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気づかれぬ歪①


      /1.0104   気づかれぬ歪


 食事を終えてサフランを後にしたルルキエルは、通りを挟んで真向かいにあるバーに足を向けた。


 まだ開店したばかりで閑散としている店内に目的の人物を見つけて、思わず苦笑する。彼女は何も注文せず、ただそこに座っているだけだった。ルルキエルと同じようにフードを深々とかぶり、酒を頼むこともなく、ただ虚空を見つめている。『あれ』に話しかけなければならない、というのは、少なからずストレスを感じさせる行為だ。


 それほどまでに暗く濁ったオーラを全身から放っている彼女に、バーのマスターもあまりいい顔をしていない。早く出て行って欲しいのだろうが、あいにくとそれは難しい話だった。


 仕事帰りの一杯を楽しみにする者たちが顔を見せるのはもう少し先の時間帯だろう。それまでは静かな空間だ。人に聞かれたくない話をするのには都合が良い。だからこそこの店を選んだのだから、話が終わるまでは出ていけない。


(けどその前に)


 いくら忙しくない時間とはいえ、何も注文しないのは体裁的にまずい。ルルキエルはカウンター向こうで眉を潜めていたマスターにホットワインを二つ頼み、代金に詫び代を上乗せして支払うと、呆けているかのようにただ一点をじっと見つめ続けている彼女の前にグラスを置いた。


「飲むといい。少しは落ち着く」


 彼女は動かない。視界にワインが写っているのかどうかも定かではなかった。焦点があっていないかもしれない。それだけ、彼女にとっては衝撃的なことだったのだろう。


「見ていたとおりだ。感想は?」


「…………」


「ふむ。衝撃的だったかな。心中は察するが、そろそろ気持ちを『こちら側』に戻してくれると助かるんだが?」


「…………あれは……誰?」


 時を開けること数分。もしかしたら十分以上は立っていたかもしれない。ホットワインの湯気に引き寄せられるようにカップを手に取り、ゆっくりと啜る。コクリと小さくなった音に合わせてポツリと呟いた彼女の問いかけは、もう答えがわかっているかのような響きを含んでいた。それでいてその答えを否定して欲しい感情を視線に乗せて、彼女の双眸に久方ぶりの光が戻る。ルルキエルは感づかれないように胸中で苦笑した。ようやく正気に戻ったか。


「答えるまでもない。見たままだ」


「答えて」


 彼女の声に怒張が篭る。だがルルキエルにしてみれば、毛ほども痛みを感じない怒声だった。


「お望みとあれば、現実をつきつけようか? 残酷な現実だが」


「いいから!」


「だから見たままだよ。向かいの喫茶店『サフラン』でウェイトレスをしていたのは、ルキア・ミルトス。君だ」


「私はここにいるわ!」


 フードを取ろうと、しかしその手をルルキエルに力づくで止められて、彼女はハッと小さく息を飲んだ。いくらか冷静になったらしい頭で、小声で言い直す。


「……私は、ここにいるわ」


 そう――ルルキエルの前にいるフードを被った彼女もまた、確かにルキア・ミルトスだった。亜麻色のロングヘアも整った顔もフードの下に隠れているが、見間違うはずもない。つい先ほど会ったばかりなのだから。


 瓜二つ、ではない。言葉だけで端的に表現するなら彼女たちは『同じ』だった。似ている、のではなく、同じ、である。


 多少の違いはある。こちらの彼女は、今も店で楽しげに笑みを浮かべるサフランの彼女と違いあまり顔色が良くない。


 化粧気がないせいもあるだろうが、病人のような暗い目つきをしている様は、あまりに対照的で滑稽だった。それだけこちらの彼女は精神的に追い詰められているのだろう。だがその割りに、思いの外冷静さを保っているというのがルルキエルの感想だった。


「そうだな。ルキア。君は確かにここにいる。ならばあの店で、楽しそうに仕事をしているのは誰だ?」


「私じゃない、誰か」


「そう考えるのが自然だ。君が本物であるなら、あれは偽物だ」


 もっとも、向こうが本物であるならこちらが偽物ということになる。もしくはどちらも偽物か。


「でも――」


「何故、君の家族は気づかないのか? その疑問にはすでに答えているだろう? 『アレ』はそういう代物だからだ。『アレ』が君の家族にとって、本物なのさ」


「でも私はここにいるのに……」


「無意味で無駄な主張だな。例え君が『アレ』を偽物と呼んでも、周囲がそう認めなければ『偽物』にはならない。では君は? そう。君が偽物だ」


「違っ――」


「違わない」


 叫びかけたルキアを黙らせるように、ルルキエルは冷えた声を被せた。


「君が君であることの根拠はなんだ? ルキア・ミルトスとして生きてきた記憶か? 家族・友人達と培ってきた絆か? 知識? 技術? 容姿? だが残念だ。その程度なら『アレ』も持っている。証拠を示せないのであれば、君はルキア・ミルトスではない。別の誰かだ」


「私はっ――」


「だが、君が本物であることを証明出来なくとも、『アレ』を偽物であると証明することはできる」


 ルルキエルの言葉に、ルキアが言葉を飲み込む。ようやく、何故自分がここにいるのか――顔を隠し見られないようにして、こんなところでこっそりとサフランを伺っていたのは何故か、その目的を、彼女は思い出したようだった。


「思い出してくれ。そして自覚してくれ。君はすでに死んでいる。その君を、俺が蘇生・・した理由は? すでに語ったはずだろう。思い出せ。ルキア・ミルトス。君が君であることを証明する為ではない。わざわざ警察の目を欺き、死体を回収し、手間をかけて修復したのは、そんな無駄なことの為ではない」


 そうだ。ルルキエル・シュヴァリアーがルキアを伴ってサフランへ足を運んだ理由はただひとつ。


「『アレ』が偽物であると証明して、『アレ』が持つ『魔剣』を取り返す為」


「正解だ」


 ルキアが口にした目的こそが、ルルキエルにとっての本流だ。それ以外は蛇足でしかない。目の前のルキアが偽物であるかどうかなど、どうでもいい話だ。


「ああ、思い出したわ。ええ。思い出した。目の前のことがショックで忘れていたけれど、忘れていたかったけれど。ルルキエル・シュヴァリアー。貴方は失われた『魔剣』を取り返す為、私を利用したいのだったわね。だから私を――『アレ』に殺されたはずの私を生き返らせた」


 ルキアの問いかけに答える代わりに、ルルキエルは薄く唇を歪めた。笑ったのは、自身の目的を思い出してくれたからではない。諦念にも似た笑みを浮かべているルキアを見て、その姿に憐れみを感じたからだった。


 人の絶望する様に喜びを感じる。


(末期だな。俺も)


 そんな自身のあり様に失笑を禁じ得ないが、今この時に関しては、問題にすべきことではない。さて。


「思い出したら、復唱してみようか。君は。君の命は――」


 あの日――ルキア・ミルトスが殺された夜から三日後の昼下り。ルキアを修復した後の事。ルキアが目覚めたのは、修復に失敗したかもしれないとルルキエルが不安にかられかけた、そんな時だった。


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