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シルメリアの真意


 /1.0305   シルメリアの真意


 アベンダ・テレスタに擬態されたルキアの遺体を、ルキア本来の姿に戻すことはさほど難しくない。


 それはかつてルルキエルが行ったような、三つの魔剣の能力を組み合わせる複雑な方法を取る必要はなかった。ただ単純に、魔剣の効果を無効化させればいい。無効にするにあたって最も簡単なのは、ディットクレイを使うことだ。擬態させた魔剣で擬態の効果を解く。それ自体に特別な処置は何もいらない。


 見た目は一般家庭によく見る料理包丁程度の大きさしかないナイフ型で、刃の部位に黒い波紋が浮かぶ以外は、さほど特徴という特徴のない魔剣。それがディットクレイである。希少な黒曜石を使って作られたらしい魔剣の刃紋は美術品としての価値も高い。擬態する目的の為に人を殺さねばならない血塗られた凶器の側面もあって、一部のコレクターには熱狂的なファンがいる、珍しい部類の魔剣だ。事実、何代か前のギルドマスターがディットクレイを見つけたのは、表に出せない曰く付きの物品ばかりを扱う闇市場でのオークションだという。


「それは?」


「ディットクレイだ」


「………何でルルがそれを持っているの?」


「カトローナがルキアの部屋に隠し持っていたんだろ? シルメリアとゼスが悶着している間に取り返しておいた」


「それはいわゆる火事場泥棒じゃ……?」


「元はシュヴァリアーのものなんだから、返してもらって何が悪い」


 全く悪びれもせずに宣ったルルキエルに、ララカットも返す言葉もなく絶句するほかない。


 呆れた目線のララカットを無視して、ルルキエルはディットクレイを起動させる。彼が行ったのはそれだけだった。淡く輝く光の繭が遺体を包み込む。それはルキアに擬態していたカトローナが、擬態を解かれた時の様子と同じものだ。


 やがて光が薄まり、魔力の糸がほどけた後に現れたのは、死ぬ直前のルキア・ミルトス当人である。カトローナに幾度となく刺し殺された無惨な姿だが、それでも本来の姿であることは間違いない。


「…………本当に、ルキアは死んだのか?」


「死んでいた、が正しいな。もう一週間近く前に」


「……信じられん」


 力なく発したゼスの言葉は、そのままそっくりルシオラの感情でもある様だった。呆然と姉の顔を見つめている彼女は、現実を受けいられているのだろうか。ここからでは表情は見えないが、肩を震わせ、何かを必死に我慢している様だった。


 だが――


「悲しみに暮れているところ悪いが、まだすることがあってね。先に謝っておかなければならない、ゼス・ミルトス。すまんな」


「何?」


「No.108『ソムヌス』起動」


 突然の謝罪に不意をつかれ、涙をふくことなく振り向いたゼスの眼前に、懐中時計型の魔剣を突きつける。催眠効果を付与する能力を持つ、二代目シュヴァリアー作の魔剣『ソムヌス』。一度眠らせれば、外部から魔力干渉がない限り死ぬまで起きない危険な魔法具である。


「な………」


 即時即効で発揮した魔力のうねりが眠りを誘い、ゼスの意識を瞬間で刈り取った。


 ゼスには眠ってもらわなければならない。これからすることに抵抗されでもしたらそれこそ面倒だからだ。


「さて、あまり長引かせても億劫だ。No.653『ブレイキア』」


 父親の巨体が力なく崩れ落ちるその様子を、驚きの目で見つめるルシオラの心臓に、次いで取り出した直刀を流れるような所作で突き立てて、ルルキエルは言った。


「決着をつけよう。シルメリア」


 ルルキエルの唐突な行動に、ルシオラもララカットも動けないでいた。なにより心臓を貫かれたルシオラは、何が起こったのか理解していない顔で、しばし呆然とルルキエルを見やる。


 見開かれた双眼が自分の胸部に刺さる剣を見て、ルルキエルを見て、もう一度剣を見る。遅れて自覚した命の危機にようやく身体の理解が追いついて、その綺麗な唇から血を吐き出した。


 血を滴らせた口が「何故」という言葉を紡ぐよりも前に、ルルキエルはブレイキアをさらに押し込んだ。その勢いに圧されて、さらに吐血するルシオラに、あえて笑みを投げかける。


「気分はどうだ?」


「さい、あくだ……」


 どうにかそれだけを口した、その女はルシオラではなかった。


「………何故、だと、わかった?」


 ルシオラの顔で、ルシオラに憑依したシルメリアが毒付く。


「最初に言っただろう?」


 何を言われたか、彼女は覚えているだろうか。


「ルキアとルシオラを殺せば、お前の計画に支障をきたすことが出来る」


 一瞬、シルメリアは何を言われているのかわからない顔をした。


「……正気か?」


「正気だとも。それともお前は、非人道的行為が自分の専売特許だとでも思ったか?」


「…………」


 シルメリアは答えない。その反応を待つよりも先に、ルルキエルはブレイキアを引き抜いた。血が吹き出し、致命傷を与えられたシルメリアの身体が力を失って傾く。


「お前がルシオラにも憑依していたと考えた理由は、他にもいろいろあるんだが。語って聞かせる気はない。さっさといなくなれ」


「くそが…………」


 痛みは伝わっていても、ルシオラを殺したところでシルメリア本人が死ぬわけではない。本体は別の場所にいて、ルルキエル達の行動を高みの見物と決め込んでいるのだろうが――


「あまり俺を甘く見るな。不愉快だ。人体を解体しなければ魔剣開発もままならない三流のシュヴァリアー。お前ごときが俺と同列にいるとでも思ったか?」


「くそがぁぁぁぁぁぁっ!」


「煩い」


 ただ一言。罵声を叫ぶシルメリアの頸動脈を魔剣で切り捨てて、今度こそ決定的な致命傷にシルメリアの――ルシオラの命が終わりを告げる。


 抵抗もなく姉の遺体の上に崩れ落ちた妹の脈を測り、死亡を確認して、これで一段落ついたと、ようやくルルキエルは軽く息を吐いた。と、


「………………ル、ルル?」


 ようやく思考を再起動させたらしいララカットの声は、思った以上に戸惑ったものだった。


「ん? どうかしたか?」


「えっと……お姉ちゃん、ちょっと理解が追いついてないんだけど……」


 困った時に自分のことを姉呼ばわりするのはララカットのくせだ。言葉を紡ごうとして、しかし何も出てこない様子の彼女は、まだかなり混乱しているらしい。


「……ふむ。誤解のないように言っておくが、さっきのはもちろん冗談だぞ?」


 というのは、シルメリアの計画云々の下りである。


「え? でも……」


「まぁ、聞け。ルシオラに憑依していたのは確実だったわけだから。奴を追い出す最も効果的な方法を取っただけだ」


 そう言いはしたものの、ルルキエルとしては本気も多分に含んだ行動だった。事実として、ルキアとルシオラのミルトス姉妹という人造魔道素体を殺してしまえば、それを欲するシルメリアに対して精神的打撃を与えることが出来るからだ。


 魔道素体とは、言わば魔剣製作のための材料のことである。それも鉱石などの天然素材ではない。工業ギルドの千年近い歴史と、歴代シュヴァリアー達が築き上げてきた技術の粋を集めて作られた人工物だ。魔剣に異様なまでに固執している女が、その研究に必要な二人を簡単に諦めるはずがない。


「奴にとっては五年遅れの計画だから尚更だろう」


「五年遅れ?」


「五年前に処刑されていなければ、ルキア達は二人とも、シルメリアの魔剣開発の被害者になっていただろうよ。その凶行が露見した最大の理由はシエラの裏切りだが、おそらくそうなった起点は、奴の魔の手が娘に及ぶのを防ごうとしたからじゃないか?」


 それは憶測ではあったが、半ば確信もしていた。


「シルメリアからしてみれば、裏切られ、殺された上に、本来自分のものになるはずだった宝まで取り逃がした。何とか魔剣の力を使って生き延びられはしたものの、このままで済ますほど殊勝な性格をしちゃいない」


 例えばルルキエルがシルメリアの立場だとしても、その心情は予想に難くない。


「魔剣開発の再開。自分を殺した連中への復讐。そして姉妹は是が非でも手に入れたい。けれど、そこには障害があった。俺と、先代シュヴァリアーであるオルトロスだ」


「先代も?」


「昨夜も言ったが、俺たちはシルメリアの死を信じていなかった。確証はなかったので公言は出来なかったが、ミルトス姉妹のどちらかに擬態、または憑依しているかもしれないと考えていた。そうでなくとも、奴が生きていれば必ず接触するはずだと踏んでいた。だからミルトス家には定期的な監視を五年間ずっと続けていた」


 結果的に、それが姉妹に対してシルメリアが手を出せなかった理由になった。ルルキエル自身は、特に双子を守っていたという自覚はこれっぽっちもないのだが。


 潜伏していた五年間も、シルメリアはおそらく魔剣を追い求めていたはずだ。ツァラトゥストラはその成果だろう。そしてカトローナ・ヘトヴィクをアベンダ・テレスタに擬態させた上で、ギルドに潜入させた。情報の流出と資材の横流しをする為に。


 潜入先が、シュヴァリアーの執務室のある工業ギルド本部テスフロスではなく、第三支部ダイタロスであったのは、それだけシュヴァリアーの目を危険視していたからか。


 そしてその子飼いだったはずのカトローナもまた、一週間前に裏切った。


「そう、思っていた」


「え?」


 昨夜の時点では、ルルキエルの予想は違った。カトローナがルキアを殺し、殺したルキアをアベンダの姿に変えたのは、シルメリアの子飼いとして、スパイ行為を続ける日々から逃れる為だと。


「違うの?」


「違ったみたいだな。考えの抜けていた俺のミスだが。考えてみれば、最初の一手から納得のいかない部分があった。何故、カトローナはルキアを殺せたのか」


 ルキアに最初から憑依していたなら、彼女達姉妹はとうの昔にシルメリアの手に落ちていただろう。だから憑依出来たのはつい最近である。


 それは一体、いつなのか。少なくともカトローナに殺される前ではない。


「そうなの?」


「ああ。そうであれば、殺されたルキアを回収して蘇生させた時に俺が気付いている」


 ルルキエルがルキアの遺体を調べても、魔剣の効果はディットクレイによる擬態だけで、ニグロスによる憑依の痕跡はなかった。


「ニグロスによる憑依は、ディットクレイと違って相手を殺す必要はない。憑依はその人物の身体の破片を必要とするが、逆に言えばそれだけだ」


「破片?」


「身体の一部を媒体にして本体に侵入する。対象が大きければ大きいほど、憑依による侵食率と支配率は増す。一瞬だけ憑依するなら髪の毛でもいい」


「髪の毛だけならともかく……」


「ああ。常時憑依していられるような、身体の一部を手に入れるのは流石に厳しい。だから強硬策に出たんだろう」


 このまま時間をかけてチャンスを待つよりも、自分で作る方に賭けた。


「強硬策って」


「つい最近、ルキアの身体の一部を手に入れる機会があったじゃないか」


 ララカットの反応は早かった。


「……カトローナ?」


「そうだ。彼女がルキアを殺した、あの夜だ。ルキアの身体の一部を手に入れられたのはその時しかない」


 カトローナが手に入れて、それがシルメリアの手に渡った。


「でも、それじゃ、彼女の犯行もシルメリアの計画の内だって言うの?」


「擬態を解かれた時の様子を見る限りだと、カトローナ自身はそうとは気づいていなかっただろうな。けれどシルメリアの目的は、最初からルキアではなくルシオラだった」


 だから、ルキアが死んでも問題なかった。


「奴とて馬鹿じゃない。俺たちシュヴァリアーが監視している状況下で、姉妹二人ともと考えるような楽観はしないだろう。だからルキアを捨てて、ルシオラを選んだんじゃないか? というのが俺の予想だ。ルシオラさえ手に入ればいい。カトローナの感情を上手く操って、彼女の凶行を後押しした。最も、俺がルキアを蘇生させたことは計算外だっただろうが」


 最終的にはそれも利用してルシオラに近づいた。


「ねぇ、待って。ルキアちゃんを殺しちゃったら、憑依出来ないでしょ?」


「カトローナがルキアになっているだろう?」


「え? …………あ」


「そうだ。擬態とはいえ、カトローナはルキアなんだ。その身体の一部が、本物から得た物であるかどうかは関係ない。カトローナに殺させ取得したルキアの身体の一部を使って、カトローナが擬態したルキアに憑依する。ルキアを使ってルシオラを手に入れる。これが当初の計画だったはずだ」


「でも」


 ララカットの言いたいことはわかっていた。偽物であってもニグロスが起動するなら、カトローナが擬態したルキアの方を手に入れればよかったのではと。


「偽物はどこまでも偽物だ。魔道素体として造られたルキア本人ではない、仮初めだ。ディットクレイの効果を無効化された時点で何の意味もなくなってしまう。憑依するだけならともかく、素材として魔剣に使うなんてことは出来ない」


 そしてルキアに憑依したシルメリアは、計画通りにルシオラに近づいた。


「そのまま擬態したカトローナに憑依してもよかったんだろうが。俺がルキア当人を蘇生させたことで計画を変えた。奴にとっては幸いなことに、手元にはツァラトゥストラがある。魔獣に変異させる魔剣だ。俺たちに存在がばれた以上は派手に事を荒立てたほうが安全は図りやすい。使うべきだ。ではそれを誰に使うか。カトローナ? 確かにそれが最も損失は少ない。ああ、シルメリアにとっての、だぞ?」


 不穏当な発言に厳しい目線で睨みつけてきたララカットに、ルルキエルは多少の補足を加えながら続ける。


「しかし、それでは俺たちの監視体制は弱まらない。ルシオラを安全確実に手に入れる。かつ、そこへ俺たちへの意趣返しも含める。そのためにはどうするか。ルキアを捨て駒にして、ルシオラに憑依先を変える」


 五年前、実妹の裏切りによりシルメリアはシュヴァリアーの座を追われた。討伐される


過程で二人の冒険者を返り討ちにし、別の一人に憑依した。そして自分の身体を、憑依した別の人間になって殺すことで、他の討伐メンバーの目を欺いた。


 それと同じことを、今回もやろうとしたのだろう。


 ルキアに憑依してみせたのは、ルルキエルとララカット、そしてゼスの目をルキアへ向けさせるためだ。姉妹を諦めたように見せかけて、実はルシオラに憑依する。ルルキエル達の監視の目が弱まれば、ルシオラの身体をシルメリアの物とするのは容易だろう。それはそっくり五年前の意趣返しでもあった。


 五年前と同じ手に引っ掛けた上で嘲笑う。そう考えていたかどうか、今となっては憶測でしか言えないが、その心情を先読みしたルルキエルに取ってみれば面白い物ではない。


「シルメリアの性格なら、ありそうだけど」


「まぁ今となっては本人にも聞けないから、どこまでも予想でしかないがな。何にしても、これで奴の計画は潰せた。後は本人だけだ」


「逃がしちゃったわね」


「ああ。おそらく本人には逃げられたが、最低でも、ニグロスは回収しておかないとな」


「え?」


「後は『彼女』に任せる。さ、俺たちは事後処理に移ろう。ララァは悪いが、ミルトス家の面子を俺の研究室まで運んでくれ」


「ゼスは?」


 起こさないのかという問いに、ルルキエルは苦笑混じりで答えた。


「ルキアとルシオラを蘇生させてからでいい」


 その途端、どっと疲れた様にララカットが肩を落とす。


「あー、妙に落ち着いてるからもしかしてとは思ってたけど、やっぱり出来るんだ」


「普通、生き返らせられないのに、殺したりはしないだろう?」


「…………一応、突っ込んでおくけど、それ、普通は出来ないんだよ?」


 呆れたララカットの口調には力がなかった。


「シュヴァリアーを普通のカテゴリーに含めるなよ。歴代の何人が出来たかは知らんが、少なくとも俺は出来る。ああ、心配はいらないぞ? 蘇生の際に、二人の体組織構成に細工して、対魔剣抵抗と魔法抵抗を数倍にはねあげておく。後は地道に戦闘訓練で防衛手段を身につけてもらうが、これを仕込むのはゼスの仕事だな。それでシルメリアが手出しするのも相当厳しくなるはずだ」


「そんな心配はしてないわよ。いや、それならそれで結構なことなんだけど……」


「人体組成をいじるのは久しぶりだ。腕が鳴る。腹も減ったことだし、帰って飯食いながら二人を改造するか」


 ちょっとしたついでのように宣うルルキエルに、


「なんだろう。この釈然としない気持ちは……」


 もはやため息しか出てこない。


「右向いても左向いてもマッドしかいないって状況は、ちょっと同情するわ。流石に」


 しかし、どちらか選べと言われたなら、ララカットであってもルルキエルを選択することは間違いない。それはシュヴァリアーとしての優劣ではなく、近しい者としての贔屓ではあるのだが、それでも任せていいかなと思える程度には、ルルキエルという人間は信用が置けるのである。口で言うほど非人道的な人間ではないことは、長い付き合いでわかってはいるのだ。いるのだが。


「もうちょっと思いやりのある子に育って欲しかったよ、お姉ちゃんとしては」


 ま、いいか。もう自分に出来ることはなさそうだし。


 そう考えて、しかしララカットは先のルルキエルに気になる発言があったことをお思い出した。


「彼女?」


 一体誰のことだろうか。



   ***



 意識が深層からゆっくりと登ってくる感覚に身を委ねて、やがて覚醒した彼女は流れに逆らうことなく目を開けた。視界に入ってくる天井。見知った部屋。乾燥しないように火にかけたやかんから湯気がカタカタと吹き出ている。それはいつもシルメリアが活動拠点としていた部屋だ。


 帰ってきた。その安堵を塗りつぶすように、視界を染めたのはルルキエル・シュヴァリアーの嘲笑だった。


「あのくそ野郎」


 いくら罵声を吐き出しても収まらない怒りが湧き上がってくる。その怒りのままに身体を起こそうとして――その感情も自分の置かれた現状の不可解さに吹き飛んだ。


「あ? なんだこりゃ」


 頭が動かない。手も、足も、身体も自由にならなかった。


 唯一自由になる目で、どうにか自分の身体を見下ろす。何もない。特に拘束されているわけではなく、変わった様子は見られない。だが一ミリたりとも身体が自由にならない、この状況はなんだ?


「あ、起きましたか」


 果たしてその少年はいつからそこにいたのか。気づかなかったのは、それだけ不測の事態に動転したからだと思いたかった。


「お前は……」


「どうも、こんにちわ。はじめましてなんですが。自己紹介は不要ですよね?」


 確かアルトとかいうルルキエルの弟子である。年端もいかない少年が次代候補生というのはシルメリアとて素直に驚きはするが、今知りたいのは少年の素性ではなかった。


「な、何で、お前がここにいる?」


「もちろん、お師匠様の指示です」


「ルルキエルの?」


「はい。お師匠様が貴女様の潜伏先を見つけたのです。ルキア様、ルシオラ様に憑依している間に先回りさせていただきました」


 魔剣ニグロスによる憑依の間、その魔剣を使用した本体は活動を停止し、仮死状態につかなくてはならない。精神を飛ばして乗り移るのだから、当然といえる。


「身体が動かないでしょう? とある魔剣を使用して強制的に麻酔効果を付与しました。視力、聴力以外の五感をカットさせていただいてます。あ、でも痛覚は残しておきましたので」


「ど、どうやってここが……」


「いえ。それは別に、普通に魔剣の反応を探しただけですが」


「探せるわけないだろう! この街がどれだけ複雑だと思ってやがる!」


 イクスアーク王国・王都デュランダルは、魔法具による設備が世界一充実した都市である。加えて魔法による侵略を想定した防御機構も完備している。


 王都中に魔力が濃密に溢れているため、魔力探査をしようにも多くの魔法具が魔力を放っていて、とてもじゃないがその中から魔剣一本を探り当てることは出来ない。水の中に溶け込んでしまった砂糖を探せと言うような物である。


「お気持ちはわかります。普通はそうでしょう。だから貴女様も堂々と王都に拠点を構えた。見つけられるはずがないと鷹をくくったのでしょうが。生憎、自分のお師匠様はそういう方面でも規格外の方です。伊達や酔狂で仮面をかぶっているわけではないですよ?」


「は?」


 あっけらかんと話す少年の口調に、自慢するような色はない。それはただの事実であって、誇るようなことではないからだと言わんばかりの風体だった。


「あ、ニグロスの回収は必須とのことでしたので、この魔剣は返していただきますね」


 部屋に設置し、ルキアとルシオラに憑依するために起動させていた魔剣ニグロス。それも憑依を辞めたことで魔力は既に発していない。もとより戦闘用でない、かの魔剣の魔力波動などは、たとえ起動していても微々たる物だ。街に設置された魔力灯と同程度、下手したらそれよりも小さな出力しか発しないはずである。


 数百万の人間が住む王都の、煩雑する魔力の流れから、微力に発するニグロスの位置を特定することがどれだけ難しいか。それを事もなげに見つけるということは、なるほど、確かに自分はルルキエルという後輩の器を図りそこねていたらしい。


「流石にこれだけ早く見つけられたのは、それ以外の要因もあったからですが」


「なんだと?」


 何か俺の行動にミスがあったか。という問いかけに答えるアルトの口調は眈々とした物だった。


「カトローナ様にルキア様を殺させてルキア様の身体の一部を手に入れる。では、彼女の犯行のきっかけは何だったのか」


 彼氏に振られたから。カトローナはルキアを殺す際、確かにそう言っていた。


「まさか彼氏と思っていた人物の、その中身が貴女様だとは、カトローナ様も思ってはいなかったでしょうね」


 ビルデス・バークマン。四年前、シルメリアの憑依の対象となった男。町工場のしがない職人でしかない男を選んだのは、まさにカトローナをうまく籠絡するためだったのだが。


「くそがっ!」


 それが愚策であったとは思っていないが、現状を招いたのが自分であるだけに、ルルキエルという男を甘く見た過去を呪いたい気分だった。


「俺をどうするつもりだ」


「僕からは何も。どうせ、そのお身体も借り物でしょう?」


「…………チッ!」


 ニグロスによる憑依は、一度侵食出来れば対象が生きている限り何度でも可能だった。そこにニグロス本体は必要ない。必要なのは新たな対象に憑依する時と、憑依を辞める時だけだ。だから、今こうして拘束されている身体がどうなろうと、シルメリア本人にとっては微塵も痛手では無い。


 とはいえ、黙っていても見透かされているという感覚は、決して気持ちのいい物では無かった。何より王都で行動を起こした最大の理由であるルキアとルシオラを殺された。一度憑依しても、殺されてしまっては意味が無い。


 それが何よりの失敗だ。


「覚えておけ。この身体を失っても、ストックは他にもあるんだ。この借りはいずれ利子付けて返すぜ?」


「伝えておきます。あ、忘れるところでした。お師匠様からも伝言がああります」


 コホンと咳払いして、わざと低い声でルルキエルからの言葉を告げる少年を殴り飛ばしたい感情に駆られる。


「『ニグロスは回収した。お前がこの五年間で、どれだけの端末を作ったのかは知らないが、これでもう増やすことは出来ない。後は、それを俺が潰し切るのが先か、お前が他の魔剣を見つけて俺を淘汰するのが先か。まぁ精々頑張ってくれ、先輩』だそうです」


 しかしその言葉を聞くしか出来ない。ほぞを噛む思いで睨みつけるしか出来ない。


 あのくそ野郎!


 声にならない声で毒づいて、シルメリアは憎々しげに少年を睨みつけた。五感を麻痺させられ身動きが取れない状況では、文字通り手も足も出せなかった。


「殺せよ。そのつもりなんだろう?」


「先も言いましたが、僕は何もするつもりはありませんよ? というより、僕はこれで失礼しますからね。後は彼女と語らってください」


「彼女?」


 ニグロスを手に、あっさりと部屋を出て行った少年と入れ違いに、白い、のぺりとした顔が入ってくる。そのはずだ。肉のない骸骨なのだから。


「お前は……」


《ようやく、会えた。わたし、殺した、お前》


 アベンダ・テレスタ。かつてシルメリアがカトローナに殺させた女だ。ルキアに憑依した際に記憶を読んで知っていたが。それが何故、ここに来た?


「はっ! 復讐にでも来たかよ!」


《そうだ、お前が、死ぬ、様子、見届ける》


「………………は?」


 スケルトンは今、何と言ったか。見届ける? 殺しに来たのではないのか。


《時間、たっぷり、ある。お前が、死ぬまで、待つ》


 それはまさに、死刑宣告にも等しい言葉だった。


 このビルデスという男から出るには、魔剣ニグロスが必要だった。少年が、いや、ルルキエルが予想したように、五年前に自身の身体を失ったシルメリアは、この五年間で出来る限り自分の手足として動ける駒を用意した。このビルデスもその一人である。


 しかしニグロスを持って行かれては、この男から出ることもままならない。死ねば憑依は解けてその前に憑依していた人物の元へ飛ばされるが、それはあくまで外的要因でなければならなかった。つまり自害は出来ない。


 肉体を持たない精神だけになった存在の自殺行為は、そっくりそのまま消滅を意味するからだ。


 この男から抜け出すことは出来ない、しかし痛覚だけは残る身体で、自由の聞かない状況では、シルメリアに待つのは餓死という名の漫然とした死だけである。


 この骨女は、シルメリアが同じように骨になるのを、ただ見ていると告げたのだ。


「くそっ! くそっっ! くそが! 覚えていろ! ルルキエル。俺が! この俺が! この程度で壊れるはずがないことを、その身を持って思い知らせてやる! 待っていろ! 待っていろ! どれだけかかっても、必ずお前を殺してお前が持つ魔剣を奪い尽くしてやるからなぁぁぁぁぁ―――――ッッ!」


 その罵声すら、


《うるさい、黙れ》


 骨の一撃で喉を潰されて出せなくなる。痛みだけは残して行きやがった少年と、そうする様に指示したルルキエルにさらなる憎悪を募らせながら、声にならない声を、シルメリアは力の限り叫び続けた。



次話でラストです。

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