殺されたのは誰で、殺したのは誰か①
/1.0204 殺されたのは誰で、殺したのは誰か
冷静になって考えてみれば、ルシオラ・ミルトスがアベンダ・テレスタを殺したと考えるのは無理がある。
第五居住区でのモンスター発生騒動をどうにか穏便に済ませ、周囲に気づかれないようにテスフロスにあるルルキエルの執務室に戻った一同を前に、ルルキエルは改めてそう切り出した。
「ど、どうして?」
涙目で問いかけてくるルキアに落ち着くように諭してから、ルルキエルは彼女の後ろで直立不動で立っているスケルトンに視線をやった。
アベンダの成れの果て——骨だけのアンデッドモンスターは、今はララカットによる主従契約によって大人しくしている。
モンスターテイムによる契約がどこまで彼女? の憎悪を抑えてくれるのかは疑問だが、今のところ暴れる様子もなく、ソファで膝を抱えているルキアの方をじっと見ていた。モンスターだというのに不思議と理性的である事実には素直に感嘆する。これがテイムによる恩恵なのか、それともこのアンデッドが特殊なのかは、ルルキエルには判断しかねるところだ。
頭蓋の奥――腐り落ちて何もないはずの空洞は今は暗くくすんでおり、外から窺い知ることは出来ない。その靄こそがスケルトンの本体だと聞いたことがあるが、真偽のほどは定かではない。
その暗く深い闇色の双眸を向けられている当のルキアは、その視線よりもルシオラのことが気になって仕方がないらしい。不安に駆られて所在ない様子をアルトが宥め、それを見たララカットが嫉妬の視線を向けると言うよくわからない構図が出来上がっていた。
「……その質問に答える前に、まず最初に確認しておこう。アベンダ、君は自分がいつ殺されたかおぼえているか?」
《……ゲオルギウス歴、一○一二年の五月、までの、きおく、はある》
世界統一年号で答えるあたり、意外と物覚えのいい骸骨である。脳がないのにどこから記憶情報を引き出しているのだろうかと疑問に思ったが、それはモンスター研究学にも付随する難問で、今この場において言えばどうでもいい議題のため、脇においておくことにした。
「五年前か。白骨化を考えると少し短いな」
「短い? 骨だけになるのに、どれくらいかかるものなの?」
ララカットの問いに、ルルキエルを除く全員が首を横に振った。
「今の季節の外気ならおおよそ一月と言った程度だが、土の中だと話は変わる。デュランダルの土地柄なら平均で言えば七年から十年といったこところか」
統計データがあるわけではないから確実ではないが。
「人工的には出来ないの? 自然に任せるんじゃなくて、犯人が自分の手で死体を白骨化させた可能性は? ほら、水属性の魔法に酸化の雨があるじゃない?」
ララカットの疑問に、しかし今度はルルキエルが首を振って否定した。
「最初の質問の答えから言うと、出来る。人工的に死体を白骨化させることは可能だ。ただし、ララァの言うような水属性の魔法では都合良く骨だけ残すようなことは出来ない。よしんばその調整が出来たとしても神懸かり的な制御力が必要だ。最低でも第三階位・天霊クラス以上を扱える技量に加えて、骨だけをキレイに残して皮と肉と臓腑を剥ぎ取るだけの繊細な操作力に、長時間魔法を維持する為の魔力がいるだろう」
十万人に一人。十年に一人。それが第三階位の魔法を使役出来るような魔法士が現れる確率と云われる。それを思えば、魔法を使ったと言う可能性は考慮の必要がないほど低い。
「魔法以外は?」
「特殊な薬品を使わないといけない。市場には出回っていない特殊なものだ」
タネを明かしてしまうと、それを利用することが出来るのは工業ギルドの一部署だけである。それも厳重に管理されているため、不正利用など出来るはずもない。
そもそも、
「その薬品が開発されたのは三年前。アベンダが殺されたのは今から五年前。薬品が使われたという可能性はない」
しかし促進するだけなら効果のある技術はずっと前から存在する。それを使えば二年程度の誤差は埋まるだろう。
「精々が促進剤を使用した程度だろうな。例え魔法や薬品以外で、白骨化出来る何かしら他の手段があったとしても、それを用いた可能性もやはりないと思う。何故ならそんなことをする理由がないから。これが二つ目の答えだ」
「理由がない?」
「考えてもみろ。犯人自らの手で死体を白骨化出来るなら、そのまま砕いて焼却してしまえばいい。魔法でも薬品でも、骨だけを残すメリットがあるか? わざわざ地面の中に埋めて発見される可能性を残すなんてことをする必要がない。実際に犯人の立場になって考えてみろ。自分が犯人だった場合はどうする? ララァ、君なら魔法で死体を白骨化させることも可能だろう?」
「やったことないけど、多分出来ると思うわ。でもやらないと思う」
「何故だ?」
「……正直、面倒くさい。死体ごと消滅出来て、もっと手間のかからない魔法ならいくらでもあるんだし」
「それが答えだ」
「な、なるほど……」
ララカットが納得したところで、ルルキエルは改めてルキアに向き直った。
「さて、それを踏まえて、アベンダを殺した犯人がルシオラ・ミルトスでは無理があると言った理由は――」
「理由は?」
期待した目でこちらを見るルキアには悪いが、さほど大したものでもない。
「彼女が当時はまだ子供だったからだ」
ルキアは十八歳。当然、双子であるルシオラも同じである。逆算すれば、アベンダを殺したのは五年前の十三歳、と言うことだが。
「それはちょっと理由としては弱いよね? 子供が人を殺すことだって、珍しくないでしょ?」
残念なことだがララカットの言う通りである。案の定、ルキアが再び絶望したような顔でうつむいていた。
「それはその通りだが、俺が言っているのはそういう感情論じゃないぞ」
「え?」
「五年前のルシオラはまだ子供で、十三歳、ちょうど成長期に差し掛かった頃だろう? いくらなんでも十八歳の今と、全く同じ顔なわけがない」
とはいえ、それは整形したわけではなく本人が成長しただけなのだから、違う顔と言うには語弊がある。同じ顔だと大概の場合は表現してもいいだろう。そこにはもちろん大人っぽくなった、綺麗になった、などの形容句もつくのだろうが。
だが今回の場合はどうか。果たして、モンスター化して早々に、ルキアの顔が五年前に自分を殺した女のそれだと断じることができるだろうか。殺人者の顔を覚えていたとして、五年も経ったことなど知りようもないはずのアベンダが、しかし迷いなくルキアを犯人だと指差した。それはなぜか。
「ルキアを襲った理由は、やはりそれが自分を殺した女の顔だと勘違いしたからだろう。だがそれは、『今のルキアの顔』と似ている人物だ。五年前はまだ子供だったお前たち姉妹のことじゃない」
アベンダを殺した犯人がルシオラだという可能性を捨てたわけではない。ただ可能性の話で言えば、彼女よりもさらに高い確率で犯人だと推測出来る人物がいるだけだ。
「で、でも! えぇ? それじゃあお母さん?」
「確かにシエラも君ら姉妹によく似ている――いや、この場合は、君らがシエラにそっくりだと言えばいいのか――が、証拠はないし、確かなことは言えんが、彼女でもないだろうな。いや、これもただの可能性の話なんだが」
随分曖昧な物言いに、ルキアが眉を潜めた。話がどこに向かっているのか見えていないからだろう。一方、ルルキエル以外で終着点に察しがついたらしいララカットが一人、納得したように手を打っていた。
「お母さんでもない?」
「もう一人いただろう、君らによく似た顔の女性が」
「似た人?」
一拍開けて、ルキアは該当の人物を思い出した。
「…………っていうと、シルメリアさん? 確かにお母さんの双子のお姉さんだから、お母さんとは瓜二つだし、私たちとも似てるけど……」
シルメリア・フラン。ルキアとルシオラの母であるシエラ・ミルトス(旧姓・フラン)の双子の姉。ルキアたち姉妹の叔母である。
「けど?」
「でもあの人、確か五、六年前に亡くなったはずよ? お母さんが亡くなる少し前に。隣町に移動する際の事故だって聞いているけど」
「それはそうだろうな。ただし死因は事故じゃない。君の叔母であるシルメリア・フランは処刑されたんだ」
「…………え?」
ルキアの声が詰まった。驚くの無理はない。近親者にすら公開されていない秘匿情報だからだ。
「理由は服務規程違反、並びに、その他重犯罪行為の実行だ。シルメリアが犯した罪は、主に非合法な人体実験。それに付随して行った誘拐、殺人、奴隷以外の人身売買。さらには、その資金調達のために始めた麻薬の製造、密売——他にもいろいろあったが、目立ったのはこの辺りか。何にしても、奴はその罪によって五年前に逮捕されて、裁判も開かれることなく秘密裏に処刑された。そうだな? ララァ」
「ええ、そうよ」
しかしルキアは、ララカットに話が振られたことでさらに混乱した。
「五年前、私を含めた当時のギルドマスター三名と信頼できる戦闘能力保有者五名で、工業ギルドマスター、『シルメリア・シュヴァリアー』を捕縛。その場で処刑したわ」
「……………………え?」
「シルメリアは、シュヴァリアーの名を継いだ工業ギルドの第九十七代守護聖人だ」
「えぇぇぇぇぇぇぇ————っっ?」
シルメリア・シュヴァリアー。第九十七代工業ギルドマスター。
就任は十二年前。五年前に更迭、処刑されるまでの七年間をマスターとして勤めた。その間、魔剣を研究、製造することに取り憑かれ、大勢の人間を拉致しては非人道的な人体実験を繰り返した、狂気のマッド・サイエンティストである。
「実験の対象が君の母親——実の妹に及ぶに至って、巧妙に隠されていたシルメリアの犯罪が露見した。事態を重く見たギルド連合は、国家主席議会の承認を得てシルメリアのギルドマスター地位と権限剥奪。並びに捕縛を敢行した。それが五年前だ」
「けど、当然ながらシルメリアも大人しく捕まってくれなくてね。程なく任務レベルは捕縛から抹殺に変更。討伐メンバー二人と、君のお母さんを犠牲にして、ようやく捕らえて殺すことが出来たってわけ」
当時を思い出したのか、ララカットの顔色もあまり良くなかった。漏れ出たため息に疲れが見えたのは、それだけ当時の彼女にも負担があったからだろう。
「…………………………」
「ルキア。混乱する気持ちもわかるが、今は聞き流せ。シルメリアのことは重要なファクターだが、そこは結論じゃないんだ」
「……えっと……ごめんなさい。ちょっと、整理がつかなくて……」
一度に重要な情報が流れすぎたせいか。ルキアの心情は戸惑いの方が強かった。頭の中がこんがらがっている。母が死んだことも、叔母が死んだことも。その真相をなに一つとして知らされていなかったことに酷く胸が締め付けられた。
もっとも、叔母の方はほとんど交流がなかった為、薄情かもしれないが亡くなったと聞いた時もさほど悲しみはなかった。ルキアにとってシルメリアと言う女性は、母の双子の姉という血縁上の関係はともかくとして、心情的には赤の他人である。
確か五年前も、葬式が行われたことすら知らされず、全て終わった後に話を聞いたはずだ。その時は手を合わせ祈ることさえ出来なかったことに申し訳ない気がしたものだが、今の話を聞いた後ではまるで感じ方が違った。
母・シエラは、きっとシルメリアに関わって欲しくなかったのだろう。ルルキエルが言う犯罪に手を染めた狂人だというなら娘を近づけさせたくないだろうし、ルキアだって近づきたくない。
(お父さんは知ってたのかな)
当人がいないところで想像しても埒が明かないが、ただなんとなく、ゼス・ミルトスは事情を知っていたのではないかと思った。そうだとしたら憤慨ものだ。子供の頃ならいざ知らず、大人になった後でも隠し続けるなんて。
(いえ、違うわ)
そうじゃない。今は、感情の矛先をどこへ向けるかよりも、耳を傾け言葉を聞くべきでだ。今は怒るところではない。悲しむところでもない。
知るところだ。
話を聞き、言葉を飲み込んで、それから叫ぶとしよう。
「事情を知らなかった君には酷な話かもしれないが……」
息を吸う。ゆっくりと飲み込むように。そうしてゆっくりと、心の中のモヤモヤごと息を吐き出して、ルキアはようやく顔を上げた。
「……いえ。大丈夫よ。続けて」
「後で良ければ当時の内情も教えよう。勿論、口外しないことが前提だが」
「随分気前がいいのね。機密情報なんでしょう?」
「それはそうだが、今の君はもう十二分に関係者だ」
「……わかった。とりあえず、聞くだけ聞いてから考えるわ。今は、続けてもらえる?」
「了解した」
ルキアが落ち着くのを待って、ルルキエルは施錠された書棚を解錠して一冊のファイルを取り出した。
「シルメリアに関する情報をまとめたファイルだ。記録によれば、シルメリア・シュヴァリアーの人体実験の被験者に生存者はいない。もちろん、全員がリストアップされていた保証はないから、漏れている可能性もある。アベンダもその被験者かもしれないが、生憎リストには名前がなかった」
少なく見積もっても四年間、アベンダはギルドで仕事をしていた。しかし目の前のスケルトンの証言を信じるなら、彼女は五年前に殺されていることになる。アベンダを殺した『魔剣ディットクレイ』を使って、誰かが四年もの間、身分を詐称していたということだ。
その擬態していた何者かが、アベンダを殺したという証拠はない。それと同じように、彼女がシルメリアの被験者で無かったという証拠もない。「どちらとも言えない」が今言える真実で、だからこそルルキエルは、シルメリアがアベンダを殺した可能性は低いと考えていた。
「そもそも死亡した被験者を地中に埋める理由がない。大概の被験者の遺体は処分されたはずだからな」
《わたし、うそ、いってない》
「だろうな」
ルルキエルも、『アベンダが嘘を言っている』とは思っていない。
「シルメリアがアベンダを殺した、かもしれない。ただ、ルキアを殺したのはシルメリアではない。シルメリアは確かに五年前に死亡した。魔法工作が不可能なように、一切の魔法を無効化する切り札まで使い、死体はチリ一つ残らないよう完全焼却したし、彼女の研究室にあったデータも、一部を除いて物理的に破棄した。ただし——」
ファイルを開く。一ページ目に乗っていたのは見覚えのある顔だった。自分の、というよりは母と同じ顔をした女性。
《このおんなと、おなじ、かお?》
アベンダも見覚えがあるらしい。もっとも、ルキアとシルメリアは似てはいるがやはり細部で造形が異なっている。よく見ればルルキエルたちならわかる違いも、スケルトンには同じに見えるのだろうか。
「ただし、当時シルメリアの助手をしていたギルドの研究員の中に、行方が知れていない人間が何人かいる。シルメリアを更迭する前に姿を消したらしく、追うことが出来なかった連中だ」
ファイルをめくる。現れた写真は全て女性のものだった。工業ギルドの研究員であり、ギルドマスターの助手を務めるだけあって、どの女性も理知的な顔立ちをしているように見える。
一ページに二人分。見開きで四人分のデータが載る冊子を、ルルキエルは無言でゆっくりとめくって行き、そして——
「あ」
《お》
ルキアとアベンダの声が揃ったところで、その手を止めた。ゆっくりと二人が一人の女性の写真を指差すのを見て、ルルキエルは薄く唇を歪めた。
「見つけたな。彼女が君達を殺した犯人だ」
カトローナ・ヘトヴィク。当時二十五歳。
あの夜、嗤いながらルキアを刺し殺した女の顔だった。