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見知らぬ第三者


 /1.0201   見知らぬ第三者


 生産・製造をまとめる二大ギルドの一角、工業ギルドの本拠地テスフロス。王都デュランダルの西区画、工業地帯の玄関口に位置する地上二十階、地下七十二階の計九十ニ階を誇る、王宮を除けば世界最大規模の高層建築物だ。


 日の暮れたギルド本部は、窓から灯りが煌々と漏れていた。定時はすでに過ぎているが、残業している職員が数多く残っているからだろう。帰宅する者たちがいる一方で、特に多く見かけるのが、交代勤務制の部署に所属し、これからが仕事開始という者たちだ。そんな彼らとすれ違い、挨拶をかわしながら、ルルキエルは魔剣回収の助手となったルキアを連れてテスフロスの最上階――守護聖人専用の執務室に戻った。


 地上二十階全てがルルキエル専用のフロアである。


 ルキアを修復したギルドマスター専用の研究室や書類仕事メインの執務室以外にも、来客用の応接室、深夜泊り込みで仕事する為の仮眠室などが設けられている。一流ホテル並みの清潔感が保持されているのは、建物自体にかけられた浄化魔法の為だ。


 エレベーターを降りて真正面に位置する執務室に、ルキアを連れて入る。


 執務卓に書棚、応接用のテーブルとソファー。シンプルでシックな色合いの調度品は、飾り立てるのが好きではないルルキエルからすれば好ましい空間だった。全てがオーダーメイドの高級品で、王室御用達の専門店から仕入れたと聞いている。これらを揃えたのは先代だ。シュヴァリアーに就任して半年しか経っていないルルキエルからすれば贅沢であること以上に無駄以外の何物でもないのだが、勿体無いので捨てずに利用している。


 その来客用のソファーに座るよう勧めてから、ルルキエルは仮眠室とは別の給湯室に向かった。執務室の奥に有るそこには、小さな冷蔵庫も完備している。おかげで飲み物に困ったことはない。


 ポットでお湯を沸かし、最近お気に入りの茶葉で紅茶を二人分淹れる。喫茶店を経営する父を持つルキアに下手なものは出せないと、何時もより丁寧により神経を使った。おかげで香りを嗅いだ限りでは、上手く出来たようだ。


「自信作だ。飲んで見てくれ」


「ギルドマスター自らがお茶を淹れてくれるとは思わなかったわ」


 皮肉気に呟いたルキア・ミルトスに笑みだけを返して、ルルキエルも彼女の対面に落ち着いた。手元の書類を彼女の前に押しやる。


「これは?」


「みればわかる。だがその前に紅茶で一服しよう。冷めると美味しさが半減する。まぁ本業である君の父親には及ばないとは思うが。元が高級ブランドものだ。素人が入れてもなかなか美味い」


「……さすがギルドマスター。贅沢品に事欠かないわね」


「自腹だぞ? 給料だけはいいからな。この仕事」


 口をつける前に、湯気立つ香りを軽く楽しむ。かすかなミントの香りが鼻の奥をスッと刺激すると、それだけで心が落ち着くのを自覚できた。


 コクリと喉に流す。温度は少し高めだったが味は悪くなかった。まだ『彼女』の域には届かないが、最近の中では上出来の部類だろう。


「工房で見習いだった頃の方が身体的にはきつかったが、まだ精神的に楽しむ余力があった。ギルドマスターって世間では華々しい仕事だと思われているみたいだがな。実際には小間使い以上に忙しい。正直給料に見合っているとは思えないくらいにはね。この半年でようやく慣れてきたが、当初はノイローゼ気味だったよ」


「そんなことはどうでもいいわ」


「ん?」


 低い声でルルキエルの会話を遮ったのは、出されたカップに手を伸ばし、口に含んだと同時に表情を変えたルキアだった。予想通りの反応にクスリと笑うと、彼女の顔がさらにしかめ面になった。


「どういうこと?」


「その問いに答える前に、味の批評を聞こうか?」


「……香りを生かせているのは及第点。これはクリアリフスの葉でしょ? だったらもっと熟成が必要だわ。若い葉を使ったのね、きっと。苦味を殺せていない。好みにも寄るけれど、茶菓子と合わせれば不味くはないんじゃないかしら?」


「……辛口評価だな」


「素人域にしては十分だと思うわよ。お父さんはもっと美味しく淹れるもの。私はまだその域に達していないけれど、貴方よりは上手だと思うわ。でもそれよりも――」


 もう一口含んで噛みしめるように喉を鳴らすと、ルキアの表情にさらに怪訝味が増した。


「これ、お母さんの味だわ」


 でも、とすぐに否定する。


「違うわね。正確にはお母さんの味から数十歩は劣る。あの人の淹れたお茶はもっと深い旨味があった。けれど、確かにお母さん固有の淹れ方じゃなきゃこうはならない。いつ、何処で、誰から習ったの?」


 その質問に対してルルキエルが答えられる回答はは一つしかない。


「シエラ当人から教えてもらった、と言ったら信じるか?」


「嘘ね――と言い切るには似過ぎているし、はぁ~~~…………」


 ルキアの否定は早かった。だがその否定をルキア自身がさらに否定した。深く深く、肺の中の空気をすべて吐き出すほど深いため息をついたのは、認めたくない事実を口にする覚悟を決める為らしい。


「お母さんと知り合いだったの?」


「ああ。ちなみに、君とも会ったことがある。十年以上前だが」


「覚えてないわ」


「だろうな。一番最初に会った当時の君はまだ三歳だ。以降、それなりに交流はあったが、十年以上経てば忘れても仕方ない。当時は俺も仮面なんて被ってなかったしな」


「その仮面をとって、素顔を見せてくれれば、思い出すかもしれないけど?」


 冗談のように軽く口にしながらも、ルキア半分以上、本気のようだった。わざとわかりやすく顔に出している。さっさと仮面をとって顔を見せろということだ。


 だがそれを、ルルキエルはわかっていて無視した。


「不要だな。思い出して欲しいとは思っていない。それなりに長い付き合いになるのだから顔を見ておきたいと考えるのは当たり前の要求だが、君に俺の素顔を見せる必要性を感じない」


 ルキアの表情が目に見えて剣呑になる。気分を害したことは間違いないが、ルルキエルにとっては気にすることではなかった。


 さて、そんなことよりも――あえて明るく口調を変えて、ルルキエルは紅茶の前にルキアに差し出した書類を指差した。


「そろそろ本題に入ろう。その書類の一ページ目を見てくれ」


「……女性ね。初めて見る顔だけど……ねぇ、これ、もしかして写真なの?」


「ああ、ギルド製のカメラで撮ったものだ。彼女がギルドに入社した当時の面接写真。旧式のカメラだから、あまり画質は良くないが」


「それでもやっぱり凄いわね」


 ルキアがカメラと写真に驚きを抱くのも無理はない。イクスアークではカメラは一般販売されていないからだ。写真が風景を現像して可視化したものであり、その撮影を行う機械をカメラということは広く知られていても、その実物を手に取ることも見ることも滅多にない。博物館や美術館、図書館といった国営施設以外では、個人では一部の王侯貴族のみが所持している、非常に希少な最先端機器である。


 だがルルキエルが問題にしたいのは、カメラでもなければ写真でもない。


「そっちに驚くのはまた今度にしてくれ。それより、その写真の女性に本当に見え覚えはないんだな?」


「ないけど……この人がどうかした?」


「次のページ」


 言われたままに書類をめくったルキアの顔がひきつる。さもありなん。そこに写っているのは一ページ目の女性の、死体だ。


「三日前に刺殺された女の写真だ。場所は第四居住区画の外れにある公園。死亡時間は深夜一時前。刺し傷は料理包丁サイズだが、数十箇所に及ぶ為にために出血がひどい。止めに心臓を貫かれている。これが致命傷だな」


「え?」


 ルキアはすぐにその言葉の裏側に気づいたようだった。


「ちょっと今、あんまり考えたくない想像が頭をよぎったんだけど……」


 あり得ないとは思う。だがそう思うからこそ、考えを振り切れない。ルキアの疑問に、ルルキエルは笑わずに先を促した


「どんな想像だ?」


「笑わない?」


「もちろん」


「…………もしかして、この死体――もしかしなくても、私……だったりする?」


「正解だ」


 理解の早いルキアに笑みを返すと、当の正解を言い当てた本人は心底嫌そうな顔をした。


「なぜそう思った?」


「普通、同じ日時、同じ場所で、二人目の刺殺体なんて発見されるはずないでしょ? それに、ちょっと疑問もあったことだし……」


「疑問?」


「というより違和感と言った方がいいかも。魔剣ディットクレイ、だっけ? ――で私を殺して私に擬態した殺人犯は、何故私を処分しなかったのかしら?」


 言葉にしながら、その内容がどうにも気味が悪いことに気づいて、ルキアはさらに苦虫を噛み潰したように眉をひそめた。


「遺体が残れば、いつか誰かに見つかって大騒ぎになるでしょ? その遺体が私。でも擬態した犯人も『ルキア』になっている。死んだはずの人間が生きている状況が出来てしまうんじゃあ、擬態しても効果は薄いように思うんだけど……」


「それも正解だ」


 思いの外、冷静でいるらしいルキアに、ルルキエルは今度こそ心から賞賛を送る。


 今日の昼過ぎに目覚めてからもたらされた情報は、彼女にとって混乱の極みだっただろう。殺され、生き返ったという事実だけでも、飲み込むのに時間がかかるのが常人だ。


 そんな普通は起こりえない出来事にルルキエルからの圧力が加わって、さらに自分の居場所を奪われた光景を目にした。それらは彼女の混乱に拍車を掛けたに違いない。と同時に、これ以上ない程の怒りを抱かせたはずだった。


 望んではいたわけではないが、罵倒されることも、殴られることも、ルルキエルは織り込み済みで彼女を脅迫している。恨まれているという事実があればこそ、何ら心を痛めることなく彼女を利用することができるからだ。


 しかしルキアの復活は早かった。数日は必要だろうと踏んでいただけに、彼女の思考の切り替えは驚くべき速さだ。いっそ異常とも取れる変化に、ルルキエルの方が戸惑いを覚える。


 普通のトーンで自分と会話をしている様子の彼女が何を考えているのかわからない、という意味では、ルルキエルとしても非常にやりにくい状況にあった。


 だからこそ、先ほどの賞賛に偽りはなかった。もっとも、仮面に隠されているルルキエルの微妙な表情の変化が相手に伝わることはないわけだが。


「言い忘れていたが、ディットクレイは殺した相手も擬態させることが出来る。当然、擬態するのは姿形だけだ。能力や知力なんかは死体に必要ないからな。理由はさっき君が言ったとおり。もっとも、擬態できるのは魔剣使用者の姿だけだが」


「そういうことは先に言いなさいよ! まったく……――って、あれ?」


 怒鳴ってから、しかしルキアはルルキエルの説明ではまだ解決出来ていない疑問に思い至った。違う。と、理性が警告を鳴らす。


「なら、なんでこの死体、私を殺したあの女の姿じゃないの?」


「そうだな。俺もてっきり君を殺したのはこの女性かと思っていたが、そうじゃないとすると、何故死体を放置して、自分じゃない第三者に死体を擬態させたのか、という疑問が出てくる」


「貴方は、私を殺した人を見てないの?」


「フードをかぶっていたからな。顔までは……」


「そもそも、この人は誰?」


 ルルキエルは指で資料を指して、めくるように上に巻き上げた。三枚目に、彼女の履歴書と業務経歴書の写しを載せている。


「アベンダ・テレスタ。元工業ギルド職員。部署は資材部。第三支部ダイタロス勤務の八年目。歳は二十八。未婚者。家族なしの天涯孤独。しかし一ヶ月前に一身上の都合により退社。以降の足取り等は調べられていない。第五居住区に住んでいたみたいだが、事件前もまだそこ住んでいたかはわからん」


「大した時間もなかった割には十分でしょう? というより、よくギルド職員だってわかったわね。まさか全員覚えている、なんてことは……」


「流石にそれはない」


 きっぱりと断言すると、ルキアは思った以上に安堵したようだった。


「それはそうよね。うん。よかった。でもそれならどうして?」


 この死体が元ギルド職員だとわかったのか。


「死体を修復する前に別の魔剣に身元確認をさせたからだよ。製作された当時からの工業ギルド職員と登録者の登録番号を管理している剣だ。血液一滴で番号と個人情報――と言っても人相と名前、生年月日程度だが――を特定出来る。念のためにと思って検索かけてみたら運よくヒットした」


「……なんでそんな魔剣があるのよ」


 疲れたように呻くルキアに対して、ルルキエルができる回答は一つしかない。


「知らんよ。過去の変人の考えることなんて」


 数十代前のシュヴァリアーが作った魔剣だ。その意図も目的も、当の本人が死んで百年以上経った今となっては知る由もない。いや、もしかしたらセプテバベルなら知っているかもしれないが、あれに頼んで教えてもらうくらいなら知らなくてもいい情報だった。


「ともかく君を襲った犯人はアベンダではなかった。君の証言を信じるならこれは間違いない。それを踏まえた場合、考えられる可能性は二つだ」


 まず一つ目。


「やはりアベンダが犯人で有る場合」


 これは先の言葉を否定したわけではない。それはルキアもわかったようだった。


「私を殺した時点で、別の誰かに擬態していたケースね。その場合、擬態されていた人はすでに殺されているわけだけど」


 ルキアの前に別の第三者を殺し、その第三者になって今度はルキアを殺す。ルキアの死体は魔剣使用者であるアベンダの姿に擬態させたことになる。


「私の前に擬態されていたかもしれない、その人を探すのは?」


「厳しいな。君の目撃証言だけで王都中を探し回ることになる。似顔絵を作ったところで何日かかるかわかったものではないし、その前に『偽・ルキア』に事件を調査していることを悟られる可能性が高い。警察に協力を依頼すれば行方不明者リストなどから探す手掛かりをもらえそうだが、其の手はあまり使いたくないな。もう一つは――」


「アベンダが犯人ではない。私の前に殺されていたのが彼女の場合ね」


 その場合、犯人はルキアの前にアベンダを殺していて、アベンダの情報で擬態してからルキアに止めを刺したことになる。


「後者の方が複雑な気がするし、面倒な感じはするけど?」


 魔剣ディットクレイは殺した死体を魔剣使用者の姿で擬態させることができ、その擬態結果は二パターン存在する。魔剣使用者本来の姿と、魔剣使用者が別の誰かに擬態していた場合の姿だ。


「セプテバベルからの情報を信じるなら、ディットクレイによる擬態の重ねがけは出来ない。ならば可能性はこの二つのみだ。あくまで可能性の話だが」


 しかしゼロで無い以上、検証は必要である。


「どっちにしても、第三者を間に挟む理由がわからないな。死体が増えればその分騒ぎになる可能性は高い。手間も増える。デメリットしかないように思うが……」


「死体処分するのだとしたら、私だけを殺せばいいはずだしね」


 しかしながら、メリットがなければそんな手の混んだことはしないだろう。なにかあるのだ。ルルキエル達が気づけていない、犯人だけのメリットが。


「さらに言えば、動機もわからん」


「…………それは……嫉妬、だと思うわ。多分だけど……」


 ルキアの歯切れの悪い言葉に、ルルキエルはそのまま問い返した。


「嫉妬? 犯人と会話したのか?」


「したというよりは向こうが一方的に喋ってた。細かいところは覚えていないけれど、正直なところ、会話が成り立つような状態じゃなかったように思う。私を刺しながらずっと嗤ってた。あの女の言葉で一番覚えているのは… …」


「『あなたを殺して、あたしはあなたになるの』――か」


 その悲痛な、狂ったような叫びは離れたルルキエルの耳にも届いていた。


「男に振られたみたいね。私のせいで」


 本気で疲れたようにため息を吐くルキアには同情しか思い浮かばない。だが動機がわかっているのであれば、そこから犯人を探すことも可能なはずだ。


「できれば正直に答えてくれ。君は彼氏は?」


「……いないわ」


 意外にあっさりと恋愛経験について答えたルキアである。


「異性と付き合ったことは?」


「ないわね」


「どのくらいの頻度で異性から告白を受けていた?」


「数えていたわけじゃないけど、覚えている限りだと週に二、三度?」


「あー……」


 言いにくいが、言わざるを得ないだろう。


「恨まれて殺されても文句は言えないじゃないか」


「なんでよっ!」


 しかしルルキエルからすれば、ルキアの境遇はふざけているとしか思えない。持たざる者の嫉妬であることは理解していたし、彼女とて決して好んでそうなったわけでもないだろう。


 彼女には彼女で、持ち過ぎているが故の悩みがあるに違いない。だがそんなことを冷静に犯人が慮ってくれるわけもなく。現実に嫉妬の炎に焼かれて殺されたわけだが。


「もてるからっていいことなんて何もないわ。いい迷惑よ、まったく」


「間違ってもそんなことを『モテナイ人間』の前で言うなよ。また殺されるぞ、君は」


「知らないわよ。っていうか、どうしようもないじゃない。もてたいわけじゃないけど、私だって好きな人によく思われたいもの。頑張って女を磨いて、でも本命には届かなくて、それで他の男が寄ってきてるんだから本末転倒だけど……」


「……ほほぅ?」


 その情報は初耳だった。どうやらサフランのファンクラブ連中は気づいて居ないらしい。そんな事実があるなら、あのハゲ頭はもっと騒いでいて良さそうなものだ。


「片思いか?」


「うん。もうずーっと昔から」


 死んじゃったから、もうどうしようもないけどね。冷めてしまった紅茶の水面を眺めるルキアの表情には、諦めが色濃く出ていた。


 そろそろ話題を元に戻そう。さすがに可哀想になってきた。


「ふむ。ということは、今後は君に擬態している『偽・ルキア』の様子を探れば、その相手の男がわかるのかもな」


「え?」落ち込んでいたルキアは、しかしルルキエルの言葉を受けてすぐに思考を切り替えたようだった。相変わらず頭の回転の早い女である。


「男に振られた女が、振られる要因になった別の女に嫉妬してその女を殺し、その女になりすました。目的は?」


「私を殺すこと……と、その男と添い遂げること?」


「おそらくは。恨みを晴らしたいだけなら殺して終わりだ。だが、『偽・ルキア』はそれ以上のことを望んだ」


「私になって、私として、私を振った男と一緒になる」


 考えられることはそれくらいしかない。


「アベンダに擬態させたはずのルキアの死体が消えたんだ。本来なら殺人事件として騒ぎになるはずが、俺が君を回収して、事件は表向き誰にも知られていない。『偽・ルキア』は思っただろうな。一体あの死体はどこに行ったのか――と」


 疑心暗鬼になっているはずだ。死体を探すことも出来ない状態では不安も焦りもあるだろう。だからこそ『偽・ルキア』はしばらく行動を起こさないと予測できた。自分が完全に安全だと確信が持てるまで、自分から男に交際を申し込むことはない。


「サフランは定期的に見張っておく必要がある。『偽・ルキア』の行動を待って、付き合い出した男の素性をたどれば、過去に付き合っていた女にも行き着くだろう」


「それはやめて頂戴」


 それを即座に拒否したルキアの回答は予測通りだった。


「こちらの行動が遅くなるわ。確かに犯人には行き着くかもしれないけど、『偽物』が幸せになるのを黙ってみているのは無理よ」


 ルキアの抱く怒りは至極もっともである。より大きな獲物の前には我慢くらいなんでもないだろうが、その獲物を絶望に落とすことこそが彼女の本懐だ。捕まえる為に一時的にでも『偽物』が幸せになるのを見続けるのは精神衛生上、かなり負担だろうことは容易に予測できた。


 落差をより激しくしてやれば、と思わないでもないが。その前に彼女の精神がもたなくなってしまっては本末転倒だ。


「わかっている。俺もそんな悠長に事を構える気は無いよ。だが、犯人の特定は必須だ」


 それがアベンダなのか、別の誰かなのかはわからないが。


「何故もう一人、別の人間を殺さなければならなかったのかについても、疑問は解決していない。だからひとまず、君を殺したかもしれない犯人候補が二人いる状態は何とかしたい。幸い、一方のアベンダ・テレスタの住所はギルドに提出されている職員情報でわかっている。もちろん、もう引き払っている可能性もあるが。まずは交友関係から洗って行くしかない。男がいたかどうかも含めて」


「手をつけられるところがそこしかない以上、行ってみるしかないわけね」


「その通りだ」


 調査の第一目標は決まった。見知らぬ第三者を特定することだ。


「さて、整理が出来たところで、帰って夕食にしようか」


「…………」


 と、空になった二人のカップを手に腰を上げたところで、不意にルキアが心底嫌そうな顔をした。


「ねぇ。今まで気づけなかった私が言うのもなんだけど……」


「ん?」


「これからしばらく、私はどこに寝泊まりすればいいの?」


 殺された時にルキアは財布や身分証などの貴重品もしっかりと盗まれてしまっている。当然、無一文だ。


 身分証がないから銀行から引き下ろすことも出来ず、借りることも出来ない。訳ありの人間が泊まるようなところであれば身分証もいらないだろうが、今度は金銭面が厳しくなる。秘密厳守の不干渉を貫いてくれる代わりに、料金も割高だと聞いたことがあった。


 仕事もなく、今までの蓄えなどもきれいさっぱり奪われてしまったルキアには大変な金額に違いない。


「悪いがギルド職員用仮眠室は登録制だ。ゲストでも利用可能だが、身分証明と事前申請が必要。この執務室の隣にある仮眠室は俺専用だからそういった手続きは基本いらないが、それは俺が使う場合、または俺がこの建物に滞在している場合の話だ」


 一日程度なら問題なく隠しておけるだろう。だがこれが連日となると非常に厳しい。露呈した場合、問題視されるのは確実だ。何の理由もなく部外者を泊め続けることになる。


 彼女がルキア・ミルトスだとは露見していないし、これからもその予定はない。だが下手を打って情報が漏れるのは不味い。不用意に彼女を一人には出来ない以上、取れる手段は決まっていた。 


「野宿以外に手段がないってこと?」


「何を言っている。幾ら何でも年頃の女性を、わかっていて野宿させるほど非情じゃないつもりだぞ、俺は」


「なら、どうするの?」


「俺の家に決まっているだろう。幸い、部屋はたくさん余っている」


「…………」


 当初からそのつもりだったので、実のところ家に帰れば彼女の部屋は用意出来ている。ルルキエルから情けを受けねばならないことに反発はあるだろうが、これは譲れない一線だった。ルキアを現状のまま自由にさせる訳にはいかないからだ。


 だが当のルキアはあまり驚いた風ではなかった。軽く天井を仰ぎ、ルルキエルを見て、もう一度天井を見上げる。


 彼女の視線の先に有るのは魔力で明かりを灯す魔力灯だ。室内を昼間のように明るく照らしてくれているこの証明器具は、テスフロス内の、倉庫を除く全室に完備されていた。テスフロスが眠らない建造物として有名なのは、間違いなくこの灯りによるものだろう。ちなみに、魔力灯も工業ギルドが開発した商品で、カメラ同様に市販されていない希少品である。


 その煌々と輝く天井を眺めながら、ルキアはポツリとつぶやいた。


「…………最低ね。色々と」


 気持ちはわからなくもないが、その物言いは心外だった。


「バス・トイレ・ベッド付きの十二畳の部屋に三食の食事が着いてくる無料物件だぞ? 何が不服だ? この際、俺と一緒に住むことくらい我慢してもお釣りが来るだろう。むしろ感謝しろ」


 だがルキアは、今度はその冷めた目をルルキエルに向けて、深々と嘆息して見せた。


「そういうこと言うんだろうな、ってわかってたから、最低って言ったのよ」


「……ああ。なるほど」


 しかしルルキエルは罵倒もそのままにカラカラと笑った。言われて納得した。それは確かに最低である。


「ではその最低な男の家に案内するとしよう、ルキア・ミルトス。君のご両親とまではいかないが、不味くはない料理と寝心地良くないかもしれないベッドと、使い勝手の良くないかもしれない部屋を用意出来る。ま、問題なはい。人間は慣れる生き物だ」


「その通りなんだろうけど、こんな状況、慣れてしまったら人としておしまいな気がするわ」


(違いないな……)


 至極もっともなことを力なく呟くルキアに胸中で同意しながら、魔力灯を消して執務室を出る。帰りは精力的に働くギルド職員とすれ違うこともなく、ルルキエル達はテスフロスを後にした。




第二章です。

誤字脱字などあれば、ご報告いただければ幸いです。

何度読み返しても、抜けってあるもので・・・orz

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