ゼス・ミルトス
/1.0103 ゼス・ミルトス
ギルド制度。
職業別共同事業体とも呼べる組合制度が立案されたのは、およそ千年前、歴史上初めて世界統一を成し遂げたイクスアーク建国にまで遡る。
当時、多種多様な職業が個人レベルで独自運営され、技術や情報も個人、または極めて小さな集落単位で停滞していた状況を見直し、組合を設けることで各種情報の伝達、流通経路の確保、同職間における繋がりと技術の伝搬・伝承を可能にした互助組織が政府によって設立された。
それがギルドの前身である。
当時はただの互助組織に過ぎなかったギルドは、千年が過ぎた現在において、大きく分けて三つの役割を持つまでに至った。
一つは、過去に習って互助組織としての役割。
一つは、伝統技術の伝搬や保護、廃れた技術の保管、より効果的で効率的で効能的な新技術の発明・発見といった研究機関としての役割。
最後に、それら情報・知識を学習し、教授する学術機関としての役割。
そうしてギルドは単なるコミュニティにとどまらない機能体集団としての立場を不動なものとして世界に根付いている。
ゼス・ミルトスの記憶が正しければ、シュヴァリアーという名は工業ギルドにおける守護聖人に与えられる称号であるはずだった。
「ギルドマスター? え? でもまだ若い人? だったよ? 多分……」
何故疑問系なのかはわからないが、ルシオラの驚きもむべなるかな――
守護聖人とはギルド代表格のことをさす。
通称、ギルドマスターと呼称される彼らはギルドにおける最上級職であり――それはつまり、数百に及ぶ業種とそこに従事する数万もの職員、研究員、学生たちをまとめる立場にあるということだ。
定期的に業種が見直され、統一、または細分化が繰り返されてはいるものの、現在におけるギルドマスターは十三人。
就任は世襲制ではなく、完全実力主義に裏付けられているが故の発言力の高さは、国政にすら影響を及ぼすとされる、世界でたった十三人しかなれない精鋭たちである。
「中でもルルキエル、っていえば、半年ほど前に歴代最年少で守護聖人に任命された男だったはずだ。新聞で読んだ記憶があるし、業界じゃかなり騒がれてた。年齢はお前やルキアと大して変わらないはずだぞ」
「す、すごい人なんだね。でも知り合いなんでしょ?」
「いや、知らん」
「え?」
娘の問いかけに、調理中の手を止めずにゼスは首を横に降った。ルシオラがキョトンとした顔になるのを横目で見ながら苦笑を返す。
「でもあの人、お父さんやお母さんのこと知っている風だったよ?」
「シュヴァリアーっていうのは、工業ギルドのギルマスに与えられた称号のようなものだから、実際の家名ってわけじゃない。ルルキエルっていうのも、どこまで本当かわからんな。少なくとも、先代シュヴァリアーの弟子にルルキエルっていう名の人間がいたっていう話は聞いたことがない」
仕事で工業ギルドに世話になったことがあるため、ゼスはその代表者であるシュヴァリアーとも面識があった。ただし先代の、である。加えて言えば、ただの知り合い以上の付き合いがあったのだが、これは個人的な話であるし、娘たちには関係ないことだ。
十年間連絡の取れなかった知り合いで、かつ、自身以外の家族とも面識のあるルルキエルという名の少年。
少なくともぱっと思い出せるほど強い記憶にはない。
「……偽名?」
「十中八九な」
「じゃ、偽物?」
「阿呆。ギルドマスターの偽証は国家反逆罪どころじゃすまない重罪だ。この世界でシュヴァリアーを名乗れる者は一人しかいないんだから、それを騙る馬鹿はいないだろう」
とどのつまり、本物である可能性が高い。
マスメディアが伝えた情報が真実なら、彼はまだ二十代前半だろう――であれば、むしろ娘たちの方が親しかった可能性もある。
十年前というくらいだから、当時の彼も子供だったはずだ。が、
(……駄目だ。やっぱり思い出せん)
結論は本人を見た方が早いということなのかもしれない。
「んで、どんな感じの奴だった?」
「……………」
しかし返ってきたのはルシオラの沈黙だった。不意に会話が途切れたことに訝しげに娘を見やると、彼女はどうも言葉に悩んでいるらしい。
どう言えば正しく伝わるのか、悩んで、しかし結局答えが出た風でもない曖昧な笑みを浮かべながら、ルシオラは自信なさげにつぶやいた。
「……仮面をつけた白頭巾さん?」
「なんじゃそら」
鼻で笑うと、本気に受け取らなかったことが心外だと言わんばかりにルシオラの機嫌が目に見えて悪化した。
「悪かったね。語彙が少なくて! でも、見た目そのままだよ。そうとしか言えないんだもん……」
「知り合いにそんな怪しい奴はいねぇよ。担がれたんじゃねぇか?」
いくら喫茶店で多様な人間が集まる場であるとは言え、そんな格好をする人間がいたら、それは不審者を通り越して変人の域だ。いや、確かにこの店には変態も集まることでも有名ではあるが。
「でもホワイトシチューのこと知ってたよ?」
「ナンパの口実だろ? 誰か昔の常連から聞いたかしたんじゃねーのか?」
「そうかなー?」
ルシオラは納得がいっていないらしい。
今は客層が落ち着いてきているためさほど忙しいわけではない。だがそういう時間帯になると、必ず一日に一人は娘たちを口説きにかかる男が湧いて出る。
「気をつけろよ。お前ら目当ての客なんざ腐る程いるんだから」
「そんな感じじゃなかったけどな~」
それでもまだ首を傾げるルシオラにできた料理を手渡して、ゼスは手を拭いて厨房をあとにした。呼ばれた以上は顔を出さないといけない。例えナンパ男であったとしてもだ。
フロアに出る一歩前で、店内を一瞥する。カウンターに座る男がそうなのだろう。すぐにわかった。
白いフード付きのパーカーを深々とかぶり、目と鼻を隠すように金属の仮面で覆っている。以前、劇場で見たことのある仮面舞踏会で用いられるような布製で装飾のついた覆面――ではなく、騎士が装備する鎧兜のバイザーに近い無骨な黒い仮面である。
一言でいえば、
「仮面をつけた白頭巾だな」
「でしょ?」
思わず娘の言を肯定すると、何故か胸を張ってルシオラが自慢げに笑んだ。
「知り合い?」
「いや、やっぱり知らん」
ならばやはりナンパ野郎か、とはしかし、親としての心情を含んで見てもそうは思えなかった。仮面に隠されて見えないが、彼の視線はすぐそばにいるルキアを見ていないように感じたからだ。なぜそう思ったのかは、ゼス自身、よくわからなかった。
ルルキエルのすぐそばに、見知った男が倒れているのが見えた。ゴットン・オルゴーン。娘に懸想している男の一人である。
そしてすぐ傍には、ルキアが凹んだトレイを抱えて有無を言わせぬ笑顔を見せていた。
なるほど。またあのスキンヘッド野郎は娘のことで熱が入るあまりに暴走し、ルキアの制裁を食らったらしかった。穏やかで淑女のようなイメージがあるが、怒らせたら怖いのは亡くなった妻によく似ている。攻撃する時に躊躇しない思い切りの良さや、手加減なく容赦無く、問答無用で相手を叩きのめすやり方もシエラから教わったものだ。
「ま、念のため釘刺しておくか」
「釘?」
背後のルシオラの疑問はスルーして、ゼスはルルキエルに近づいた。店内が静かになったようだが、その点はいつものことなので気にしないでおく。
「お前さんか? 俺を呼んだ新顔は」
ルルキエルが席を立つ。背丈は標準。百七十程度と言ったところか。肉付きは細く、自分やゴットンのような大男からすれば子どものように華奢に映る。
パーカーといいズボンといい、少し大きめのものを着用しているせいか、実際の体格がわかりにくい。仮面をつけているため表情がわからず、感情も読みにくい。だがそれを差し引いてもなお弱そうだというのがゼスの感想だった。
(――つっても、それだけで判断する気はねぇけど)
ギルドマスターは戦闘技量の高さで就く仕事ではない。そしてまた、見た目程度で計り知れるほど軽い職でもない。それは先代であるオルトロス・シュヴァリアーという存在で嫌という程思い知っている。
だからこそ、余計に釘は刺しておくべきだと強く思った。
「俺がサフラン店長、兼、料理長のゼス・ミルトスだ」
「ルルキエル・シュヴァリアーです」
「話は聞いている。俺が会員ナンバー001にして、会長を務めている娘ファンクラブに入りたいんだな?」
「………………は?」
予測通り、ルルキエルの反応が止まる。甘い。戦場では致命的な隙である。そんな男に娘たちをやるわけにはいかない。男は俺のように強くなければ認めないのだ。
「入団は認めよう。だがまず真っ先に言っておく! 娘たちの処女はお前には――」
「チェストーっ!」
「ぐはぁっ!」
唐突に、ゼスの後頭部と背中に凄まじい衝撃が走った。痛みなど感じる間もなく、それ以上の言葉を発する余力すら残さず、ゼスの意識は刈り取られ――
だが倒れゆく間、ゼスはどうにかして娘に向かってにかっと歯を見せて笑いかけた。これならたとえ自分に何があったとしても安心だ。ルシオラもまた、立派にシエラの強さを受け継いでいる。
(ナイス……パンチ……だ)
そうして意識を失った彼の傍で。
「親バカなところは相変わらずか――」
ルルキエルと名乗った男の呟きは、しかし満足気な笑みと共に昏倒したゼスに届くことはなかった。