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擬態という名の仮面



 /1.0301   擬態という名の仮面


 ルキア・ミルトスという女は、兎にも角にも人目を引く存在だった。


 何をしていても、どこにいても、老若男女問わずに他人の目を惹きつける。当の本人は決して狙ってなどいない。目立とうとも思っていない。派手な格好は情報として知る限り苦手であるし、化粧っ気も少ない。


 だがそれでも。人はルキアに注目する。


 端正な顔立ち。流れる黒髪。バランスの取れた肢体。さりげない仕草一つで男達はため息をもらす。すれ違う男たち全てが、ルキアの一挙手一投足に目を向ける。それはおおよそ下心満載の視線だが、それだけの艶美が自分にあると思えば悪い気はしない。むしろ、周囲にいる他の女たちを全て無視させるほどの色香は、想像以上に気分のいいものだ。


 快感だった。


 虜にするのは男だけでは無い。同性であっても、悔し気に思いながらもルキアから目を逸らすことが出来ないでいる。羨望や嫉妬のこもった視線。だがそれらを受けて、彼女の胸中を占めたのは優越感だ。


 世界で唯一の華。女王にでもなったような気分だった。


 ルキアに擬態して二日目。公園の死体遺棄が事件になると考えていたが、一向に騒ぎが起きないことに訝しげに思った彼女は、休憩の間をぬって、公園へと足を向けた。


 昼間の公園に来たのは初めてだ。もちろん、ルキアの記憶として知識だけなら見知っている。情報を引き出しながら、ルキアが慣れ親しんだ道を歩く。


 だが、何処にも違和感はなかった。不自然な箇所はなく、公園にはいつもの日常が、いつものように穏やかに流れている。


(おかしい)


 だがそれこそが違和感だった。ありえない。あるはずがない。


 ルキアの死体がない、なんてことが、起こるはずがない。


 この手で確かに殺したのだ。自分が擬態出来たのだから、殺したことは間違いない。まさか死体が勝手に動き出すはずもなく、あり得ないとは思うが、一晩でアンデットモンスターに変貌を遂げたとしても騒ぎにならない方がおかしい。


 場所を間違えたのだろうか。いや、そんなはずはない。そんなはずはないと思うが、念のため公園全てを見て回る。おかげで休憩時間を大幅にオーバーしてしまったが、そのことに気づく余裕も、公園を隈なく探し終えた頃には無くなっていた。


「何処に消えた?」


 問いかけたところで答えなどあるはずもない。誰かが処分したのだろうか。警察が回収した? いや、その可能性は真っ先に考えて、公園でおしゃべりをしている主婦たちにそれとなく言葉を濁しながら聞いてみたが、そのような場面は見ていないという。そも、死体が見つかったという事実もないようだった。


(どうする?)


 まだ探すか? いや、それは得策ではない。せっかくアベンダ・テレスタを間に挟んでアリバイを確かなものにしたのだ。これ以上、不審な行動は避けた方がいい。


 しかし、だからどうすればいいのか、という解決策は思い浮かばなかった。歩く足取りも重くサフランに帰宅すると、妹のルシオラと父親のゼスが慌てたように休暇をすすめてきた。さぼていたことを叱られると思っていただけに拍子抜けだった。よほど顔色が悪かったらしい。


 言葉に甘えて自室に戻る。自覚はなかったが、鏡を見ると確かにひどい顔をしたルキア・ミルトスの顔が映っていた。美人で――否、美人だからこそ、余計に顔の疲労が色濃く現れている。


 三日目。死体は見つからず。慌てても、考えても仕方ないことだとは知りつつも、考えずにはいられない。誰が死体を持って行ったのか。何の為に。どうやって。血の痕跡すら残さずに片付けたということは、相応の人数がいたのだろうか。


 満足に眠ることも出来ないまま、四日目。変化なし。朝起きて鏡を見ると、目にクマができていた。


 美人が台無しだ。それでも、元来の自分よりも美人だと思えてしまう。つくづく神様は不公平だ。こんな美貌をした女がいて、何食わぬ顔で他人の幸せを吸い取って生きているなんて。死んで当然だったのだ、ルキア・ミルトスは。


 お前の人生はあたしがもらった。もう、あたしのものだ。


 五日目。変化が起こった。


 無理やり化粧で疲れをごまかして仕事をしていると、彼女を振った元・彼氏が、ルキアに擬態してから初めてサフランを訪れた。上手くルシオラを別の客へ誘導して彼から注文を聞き出す。


 その声を聞いただけで胸が高鳴った。


 周囲の視線もある手前、唐突に話しかけることは出来ない。だから彼女は、ごく自然を装って事故を起こした。


 体調不良を理由に給仕しようとしていた飲み物を零す。男の服にかかる。果実で割った熱いホットティーが、男のズボンにシミを作った。ああ、計算通りだ。慌てた振りで謝罪しながら、濡れた衣服を拭こうとしてナプキンを片手に男に触れる。身体が疼いた。熱を帯びるとはこのことだ。頬が熱い。喉が渇く。だがどうにか平常通りに声を絞り出す。普段のルキアのように出来ただろうか。自信はなかった。本当ならもっとスムーズに、もっと綺麗な顔をしている時に会いたかった。


 けれど彼の方も、ルキアが触れたことでかなり興奮して、そんな彼女の機微まで察知した様子はなかった。顔が赤い。上がっているのだということに、彼女はしばらく気づけなかった。


 しばし某然としていたらしい。彼の方が逆に心配気に眉をひそめた。


「ルキアちゃん、大丈夫?」


「は、はい、すみません。大丈夫です。それよりお客様は火傷していませんか?


 お召し物を汚してしまって申し訳ありません。お洗濯させていただきますので、どうぞ事務所までおいでください」


「いやいや、こんなの放っておけば乾きますよ。ルキアさんのご迷惑をおかけするわけには行きませんから。まぁちょっと、果実の匂いがしますけど、安もんですし」


 それは嘘だと思った。彼の衣類は、普段自慢してよく身につけていたブランド物である。言うほど高価なものではないが、かと言って安価でもない。見栄を張ったのか。ただ緊張しているから言葉を間違えたのかはわからない。


 けれど、ルキアと触れ合っている状況が彼を舞い上がらせているのだとしたら、気分が良かった。擬態したかいがあったという物だ。


「そうおっしゃらずに、風邪を引かれたら大変です」


「いやいや、俺はこう見えても頑丈なんですよ! ハハハハ」


 彼の遠慮はただのポーズだ。どうみてもルキアについて行きたいと顔が言っている。だが彼が参入したルキアのファンクラブには抜け駆け禁止という条文がある。自分からそれを口にすることは出来ないのだろう。そしてそれ以上に、ルキアとルシオラ目当てで通っている他のファンの視線が彼に突き刺さっている。なんてことはない。ただの嫉妬だ。


「そうだぜ、ルキアちゃん、この季節、その程度じゃ風邪なんて引かねぇよ!」


 周囲からもそんな声が上がる。だが彼女は断固として首を縦には降らなかった。


「いいえ、これはプロとしての矜恃でもあります。お客様にご迷惑をおかけして、そのまま帰すなんてことは出来ません。もし、私のことも考えて遠慮なさっていらっしゃるのであれば、それは不要というものですわ」


 この時、近くにルシオラがいれば、途中で止めに入られたかも知れない。だが彼女はオープンテラスの方の接客で忙しく、こちら側のトラブルにそこまで深く注視していないようだった。父は厨房にいて手が離せない。これ幸いと、彼女は彼の腕をとった。客の誰かが大袈裟に羨ましいと悲鳴を上げた。周囲に軽くお辞儀をして店内を後にする。


 しかし向かう先は事務所ではない。自宅だ。


「あ、あの、ルキアさん? 事務所に行かれるんじゃ?」


「洗濯は、自宅の方でしか出来ませんし、選択されている間、下着姿であんな場所にお客様を放置は出来ないでしょう?」


 彼女はルキアの寝室へ彼を招き入れ、バスタオルを貸し出して濡れてしまった上着とズボンを受け取った。


「では、申し訳ありませんが、しばらくお待ちください」


 所在無さげにルキアの部屋をキョロキョロと見回している彼を残して、彼女は一度洗い場へと足を向ける。ルキアの知識と経験を動員して、魔法で洗浄して行く。シミ抜きも合わせて手早く済ませてしまうと、裏庭の物干し竿に服を干して自室へ戻った。


 乾燥も魔法を使えばあっという間で、それはルキアにも使える初歩的な魔法だ。だが今はあえてそれをしない。一分一秒がもったいない。出来るだけ長く、しかし不自然ではない程度の時間、彼をとどめておく。それが最上の目的だ。


 ルキアの部屋の扉をノックをしようとして、しかし彼女は不意にその手を止めた。彼は今、ファンクラブに入ってまで追っかけをする対象の、禁断のプライベートルームにいる。上はシャツを着ているとは言え、女の部屋で、下はパンツとバスタオル一枚で放置されているのだ。そんな彼の様子を思い浮かべただけで胸が高鳴った。


 初めて抱かれた時のことを思い出す。彼の性格を知るからこそ、今の彼がどうなっているのかを予想するのは難くない。


 カチャとノブを回す。小さく、音を立てないように。お互いの姿を全身確認出来るまでドアが開いたところで、彼がようやくこちらに気づいてビクリと背筋を伸ばした。


 なんてことはない。ただベッドの匂いをかいでいただけだ。顔をうずめるくらいはするかと思っていたが、そこはどうにか理性が勝ったらしい。


 特に犯罪めいたことをしていたわけではない。だからそれほど怯える必要はないのだが、しかし普通の感覚からすれば、そんな行為に耽っている男を見た女性はいい気がしないに違いない。


 それを想像出来たのだろう、彼の慌て様もすごかった。その彼を、少しきつめの声で押し止める。


「落ち着いて下さい」


 大声だしたら、父が飛んで来ますよ、と。


「そうなったらどう言い訳しようと無事ではすみませんから、ここは落ち着いて、ね?」


「無事ではない、ですか」


「おそらく」


 彼女はゼス・ミルトスのことをよく知らないが、ルキアの知識からすればそれは間違いないだろうという予測は出来た。娘を溺愛する、元一級の冒険者。引退して長いとはいえ、そこらの優男なら簡単に潰せるだろう。それはもうぷちっと、造作もなく。そのため最優先課題はゼス・ミルトスに知られないことだ。


「それにまだ火傷を治していません。痛むでしょう? 傷を見せて下さい」


「ええっ!? いやでも、あの、すみません、その、場所が……」


「バスタオルの上からでも大丈夫ですよ?」


「はぁ……あ、いえ。それは……」


「ね? お願い。いい子だから、見せて」


「はい、お願いします!」


 バスタオルの上から、彼女は彼が火傷したと思われる幹部にそっと手を置いた。股間のすぐそば、太ももの内側だ。彼が恥ずかしがるのも無理はない。こちらに悟られまいとがんばっている様だが、興奮した証拠が隠せていないからだ。


 さて、恥ずかしさと嬉しさと、性的興奮に理性をかき混ぜられている彼の様子をずっと見ていたいが、あまり時間もかけていられない。彼女は触れる指先に魔力を集中させた。


「水の衛士・蒼翠の息吹・彼の傷と痛みを癒したまえ」


 水属性第二階位の回復魔法である。熱いお茶をかぶって出来た火傷であれば、治すのにこの程度で十分、というより、ルキアの技能では魔法は使えても第三階位までだ。


「すごいですね、痛みがすっとなくなりました」


「大した魔法ではないですが、効いたのであれば良かったです。少し待っていて下さい。ズボンと上着をお持ちします」


 そこからの行動は早かった。時間的にも限界だろう。風の魔法で干していた衣服を乾かし、着替えた彼を連れ立って店の裏口に回る。今から表の方に連れて行くのは自殺行為だということくらいは、まだこの家に暮らして五日も経っていない彼女でさえ理解できた。


「本日はご迷惑をおかけして大変申し訳ありませんでした」


「い、いえ……あの……恐縮です」


 謝られている側の応答ではない。


「お気をつけてお帰りください。またお店、いらしてくださいね」


「はい、もちろん!」


「あと……」


 誰にも見られない様、素早く視線を探る。今だ緊張している彼の袖を軽く引いて、自分より身長の高い彼の耳元で、彼女は囁いた。


「今日のことは、私たちだけの秘密です。いいですね?」


「は、はひっ!」


「では、またのご来店をお待ちしています」


 浮き足立つとはまさにこのことか。顔を真っ赤にして去って行く彼の背を見送る。途中、一度だけこちらを振り向いたので、笑顔で手を振っておいた。そしたら今度こそ泣きそうな顔で破顔して走り去ってしまった。


「…………」


 これでいい。これで彼はもうルキアから――自分から離れようとは思わないだろう。これからゆっくり、彼を自分のものにする。


 ああ、待ち遠しい。彼の唇に触れられるのはいつになるのか。優男の様に見えて、夜の営みでは意外と野生化するタイプの男である。あの凶暴さがこの身を貫くのはいつになるだろう。その日を思うだけで、彼女の心はざわめく。身体が火照る。そして痛いほどにさみしさがこみ上げてくるのだ。


「また、会いましょう」

 

 その興奮のせいで、公園に置き去りにしていた事実を、彼女は忘れていた。


 誰も見ていないことに安堵して、ルキアらしからぬ笑みを浮かべた。


 あの元彼氏も、ルシオラやゼスも、店の客も他の店員も、気づいていない。気づけない。彼らにとっては、彼女がルキアだから。


 たとえ少しの差異が出ても気づかないし、気づけない。そんなのはただの誤差だから。


 それは、他者を引き摺り下ろし、その命を奪って得た甘美な心地よさに、思考が停止してしまったが故の油断だった。



   ***



 違和感に気づいたのは、偶然ではなかったと思う。


 顔色を悪くして帰ってきたあの日の朝には、既にその兆候はあった。


 始まりは朝だ。朝食はパンとミルク、簡単なサラダにスクランブルエッグ、というのがミルトス家の習慣的な朝食である。パンの種類が変わったり、サラダにされる野菜が変わったり、卵の調理方法が変わったり、ミルクがジュースになったりなどの変化はあるが、逆に言えばその程度の変化しかない。


 だが、その日の朝は米だった。別に嫌いではない。むしろ好物である。それは家族三人ともだ。が、それは朝でなければ、と言う条件がつく。


 習慣とは恐るべき物で、普段と異なることをすると体調にまで影響する、というのはよくあることだ。ミルトス姉妹の場合、朝に米を食すると十中八九お腹を壊す。特にルキアが顕著だ。気分的な作用もあるのかも知れないが。


 しかし五日前、当番だったルキアが用意した朝食はライスだった。理由を聞くと、唐突に食べたくなったからと言う。双子だけあって、それが嘘であることはすぐにわかったが、言いたくないなら何か理由があるのだろう。とりあえず薬を飲んでおくことにする。ルキアほどでないにしても、ルシオラもまた体調を崩しやすいからだ。


 余談だが、ゼスはなんでも食うし、好き嫌いもなければ、食事で体調不良になったこともない。鉄の胃の持ち主である。その日も皿に盛られたライスをおかわりして、朝の仕込みに出かけて行った。


 一方のルキアは、その日の夕方、休憩時間を過ぎても帰ってこなかった。流石に心配になった頃、顔を土色にして帰ってきた姉を心配しつつも、あぁやっぱりな、という思いが先に来た。


 ルキアの体調は次の日も崩れたままで、それはそれで心配だったが、それよりも気になることが出来た。不調はほんのきっかけだ。


 歯磨きをする時、歯ブラシを持つ手が右手になった。


 下着の畳み方が変わった


 卵料理に砂糖を入れる様になった。


 夜寝る時、ランプをつけて寝ているらしかった。


 一巻から右に並んでいた筈の本の並べ方が、左から並ぶ様になった。


 お風呂に入った時に、髪よりも先に身体から洗う様になった。


 そういった、一つなら気にならないだろう小さな違いも、積み重なれば違和感となる。


 だから、何気なくルシオラが口にした言葉は、至極自然な疑問だった。


「お姉ちゃん、五日前から変だよ。何かあったの?」


 十八年間、共に生きてきた双子の妹だからこそわかる、ルキアらしくない振る舞いに抱いた疑念。だが当のルキアから答えは返ってこなかった。



   ***



 幸せになりたかった。


 幸せになれると信じて、幸せになる為に努力して来た。


 だが、彼女の雇い主は言う。


「そんな努力なんざ、くそくらえだ」


 聡明で、美麗な女性だ。あんなに綺麗な人は見たことが無かった。頭がよく、美人で、 仕事人かと思えば、家事も万能ときている。技術者としても戦闘者としても一流と称される彼女に、最初は心底この世を憎らしいと思った。


 この世界は理不尽で、不平等で、不条理だということは知っているつもりだった。けれどそれでも、自分よりわずかばかり年上の女性が、世界で十三人しかいないギルドマスターに上り詰めている。一体、彼女と自分の差はなんなのだろうかと嘆かずにはいられなかった。


 天は彼女に幾つもの恩恵を与え、自分にはそれが無かった。それが全てだ。そう思っていた。


「そりゃそうだ。幸せってのは有限なんだよ」


 それが彼女の口癖だった。


「誰かが幸せになりゃ、その分誰かが不幸になるのさ。天が俺に才能を与えたんだったら、その分だけ天から見放された奴だっている」


 だから――


「幸せになりたけりゃ、人の幸せを踏みにじる覚悟を決めろよ。世界は弱肉強食だ。強い奴が資源を貪り喰らうんだよ」


「…………貴女は?」


「俺は、俺以外の奴が幸せに過ごしていることが気いらない。俺以外の奴が俺より優秀で有ることも認めねぇ。世界は俺だ。俺が世界だ。けれどまだ、世界は万人に平等に不平等だ。だから傾けるのさ。俺が、俺の為に、俺の幸せの為に、他の誰の幸せを踏みにじっても、俺は強者になる」


 彼女は眉目秀麗だが、見た目に反して中身は粗雑な人間だった。まずはその語り口調。自身を『俺』と称し、男言葉で話すその様は実に残念なことこの上ない。座る時はガニ股になるのも減点だ。不衛生で風呂が嫌いだというのに、酒と煙草がなにより好きで、一日中アルコールとヤニの匂いをまとわせている。加えて極度の夜型人間だ。朝寝て、夜起きる。徹夜などは日常茶飯事である。そのくせ仕事はきちんとこなし、対外的には微塵も自身の本性を見せないあたり、基本的には器用な人間なのだ。オンとオフの切り替えが出来ているというべきか。


 仕事に妥協しない厳しさを見せる一方で、新しい研究議題を見つけると、おもちゃを前にした子供のようにはしゃぐ一面持っている。


 シルメリア・シュヴァリアーとはそういう人間だ。才能に関しては羨ましいと思うが、決して尊敬出来ない人間だった。


 ある時、魔法具の試作品に関するレポートを書いていた自分に、シルメリアは研究成果に目をキラキラと輝かせながら告げた。


「新しい魔法具を作ったんだ。正常に動作するかどうか試したいから、試験に付き合ってくれ。これが成功すれば、俺の研究はまた一歩、目的に近づける」


 彼女は今日も徹夜だったらしく目に隈を作っていた。しかし全く眠そうには見えないのは、彼女にとって魔剣開発がそれだけ熱中できるものだからだろう。その点だけは、見習うべきかも知れない。


 研究室に入ると、中央の台座に妙齢の女性が裸で寝ていた。羨ましいほどの白い肌に、顔には出さずに嫉妬する。顔を見ようと角度を変えて覗き込んだ自分に、


「さて、そこに女の死体がある」


 事もなげに、シルメリアは告げた。


「……え?」


「実験の失敗で死んだんだが、あの死体をよく見ておけよ?」


「――――つっ!!」


 瞬間、視界がぶれた。


 目が回る。脳が揺さぶられたと自覚出来たわけでは無かったが、身体が倒れているというのは定まらない思考の片隅でぼんやりと感じていた。何かに掴まろうと、しかし失敗してそのまま研究室の床に座り込んだ。頭を打つことは無かったが、盛大に尻餅を着いた。その痛みのおかげで、いくばくか視力が戻ってくる。


 ……………………。


「落ち着いたか?」


 どれくらい経っただろう。座ったまましばし呆然としていたが、シルメリアから声をかけられるまで自分が何をしていたのか思い出せていなかった。


「ご、ごめんなさい」


「いや、構わねぇよ。それより起き上がれるようになったら鏡を見な」


「…………え?」


 違和感は初めからそばにあった。頬を撫でるさらさらしたストレートの髪は誰の物か。自分の髪はもっと短く、もっとゴワゴワした物だったはずだ。視線を下にやれば否応無く視界に入る双丘は、少なく見積もっても記憶にある自分のものではない。思わず頬を触った、その指の長さが違うことに気づき、今度は両手をまじまじと見つめた。これはいったい誰の手だろう。爪まで清潔に整えられた手は綺麗な肌色で、粉も吹いていなければささくれだってもいなかった。


「…………だれ?」


「お前だよ」


「え?」


 鏡に映っていたのは、自分とは似てもにつかない女性だった。目はぱちっとした二重まぶたで、眉は細く、少し大きめの下唇は紅もつけていないのに艶っぽい。頬にはニキビの痕など微塵もなく、指で触れるとぷるんとした弾力が心地よい。


 別人だった。それは自分ではない、だがどこかで見た顔だ。確か第三支部二ある資材部の女性ではなかったか。けれど鏡に映るその女性は、紛れもなく自分なのだ。


 そして真に驚くべきは、台座で寝ている女の姿だった。先ほどまでとまるで違っていた。仕事の忙しさで不摂生が祟ったせいで、短く癖毛の髪は乾燥して艶がなくなって久しい。痩せてはいるが、ガリガリのせいか骨ばっていて、白い肌は日に当たらなさすぎてどちらかと言うと青白い。むしろ不健康さの象徴のようだった。


 それこそまさに、毎日鏡で見ている自分の姿ではなかったか。


「成功だ! ハーハッハッハ! 十五人目にして、とうとう成功した! 誇れよ、お前のおかげで魔剣の根幹となるシステムを暴くとっかかりが出来たんだからな!」


「……………………」


 理解に追いついていないこちらを差し置いて、シルメリアの声に熱が入り始める。こうなったらこちらの言うことなど聞いていなことが多い、というのは実のところ、実験が成功した時の彼女の熱弁ぶりをみるのは初めてでは無かったからだ。


 何が起こったのか理解出来ない頭で、しかしただ一つ、理解出来たことがあった。断りもなく被験体にされたことで、嫌が応にも理解した。


 自分もまた、シルメリアに幸せを搾取される人間なのだと。


 だから抗った。


 だから幸せになるために、努力した。


 幸せになるために、他者の幸せを踏みにじり。


 幸せになるために、他者の幸せを搾取し。


 幸せになるために、自分の幸せを奪おうとするものを排除した。


 あれから五年。


 ルキア・ミルトスを殺し、ルキア・ミルトスに擬態した。今度こそ安定した幸せを手に入れることが出来る。死んだことにして姿を隠した『彼女』の飼い犬になっていた自分にさよならが出来ると、そう安堵した矢先だ。


 双子の妹が、擬態した姉に疑念を抱いた。


「お姉ちゃん、五日前から変だよ。何かあったの?」


 無頓着のようにみえた父から、注意を受けた。


「お前、俺の教えた料理を忘れたのか?」 


 擬態は完璧だと思っていた。騙せていると思っていた。姿も能力も、記憶もコピー出来ている。だから誤魔化せていると考えた。だから周囲の人間は騙されていると考えた。それは傲慢であり、油断だ。そんな小さなこと、誰も気にするはずがないと、ルキアではなく、過去の自分の習慣がそこかしこに現れていたが故の亀裂だった。


 これまで擬態する対象は慎重に選んで来た。家族のいない者。友達のいない者を中心に殺しては擬態し、擬態してからも人と関わることを避けていた。


 今回のように、親しい家族がいて、周囲の人と積極的に関わるようなタイプの人間に擬態したのは初めてと言える。


 だからボロが出たのだろう。これから気をつけなければならないと、洗面所の鏡の前で気を引き締めた、その時――



「意外ね。もっと細心の注意を払って擬態しているのかと思えば、随分杜撰じゃない」


 

 鏡に、二つの同じ顔が写っている。一つは自分。その後ろ側にいるもう一つが、薄気味悪く唇を歪めた。


「『私』を殺しておいて、そう簡単に幸せになれるなんて思わないでね」


 殺したはずの女が微笑む。それはあってはならない断罪者の笑みだった。


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