。ただ、本日は守護聖人による定例会だと伺っています。全ギルドのギルドマスターが一堂に会して、組織運営の大まかな方針等を話し合う会議だと」
「アルトくんは出席したことないの?」
「まさか。僕なんて下っ端が参列出来るような場所ではありません。世界中のギルドのトップに立たれる十三人ですよ? 王族を除けば、世界最上の地位におられる方々です。同席させていただくなんて、恐れ多いことです」
「そうなんだ……」
どうにも自身が抱くギルドマスターの印象が、アルトの中にあるそれとは違うことに違和感を覚えるルキアである。ルルキエルと会ったのはつい先日だ。その上、出会い方があまり綺麗な形ではなかった。曇った目で見ることなく冷静に判断出来ているか、と聞かれれば、出来ていないことは自覚はしている。
「でも、そんなギルドマスターのお弟子さんなんでしょう? ってことはゆくゆくはアルトくんが継ぐの?」
「一応、次代候補者ではありますが、決まったわけではありません。ギルドマスターになれるよう努力は惜しんでいないつもりですし、お師匠様から直接ご指導していただいていますが、だからと言ってなれる保障はありませんから」
「直弟子はアルトくんだけ?」
「そうです。ですが、他にも次代候補者の方はいらっしゃいます」
実のところ、ギルドマスターになるのに先代の弟子にならなければならない、というシステムは存在しない。とはいえ、ギルドマスターの多くは弟子を取り、自分の持ちうる技術や知識を直接教授している。そしてその弟子が次代を継ぐケースが多いのも事実だ。ルルキエルもまた、先代シュヴァリアーであるオルトロスの弟子だったそうだ。
そうは言っても、九歳の少年が次代ギルドマスター候補であるというのは規格外ではないか、と思ったところで、不意にルキアはある疑問に思い至った。
「あれ? そういえばギルドマスターってどうやってなるの?」
「ギルドによって異なりますから一概には言えません。僕が知るのは工業ギルドの他に、商業ギルドと冒険者ギルド、法務ギルドくらいです」
その多くは実績が大きく左右する、というのは実力社会であるギルドならではだろう。冒険者ギルドに関して言えば、さらに信任投票も行なわれるらしい。ではルルキエルやアルトの所属する工業ギルドはというと。
「魔剣を造ることが出来ること。これに尽きます」
アルトはきっぱりと断じた。
「最低限、魔剣が造れなければ、どれだけ優秀であろうともマスターにはなれません。過去に造られた魔剣に倣わず、オリジナルの魔法を組み立て魔剣として形を成すこと。そしてそれを十全に使いこなせること。それがまず初めに要求される第一歩です」
ルルキエルが口にした、工業ギルドが設立した背景とも一致する内容だった。
「二人以上、魔剣を造れる人がいたら?」
「実のところ、選定方法にこれといった決まりはありません」
というのも、工業ギルドの千年にも及ぶ歴史の中で、魔剣製造が可能な技術者の出現が二人以上重なったのは七百年程前に一度あったきりらしい。魔剣を造ることが如何に困難であるかの証左であろうが、ではその七百年前はどうしたのかというと。
「ギルド史によれば、候補者同士で決闘したとありました。血みどろの殺し合いの結果、相手の方は亡くなったそうです」
思った以上に血なまぐさかった。
「記録では、決闘は流石にもうやめようという話にはなったそうですが、それ以降はやっぱり二人以上資格所有者が現れることはなかったので、多分うやむやになっているのではないかと……」
「いい加減ねぇ」
千年に一度、という頻度を考えればそうなってもおかしくないのかもしれないが。
「さすがに司法制度が整っている現代ではそんなことはもう起こらないと思いますけど」
「ふーん。それじゃ、ルルキエルも魔剣制作者なんだ?」
何故だろう。ルルキエルが優秀なのだろうことはその地位が証明しているはずだが、今ひとつ納得出来ないしこりのようなものがルキアの中にあった。もっとも、ギルド上層部どころか、ギルドそのものに興味のなかったルキアであるから、ただ事実を飲み込めていないだけかもしれないが。
「はい。あの方は史上最速にして、史上最年少でギルドマスターになられたんですよ」
まるで我が事のように胸を張るアルトの言葉が次第に熱を帯び始める。
「魔剣を造ることができたからよね?」
「そのはずです」
「はず?」
「実のところ、お師匠様が造られた魔剣を、僕は見たことがないんです。ただシュヴァリアーの襲名に必要な最低条件が魔剣製造技術なわけですから……」
「何かを造ったことだけは間違いないのね」
「はい。先代様の弟子になって半年。魔剣製造の成果と、歴代のシュヴァリアー作の魔剣全てを完全に使いこなすことが出来るという才能も認められての異例の抜擢でした。先代様が引退なされたことも原因の一つではあるんですけどね」
「歴代?」
シュヴァリアー製の、シリアルコードを埋め込まれている魔剣は現状六百六十六本。それらのうち、約半数は世界の何処かに散らばっていて行方の知れない状態にある。
「魔剣の起動には、普通の魔法とは比較にならないほど緻密な魔力制御を必要とします。物によっては、造ることよりも使う方が難しいと言われる魔剣もあります」
魔剣が複製出来ない最大の理由は、魔剣の根幹とも言える魔力制御機構がブラックボックス化されているからだという。
「ですから、魔剣は造るだけじゃなく、使役出来る者も限定されます。特に初代様が作成された魔剣は極めて扱い難く、初代様以外には使えないとされる剣もあったほどです」
「けれど、それをルルキエルが覆した?」
「はい。手元にある魔剣全てを支配下において、完全に制御してみせたのだそうです。セプテバベルも、目覚めたのはお師匠様が起動に成功したからなんですよ」
「ああ、あのお婆さんね……」
剣の姿で嗤うしわがれた声を思い出して、ルキアは苦笑した。地下でルルキエルがセプテバベルとの会話を後悔している様子だったのは、そういう理由もあったかららしい。
「そういう過程もあって、今迄死蔵されていた魔剣も日の目を見ることが出来たんです。ルキア様がかけられているサングラスもそうですよ」
「これ?」
指で軽く弾く黒いオーソドックスなサングラスは、ルルキエルから調査の出掛けに渡されたものだ。外出時は常につけておくように言い渡されている。言わずもがな、『偽物』または『知り合い』との遭遇を防ぐためである。
王都デュランダルは広い。その上、人口は世界最大規模を誇る。だがそれでも、喫茶店で不特定多数に接してきたルキア・ミルトスの顔を見たことの有る者は多いだろう。ルキアの顔を知る誰の目にも止まることなく調べ物をするのはかなり難しいというのが、ルルキエルも含めた二人の結論だった。
そこでルルキエルが貸し与えたのが、彼女がかけているサングラス型の魔法具だ。装備者は周囲の人間の印象に残りにくくなる。魔剣『アージュエア』の能力を一時的に貸し与えた端末法具。
どこにも剣の要素がない時点でもうなんでもありだなと思ったのは秘密だった。
「なんかあんまり魔法具って感じはしないんだけど」
「うーん。お知り合いにでも会えば、その効果はすごく実感していただけるとは思うんですが……」
効果を試すにはそれ以上のテストはあるまい。だが。
「不必要なリスクを呑んで、わざわざ地雷を踏みにいく必要はないわね。安全地帯を進みましょう」
「あ。はい。そうですね。安全が一番です。と、着きました。アベンダ様の住所にあるアパートはここです」
雑談するうちに目的地に着いたらしい。不意を突かれた形でアルトの言葉に顔をそちらに向けたルキアは、話題の切り替えに着いて行けずにそのままきっかり五秒程硬直した。
「…………ここ?」
「……ここ、です」
アルトの声も硬い。さもありなん。二人の前には何もなかったからだ。目的の住所にあったのは、空地と書かれた立て看板があるだけの更地である。
「……本当に?」
アルトを疑うわけではないが、ここは念を押しておかなければならない。
「はい。そのはずです。あ、少々お待ちください。すみませーん!」
近くを歩いていた老婆を呼び止めて事情を聴いてみると、疑問はあっさりと解決した。
かつてここにあったアパートはちょうど一ヶ月程前に取り壊されたらしい。大家が土地を売り払ったことが原因なのだそうだ。住人は皆引っ越したそうで、どこに行ったかまでは知らない。アルトが問いかけた老婆は近所の人間のようだが、アパートの住人とは交流はなかったらしいから、それ自体は無理らしからぬことである。
「でも不思議です。取り壊しがアベンダ様が辞職なされた時期と一致しますね。何か意味があるんでしょうか?」
九歳らしからぬ意見には唸るしかない。だが惜しむらくは、ルキアにその意見を元に建設的な推論を導き出す地力がないことだった。生まれて初めて学のない自分が恨めしいと感じながら、だからと言って代案が浮かぶわけでもない。
ルキアは仕方なく、アージュエアと共に渡されていたメモを開いた。予めルルキエルが考察していた、調査に行き詰まった場合にどうするかを記載したものである。
「もし――」
そのまま読もうかどうしようか悩んだが、言い換えたところでそれがただの自己満足だと気づいて、ルキアはルルキエルの言葉をそのまま口にした。
「もしアベンダのアパートがすでになかった場合、またはアベンダのアパートがあっても、そこにアベンダがいた形跡がなくなっていた場合」
まず土地を管理している不動産屋を当たる。不動産屋から、または不動産屋が無理なら大家から、アベンダがいつからいつまでこのアパートを借りていたかを聞き出す。
個人情報を出し渋った場合は、アルトに持たせたギルドマスター権限の一部を付与したギルドカードを提示すれば、おおよその場所はフリーパスで閲覧させてもらえるはずだ。
「但し、不動産屋にいく前に、アパートに不審な点がないか確認すること」
どうやって? という疑問への回答は次の行に書かれていた。
「アージュエア端末の右のつる、耳の前あたりにあるダイヤルをサングラスのレンズの色が赤くなるまで右向きに回す」
指で確かめると、確かに回せそうな一センチほどの幅の金属部位があった。言われたとおり右向きに回していく。キリキリキリキリ。回すこと数回で、これもメモにあるとおりレンズの色がオーソドックスな黒から赤へ変色した。と言ってもさほど強い赤ではなく、どちらかと言えばピンクに近い色だ。これくらいの発色なら、普通におしゃれなサングラスとして市販されている。
「赤いレンズの状態で周囲の人間を観察すると」
用途は次のページに書かれているらしい。めくる。
「すると?」
「服が透けて見えるから決して使わないように――って、だったら書くな!」
思わずメモを地面に叩きつけた自分は決して悪くないはずだ。勢いそのままに、意図せずアルトの方を向いてしまったルキアの目には、確かにアージュエアの能力によってすっぽんぽんになった男の子が映っていた。
別段アルトが服を脱いだわけではない。魔剣の効果で服を透過して、その下の素肌をルキアの眼に映像として届けているのだろう。
つまり、すっぽんぽんの男の子だ。
「か、かわいい」
「ルキア様?」
「うん? 大丈夫よ。何でもない何でもない。全っ然、問題ないわ。むしろグッジョブ。ありがとう、ルルキエル。ご馳走様」
「は?」
困惑するアルトには取り合わず、ルキアは極めて冷静に、高鳴る鼓動を無理やり根性で抑えつけなければならなかった。やばい。胸が痛い。鼻の奥がツーンとする。何故か無性にこみ上げてくるアルトを抱きしめたい衝動をどうにか我慢しながら、少しよれてしまったメモを広げ、
(後でまた見よう)
こっそりと心に決めて、ルキアは続きに目を通した。
「物理的な証拠が消されている場合を考慮して、魔力反応を察知する機能で周囲を調査する。機能を有効化するには、赤い状態からさらにダイヤルを回してレンズを緑色にする」
キリキリキリキリ。赤くなった時と同じくらい回すと、またレンズの色が変色した。残念ながら視界の中のアルトは服を着た姿に戻っていたが、いまはぐっと我慢する。淡いグリーンになったところで、レンズの向こうに変化が現れた。
「――え?」
先ほどの浮かれ気分を一掃するような、黒ずんだ瞳でルキアを見つめる女がそこにいた。
裸の女だ。やせ細り、脂肪どころか筋肉がごっそりこそげ落ちたような全身ガリガリの風体は、裸だからこそ余計に病的に見えた。髪は煤け、バサバサに伸び切っていて顔を隠している。だがその眼光だけははっきりとこちらを捉えているらしい、その物言わぬ空気に威圧されて、ルキアは思わず息を呑んだ。
「ルキア様? 何か見えるのですか?」
「………女がいる」
念のためサングラスをずらして裸眼になるが、レンズを通すのをやめた途端、その女の姿が消えた。魔剣アージュエアの能力が、何かを見せているに違いなかった。
「僕には見えませんね」
「このサングラスを通さないと見れない、ってことは……」
「何かしらの魔法的な存在ということでしょうか? ちなみにどんな方ですか?」
「そうねぇ……」
一拍おいて考えてみるが、思いつくのは一つしかない。
「殺された恨みで化けて出た幽霊女、かしら」
「…………」
「…………」
小さな沈黙の後、二人はお互いの顔を見やった。そして再び女性がいるらしい空き地の中央部に目をやる。
カゲロウのように揺らめきながら、視線だけで何かを訴えるようにルキアを睨みつけている。もしあれが幽霊なのだとしたら、一体どのような死に方をすればあんな風になるのだろう。生きていた頃の見る影もなく皮と骨だけになった姿は、憐憫を通り越して、彼女をこんな目に合わせた存在に怒りすら抱く。
「あ……れ?」
ふと、その女性の目の下にある黒子を見つけて、ルキアは思わず首を傾げた。特徴的な黒子だけに覚えがあったからだ。それもつい最近のこと。具体的には昨夜。テスフロスにあるルルキエルの執務室、手渡された資料にあった顔。
「もしかして、アベンダ・テレスタ?」
その一言が何かのきっかけだったのか。不意に、ルキアを圧迫していた女の威圧が止んだ。そう感じて間も無く、女の姿がゆっくりとだが消え始める。慌てたのはルキアだ。
「え? ちょっと待って! ねぇ、待ってったら! 貴女、アベンダなの? だとしたらなんでそんな姿で? 教えて! 貴女は、今どこにいるの?」
叫びは虚しく響くだけで、応える者もいないままに霧散した。やがて完全に見えなくなった女に、それでもルキアは何度か呼びかけて見たが、応えはなかった。
「ルキア様……」
心配気に眉を顰めるアルトに、ルキアは大丈夫と言葉を返すが、残念ながら笑顔で言え た自信はなかった。
アルト以外、周囲に誰もいなかったことは地味に運が良かったのかもしれない。女の姿が見えていたのはルキアだけだ。誰もいない場所に向かって必死に語りかける姿はさぞ滑稽だろう。だがそんなことを構う余裕など、ルキアにはまるでなかった。
「やっぱり、もう殺されていたのね」
導かれた結論にきつく唇をかみしめる。
どのような殺害方法だったかは窺い知れない。だが彼女のあの有様は、きっと死に間際の様子に違いない。あんな痛々しく、無残な姿で殺された。それが必然というならよほどの罪だし、そうでなければあまりに非情で無情で残酷な殺し方だ。
だがこれではっきりしたことが一つ。もしあの幽霊がアベンダ・テレスタで間違いなければ、ルキアを殺した犯人は、アベンダに対してルキアよりも遥かに強い確執を持っていたということだ。
「でも結局、その幽霊さんは、何故出てきたんでしょうね?」
「……え?」
「あ、いえ。普通、動物であれ人間であれ、生物が死んだ後に魔物化する――いわゆるアンデッド系モンスターは、その生物が死んだ場所を起点に現出しますよね?」
「そうね。その瞬間を見たことはないけど、そう聞いているわ」
アンデッドにも幾つか種類がいる。肉体を持って蘇生するタイプもあれば、骨だけのタイプ、霊魂だけのタイプなど様々だ。
「僕は見ていませんが、ルキア様の視界に写っていた女性が殺されたアベンダ様の霊だったとして、魔物化もせずにここにいた理由は何なのかなと」
「……それもそうね。なんでだろう?」
首を傾げた二人の視線が交わり、それが同時にアパートのあった空き地に向けられる。女性の霊らしきものが見えたのは、そのちょうど中央付近だ。
先のアルトの疑問が解消出来たわけではない――わけではないが、他に手がかりがなく、ヒントもない以上は自ずから探すしかない。その探す先は、運良くと言っていいのかどうか、幽霊が教えてくれた。
「あの辺、掘って見ればいいんじゃないかしら」
だからルキアに言えることと言えばそれくらいである。
「それもそうですね。じゃ、掘って見ましょう」
アルトも案外あっさりと納得したところ見るに、同じ結論に至っていたらしい。
スコップを手に二人して掘り始める。もともと土が柔くなっていたのか、ルルキエルの自宅にスコップを取りに帰った時間よりも早く、スコップの先に何かに引っかかる音がした。
思わず手を止めてお互いの目を見やる。引っかかった感じにどこか頼りげない脆さを感じたからだ。それは二人共通の認識で、無言で頷き合ってからの行動は早かった。土の下にあるものを不用意に傷つけないように手で掘り始める。土の硬さに指が痛くなり始めた頃、埋れた先に白いものが見えた。
「なんでしょう? これ」
もう少し掘り下げて見なければわからないと、ルキアは痛みを我慢しながら周りの土を払いのけて行く。全容は見えないが、除けられた土の下から姿を現したものは、しかし二人にとっては予想通りの代物だった。
「……骨、よね?」
「……骨、ですね」
「……人の骨、よね?」
「……人の骨、ですね。これが頭蓋、こっちが肋骨、でしょうか?」
「アベンダの?」
この白骨がアベンダのものである可能性は高い。だがアルトは曇った目をそのままに首を横に振った。
「だと思いますが、断言は出来ません。調べる方法があるのかどうかも、わかりません。お師匠様なら何かご存知かと思いますが」
全部を掘り出せば女性かどうかくらいならわかるかもしれない。身分証明が出来る物を何か身につけているかもしれない。しかし手元にある道具がこんなの木製のスコップでは、日が暮れてしまうだろう。
「でも普通に遺体遺棄事件よね、これ。どうする? 警察に連絡する?」
「お師匠様に指示を仰ぎたいところです」
それにはルキアも賛成だった。可能なら、の話だが。
「ねぇ、それよりもアルトくん」
「? なんでしょう?」
「なんか死体見ても全然驚いてないね」
「そうですか? こう見えて結構驚いてますよ?」
「とてもそうは見えないわ」
ルキアが冷静でいられる最大の要因は、目の前の年端もいかない少年が彼女以上に冷静でいる様を見たからだった。口でいうほど驚いていないのは明らかで、年齢を考えればあり得ないことである。普通ならそれを強がりだと決めつけてしまうところだが、何せこの子はルルキエルの弟子だ。感性も普通ではないかもしれない。
「それはきっと、死体を見るのが初めてではないからだと思います。以前、お師匠様が人生経験だとか言って、『医者ですら目を逸らしたくなる嘔吐必須のひたすらエグい死体参拝ツアー』みたいな物に連れて行かれたことがありました。一週間嘔吐が止まらず、二ヶ月はお肉が食べられなかったあの経験に比べたら、ただの白骨死体なんて優しい部類です」
まだ十歳にならない子供にトラウマでも植え付けるつもりか、あの悪趣味男は。
「お陰様でどんなにグロテスクな物を見ても、何とも思わなくなりましたが」
良いことなのか、悪いことなのかはわかりませんけどね。と笑うアルトにしかしルキアは乾いた笑しか返せなかった。
悪いことだと断じることは可能だ。情操教育に良くないのは間違いない。だが、ギルドマスターとしての教育だからと言われたら、それはルキアの理解の遠く及ばない世界の事情である。感情的に語ってもいいが、それはアルトを困らせるだけだろうから、何も言えずに笑うしか出来なかった。何故ならそんな目に合わされても、この子はルルキエルを尊敬しているからだ。
「でも本当にどうしましょうか。このまま放置は出来ませんしねぇ……」
「ルルキエルにすぐにでも連絡が取れない以上は警察に連絡するしかないわね。それにしてもこの骨、なんで光ってるんだろうね? それもちょっとずつ光が強くなっている気がするし」
「え?」
ルキアのかけているサングラスは、先に設定した通り魔力の流れを視覚的に捉える機能が有効化された淡いグリーンのレンズのままである。その彼女の視界には、確かに光を放ち、その強さを徐々に強めている白骨があった。
なんとはなしに聞いて見ただけの質問に、アルトの目が不意にきつく細まった。驚いたのはルキアである。何かいけないことを言っただろうか。
――――ジッ
アルトの口から耳障りなノイズが走る。「どうしたの?」と聞こうとしたその瞬間、視界の全てが白く染まった。白骨から放たれたあまりの光量に思考が麻痺したのは運が良かったのかもしれない。直後に轟き渡った爆音には気づかないまま、ルキアはアルトに引っ張られるような形で地面にへたり込んだ。
「…………え?」
直後にさらなる衝撃が、炎と風をまとって空間を叩き壊す。燃え上がる炎の揺らめきにつられる形で暫し身体を揺らしていたルキアは、その正体が爆発だと気づくまでに相応の時間を要した。
「ルキア様! ルキア様! お怪我はありませんか? 起きてますか? もしもーし!」
ぺちぺちと、呆けたルキアの頬を軽く叩くアルトの手の冷たさに刺激されて、光で焼かれて麻痺していた視界が徐々に色彩を取り戻して行く。
「え? あれ?」
「痛いところはありますか? 大丈夫ですよね?」
「あー、うん。大丈夫。え? ううん? なんかグワングワンする」
混乱する思考の中で何を口走っているのか自覚していないルキアの様子に、しかしアルトは心底ホッとしたようだった。
「よかった。まさか白骨が爆発するなんて。間一髪で防御魔法が間に合わなかったら、二人とも無事ではなかったはずです。危ないところでした」
白骨が爆発するなんて。アルトの言葉がそのままストンと胸に落ちる。何を言っているのだろう、この子は。という常識を、しかし目の前の非常識な光景が塗りつぶした。
空き地に大きなクレーターが出来ていた。ルキアたちがいるのはその中心である。先ほどまでそこにあった骨は微塵も見当たらず、地面はいまだ炎に焼かれて煙を吐き出し続けている。
白骨が爆発するなんて? 言葉はそのままの意味だった。爆発したのだ。骨が。ルキアの目の前で。直径十メートルにも及ぶ、大きなクレーターを作るほどの規模で。
「あ、あ、あ、アルトくん?」
「何でしょう?」
「ほ、骨が、ば、爆発したのよね、いま」
「はい、どうやらそのようです」
何故にこの子はこんなにも冷静なのか。あまりに普通に応えてくるアルトに感化されて、少しだがルキアも落ち着くことが出来た。
「人骨って、爆発するんだっけ?」
「いえ。申し訳ないですが、寡聞にして知りません。おそらく勝手に爆発したりはしないと思いますよ」
「本当に?」
「え? はい、本当です」
「そっか。そうだよね。骨が爆発したらいろいろびっくりしちゃうもんね。あー、よかったぁ」
思わず胸を撫で下ろす。
「これっぽっちもよくはないんですが……」
アルトの控え目な反論はひとまず脇に置いておいて、ルキアはようやく落ち着きを取り戻し始めた心臓を抑えながら立ち上がった。まだフラフラするが起き上がれないほどではない。周囲に炎が立ち込めているのに全く熱くないのは、彼が防御魔法でルキアごと守ってくれたからだ。尻餅を着いた程度の痛みで済んだのも彼のおかげだ。
アルトがいなければ、ルキアは二度目の死を迎えていたところだった。
「アルトくんは命の恩人だね。ありがとう。助けてくれて」
「あ、いえ、その、恐縮です」
こうやって目線を合わせてお礼を言うと、頬を赤らめて照れる様は九歳の少年らしい反応である。だが。
「――じゃなかった! そんな悠長にしている場合じゃありません! ルキア様、すぐ逃げましょう!」
「ほへ?」
「人の骨は爆発したりしません! ですが、『死体』であれば話は別です!」
慌てふためくアルトの表情に、ルキアもようやく事態を掴んだ。
「……するってーと、今の爆発はつまり?」
「はい。魔物化による爆発でしょう。それも、相当な規模の魔力を有したタイプのアンデッドです。でなければ魔物化しただけでこんな爆発は起きたりしません」
「あー……それはまずいね」
「まずいです」
何せアンデッドは、すでに死んでしまった生き物が、周囲の魔素を取り込んで発生する不死性を持つタイプの魔物である。倒すには浄化するか、力技で蘇生出来ないほど破壊するしかない。
だが、残念ながら二人ともそのような対処技術は持ち合わせていない。
加えて言えば武器もない。あるのは木製のスコップだけ。
「アルトくん、魔法は?」
「防御魔法しか使えません」
「そっか。じゃ、選択肢はないね。逃げよう」
「はい。逃げましょう!」
焼けた大地をアルトの防御魔法ごと強行突破すべく、二人は同時に駆け出した。