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死んだはずの女



 /1.0303   死んだはずの女


 喉の奥で、ヒューヒューと音が鳴った。


「…………何故……」


 生きている? 声にならない。言葉が出ない。だがその疑問は、強烈な視線に乗って同じ顔をした女に届いた。


「殺し損ねたからじゃないの?」


 クスリと、ルキアが嗤う。


「そんなはずはない!」


 ルキアの笑みは崩れない。それは明らかな愉悦の笑みだ。『ルキア』の驚きを見て、滑稽だと笑っている。他人の幸せを奪い、いい気になっていた女を見て嘲笑しているのだ。


「でも私はここにこうして生きている」


「殺したはずだ! ちゃんと確認したんだ。心臓が止まっているのを確認して、念のためにもう何回か心臓を刺したんだぞ! お前は確かに死んだんだ! じゃないとあたしがルキアに擬態出来るはずがない。あんただって、死んだ後にアベンダに擬態させたんだ。擬態? そうだ、どうやって? どうやって元に戻った? なんでお前、ルキアの姿をしてるんだ!」


「さぁ、何故かしら?」


 クスクスと、小さな笑い声。しかし耳に触る音だった。


「答えろ!」


「別に、私が自分の姿をしていることは不思議でもなんでもないでしょ? だって、自分の姿なんだもの。言ってて分かりにくいわね。私がルキア・ミルトスなのだから、ルキア・ミルトスの姿でいてもいいでしょ? 偽者さん」


「違う! あたしが本物だ。あたしがルキアだ!」


「そう思ってるのは貴女だけなんじゃないの?」


「まだ誰も気づいてないんだ! 当たり前だ! あたしの擬態は破れたりしない! あたしは偽者なんかじゃないんだから!」


「でも疑問は抱いてた。ゼスも、ルシオラも。直に気づくわ。ひょっとしたらそれ以外の人たちも。だって貴女、同じなのは姿形だけで、中身がちっともルキアらしくないもの。記憶も能力もコピー出来ているはずなのにね?」


「っっぐ!!!」


「というか、笑こらえるの大変だったわ。演技下手よね? ま、貴女の拙い擬態っぷりを指摘したいわけじゃないのよ。そんなことより、もっと気にした方がいいことがあるんじゃない?」


「…………え?」


「魔剣ディットクレイによる擬態の魔法は、殺した相手の姿と能力と記憶をコピーして擬態することが出来る。殺した死体も、殺す前の姿で擬態させられる。逆に欠点は、殺した相手しか擬態出来ないこと。擬態は二重には出来ないこと。そしてもう一つ。擬態する前の本名を暴かれると、擬態が解けてしまうこと」


 当然よね? だって、それは所詮は『擬態』だもの。


 本物ではない。どれだけ本物のフリを精巧に再現して見せても、やはりどこまで行っても偽物。


「私がここに来た理由くらい、わかるでしょ? 偽者さん」


『ルキア』の顔が引きつった。


「……まさか、わかるわけない。わかるはずない」


「なんて言うのは、傲慢なのか油断なのか。自分以外を甘く見ている証拠なのかしら。というか、私が誰かわからないの?」


「あたしがルキアだ! お前さえいなければ! あたしがルキアになれるんだ!」


「貴女じゃ無理よ。言ったでしょう? 貴女はちっともルキアらしくないのよ。いい加減、その姿で、ルキアの顔で、醜い表情するのをやめてもらえないかしら。自分の嫌な部分を見せつけられているようで気持ち悪い」


 同じ顔をした人間と向かい合うというのがこんなにも吐き気がするとは思わなかった。

「お前さえ、もう一度殺せば!」


「たとえ殺せても、もうルキアにはなれないわ。ほら」


 ルキアが指差した先に視線をやる。洗面所の外。感情が高ぶっていて、大声を出していることに気づかなかった。自宅でそんなことをすれば、仕事場にいるだろうゼスはともかく、もう一人の家族が気づかないわけがない。


 そこには、驚愕の表情で固まったままの妹がいた。


「お、お姉ちゃんが………二人?」


 驚きに染まる妹に対して、しかしルキアはフォローすることなく、淡々と『ルキア』へと語りかける。


「これで家族に隠しておくことはもう出来ない。擬態したとしても、必ず貴女にも疑念は向けられる。あ、ついでに、昨日部屋に上げた男性なのだけど……」


 確か名前はビルデス……なんだったか。家名は忘れた。


「そのビルデスさん。ここに来る前に会って振っておいたわ。気持ち悪いから、もう二度とこの店にも、私の前にも顔を出さないでねって」


「あ…………え?」


 間の抜けた嗚咽が『ルキア』から漏れ出た。


「聞こえなかったの? 振ったのよ。なんか興奮して、会うなり私の身体に触れようとしてたから、とりあえず昨日のはお酒を飲んでいたせいの気の迷いってことにして、バッサリ振ったの。だから私に擬態しても、彼とは幸せになれないわよ?」


 時間にすれば十秒程度、茫然とした『ルキア』の思考が復活するのは、意外と早かった。


「な……――」


「な?」


「なんてことしてくれる!」


「あら、ダメだった?」


 飄々と、ルキアは笑った。それが何より『ルキア』の感情を逆撫でするとわかった上で、煽る。


「ふざけるな! あたしがどれだけ彼を愛しているか知りもしないくせに! 彼はあたしのものだ。お前じゃない。あたしのだ。愛しているんだ! お前さえいなければ、愛しあえたんだ! お前さえ、お前さえ言えなければぁぁぁっ!」


「そう言われてもね」


 激昂する『 ルキア』に対して、ルキアが返したのは短い嘆息だった。


「貴女、本当に彼と付き合ってたの? 彼に前の彼女はどうしたのって聞いたら、生まれてこのかた彼女なんていたことないって言ってたわよ?」


「…………」


 今度の沈黙は長かった。


「……え?」


「なんだか物知り顔で押し掛け女房見たくつきまとってくる女がいたみたいだけど。その女はもう見なくなったんですって。ねぇ、心当たりある? 彼女、だったんでしょ?」


 パクパクと声にならない叫びを挙げている『ルキア』に、嘲笑を交えて、告げる。


「幸せは有限よ。誰かが幸せになれば誰かが不幸になる。貴女が幸せになるために私を蹴落としたように、私も貴女を蹴落とすわ。そう教えたでしょう」


「お前は――!」


「この世は弱肉強食だろ? なぁ」


――カトローナ・ヘトヴィク


「あ」


 変化は、すぐに現れた。


「あああああああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁーーー」


『ルキア』の身体を光が包む。魔力の光だ。さながら昆虫のさなぎの繭のように丸く渦巻く魔力に包まれながら、その内側で『ルキア』が呻いた。


 さなぎから成虫へと変異する光ではない。捨てたはずの姿へと戻る――それは『ルキア』にとっては間違いなく退化に等しい変化だった。光が薄れ、繭が開く。しかし生まれ出たのは綺麗な羽を持つ蝶ではなく毒持ち蛾だ。他者の幸せを吸い取って殺す女の姿がそこにあった。



   ***



 それなりに面白い見世物だった。抱いたのはその程度の感想だ。泡を吹いて失神したカトローナを放置して、ルキアは妹に近寄る。


 双子の姉妹と本人たちはそう思っている、ルキア・ミルトスの半身。


「お、お姉ちゃん?」


 姉の姿をしている女が二人目の前にいて、そのうちの一人が突然光に包まれて別の姿になった。一体何が起こっているのか。理解が追いつかずに呆然と立ち尽くすルシオラの頬をそっと撫でる。指が微かにかかる程度の距離感で、その手をゆっくりと首筋へと持っていく。


「痛っ!」


 力を込めた指が妹の白い首筋を傷つけ、血を流した傷口に、彼女は愛おしげに唇を付けた。鉄の味が口に広がる。コクリと喉が鳴る。何度か甘噛みを繰り返して、舌を這わすと、ルシオラが熱のこもった息を吐いた。


「あ……ん……」


 身じろぎしようとした妹の耳元でそっと囁く。


「じっとしてろよ?」


 まだ理解の追いついていないルシオラの、その綺麗で瑞々しい唇に重ね合わせる。


「ちょ、ちょっと……え?」


「だめ。じっとしてなさい」


「ん………ふぁぁ」


 そしてもう一度。重ねる程度の軽い口づけを繰り返す。やがて息継ぎをしようと口を開いたルシオラの中に、ルキアは間髪入れずに舌を侵入させた。


 女同士。それも双子の妹である。どう蹂躙すれば性感を刺激するのかは考えなくても手に取るように把握出来た。唾を流す。目で訴えると、ルシオラは観念したように喉を鳴らして飲み込んでくれた。それを褒めるように、何度も舌を絡ませ、歯茎を舐めて、彼女を悦ばせていく。


 服の上からでもわかった。お互いに体温が高まってきている。吐息に熱がこもる。時折甘い響きを含んだ声が漏れ始めた。そのルシオラの嬌声に、ルキアの身体の芯がずきりと疼く。


 そうして力の抜けたルシオラの舌を軽く噛むと、小さな痛みに彼女はまた身体を強張らせた。舌を切った傷口から、口の中に広がる血の味を飲み下す。


 ルキアが欲した物。欲してやまない物。その血の味の深さに酔いしれながら、彼女は一度唇を離した。


「もっと頂戴ね」


 ルシオラは抵抗しなかった。唾液が滴り彼女の首筋を流れて行く。その熱をさらに味わおうと舌を伸ばして、


「それ以上、ルシオラに触れるな」


 不意にルキアを押し留める圧迫した声が響いた。ルキアの記憶の中を遡っても、これほどの重低音は聞いた覚えがなかった。


 だがこのミルトス家で、これほどの威圧感を放てる者は、彼をおいて他にはいない。


「お父さん?」


 ゼス・ミルトスだ。


 そこにいたのは、普段のコック姿で、娘に甘く、料理で人に幸せをもたらす男ではなかった。二メートルを超える身長を包むのは清潔感のある白衣ではなく、重厚感のある金属の鎧だ。全身を覆うミスリル製のフルプレートタイプで、銀色に輝く表面は角度に寄って虹色に光って見えた。兜はしていないが、だからこそ射抜くような眼光がルキアを捉えていることがはっきりとわかる。


 ゼスの身長よりも長い柄の先に、ゼスよりも大きな鎚がついた巨大なハンマーを携えて、娘であるはずのルキアを睨みつけている。彼が冒険者だった頃に愛用していた武器だ。フル武装で現れたゼス・ミルトスに、ルキアは戸惑った様子で語りかけた。


「ど、どうしたの? そんな格好して。それって冒険者だった頃の鎧でしょう? 武器まで持ち出すなんて、何かあったの?」


「…………」


「お、お父さん?」


「シエラから聞いていた」


「え?」


「いつか、遠くないうちに、シルメリアがまた現れるかもしれないと」


「…………」


 ルキアは応えなかった。


「そうなった時、奴は必ず娘を狙うはずだと。それがルキア、もしくはルシオラのどちらかはわからないが、そうなった時に自分がいなければ、俺に止めてくれと」


 応える代わりに、


「…………はっ」


 鼻で嗤う、ただその一息で、ルキアの表情が変わる。それはゼスが見たことのない、娘の顔。他者を見下し、己の欲求だけを追い求める、下卑た女の笑みだった。


「あの売女め」


 低く、くぐもった声で、ルキアは吐き捨てた。ここにはいない、もう死んだシエラに対して。


 もとより隠し通せるとは思っていなかったが、それでも思った以上に警戒されていたことには、面倒くささと苛立ちを感じずにはいられない。


「五年前に俺を殺すのに手を貸しただけじゃなく、その後の保険までかけてやがったとはな」


 仮面を捨てた彼女はもう、ルキアではなかった。ルキアの仮面を被った、五年前に死んだはずの女。


 ゼスは、その名を口に出すことに思った以上の胆力が必要だった。五年前、討伐参加した一人として。五年前に確かに殺した女だ。生きているはずがないという思いを裏切るように、目の前の女はもうルキアに見えなかった。だがあれはルキアなのだ。十八年間、育ててきた娘を間違えるはずがない。


「どうやってルキアを乗っ取った!」


「んだよ、それもばれてるのか。シエラに聞いてたのか?」


 身体を乗っ取られているだけに過ぎないのだと、頭ではわかっている。五年前に殺したはずの女は実は生きていて、娘を支配したという事実。亡き妻が示唆した危険性を理解しなかったわけでもない。


 それでも、信じたくない思いが強かった。


「……本当に、シルメリアなんだな」


「おおっ。改めて久しぶりだな、ゼス。っつーか、俺はお前の娘の目を通してお前を見てたからそんな感じはしないんだが。まぁ、それでもあえてこう言っておこうか。『五年ぶり。五年前は俺を殺しに来てくれてどうもありがとう』」


 ククク――ッ! 喉から響く笑い声に苛立ちを募らせて、ゼスの眉間のシワがきつくなった。


「そのお礼と言っちゃあなんだが、お前の娘をもらうぜ。こいつはいい身体してるんだ。男受けもいい。魔剣の素材としちゃあ破格だ。出来ればルシオラも含めたセットでと行きたいが?」


「好きにさせると思うか?」


「うん? 思ってねぇよ? そこまで俺も楽天家じゃあねぇさ。けど、どうするんだ? お前が俺を止める? そのハンマーで俺を殺すか?」


「それも止む無しとなれば」


「ふーん。ま、随分と悲壮な覚悟してんだな。お偉いこって、ごくろうさん。ああ、でもわかってねぇみてぇだから、一応忠告しておこうか? アドバイスって奴だ。俺ってやさしー!」


 シルメリアの挑発に、目に見えてゼスの殺気が強まる。だが、それでも彼女は飄々とした態度を崩さなかった。


「五年前を忘れたわけじゃねぇだろ? 大勢で寄ってたかってリンチしなきゃ、俺を殺せなかったじゃねぇか。いや、結果からすればそれも失敗したんだよな? だって、俺、今も元気に生きてるし」


 挑発だとわかっていて、奴の言葉に逐一神経が逆なでされる。ゼスは懸命に押し留めなければならなかった。


「しかもお前、引退して何年になるよ? それとも? ブランク無視して頑張って、自らの手で娘を殺すか? お涙頂戴、ありがとうございやす! って、今時流行らねーっつーの。それにもしこの身体を殺すことに成功したとしてもさ、俺は死なねぇよ? ルキアの身体を間借りしてるだけだから。死ぬのはルキアだけだ。ほら、そんなのもったいねぇじゃん。誰も得しねぇ。だからさ、取引しようぜ? 俺はここで引く。ルキアの身体は貰い受ける。けど殺さないでいてやるよ。どうだ? 破格だろ?」


「ぐ…………っ」


「親なんだったら、娘の死を望んじゃだめじゃね? 幸せを願ってこその親だろう?」


「どの口が言うか!」


「そう邪険にするなよ。俺の優しさじゃねぇか。で、どうする? あんまり時間かけらんねぇよ? 後、あんまり俺の機嫌も損ねない方がいいぜ? 俺がバカにされるのを嫌いな性格だってことは知ってるだろう」


 だから。


「俺をだし抜けるなんて、思うなよ?」


「…………」


 ギシリと鳴ったのがゼスの歯の音だと、気づいたシルメリアは気分よく笑った。と、


「さっきから二人とも、何言ってるの?」


 完全に置いていかれていたルシオラが、ようやく思考を復活させて戸惑いのままに言葉を紡ぐ。


「あー、そう言えば忘れてたが、俺としてはルシオラでもいいんだよなぁ。お、そうだ。なぁゼス。せっかくだから選ばせてやるよ」


「何だと?」


「ルキアかルシオラ。どっちか選べ。選んだ方を俺がもらう」


「悪魔め!」


 罵るゼスの声には、力がない。どうすればいいか、迷っている証拠だった。しかし思考に沈もうとした彼の思考を遮ったのは、事態を理解していないルシオラである。


「……貴女、お姉ちゃんじゃないの?」


「ああ? っつーか見て分かれよ、鈍くせぇな」


「ひっ――」


 喉を引きつらせたルシオラを見て、シルメリアは気を良くして破顔した。


「おっと。悪い悪い。怖がらせる気はねぇんだ。なぁ、ルシオラ。よくわかってないお前に詳しく説明している時間はない。俺が誰かとかはどうでもいい。選べよ。お前かルキア。どっちかしか助けられない。お前が死ぬか、ルキアが死ぬか。お前ならどうする?」


 それだけで、ルシオラは険しい視線に涙を浮かべた。


「……お姉ちゃんをどうしたの?」


「お前が俺と一緒に来るなら、助けてやるよ?」


 しばしの逡巡。だが、ルシオラの決断は早かった。


「だったら私が……」


「応える必要はない! ルシオラ! その女の言葉を聞くな。約束を守るような人間じゃない。お前が行っても、ルキアもろとも殺されるだけだ!」


「はっ! 言ってくれるね。んじゃ、どうする? お前が娘を殺すか?」


「ルシオラまでも連れて行かれるくらいならっ!」


 ゼスが槌を振りかぶったのを見て、シルメリアの顔から笑みが消えた。屋内でゼスのような巨体が、それより大きな獲物を持って自由に暴れられるわけもない。だがその不自由さをもろともせず、自宅を破壊しながら接近してきたゼスの行動に舌打ちしながら、シルメリアはその場から離脱した。


 ゼスの無理矢理な突進に耐えきれずに天井が瓦解する。壁が壊れ、すぐ外にはミルトス家の決して大きくない庭と、連なって広がる家庭菜園用の畑が広がっていた。


 昼間だというのに住宅街は静かなものだった。誰一人騒ぎ出すものはいない。もう少し喧騒が広がるかと思っていたが。思った以上に静かだ。そも、常時であってさえ、こんなに静かだったか? 


「いや、これは……」


 思い直す。騒ぎどころか、人の気配が全くない。これは空間を断絶する魔法。内側にいる人間に悟られずにこんな上級魔法を使える者など世界広しと言えどもそうはいない。


「ちっ! もう来てやがったのか、ロリババァ」


「誰がババァよ。死に損ない」


 ミルトス家の上空に浮かぶ少女と、屋根の上にいる仮面をつけた男を睨みつけ、シルメリアは今度こそ本気で舌打ちした。


「五年前、殺し損ねたリベンジにでも来たか?」


「そうね、貴女がルキアちゃんの身体から素直に出て死んでくれるなら、苦しまずに殺してあげてもいいけど?」


「ハッ! 上から目線かよ」


「文字通りね。貴女本人ならともかく、ルキアちゃんの身体をどれだけうまく扱ったところで、わたしとルル、ゼスを相手にできるとでも?」


 シルメリアはあえて聞こえるように舌打ちした。屋内から、シルメリアを追ってゼスが現れる。その後ろにルシオラを従えて。


 世界最高峰の魔法士、ララカット・ラフィーニャ。


 引退したとはいえ、冒険者として、そして戦闘者として名を馳せたゼス・ミルトス。


 戦闘力については未知だが、今代のシュヴァリアーである以上、一切の油断がならないルルキエル。


「無理だな」


 計算は早かった。己を過信したりなどしない。慢心もない。冷静に計算した彼我の戦力差は絶対的である。誰が見ても、そう思う。


 だがそれを聞き届けて、屋根の上にいたルルキエルが訝しげに息を吐いた。


「なら、何故出てきた?」


「あん?」


「今のお前が置かれている現状は、決して計算されたものではないはずだ。少なくとも、カトローナ・ヘトヴィクの行動はお前にとっては誤算だった。彼女の犯行がなければ俺がルキアと接触することもなく、俺がお前の存在に対してより強い疑念を抱くこともなかった」


「ああ、そうだな。あの欠陥品。大人しく言われた仕事してりゃいいのによ。おかげで計画が大幅に狂っちまった」


「なのに、お前は唐突にルキアの仮面をかなぐり捨てた」


「お前らにばれてそうだったからな。っていうより、もうばれてたろ? だからあのアルトとかいう坊やを俺の監視につけたんじゃねぇのか?」


 見抜かれていたことに驚きはない。アルトの監視は念の為でしかなかったからだ。


「アルトは俺の自慢の弟子だが、お前と相対して切り抜けられるとは思っていない。あの子の監視の有無に関係なく、逃げる算段がついたんじゃないのか?」


「初対面だっつーのに、随分買いかぶってくれてるじゃねぇか。今代のシュヴァリアー」


「どのギルドであっても、守護聖人ギルドマスターに対しては一切の油断はしてはならない、と言うのが持論だ。例えそれが狂人であったとしても」


 否、狂人だからこそ、より一層警戒しなければならない。


「ハッ! それだけは同意するぜ。くそが。ってことは、そう簡単に逃げられねぇか。どうせそこのロリババァのこった。そう簡単には抜けられない最上級クラスの結果を張ったんだろ? 面倒くせぇ」


「五年前の轍は踏まないわよ。五年前に貴女の討伐に参加したメンバーの現在を調べたら、行方が分からなくなっていた冒険者がいたわ。家族ごとね」


 それがどういう意味を持つのか、ララカットもルルキエルも違いはしなかった。五年前、ララカットは他の仲間――その中にはゼス・ミルトスもいた――と共に、確かにシルメリアを殺した。あれが偽物だったということはあり得ない。しかしその肉体に宿る魂、つまりシルメリアの精神体は、討伐メンバーの一人に憑依して何食わぬ顔で作戦に参加していた。そして自分の肉体が死ぬ光景を、自分以外の肉体から見ていたのだ。


「ハハハッ! 五年も経ってようやく気付いたのかよ。鈍いな、相変わらず。だから嫁の貰い手がねえんだ!」


「うるさい! 独身なのはそっちも同じでしょ! っていうか、自分で自分を殺す、なんて普通は考えないわよ!」 


「盲点だったろ? あの時は愉快だったなぁ。俺が死んだものと思って喝采を上げるお前らの顔は今でも思い出せるぜ。実は俺がすぐ側にいることにだぁれも気づかねぇんだもんよ。拍子抜けだ」


「…………言ったでしょう? 五年前のように、逃げられるなんて思わないでね」


「そうだろうなぁ。どうせ俺がどうやってルキアを乗っ取ったのかも、凡そは予測ついてるんだろうしな」


「随分殊勝ね。諦め……るわけがないか。生きしぶといのが貴女だものね、ゴキブリ女」


「おお、いいね、それ。一匹見かけたら三十匹はいると思えか? 探した方がいいんじゃねぇ? 俺が後三十人、どこかで潜んでいるかもよ?」


「やめてよ、気持ち悪い! 想像したじゃない!」


「ケケケッ!」


 嫌みたらしく笑うルルキエルの愉悦を、ルルキエルが低い声色でぶった切った。


「それだけか?」


「あ? ……何が言いたい?」


「シエラが示唆していた危険性。お前が生きていた場合、高い確率でルキアとルシオラを狙う、というのは俺も聞いていた。何故だ?」


 ルルキエルがゼスに視線をやる。仮面に遮られて届いたはずはないのだが、それでも空気で察したゼスの方は、無言で首を横に振った。


「あんだよ、聞いてないのか?」


 唇を大きく歪めて、シルメリアが嗤う。


「そりゃ、簡単だ。ルキアとルシオラは、俺達・・が造ったからさ」


「…………え?」


 声をあげたのはルシオラだけだった。


「っつーか、ゼスはその辺の背景知らねぇのかよ。そもそも、この二人はお前の娘でもなんでもねぇだろうが」


「今、その話は必要ないだろう!」


「お? もしかして話してなかったのか? そりゃ悪いことしたな。ま、そういうことだ、ルシオラ。お前もルキアも、ゼスの実の娘じゃねぇよ」


「もういい加減黙れ、シルメリア!」


 だがシルメリアは止まらない。


「そもそもお前らは普通の人間ですらねぇ。俺とシエラが、魔剣開発の過程で造った魔道素体だ。シエラの細胞を使って、俺が造った。お前らの身体には、魔剣を製造する上での秘匿技術がこれでもかというほど詰まってるんだ。俺がルキアに憑依出来ているのは偶然だと思ったか? 魔剣ニグロスの力を使っちゃあいるが、それでもこんなに安定して乗っ取れているのは、ルキアの身体構成が人間とは違う素材で出来ていて、それを俺が理解しているからだ。ほれ、ここまできたらもうルキアは俺のものだろう? それを取り返しに来て何が悪い」


「二人は俺とシエラの娘で、二人の命は二人のものだ。お前のものじゃない!」


 ゼスの怒声に空気が凍る。だがその怒張も、すがるようにゼスに身体を預けたルシオラによってすぐに霧散した。震えているというのは誰の目にもわかった。うつむいていてわからないが、泣いているのかもしれない。


「…………今の話、本当?」


 弱々しい声だというのに、彼女の声はひどく響いた。ゼスが力なく振り向く。答えられない、ということそのものが答えなのだとはゼスもわかっていたが、嘘をつける状況でもなかった。


「本当に、私とお姉ちゃんは、お父さんとお母さんの娘じゃないの? 人間じゃないの? 私たち……」


「ルシオラ……」


「そこは血が繋がってなくても家族だよ、っていう場面じゃねぇの?」


 巫山戯たように下卑た笑を浮かべるシルメリアに、ゼスはお前が言うなと言わんばかりに睨み返した。


「おー、怖い怖い。まぁ、そんなわけだ。ルルキエルっつったっけ? 今代のシュヴァリアー。これがお前さんの質問に対する答えだよ。満足したか?」


「意図は理解した。つまり――」


 屋根から飛び降りて、ルルキエルは改めてシルメリアと対峙する。


「ルキアとルシオラを殺せば、それだけお前の計画に支障をきたすと言うことだな」


 スッ――と、色が落ちるようにシルメリアの顔から表情が抜け落ちた。


「俺が言うのもなんだが、本気か?」


「ん? 今の話の流れで冗談を言うような空気だったか? これでも俺は空気を読めると評判なんだが」


「……今の、空気読んでたの?」


 空の上にいるララカットからの呆れた声に。


「ああ。読んだ上で無視した。正直なところ、ルキアとルシオラの出生の秘密なんぞどうでもいいことだしな」


 そちらを向くことなく、平然と言ってのけたルルキエルの発言に、今度こそ完全に沈黙が場を支配する。


 シルメリアの視線に、初めて戸惑いと言うか、呆れたような色合いが混じった。


「…………お前さん、よくKYって言われないか?」


「よく言われる。キングオブ優しいの略だろ?」


「曲解だろうが、それは!」


 苛立ちそのままに叫んだシルメリアに皮肉の笑みを返して、ルルキエルはその手に魔剣を召喚する。


「来い。シリアルNo.454『ラーズグリーズ』」


 手に現れたのは刃渡り百二十センチほどの直刀である。緋色の刀身。血の色と言うよりは夕焼けの色に近い。飾り気のない柄であるが、これは今から三百年ほど前にイクスアーク王国騎士団で汎用的に用いられていた形状のものだ。基礎部分をそれに倣って作られているだけに、この魔剣は戦闘にも耐えられる仕様になっている。


「俺の知らねぇ魔剣だな」


「最近見つかったばかりだからな」


「どんな力があるんだ?」


「教えると思うか?」


「思ってねぇ。聞いて見ただけだ」


「知りたければ思う存分その身に喰らってみればいいさ。お前の大好きな魔剣の力だぞ?」


 さて。


 言葉を切り、息を吸う。吐き出す流れに意志を込めて、ルルキエルは魔剣をシルメリアに突きつけた。


「今度こそ、死んでくれ」


「誰がっ! 死ぬかっ! よっ!」


 その叫びに魔力を載せて、シルメリアが魔法を発動させる。一つは炎。一つは土塊、一つは氷柱。ただ一息で三種の魔法を発動して見せたのは、身体の持ち主であるルキアではなくシルメリアの技量あってこそだ。


 距離にして数歩もない間合いにいたルルキエルはしかし、避ける気配も見せないままにラーズグリーズを上段から振りおろす。一振りで三度。それで襲いかかってきた攻撃魔法は霧散した。


「やるね、後輩。んじゃ、俺も魔剣を披露とするとしようか。どのみちこのままじゃ、逃げ切れないのは確実だしな。来いよぉ『ツァラトゥストラ』っ!」


 現れたのは細身の曲刀シミターである。刃渡り一メートルもない小降りの片刃だが、見た目にして戦闘用ではなく、儀式用の様だった。刃の中央には宝玉が幾つも埋め込まれ、柄は金色に輝いている。末端に輝いている宝石はルビーだろうか。


 問題はその魔剣の名である。


 シルメリアがシュヴァリアーとなった後に行方の知れなくなった魔剣の中に、『ツァラトゥストラ』という名があった覚えはない。


 つまり、姿を眩ませた五年の間に見つけたということだろうが――


「よりにもよって、『ツァラトゥストラ』かっ!」


 シリアルNo.18『ツァラトゥストラ』。


 斬った対象を『魔獣』へと変貌させる魔剣。シリアル二桁台。つまりは、初代シュヴァリアー製作の魔剣である。


「へぇ、流石に全ての魔剣を扱えると豪語するだけあって、知ってたか。俺の自慢の魔剣だ。手に入れるのは苦労したんだぜぇ?」


 愛おしい我が子を見つめる様な目で、シルメリアはツァラトゥストラの刃を舐めた。ジュルリと鳴らした唾の音に、しかし妖艶さは微塵もない。


実験素材ルキアを失うのは正直勿体無いが、俺が生き残れなきゃ話にならねぇ。っつーわけで、俺はここで引かせてもらう。ルキアに時間稼ぎしてもらっている間にな」


 何を魔獣化させようとしているのか。すぐに直感した。魔剣の刃を自分の首筋に押し当て、シルメリアが口角を上げて笑う。その行為と表情に悪寒を感じたルルキエルの判断は早かった。


「や、やめてぇ――っ!」


 シルメリアが何しようとしているのか。目的はわからずとも、その刃が『誰』を傷つけようとしているかを察したルシオラの悲鳴が上がった。だがシルメリアの行為を止めさせるわけにはいかない。そんな余裕はない。あの刃は、既にルキアの肌に傷をつけていた。


「緊急離脱だ、ララァ!」


「ほい来た!」


 呼応したララカットが即席の呪文で転位魔法を組み上げる。


「『ルルたちは逃げ出した!』」


「その通りかもしれんが、もう少しマシな詠唱には出来んのか!」


 ルルキエルの怒声をその場に残して四人が姿を消す。その光景を見送った後、シルメリアは薄気味悪い笑みを浮かべながら己の首を掻っ切った。


 血飛沫が宙を舞う。力が抜けて行く感覚に、直ぐに立っていられなくなった。既に思考はあやふやだ。目の前が真っ赤に染まるのを眺め、けれど溢れ出てくるのは愉悦だった。


 今を生きているという実感。


「ああ、いいねぇ」


 直ぐに違和感が身体を襲った。痛みはない。あるのは苦しみだけ。それは直ぐさま全身に及び、やがてルキアの身体を異形へと変えていく。人の体積に収まりきれないほどの筋肉が膨張し、骨が弾け、内蔵が蹂躙された後、別の何かへと形作られて行く。そうして瞬く間に見上げるほどの巨体へと変貌を遂げた。


 頭部に巨大な角が生え、やがて支えきれなくなった身体を預ける様に、太く紫色に変色した四足が大地を掴む。


 最後にまだ人間の様相を残していた顔の、その視線だけをルルキエルたちの方へ向けて、シルメリアは叫んだ。


「じゃあな、ルルキエル! 生き残れたらまた会おうぜ。死んだらお前の魔剣は俺がもらってやるよ。アーハハハハハハハッッッ! 世界中の魔剣は俺のものだ! 誰にもくれてやるかぁぁぁぁぁぁっ!」


 その宣戦布告を最後に、ルキアの身体は人の形を全て失った。


 三十メートルはあろうかという紫色の巨体。二本の角。赤く宝玉の様に輝く巨大な目。丸まった鼻のあたりはカバの様だが、肉食獣を思わせる細長い顔の横からはみ出た鋭い牙が獰猛さを物語っている。涎が口元を汚し、醜悪な臭いを周囲にばらまく。その巨体が一歩、蹄で大地を打った。それだけで地面が割れ、周囲の建物が倒壊する。


 その様子を見ていた、サフランから五キロほど離れた場所に離脱したルルキエルがつぶやいた。


「ベヒモス」


 魔獣ランクSSを誇る、世界災害として認定されている魔獣の名である。ルルキエルも図鑑でしか見たことのない、伝説上の存在だ。


 魔獣とは、生物体系の外に位置する現象・・のことで、それ自体は生き物ですらない。魔力の淀みによって発生する災害である。


 世界中に存在する魔力は、普段はその均衡を保ち、上から下へと流れ、再び上へと循環しているが、生態系や自然の変化に左右されて、時折その流れに淀みが発生する。それが年月を経て蓄積され、重量を増し、エネルギーとして飽和状態へと向かう。そこで拡散出来なければ、飽和状態に陥った魔力はやがて周囲の存在を取り込み、状態を維持する為だけに存在する、別の何かへと変貌を遂げる。


 その何かは、取り込んだ物によって様々だ。


 四足歩行の獣の姿をしている時もあれば、鳥の様に空を舞う場合もある。岩や木の様に動かない物に変化する事例も記録されている。だがどの様な形を取ろうとも、もたらされる結果は厄災でしかない。大陸が崩壊する。魔力が搾取されて森と周辺の生物が消滅する。海が枯れる。数十年間、雨が止まなくなる。


 その、自然災害ならぬ魔力災害として認知されている現象を、俗称で『魔獣』と呼んだのが初代シュヴァリアーであるという細かな歴史はさておくとして。その背景ともたらされる結果を鑑みれば、言わずもがな、国家レベルでの対処が必要とされる代物である。


「さて、どうしようか」


 ララカットの転位魔法でひとまず距離を開けたその場所でルルキエルが呟く。その問いを塗りつぶすかの様な魔獣の咆哮が、結界に包まれた無人の空間に響き渡った。



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