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気づかれぬ歪③


   ***



「少し、工業ギルドに関する話をしよう。まず――」


 魔剣とは何か。


 魔力を込めることで、剣に内包された能力を使役することのできる魔法具である。その観点から見た場合、多くの者は魔法剣と混同しやすいが、その実態は大きく異なる。


 魔法剣とは、魔法を効果的に効率良く、高水準・高威力で使役する為に、予め術式が組み込まれた増幅器のことだ。剣であるから、それは戦う為の武器であり、補助具である。魔法を使うのはあくまで魔法剣の使用者である。


 では魔剣はどうか。


「魔法そのものを行使することのできる魔法具を、魔剣というんだ」


 故に剣と銘打ってはいるものの、武器と限定されているわけではない為、剣の形をしている必要はない。数多の魔法を解体し、解読し、組み合わせ、編纂して新たな魔法として能力を有する。既存のいずれでもなく、他の誰の知識にも存在せず、唯一の魔法を扱うことのできる魔法具。それが魔剣である。


 魔法を扱うという点では同じだが、目的が異なる両者の違いは大きい。とは言え、関わりのない者達からすれば、どちらも摩訶不思議な道具、の一言でまとめられてしまうわけだが。


 ルキアにとってみれば、どう違うのかは今ひとつ実感がわかなかった。


「そう難しく考えることはない。誰にでも扱える魔法の威力を高めるものが魔法剣。剣そのものがユニーク魔法であるのが魔剣。ま、とは言え、そんな違いは正直どうでもいい話だな」


 では、何故そのような話を振ったのか。答えは、ルルキエルの前から返ってきた。


「ヒェヘヒェヘヒェヘヒェヘヒェヘ――ッッ! おやおや、これは驚いた。随分べっぴんさんを連れ込んだじゃねぇかいッ! ルル坊や。お前さんもようやく異性に興味を持つようになったんだぁねぇ~~っ。だが感心しないさね。そこの娘は死体じゃないか。いくら人間嫌いだからって死体に懸想するこたぁないだろうに。死体とまぐわるなら、もう少し洒落たとこへ行きなよ。例えば墓場なんてどうだい? ヒェヘヒェヘヒェヘ――ッッ!」


「黙れ」


 端的に、冷たく重い声色が響く。それがルルキエルの声だと知るよりも先に、ルキアは全身を走り抜けた寒気に思わず両手で自分の身体を抱きしめた。


「相変わらずの聞くに耐えない声だな。セプテバベル。しわがれ声で下世話なことしか言えない癖に、偉そうな口をきくな」


「ヒェヘヒェヘヒェヘヒェヘヒェヘ――ッッ! そうは言うがね。ルル坊や。こんな辺鄙な場所に人が訪れるなんてこと、ルル坊やが『その気』にならない限りはあり得ないんだからさ。話しかけたくなるのは当然じゃないかね? 先の短い老婆の話し相手にくらいなってくれても罰は当たらないってもんだよ」


「造られて千年以上経っているロートルが言っていいセリフではないな。おい。そんなくだらん世間話をしに来たわけじゃないことくらい、貴様なら察しているだろう」


「ヒェヘヒェヘヒェヘヒェヘヒェヘ――ッッ! ああ、その通りだよ。だが教えてやるもんか。儂の話し相手になってくれる気もない、イケズなルル坊やなんかにはね」


 しわがれた声が拗ねたように、小さく細く、だが長い息を吐く。しかし先ほどからずっと姿が見えない。声からすると老婆のようだが、こんな薄暗く、埃っぽい倉庫のような場所に老人がいるのだろうか?


 着替えた後、ルキアが連れて来られたのは地下施設だった。生まれて初めてエレベータに乗った際に、自分の境遇を忘れて興奮してしまったことは記憶に新しい。


 地下五十五階。降りた先に待っていたのは、歩く為に必要な僅かな明かりしかない、膨大に広いホールである。


 その広い空間に所狭しと四角く黒い箱が並べられているというのが、闇に慣れた視覚でようやく見て取れた。


 どうやら倉庫のようだ、という感想は、しかし知らずに言葉に出ていたらしい。その通りだと答えたルルキエルの声には、何故か棘のようなものが含まれていた。


 そして冒頭の話に戻るわけだが、ルルキエルは老婆の愚痴にはとりあわず、ホール中央付近で立ち止まった。自然と、その後ろをついていたルキアの足も止まる。


「魔剣とは魔法だと言っただろう? その答えの一つが、これだ」


 ルルキエルが手元のスイッチらしきものを押すと、小さく、だが等間隔にホールに光が灯る。それでも薄暗いことには違いないが、ルルキエルの表情――口元だけだが――もわかる程度には空間に光が広がった。そして。


 照らされた先。ホール中央の台座に設置された一本の剣があった。


「千年前。ギルド制度ができる前から活動していた、鍛治師であり、魔法使いであり、錬金術師であった初代シュヴァリアーがたどり着いた答えの一つ。

 擬似的な人格の作成。人工知能。それを搭載して創り出された魔剣『セプテバベル』」


 それが老婆ような声の正体であると気づくのに、ルキアはしばしの時を要した。


「ヒェヘヒェヘヒェヘヒェヘヒェヘ――ッッ! ご紹介に預かり光栄だねぇ。何年ぶりかね。他人に紹介してもらうなんて行為はさ。年取ると何でもないことが嬉しくなるって本当だねぇ」


 声は、確かに目の前の台座に鎮座する剣から聞こえてきた。


 刃渡りは三十センチ程度の短剣である。だが刀身は大きく分厚い。普通のショートソードの倍はあろうだろうか。刃はまるで研いだばかりのように鋼色に輝いていて、千年前に作られたとは到底信じられなかった。


 剣が喋る度に、切っ先からの鎬に青い光線が走り、鍔に充てがわれた丸い宝玉へと集束して青白い粒子が舞うのだ。


 それは薄暗い空間であるが故に幻想的な光景だった。粒子が魔力によるものだと気づいたのはもう少し後のことだが、ルキアはただ綺麗な剣に見とれ、しかしその神秘さとは真逆の声色に、すぐさま現実に叩き戻される。


「ヒェヘヒェヘヒェヘヒェヘヒェヘ――ッッ! はじめましてだねぇ、お嬢さん。シュヴァリアー・シリーズ、シリアルNo.7『セプテバベル』だよ」


「ル、ルキア・ミルトスです」


 口があるわけではない。だが確かに声はそこから聞こえてくる。耳を通して、というより直接脳に響くような感覚に、ルキアは声がするたびに針を刺すような痛みを感じていた。それもようやく慣れた頃、思っていた疑問を口にする。


「あ、あの、お婆さん?」


「なんだい、お嬢さん」


「本当に、剣なんですか?」


 聞いてから、ルキアはなんて間抜けな質問なのだろうと自責した。


「ヒェヘヒェヘヒェヘヒェヘヒェヘ――ッッ! 新鮮な問いかけだねぇ。ああ。純粋ってていうのはこういう娘のことを言うんだろうさ。覚えているかい? ルル坊やなんか儂を初めて見て、初めて儂の声を聞いた時に何て言ったかねぇ。ヒェヘヒェヘヒェヘ――ッッ! あれはあれで新鮮だったがねぇ」


「うるさい」


 ルルキエルの応対は、すぐそばにいるルキアをして恐ろしさを感じさせるほどに冷え切っていた。


「もっとはっきり、かっきり、しゃっきり喋れ。滑舌悪いその口調を何とも出来ないなら喋るな。次にその癪に障る声でむかつく笑い声を挙げたらたたき折るぞ。ババア」


「そうそう。そんな風に言ったんだっけね。そうして、文字通り叩き折られたのも覚えているよ。ヒェヘヒェヘヒェヘ――ッッ!」


 だが老婆の笑い声に反するように、深く長く、疲れたように吐き出された息はルルキエルのものだった。


「うるさくて済まないな。さて、工業ギルドの講義に戻ろう。初代シュヴァリアーが生み出した魔剣はおよそ百本前後。その後、名を受け継いだ後世のシュヴァリアー達が己の全てをかけて魔剣を作り続けた。それらは総称して、シュヴァリアーの魔剣と呼ばれる」


 他にも魔剣は幾つもあるが、世界に現存する魔剣の実に九割五分がシュヴァリアー製だと、ルルキエルは語った。


「そのシュヴァリアー製の魔剣は、千年経った現代において六百六十六本ある、と言われている」


「言われている?」


「そこのババアがそう言っているだけだが」


「ヒェヘヒェヘヒェヘヒェヘヒェヘ――ッッ!」


 笑い声で肯定したらしい。だがその声に苛立ちを感じたのか、ルルキエルの声色がさらに冷えて行く。


「試作型も含めれば実際はもっと存在するだろうが、魔剣として登録されているのが六百六十六本だ。その全てに製作順にシリアルナンバーが振られている」


「みなさん、喋るんですか?」


「他にも数本あるらしいが、こんな下品で頭の悪いことしか言えず、かつ、しわがれ声で聞き手を不快にさせるような剣はこいつだけだろうな」


「随分な物言いだね、だがそれも個性ってやつさぁね。ヒェヘヒェヘヒェヘ――ッッ! しかし、お嬢さん。ルル坊やじゃないが、あんまり驚いてないねぇ」


「あ。いえ。驚いているんですが、その、あの――」


「なんだい?」


「何で、その、そんなに機嫌悪そうなんですか? ルルキエルさんは」


「ヒェヘヒェヘヒェヘヒェヘヒェヘ――ッッ!」


 セプテバベルが意表を付かれたに笑う。


 一方のルルキエルはというと、仮面に隠されて見えないが、相当にバツの悪い表情をしているようだった。なんとなくだが、そう思った。さきほどまで感じていた怒りも、ルキアに向けられているわけではないことはわかっている。だからこそ疑問に思ったわけだが。


「不快にさせたなら謝ろう。単純に、俺がこいつのことが嫌いなんだ。なんというか、生理的に。今すぐ叩き折って生ゴミ焼却処分したいくらいに。ま、無駄だからやらないが」


「無駄?」


「折られても、砕かれても、溶かされても自動再生するんだ。この老害は」


「…………」


 もはや絶句するしかないルキアである。


「話を戻すぞ。シュヴァリアーが製作した魔剣の大半は、およそ世に出せないような危険な代物が多い。君を蘇生させた剣の力を思い出してほしい。どれだけ希少価値があるのかは想像できるだろう?」


 加えれば、目の前にいるのは人格をもった喋る剣である。想像するまでもなく、簡単に理解できた。


「だが残念ながら、管理出来ている魔剣の数は半数にも達していない。だからこそ世界中に散らばっているだろう魔剣を収拾し、管理下に置き、必要であれば封印すること。工業ギルドマスターに課せられた最重要任務の一つだ」


「ということは、工業ギルドって……」


「君の考えるとおり、工業ギルドの前身は、シュヴァリアー・シリーズの製作と管理のために生み出された組織だよ」


 ルキアは、そこから導かれる答えに予測出来ていたが、頷き返すだけにとどめた。


「そしてつい最近、新たな魔剣の反応を察知した。シリアルNo.213『ディットクレイ』という擬態能力を持つ魔剣だ」


「……擬態?」


「剣で対象者の心臓を刺して殺すことで、対象者の記憶と経験と能力と姿をコピーする能力を持つ。加えて言えば、擬態する前の記憶と経験と能力も引き継ぐことが可能だ。そうだな?」


「ヒェヘヒェヘヒェヘ――ッッ! ああ、間違いないさね。この儂が間違えるわけだがないだろうに」


「それしか能がないんだ。間違えられても困る。間違えていたなら一月ほど肥溜めの中に放り込むからな」


「ヒェヘヒェヘヒェヘヒェヘヒェヘ――ッッ! どれだけグズでのろまで役立たずでも、たった一つだけの取り柄で千年生きてきたのさ。だがね、ルル坊や。九十九人目のシュヴァリアー。一月ぶりに儂のところに来た薄情な後継者。儂という人工知能が生み出された目的を忘れでないよ」


「心の底から忘却の彼方へ放り出したいのが本音だが、残念ながら忘れてなどいない」


 どういう意味か、と問いかけるルキアの視線に、ルルキエルは唾棄するかのように忌々しげに答えた。


「このロートルは、歴代シュヴァリアーが製作し、シリアルが刻印された魔剣全ての能力を把握している唯一の存在だからだ。そういう能力を持つ魔剣だ。登録された魔剣の能力を自動的に理解して把握する。初代はその為だけに人工知能を持つ魔剣を作り上げ、使役法から対処法まで、魔剣を完全解析する能力を付加した。正直、それ以外ではクソの役にも立たん」


 と苦々しく、ルルキエルは続ける。


「そして三日前、ディットクレイの探索に向かった直後に起動を確認。対象を殺して擬態する現場に行き着いた。ああ。もうわかっただろう。殺されたのが君で、擬態されたのも君だ」


「擬態された?」


「そう。君を殺した犯人も言っていただろう?」


 ――あなたを殺して、あたしはあなたになるの。


 思い出されたのは嗤いながらルキアに向けて何度も刃を振り下ろした女の顔だった。肉を切り裂く鈍い音を穿ちながら、その手が血で赤く染まって行く様だ。


「殺された君を修復したのは、魔剣の回収を手伝ってもらう為だ。警察や軍はもとより、誰にも知られずに回収する必要がある。さらには魔剣のことを知り、魔剣を悪用した者をそのまま放置することも出来ない。魔剣所有者の記憶を奪うか、再起不能にするか」


 最悪の場合は処分するしかない、と人を殺すということをさらりと告げるルルキエルには、何の迷いもないようだった。


「その為には、擬態済みの対象者がルキア・ミルトスの姿のままで居られると非常に面倒なことになる。

 何せ非公認ファンクラブまであるらしい人気者だからな。つじつま合わせにどれだけの労力がいるのか、考えただけでも億劫だ。

 だが対象から魔剣を奪うだけでは擬態前には戻らない。魔剣を奪還し、手っ取り早く擬態を解除させるには、擬態実行者の本名を暴き、周囲の人間に偽物であると認識させなければならない。その為に君が必要だった。最も効率的で効果的な手段だ」


 他の人間に魔剣が渡ってしまう前に取り戻す必要もある、と続けたルルキエルの言葉に――だがそんなことよりルキアが気にしたのは、別の事実だった。


「私が殺されて」


「そうだ」


「擬態されて」


「ああ」


「魔剣の力を利用して、私でない、私を殺した犯人が、『私』になった」


「理解が早くて助かる」


「貴方は、その現場を、見ていたの?」


「………………」


 ルルキエルの反応が止まる。


「私が殺されて、擬態されて、殺人者が私になるのを、黙って見過ごしたの?」


「……そうだ」


「っ!」


 瞬間、ルキアの感情が沸騰する。気がついた時には、ルルキエルの頬に拳を振りあげていた。


 だが男でさえ吹き飛ばすはずの拳撃は、彼を仰け反らせることさえなく、頬で受け止められていた。重く、分厚い鉄板を殴ったような感覚だった。


 殴ったはずのルキアの方が痛いのではないかと思わせるほど、仮面に遮られているせいで何も読み取れない。感情も。こちらが抱いた怒りや痛みが伝わっているのかどうかさえも。


 ギシリと、噛み締めた歯が軋む。血の味を口の中に感じたが、昂ぶる感情に委ねるままに、ルキアは怒声をあげた。


「ふざけるな!」


 もう一度振りかぶった拳は、しかしルルキエルの僅かな動きで封じられる。腕をねじ上げられ足を払われて、地面に押さえつけられた無様な姿で、それでもどうにかルルキエルを睨みつけた。


「ふざけてなどいない。俺は大真面目だが?」


「ふざけてる! ふざけてないんだったら、バカにしてる! 人を見殺しにしておいて! 魔剣が目の前にあったというのに見過ごしておいて! その被害者に魔剣回収の手伝いをさせる? しなければもう一度死んでいた状態に戻すっていうんでしょう? それのどこがふざけてないっていうの!」


「至極真っ当な取引だと思うが?」


 ルルキエルの回答に淀みはない。平坦で抑揚もない声色が、さらにルキアの感情を逆なでする。


「脅しておいて何を!」


 ルルキエルは明言していない。だが言われずとも、そこに含まれる意図は見え隠れしていた。


「殺された私を利用して魔剣を回収? 利用し終えたらまた私を殺すんでしょう!?」


「勘違いをしているようだから訂正するが、君を殺したのは俺じゃない」


「蘇生させて利用して、利用価値がなくなったら、魔剣の効果を止める!」


「死んだ状態に戻るだけだ」


「それを殺すって言うのよ!」


 暴れても、身体を押さえつけているルルキエルは微動だにしない。その悔しさが余計にルキアの中の苛立ちを煽って行く。


「見解の相違だな。死んだ者がこうして話が出来ていること自体が、本来あり得ないことだ。君の価値観がどうあれ、君は死体だ。物言わぬはずの死体が口にした言葉に、情報以外の価値はない」


「だから何なの!」


 そんなことはどうでもいい。何故なら――


「それでも私はここにいる! 私の意思はここにある! バカにしないで! そんな存在に手伝わせようとしたくせに!」


「ここで君に断られても、俺の方は何一つ損はしない。まぁ、確かに魔剣回収の手間は増えるし、君を修正した行為が無駄になるが、逆に言えばそれだけだ」


 そう続けるルルキエルの言葉には、やはり感情が何もこもっていなかった。


「君が生きていようが死んでいようがどうでもいい。俺には関係ない。魔剣の可能性ではなく、ただの殺人事件かも知れなかった。だから助けなかった。

 しかしやはり魔剣による魔法が発動し、擬態する様子も確認できた。確定だ。君を殺したあの女は、間違いなく魔剣を所持している。その回収と対処に、君を利用できるから修復した。

 それが感情的に気に食わないというのであれば断ってくれてもいい。だが――」


 ルルキエルの唇が歪む。


「君は俺の要求を飲む。強制でもなく、君自身の意思でな」


「そんなわけ――っ!」


「ないと言えるか? 少し冷静になって考えみるといい。想像しろよ。出来なくとも、知力を振り絞って考えろ」


 いいか? と、ルルキエルの顔に浮かぶのは勝者の笑みだ。自分の思惑に、ルキアが抗えないことを確信し、勝ち誇ったからこそ浮かんだ嘲笑だ。


 悔しさに胸が締め付けられる。


 だが――



「君は、君を殺した、どこの誰とも知らない殺人者が、君のふりをして、君として生活し、君に向けられるはずの愛情を受け取りながら、幸せになるのを見過ごせるか?」



「っっっ!!!」


「想像しろ。そして考えろ。今、君が俺に向けている怒りは、君を殺して擬態している殺人者への怒りと比べて、どの程度のものだ?」


 こんな奴の言うことを聞く必要などない。感情はそう訴えているのに、ルルキエルに触発されるようにして脳裏に浮かんだ光景に、ルキアの感情は一瞬で冷えた。


「ヒェヘヒェヘヒェヘ――ッッ! 想像出来ないなら、見に行ったらどうだい? その目で確かめて、現実を見るのも大事なことさね。ディットクレイはこの街から出てはいないようだ。なんだったら、遠隔地の様子を伺える能力を持つ魔剣を紹介しようか? 幸い、ルル坊やの管理下にあるよ?」


「黙っていろ。貴様に言われずとも、元からサフランの様子は見せに行くつもりだった」


 セプテバベルの陽気な声を、ルルキエルが苛立ちの声で黙らせる。


 だがその時には、ルキアの思考はもうここにはなかった。


 考えてもいなかった、考えたくなかった現実を突きつけられ、意識がそちらにもって行かれたその後は、どうやって地下から帰ったのかよく覚えていない。


 ルルキエルに連れられ、自分だとわからないよう変装させられ、訪れたサフランの向かいにあるバーで、愛着のある父の店を眺める。


 サフランと、そこで働く家族と、自分の姿をした偽物のことを観察する。家族や友人や、店に訪れるお客と笑顔で触れ合う、自分で無い、自分。ルキアが受け取るはずだった愛情を、友情を、厚意を、親愛を掠め取って楽しげに仕事をする偽物。


 これからはあの偽物がルキアとして生きて行く。ルキアの全てを奪い、ルキアとなった、ルキアを殺した誰かが、ルキアとして幸せになる。


 ああ……そんなこと、考えるまでもなく。


(許せるはずないっっ!)


 ルルキエルの言う通りになっていることは心底癪だったが、それでも彼の言う通り、彼への怒りとは比較するまでもないことだった。比較すらしようがない。


「さて、どうする?」


 ルルキエルが地下で見せたものと同じ類の笑みを浮かべた。


 こちらの感情も考えも、出した結論もわかっているかのような態度に、ルキアは憎悪の目を向けることしか出来なかった。いいように踊らされている。その自覚はあったが、それを押し退けてなお、あの偽物への怒りは収まりそうにない。


(どいつもこいつもふざけるな!)


 バカにしている。ルキア・ミルトスが、ただ泣き寝入りするだけの女だとでも思っているのか。怒りも憎しみも抱かない人形だとでも思っているのか。それこそ冗談だ。思い知らせてやらなければならない。あの偽物に。目の前の仮面の男に。


 だが、まずは――


「やるわ。あの偽物を、偽物と証明する。その手伝いに私が必要と言うなら、使ってくれて結構よ。ただし――」


「ん?」


 条件がある。


「あの、私ではない、私の姿をした誰かに、徹底的に絶望を与えてから擬態を解除させること。それが条件よ。呑めないなら、私を今すぐ殺しなさい」


 覚悟をもって告げたルキアの啖呵に、しかしルルキエルの示した反応は、彼女の予測しないものだった。


「あはははは! そうか。そうくるか。なるほど理解した。確かに君はシエラによく似ている。一見大人しそうだがその実、かなりの激情家なのかもな。了解したよ。いいだろう。俺も最初からそのつもりだった」


 何がそこまで琴線に触れたのか。弾けたように笑うルルキエルの表情は、見たこともないほど痛快に、愉快に、爽やかに笑っていた。そこに先程までの皮肉や冷徹な空気は一辺も感じられない。本当に、おかしくて笑っているらしい彼の態度に、ルキアの方が困惑する。


 そして。


「ようこそ『こちら側』へ。ルキア・ミルトス。歓迎するよ、新たな復讐者」


 差し出された手に、さらに戸惑いを覚えた。


「今、この時をもって、俺たちは同志だ。思う存分、恨みを晴らせ」


 それは契約の証。なんの束縛もないただの口約束。だがルキアにとっては、死神との契約に等しいものだった。どんな結果にせよ、『ルキア・ミルトス』に未来はないのだ。


 だからこそルキアは、


「吐き気がする。恨むわよ、貴方のことも」


 差し出されたルルキエルの手を、乱暴に払いのけた。


連続投稿はひとまず終了です。

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