殺されたのは誰で、殺したのは誰か②
***
その日の調査に区切りをつけて、帰宅したルルキエルに待っていたのは約束通りララカットへの報酬替わりの夕食の支度だった。アルトは優秀だがまだ簡単な物しか作れないし、ルキアはそれなりに調理出来るらしいが、彼女の精神状態からして包丁や火の元を任せるのも不安である。結果的に、いつものようにルルキエルが調理することになった。
ちなみにスケルトンは、残念ながら封印魔法をかけてスリープモードに移行してもらった。目を離した隙に暴走されては責任問題だからである。
概ね好評だった夕食後の片付けを済ませた後、素早く入浴を済ませ、ラフな寝間着に着替えたルルキエルは、ようやく休めると期待して自室のドアを開けるなり、裏切られた思いでため息をついた。
「俺の部屋で何やってるんだ?」
一人では大きいクイーンサイズのベッドに寝転がっているのは、後ろで結っていた髪をほどき、ピンク色のネグリジェをまとったララカットである。風呂上がりで髪が湿ったままらしい。子供体型にも関わらず色気を振りまけるのは彼女ならではだろう。
だがそれはそれ。ベッドにうつ伏せになって、雑誌片手にリラックスムードでくつろいでいる様に心中少なからずイラっとしながら、しかし表面には出さずにルルキエルは問いかけた。
「うーん? だってこっちの方がベッド大きいし?」
「図々しくも泊まりたいとか抜かすから部屋は用意してやっただろう。というか、アルトの部屋へ行くとか言っていたじゃないか」
「それはアルトちゃんが嫌がったから、今回はやめたの」
「いつもの肉食系女子の押しはどうした」
「わたしだって、好きな子に嫌がらせをしたいわけじゃないもの。時には引くことだってあるわ」
「……で?」
「一人は寂しいから、一緒に寝て♥︎」
「断る」
間髪入れずに拒否すると、ララカットから不満のブーイングが鳴った。
「いーじゃん、ちょっとくらい。昔はよく一緒に寝たでしょ? っていうか、一人で寝るのが怖いからって一緒に寝てあげてたじゃない!」
子供だった頃ならいざ知らず、独り立ちした後では一緒に寝たことなどないのだが、そんな正論はララカットもわかっているだろうから、口にはしなかった。
「ったく、久々に一緒に寝ようとおもっただけなのにさー。冷たいよねー、ルルは。昔はあんなに「お姉ちゃん、お姉ちゃん」って懐いて来てたのに、いつからそんな冷血漢になったんだか」
「…………昔みたいにはいかない」
「そうかもだけどぉー、ルルってば、昔から抱き心地がいいんだもん」
「だから、どう考えても俺が抱き枕にされることが確定しているから断ると言うとるんだ! その怪力で、以前俺の背骨を折りかけたのを忘れたわけじゃないだろう!」
「けちんぼ」
それも理解はしているらしいララカットは、しかし感情的に納得出来たというわけではないらしい。文句を言おうとして身体を起こし、ルルキエルの顔を改めて見て、ギョッとした表情になった。
「? ……どうした?」
「ねぇ、ルル? なんで寝る時にまで仮面つけてるの?」
「……いつものことだが?」
「まさか、お風呂に入っている時も?」
「流石に顔を洗う時だけは外すよ」
ただし、そのためには他者に見られないよう魔法で結界を張る必要がある為、ひそかにルルキエルにとってもストレスになっている。
「だが、どこで誰が見ているかわからんからな。基本的には外すことはない」
寝る時も、入浴時も例外ではない。
「せめて寝る時くらい外したらいいのに。ここはルルの家でしょう?」
「それでも、念には念を入れる必要がある」
「いま、ここにはわたししかいないよ?」
「それでも、念には念を入れる必要がある」
一言一句、同じ言葉で否定すると、ララカットは不意に真顔に戻って魔力を紡いだ。
「『わたしの内側に他者はいない』」
それが呪文で魔法だとわかったのは、部屋の周囲に魔力が張り巡らされたからだ。知覚出来たのは無色透明な結界。呪文の内容からして選定した者以外を締め出す空間制御魔法だろう。要は、内緒話するための結界である。
「これでもう誰もわたしたちの会話の邪魔は出来ないし、わたしたちのことを知覚することも出来ない。さ、これでなんでも秘密の話が出来るよん。なんだったら、わたしも脱いじゃおうか?」
ルルにだったら見られても平気だし、仮面を外すのが恥ずかしいなら付き合うよ? と宣うララカットに、ルルキエルが返せるのはため息だけだ。
「変態性癖を持つのは結構だが、俺を巻き込むな」
「イケズだなー、相変わらず。でも仮面くらい取ろうよぉ。わたししか見てないよ? わたしは久しぶりにルルの素顔が見たいよ」
どうにも話を進める為には仮面を取らねばならないらしい空気に、ルルキエルはもう一度深く息を吐くしか無かった。
「…………ふぅ」
言っても聞かないのは昔からか。マイペースで我が道を往くララカットだが、しかし口にするほどルルキエルも彼女のことを邪険にしているわけではなかった。
仮面の奥から素顔を晒したルルキエルという人間の顔は、そう隠すほどの特徴があるわけでもない。
切れ長のダークブラウンの双眸が印象的な、しかしどこにでもいそうな二十代半ばの男である。もちろん、それは顔だけを切り取ったらの話だ。触れれば切れる刃物の様に——とまではいかないが、他者を寄せ付けない拒絶のような冷たさを含んだ視線は、相手が旧知であるはずのララカットであっても変わることはない。だが、これが彼の自然体だ。
ゆっくり仮面を外すと、柔い光が視界に入ってきた。室内は夜用のライトで照らされている。書斎やリビングとは異なり、淡い橙色の光だ。魔力で動力源で発光するこのライトは、一般流通していない贅沢な趣向品である。とはいえ、仮面を外して裸眼で自室を眺める、と言う行為に珍しさを感じる以外、実のところあまり感慨と言う物はない。
ルルキエルの仮面はシュヴァリアー作の魔剣である。
バイザー型で、額から目と鼻の上部までの顔の上半分を覆う程度の大きさをした、鋼色の洒落気の微塵もない仮面だ。目の部位には細いスリットが斜めに二本、左右対象に掘られているが、このスリットは裏側には貫通しておらず、装備者に外を見せる為の物ではない。その為、魔剣としての機能が起動していない時、視界は完全に闇に覆われることになる。
では装備者はどのようにして視界を確保するのか。答えもまたそのスリットにあった。スリットの奥に設置されたセンサーが外の景色を捉え、装備者の網膜へと映像を送る。多少の色彩誤差はあれど、描写される映像にタイムラグはない。
その映像を出来る限りリアルタイムで送信する為に、魔剣は強度や防御力を無視して作られている。その分、見た目に反して非常に軽い。どんな環境でも使用出来るように、防水、防塵加工も施されていて、数日間連続装備していても蒸れることはない。炎熱センサーの働きで仮面と肌の接触部は常に一定の温度と湿度が保たれているから、ルルキエルの肌に負担もないという、変なところで気配りの効いた設計になっている。
シュヴァリアー・シリーズ、シリアルNo.650『ユウェナーリス』。
先ほどは外すことが多少のストレスになっている、と言う話だが、それは仮面のせいではなく、むしろ顔を他者に見られたくないルルキエルの個人的事情のせいだ。
「外したぞ。これでいいか?」
「うん。相変わらず愛想のない顔だねー。もうちょっと目つき柔らかく出来ないの?」
「大きなお世話だ、ほっとけ」
「昔は目もクリッとしていて、可愛かったのに」
親戚のおばちゃんか、お前は——口から出かけた言葉をどうにか飲み込んで、ルルキエルは会話を断ち切った。
「いいからそろそろ本題に入れ。何の用だ?」
ルルキエルの顔が見たかった、というのも嘘ではないだろう。だがそれだけの理由でないことは、言われなくてもわかっていた。
「一緒に寝たいのも嘘じゃないんだけど、ま、いいか」
今度こそ本当に身体を起こしてララカットはその大きな双眸に力を入れた。それは普段見る、魔法士としての彼女だ。
「わたしが聞きたいのは一つだよ。ルルが何を隠しているのかなぁ、と思って」
「隠す?」
「不思議なんだよね。いろいろと。事情はルキアちゃんやアルトちゃんから聞いたけど。聞けば聞くほど不思議なの」
「何がだ?」
「だって貴方、『カトローナ・ヘトヴィク』がルキアちゃんを殺した犯人だって、最初から知ってたでしょう?」
虚を付かれたわけではなかった。ただ、ほぼ巻き込んだ形で事情を知ったばかりのララカットから、そのような結論が出たことには素直に驚いた。
「……いきなりな質問だな」
「そう? そう突拍子もない話でもないんだけどな」
一拍、ルルキエルは会話に間を開けた。そのわずかな間に何かを考察したわけではなく、ただ息を付くためだ。
「…………何故そう思った?」
ララカットがフフンと鼻を鳴らしたのは自信の表れか。だが彼女は、直接的な答えではなく、遠回しに考えを語り始めた。
「最初に疑問に思ったのは、ルキアちゃんを蘇生させたことなのよね」
「何か問題が?」
ララカットが収集した情報では、ルルキエルはルキアが殺される状況も目撃していたということだった。
「問題はないよ。その動機はともかくね。でも、やっぱり腑に落ちないかな。わたしの知っているルルは、善意だけで人を助けたりしないから」
流石によくわかっていらっしゃる。
「ねぇ、ルル? どうやってルキアちゃんの殺害現場を目撃出来たの?」
「その場にいたからだが?」
「そうだね。じゃ、聞き方を変えるね。どうしてその現場にいたの?」
「偶然だ」
「はい、ダウト! それは嘘だね!」
「また随分はっきりと言い切るな」
「言い切るよ、わたしはルルのお姉ちゃんだもん」
「根拠としては乏しいよ」
ララカットはルルキエルの実の姉でははない。だが、ルルキエルが彼女を姉として慕い、彼女もまた弟のようにルルキエルを世話した幼少の頃の関係——所謂『絆』というものが、乏しいながらも決して無視出来ない経験則であることも確かである。
ルルキエルの行動や考えを、ある程度範囲先読みするくらい簡単に出来るだろう。そしてそれは、ルルキエルにしても同様だ。
「お姉ちゃんの勘、っていうのじゃダメ?」
「ダメ」
「イケズ。んじゃ、根拠その二。ルルがその場にいた理由はどうあれ、ルキアちゃんが殺されて魔剣が使用される反応を見た。だとするなら、その持ち主が何者なのか、ルルが暴かずにいるわけがないと思うの。擬態してルキアちゃんになった後の犯人が誰なのか。今日みたいな調査をせずとも判別出来る方法はあったんじゃないの?」
「……それは認めるよ。その通りだ」
隠しても仕方ないことなので、ルルキエルは素直に事実を認めた。
ルキアを殺した女が誰なのか。ルキアが殺され擬態が完了した後、犯人が去った後でも知る術がある。その場の思念を集めて映像化する能力を持つ魔剣を使うことで、ルキアを殺した行為を再現する。
時間が経てば思念情報は曖昧になるが、人を殺したばかり、それも強い負の思念を持って起こした行動であれば、より鮮明に映像として引き起こされる。
実際に試したのだから、それは間違いない。
「ララァの言う通り、念のために確認はしておいた」
「じゃ、どうしてルキアちゃんを蘇生させたの?」
ルキアを蘇生させたのは、ルキアを殺した女が誰なのかわからないからこそだったはずだ。わかっているなら蘇生させる必要などない。少なくとも、ルルキエルはそのようにルキア当人に説明している。
「その理由は前にも言っただろう?」
「確認してもわからなかったの?」
「擬態前の女がカトローナ・ヘトヴィクであることは確認したさ。その場でわかったのは顔だけだったが、シルメリアの件で見覚えのある顔だったからな。特定は簡単だった。だがそれだけだ。犯人が誰なのかはわかっていない」
たっぷり数秒間、沈黙が降りた。
「……えーっと……ごめん。お姉ちゃん、ルルの言ってることがわかんないよ」
別段、不思議なことでもなんでもないのだが、断片を切り取って繋げているからか、ララカットは理解が追いついていないらしかった。小さく息を吐いて、ルルキエルは整理も兼ねて、あの日の夜のことを思い浮かべることにした。
「五日前の夜、第四区画の外れにある公園内で、散歩中のルキア・ミルトスが何者かに襲われて殺された。時間は深夜一時。死因は料理包丁程度の刃物による刺突と、それによる出血によるもので、刺し傷は複数箇所に及んでいた。
犯人はその後、魔剣ディットクレイの魔法を用いてルキアの死体を『アベンダ・テレスタ』に擬態させ、自身を『ルキア・ミルトス』に擬態してその場を去った。
ここまではいいか? ……よし。
さて、その様子を見ていた俺は——」
「っていうか、見ていたなら助けてあげなさい」
「何故?」
「いや、そんな、真面目な顔して問い返されても困るんだけど……殺されそうになってるんだったら、助けてあげてもよかったでしょうに」
「何が原因で殺害を実行したのかもわからんのに口出しする気も手出しする気も無いな。面倒くさい。もとよりルキアがどうなろうと知ったことでは無いし」
「うぅっ……なんでこんな冷たい子に育っちゃったんだか」
「教育者のせいだろ」
「え? わたし?」
心外だ、と言わんばかりに自分を指差して固まったララカットをよそに、ルルキエルは話を続けた。
「その殺害現場を見ていた俺は、犯人が立ち去った後、ララァが言った様に魔剣を使って残留思念から犯人の特定を行った。映像に現れたルキア殺害の実行犯の顔は、見覚えがあったのですぐに思い出した。カトローナ・ヘトヴィクだ。
映像の中のカトローナは俺が見ていたのと同じ様にルキアを殺害して擬態させ、自身がルキアになった。
それを見て俺は、ルキアを蘇生させることに決めた」
「ちょっと待って」
「……何だ?」
「犯人、既にわかっている様に思うのはわたしだけ?」
「ん?」
「え?」
そしてまた数秒、お互いを見つめあう。今度の沈黙はどこに認識違いがあるかを探る為だ。
「ああ、そうか。ララァが誤解している理由がわかった。結果だけみればララァの言う通りなんだが、過程が重要なんだ」
「過程?」
きょとんと首を傾げて見せるララカットの頭を撫でたくなる衝動を抑えつつ、ルルキエルは根本的な質問を投げかけた。
「ララァが聞いたことだぞ? 何故、俺があの現場にいたのかってな」
「偶然じゃないんだよね?」
「さすがにそれはない」
我ながらすぐバレる嘘をついたものだと、ルルキエルは苦笑した。心の何処かでは誰かに聞いて欲しいという思いもあったのかもしれない。少なくとも、ルキアに話せる内容ではない。
「順を追って説明する。まず最初に浮かんだ疑問。何故ルキアを殺し、ルキアに擬態した犯人——カトローナであるとは思うが、まぁここは、様式美に則って仮にAと呼称するとして——は、殺したルキアをアベンダに擬態させたのか」
「自分に擬態させたら、付き合ってた元彼に疑惑が向くからじゃないの?」
「擬態させた、という行為だけならその通りだ。では何故『アベンダ』の姿を選んだ?」
「…………たまたま?」
そう口にしたララカットも、それはないというような表情だ。
「もちろん、その可能性もゼロではない。けれどもし、擬態させる対象がアベンダでなければならなかったとしたら?」
「理由があったってこと?」
「俺はそう考えている。理由は二つ。一つは、殺す難易度だ。アベンダに擬態するためには、アベンダを殺す必要がある。
では、その殺すにあたってアベンダは適切な人間だろうか? 答えは否だ。確かに彼女は天涯孤独だし、友人も少ないと聞いている。俺が調べた限りではプライベートでも付き合いのある人間は少なかったそうだが、それでも皆無ではない」
アベンダは辞職したとはいえ元ギルド職員だ。資材部は基本的に内勤だから外部の人間との接触は少ない。だが、部署にはそれなりの人数がいる。プライベートはともかく、仕事上の関係者は少なくないだろう。
「そんな人間を殺す場合、露見する可能性だって当然ながら高くなる。自分や、元彼氏に容疑をかけないよう工作するために選ぶには、余りに難易度が高い。アベンダよりも工作に向いている、もっと殺しやすい人間は大勢いたはずなんだ。何故アベンダが選ばれた? 偶然? いや、そうじゃない。それが二番目の理由だ」
二つ目。
「あの骨の言うことを信じるなら、アベンダは五年前に殺されていることになる。結果、ギルドの資材部で五年以上仕事をしていたのはアベンダではない」
「……犯人A?」
「そう考えるのが自然だ。ではその理由は? 犯人Aは少なくとも二人以上の人間を殺している元シルメリアの助手だ。人体実験の関係者であったことは間違いない。当然、姿を隠そうとする筈だ。だが犯人は自らの姿を変え、堂々とギルドに居座った」
「二人? アベンダとルキアちゃん?」
「アベンダはともかく、ルキアは時間軸としては合わないだろ。犯人Aは、どうやって恋人と会っていたと思う?」
「そりゃ、待ち合わせとかしたんじゃないの?」
「……いや、すまん。聞き方が悪かった。犯人Aはどの姿で恋人と会っていたのか、ってことだよ」
一人はアベンダ・テレスタ。しかし、彼女ではない。もしそうなら、犯人Aはルキアをアベンダに擬態させたりしない。
もう一人は、犯人A本来の姿。だがこれもない。理由は先も言ったとおり。表立って指名手配はされていないが、シルメリアの関係者としてその罪状がなくなったわけではないからだ。
であれば、必然的にもう一人いるはずなのだ。犯人Aが普段の生活用にストックしていた擬態用の姿が。
「それが誰かはわからん。けれどこの場合、それが誰かを知る必要はないんだ。殺された当人には申し訳ないがな。重要なのは、犯人Aがどういう生活をしていたのか、という一点に尽きる」
犯人Aは、普段恋人と会う時の姿と、ギルド職員であるアベンダとしての姿を切り分けていた。どうして切り分ける必要性があったのか。アベンダに擬態する必要性はどこから生まれたのか。灯台下暗し、ということもあるかもしれない。だが根本的な目的を推測した時、行き着く答えは一つしかない。
「……諜報活動?」
「資材部は魔剣製造の為の素材なども管理するから、心配になって調べてみれば、案の定、横流しもされていたよ」
「はい?」
「お前たちをテスフロスから返した後、資材部のある第三支部ダイタロスに寄って、管理台帳を調べた。管理されている素材の幾つか、台帳の数字と在庫に差異があった。棚卸し担当はアベンダ・テレスタだ。間違いない」
普通、こういう資材管理の棚卸しは、不正やミスを防ぐ為ツーマンセルで行われる。アベンダも同じだ。彼女が数え、相方が確認する。交代してもう一度確認し、そこで始めて記録される。だから棚卸し自体に不正はないと考えていた。
「棚卸しの際に組んでいたらしい相方とやらも、二ヶ月前に辞職している。行方はわからん」
「買収されていた?」
「だろうな」
そういう意味では、頭が痛くなる問題を残してくれたとも言える。が、それは後で考えればいい。
「でも、一体どこの組織が?」
「ギルドに敵対する組織がないというわけじゃないが。もっと単純に考えた時、別の推論が浮かび上がってくる」
犯人Aは魔剣を持っている。その魔剣を使ってアベンダを殺し、ルキアを殺した。その魔剣を使えば、他人になりすまして全く別の人生を送れたはずなのにそうしなかった。わざわざギルドに残って諜報活動をし、不正を働き、資材の横流しをしたのは何故か。
「そしてそもそも、犯人Aに擬態の魔剣を預けたのは誰か? 考えられる可能性はそう多くない。犯人Aが誰の助手だったのかを考えれば、答えはおのずと導き出される」
「……シルメリア?」
「その可能性が最も高い」
だから、ルキアはアベンダに擬態させられたのだ。
ルキアを殺した動機は嫉妬から来たものかもしれない。だが殺した後のルキアの遺体をアベンダの姿に擬態させたのは、シルメリアに犯人Aが死んだと思わせたかったからだろうと、ルルキエルは睨んでいる。
「擬態の魔剣ディットクレイの存在を知っているはずのシルメリアが、犯人Aの死を信じるはずはない。けれどアベンダの姿を他人になすりつけ、犯人Aは別の人間になった。この時点で、シルメリアが逃げた犯人Aを追うのは流石に無理だろう」
つまりルキアが擬態させられた本当の理由は、犯人Aがシルメリアの呪縛から逃れる為、というのがここまでのルルキエルの推論だ。
「でもシルメリアはもう死んだのよ? ルルの話は、あの女が生きていることが前提になってるじゃない」
「そうだな」
それはルルキエルも認めるところである。だから、それを証明する為に、調べなくてはならないことがあった。
「ところで、ララァ。五年前、シルメリアを討伐した時のことは覚えているか?」
「え? ………うん、まぁそれなりには」
「シルメリアが細工出来ないように魔法を無力化、魔剣を使用出来ないようにして、その上で殺したんだったな?」
「そうよ」
「それじゃ、そのシルメリアにトドメを刺したメンバーに、今でも連絡が取れるか?」
しばし逡巡した後、ララカットは首を横に振った。
「……わからない。一人は病死したわ。お葬式にも参列したし。他は……どうかなぁ?」
「調べてくれ。後、当時死亡した二人の遺体は、両方とも回収したのか?」
案の定、ララカットの表情が訝しげなものに変わる。
「……いいえ。確か一人は粉々に吹き飛ばされて遺体は欠片も残らなかった筈よ。わたしは見てないけど。でも、もう一人の方は丁重に弔った記憶があるわ」
「そうか。ではそちらも、遺体の現状と、遺族の居場所がわかるなら調べてほしい。明日、大至急だ」
そうしてしばし、沈黙が二人の間に横たわった。
「ちょっと待って!」
今度の待っては、随分と力のこもった声だ。
「シルメリアは確かに殺したのよ?」
「本当に、当人だったか?」
「ディットクレイは、自分か、もしくは殺した相手しか擬態出来ないんでしょう?」
語気が強くなっているララカットに対して、ルルキエルの応答はどこまでも平坦だ。
「確かに、ディットクレイはそうだ。けれど他人になる魔剣というのはディットクレイだけじゃない」
シルメリアが在任中に、幾つかの魔剣が喪失している。ディットクレイはそのうちの一つだが、似たような能力を持つ魔剣も同時に行方が分からなくなっていた。
その喪失した魔剣の中に、シリアルNo.277『ニグロス』という魔剣がある。
「他者に憑依する魔剣だ。ディットクレイのように自分を他人にするのではなく、他人を自分にする。あくまでベースは他人だから、自分の能力をコピーは出来ない。記憶は持っていけるらしいが、なりすますことができるほどに応用性は高くない。だが相手を殺す必要がない、という点ではディットクレイよりは扱いやすい」
だから調べなくてはならない。
五年前、確かにシルメリアは殺せたのか。
「……………」
ララカットからの返答はなかった。
「俺は、シルメリアがまだ生きていていると考えている」
そして犯人Aに擬態させ、ギルドの情報を流させた。その間、シルメリア自身はどうしていたのか。それがつまり——
「最初の質問の回答に戻ろうか」
ルルキエルが、ルキアの殺された現場に居合わせた理由は。
「シルメリアは、ルキアかルシオラのどちらかに擬態、または憑依している」
そう考えていたからこそ、ルルキエルはミルトス家に少なからず注視していた。ルキアを殺した犯人など最初から視野に入れていない。ディットクレイの回収ですら、ついででしかない。
「ルキアに憑依していないのは、彼女を蘇生させた段階で把握した。ディットクレイによる擬態の重ね掛けは出来ないから、彼女はシルメリアではない。残るはルシオラのみだ」
ルルキエルが欲しているのは、後にも先にも、シルメリアが生きているかどうかというその答えのみである。
「……そんなこと」
「ないと言い切れるなら、それでいい。杞憂なら何の問題もない。だが、もしそうでない場合、少しどころか相当に面倒なことになる」
「面倒な?」
「ララァは、シルメリアがなんで人体実験までして魔剣開発の研究をしていたか、聞いているか?」
「すごい魔剣を造る為?」
一瞬、ルルキエルは絶句した。
「ざっくりだな。いや、間違ってはいないんだが、いくらなんでも大雑把すぎだ。もう少し具体的に」
「具体的? …………というと、格好いい魔剣とか?」
「よしわかった。知らないなら、説明する」
嘆息を交えて、ルルキエルは結論を口にした。
「シルメリアの研究の最終到達地点は、魔剣の完全制御だ」
「かんぜんせいぎょ?」
「うん。わかってない顔だな」
さもありなん。今のでわかったらそれはそれですごい。
「魔剣の扱いにくさはララァも知っているだろう? 俺がギルドマスターになるまで、ギルドに格納されていたおよそ三百本弱のうち八割から九割の魔剣は死蔵扱いだった。魔剣を制御する為の工程をクリア出来る使い手がいなかったからだ」
ルルキエルが、犯人Aの背後にシルメリアの存在があると考えた背景の一つでもある。Aがディットクレイを使えると考えるよりは、ディットクレイを制御化に置いた誰かがAに貸し与えたとするほうが可能性が高いからだ。
「魔剣を完全に制御化に置くには、十の工程をクリアしなければならない」
誓言、起請、契約 による初期工程。
接続、構築、連結、展開、駆動での起動工程。
破棄、切断の終了工程。
「合計十の工程を完璧に制御してようやく使い手として魔剣に認められる」
魔剣の使い手が極端に少ないのは、その能力の有用さに反して制御工程が極めて難解だからだ。さらには、魔剣ごとに各工程で処理しなければならない内容が異なることも、その事実に拍車をかけている。
だがもし、魔剣の極めて難解な制御を、対象とする魔剣を問わずに攻略できたとしたら。
「シュヴァリアー作の魔剣を、全て己のものに出来ることになる。まだギルドの管轄にない魔剣の中には、大量殺戮の可能な魔剣もあるからな。シルメリアに渡すわけにもいかない」
人の命を素材としか考えていない人間である。導き出される結果は火を見るより明らかだ。
だが、かと言って公的に堂々と調査は出来ない。公的な事実としてはすでに死んでいるのだから、ルルキエルが他に口外しなかったことにララカットが反論出来るはずもなかった。ミルトス家を監視していた時点では、シルメリアが生きているかもしれないと考える根拠は、ルルキエルの『勘』でしかなく、可能性もまたまだわずかでしかなかったからだ。
それが、数日前にルキアが殺された時点で一変した。
「さて、とりあえず今の時点で話せる内容は話した。今日はもう寝よう。明日も早い。ララァには他にも頼みたいことがあるしな」
「いや、あの、目が完全に冴えちゃったんだけど?」
思わぬ話を聞かされて感情が高ぶっているからだろう。ルルキエルは苦笑して、ふてくされたように頬を膨らますララカットの頭を撫でた。そう言えば、幼かった頃によく彼女に同じようにしてもらっていたことを思い出した。寝付けずにいると、寝るまで付き合ってくれていた。まさか自分が彼女に同じことをするようになるとは思わなかったが。
「一緒に寝てやるからおとなしく目を瞑れ」
「思っていた以上にとんでもない情報が飛び出てきて、お姉ちゃんはびっくりだよ」
その後もしばし文句を言い続けるララカットを宥めすかしながら、ルルキエルは灯りを消してベッドに身体を預けた。それなりに疲れていたらしい。睡魔はすぐに襲って来た。
傍でもぞもぞと動く気配が続く。ララカットだ。今更、別の部屋に行けと言う気も起きなかった。諦めは彼女にも伝わったらしく、寝る位置を定めると嬉しそうに笑った。
「久しぶりだねー、一緒に寝るの」
「抱き枕は勘弁してくれよ?」
「しかたないなー。腕枕で許してあげよう。おやすみ、ルル。明日も頑張ろうね」
出来れば離れて寝て欲しい、と言ったところで聞く彼女でもない。ため息で応答して、ルルキエルは腕を差し出した。そこに小さな重みが加わる。朝になれば痺れて動けないことは覚悟しておかなければならないだろう。
だが、決して不快な気持ちではなかった。
一緒に寝るのは子供の頃以来だ。懐かしさはある。だがそれ以上に、胸の奥にくすぶるくすぐったさに、ルルキエルは知らず笑みを浮かべた。自分にもまだこんな感情が残っていたことに、小さな驚きさえ感じる。
灯りの消えた部屋、けれど暗闇ではない空間。バイザーを外して寝るのは本当に久方ぶりだった。寝る前にはいつもバイザーの機能をカットしていたから、いつもは部屋の様子さえ映らない。
しばらくして隣で小さな寝息を立て始めた姉につられる様にして、やがてルルキエルも意識を手放した。
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