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プロローグ

以前同タイトルで投稿していた作品をリニューアルさせています。気長にお付き合いいただければ幸いです。

 /1.0001P   プロローグ


 闇に安らぎを感じ始めたのは、いつの頃からだろう。


 月と星と――それよりはもう少し身近で光るわずかな街灯だけの空間。澄んだ空気に身を委ねて、その日疲れた身体をリフレッシュするのが日課になったのはここ数年だが、子供の頃から彼女は夜が好きだった。


 彼女と彼女との家族が住む、ここ王都デュランダルは夜でも灯りと人の活気が途切れることのない街だが、そういった区画は限られた一部だけである。流石に深夜零時を回った時間ともなれば、人の住まう居住区は静まり返っていた。立ち並ぶ一軒家のほとんどにも明かりはない。だが人が住む場所だからこそか、街灯は整備され、決して暗闇にならないように配慮されているあたり、この国の裕福さが伺える。


 そんな住宅街に走る大通りから外れた小道を抜け、街のハズレにある公園を通り過ぎた川の畔が、彼女のお気に入りだった。


 朝はペットを連れて散歩する人やジョギングに精を出す人をよく見かける。昼は暇を持て余した主婦による井戸端会議が開かれ、夕方は学生や子供たちが疲れを知らぬとばかりに戯れる。


 そして夜は、彼女の空間となる。


 不思議と日が落ちたあとは人気がなくなるが、彼女にとってはむしろ、それは好都合だった。


 水の流れる音は、仕事で疲れた心を癒してくれる。ちょうど街灯が届かない位置だが、月明かりに照らされた水面がキラキラと反射するため、夜でもここは存外に明るさを保った場所だった。


 と、せせらぎに耳を済ましていると、すぐ近くに人の気配がした。今日は一人になれなかった。そんな日もあるだろう、別に彼女の土地というわけではないのだから。


 歩いてくる歩調からして女性だろうか。だから彼女は、夜の散歩中に出会った相手を闖入者とは思わなかった。むしろ今日みたいな月明かりの綺麗な日に、たまに出会った同性に対して何かの縁を感じた。相手の時間が許すなら、少し世間話くらいはいいかもしれない。


――などと、平和なことを考えた数分前の自身を叱咤したい気分だった。


 平和で穏やかだった時間は唐突に破られた。彼女がほんの少し警戒を緩めたその瞬間、深夜の河川敷で出会った相手が、こちらの挨拶に言葉を返すよりも先に銀色に輝く鋭利なナイフを差し出したからだ。


 最初の一撃で致命傷を負わなかったのは単に運が良かったからだった。月光に反射して輝きを放つ刃に反応したというより、近づいてきた相手の発していた雰囲気に一歩引いたから、というのが正しい。


 それがいわゆる殺気だということを、残念ながら彼女は知らなかった。痛みよりも先に斬られたことによる出血に驚いて、彼女はさらに一歩引いた。


 瞬きを幾度もしないうちに、思考が追いつく。


――斬られた!


「何をっ!?」


 毒づいたところで返答はない。


 殺せなかったことは相手にも想定外だったらしい。一瞬、手元のナイフを確認したあと、さらなる一撃を加えるべく襲いかかってきた。


「くっ!」


 それを寸でのところで躱す。躱して、すぐさま踵を返して走った。動いてくれた身体もそうだが、自分が襲われて、殺されかけたのだということを理解した自分の頭を、心の底から褒めてやりたい気分だった。


 頭では理解した。身体も従ってくれている。


 だが、心が全くついていけていない。


 何故自分が襲われなければならないのか。ただの愉快犯? いや、相手は楽しんでいるようには見えなかった。なら恨まれているということなのだろうか。


 生憎、恨まれるほど波乱万丈な人生を送った記憶はない。品行方正とは言えないまでも、人様に顔向け出来ない様な生き方はしていないつもりだった。


 自分が生まれる前に冒険者をしていた両親から戦闘訓練を受け、その成果を試すために妹と一緒にギルドにて冒険者資格を有したのはほんの二ヶ月前だ。


 冒険者として、初心者に毛が生えた程度であることは自覚している。父が経営する店の手伝いが忙しくて、資格取得後も冒険らしいことをしたことはない。


 だから職業が何かと聞かれた時、彼女はいつも『ウェイトレス』だと答えるようにしている。


 それでも自分にはそれなりに戦闘力が備わっていると思っていた。実際、正面からきちんと対峙したなら、自分よりはるかに大きな男をのしたこともあるのだ。


 きちんと訓練を受け、戦闘技法を身につけた専門家に敵うほどではないだろうが、日々の鍛錬を欠かしたことはなく、都度上昇していることが自覚できる技量に、ある程度の自負があった。


 だが。


 それが机上のものでしかなかったことを、彼女は今、思い知る。


 つまりは、これが実戦でしか感じ取れない恐怖というものなのだろう。訓練とは違う。特訓とも違う。肌に感じるチリチリとした痛みが、命の危険を教えてくれる。


 彼女がいま、息が乱れ、体力の限界に近づきながらも、未だ斬り傷程度で済んでいるのはその感覚のおかげで、その感覚を育んだのが日々の鍛錬の成果であるのだから、苦労や努力は消して無駄ではなかったらしい。


 だが総じて言えば、今この場では慰めにしかならなかった。


 感覚だけが徐々に鋭利になって行く。だがそれは、決して彼女がこの場合に馴染んだからではなかった。出血により体力が落ち、生命が危機にさらされることで、一時的に身体と精神が敏感になっているだけにすぎない。


 後ろから追ってきている空気はあったが、それも今はだいぶ薄れてしまった。距離が離れてしまったらしい。気配は感じられなかった。


 だがそれでも、恐怖に身体が震えるのを止められない。


 このまま逃げ続けるか、大通りへ出てしまえば追ってこないかもしれない。だが最初に逃げた方向が悪かったせいで、人に助けを求めるには逆方向――つまり、逃げてきた先へと足を転換しなくてはならない。


 このまま前に向かって走り続けた場合、いずれは街の外に出てしまう。それではジリ貧になる可能性が高い。


 運がよければ王都守護隊か、警邏中の警察に出会えるかもしれないし、会えなくても逃げ続ければ追ってこないかもしれない。だが今度は街の外という危険性が生まれる。魔物に襲われる可能性もある。ただでさえ今は夜だ。冒険者資格を有するとはいえ、素人に毛が生えた程度のルキアが、何の準備もなく街の外に身を委ねられる程、世界は安全ではなかった。


 相対するか、逃げるか。


 逃げたとして逃げきれるか。


 迷ったのは一瞬――だと思っていたが、存外に時間をかけてしまったらしい。不意に感じた空気に思わず足を止める。


「え?」


 それは前からやってきた。


 だから、間近に迫っているのが死の匂いであることに思い至らなかった。そのわずかな間がいけなかった。


「死んで」


 ぞっとするほど暗い声だった。


 思わず息が止まるほど、それは濁った瞳だった。


 どうして追いつけたのかと思わせるほど痩せ細った身体だ。目の下にクマを作り、血の気を疑うほど真っ青な顔をみて、彼女はナイフを掲げる相手が女性であることを理解するのに時間を要した。


「あなた、誰?」


 肉を切り裂く音がうねった。切れ味が悪いのだろうか、などと他人事のように感想を抱きながら、自分の身体にナイフが深く刺さって行くのを見つめる。


 不思議と痛みはなかった。


 あったのかもしれないが、少なくとも彼女はそれを感じ取ることができなかった。


「あたし?」


 ともすれば聞き逃してしまうほど小さく、ぼそりと、襲撃者は口にした。


「あたしはあなたになるの」


「……え?」


「あなたみたいな女がいるからいけないのよ」


「……どう……して?」


 視界がぼやける。意識が揺らめく。声を発しようとしても、息が抜けてしまいうまく音にならない。代わりに、ヒューヒューという音だけが喉から漏れ出た。


(私は……)


 死ぬのだろうか。


 こんなところで?


 それは嫌だなぁ……


 彼女が死んだら家族が悲しむだろうから。


 父と同じ冒険者をして、その経験を生かして料理人になり、父の店の暖簾分けをしてもらうことが夢だから。


 姉妹で店を開いて、素敵な男性と知り合って、幸せな家庭を築くのが夢だから。


 それがもう叶わなくなる?


 嫌だ。


 嫌だ嫌だ!


 死にたくない。


 死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない………――


「死に……た……く……な……いよぉ」


「大丈夫よ。あなたは死なない」


 ……え?


「だって、あたしがあなたになるから」


 貴女が、私になる?


「あなたになって、彼と一緒になるの。結婚するの。子供を生むの。家庭を築くの。素敵でしょ?


 だって彼ってば、あたしというものがありながら、あなたのことが好きになったから別れてなんていうのよ、ひどいでしょ? 


 ほんの数日前までは、あたしのことを愛してるって言ってくれてたのに。いきなり手のひらを返したみたいに別れてくれ何て言うから理由を聞いたらあなたのことが好きになったんですって。


 信じられる? 信じられないわよね? 私は信じない。信じるものですか! 


 だって彼は私を愛しているって言ってくれたのよ? 嫌いになったわけじゃない、でももっと好きな人ができたから別れてくれって言うの。


 だからてっきりその新しい女と付き合うのかと思って聞いたら、告白は断られたっていうじゃない。なのにまだ好きなんですって。付き合えないけど気持ちを抑えられないんですって。だからファンクラブなんてものに入るって言うの。


 バカじゃない? 遠くで見つめていられるだけで幸せ? なにそれ。あたしはそんなものにすら負けたの? あたしと過ごした日々は、そんなことにすら劣る毎日だったの? 幸せな日々が続くと思ってたのに。これからも続けて行く努力もしてたのに!


 それを壊したの、あなたが。


 彼のことをふったあなたが!


 彼のことを何も知らないあなたが!


 彼に好かれる努力を何もしていないあなたが!


 だからあたしはあなたになるの。


 あなたを殺してから、あたなになるの。


 ねぇ、聞いてる?」


 ………………。


「ねぇ、最初にあたしが誰かって聞いたわよね? せっかくだから、死ぬ前に聞いてから地獄へ行きなさい。


 もう死んだかしら。聞こえてる――?


 まぁいいわ。反応がなくて少しつまらないけど、少しはスッキリできたからよしとしましょう。


 さぁ、起動しなさい『ディットクレイ』。この女のすべてをあたしのものにするわ。


 それであたしはあなたになる。


 そう――


 今日から、『私』が『ルキア・ミルトス』よ!!」


 女の狂ったような、ひび割れた高笑いが聞こえる、そのずっと向こう側――薄れゆく視界の片隅に、仮面をつけた男を見たような気がした。


 た………す……け……………て……


 すがる思いで助けを求める。


 だが声は出ない。だから届かない。


 流れ行く血を止めることもできず、とどめを刺さんとしている女のナイフに身を委ねることしかできない自分が歯がゆかった。


 ああ、もう死ぬのか。


 それを察した最期の瞬間、漏れ出た意志は助けを求めることでも、命を懇願することでもなく、ただただ、もう会えなくなった双子の妹に対する懺悔だった。



 ごめんね。ルシオラちゃん………


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