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語部探偵事務所  作者: 天村真
少女の影
9/15

8



 水の滴る音を聞きながら、加多利は一人きりの事務所の中で、温い静けさの湯に頭まで浸かっていた。


 菊助が帰ってこない。


 既に日は傾き、強い西日が事務所の中を赤く照らしていた。


 そうして一人でいると、どうしても自分の心の中にある暗い陰が顔を出してくる。

 しかし、陰はまだいい。

 加多利が恐れるのは、その影に潜む獣のような過去の自分だ。


 ふと一人になった時、傍に菊助が居ない時、加多利の中に閉じ込められた獣が、例えば机の影や、人影の中からこちらをじっと見つめている。

 長年連れ添った友人のような、裏切り者を見るようなその視線は、隙を見せると何時でも飛びかかる用意があるぞと告げていた。


 その獣が、我慢ならないと言ったように、いよいよ陰から一歩足を踏み出す。

 二足歩行の、人の形をした黒い霧のようなそれは、ゆっくりと加多利に近づいてきた。

 加多利は胸の上に重石を載せられたように、声を上げる事も、息をする事もできない。

 黒い手が、加多利の首に触れた。


――――もういいだろう。


 人影は一言そう言う。 その声は加多利自身の物だ。

 頭の中で響くように、次々と催促する言葉が流れた。


――――我慢しなくてもいいんだ。


 影は、ゆっくりとその顔を加多利の顔に近づけてくる。

 ぎゅっと目を閉じても、まぶたの裏の闇にでさえ、影は映り込んだ。

 いよいよ影が加多利の額に触れようとし――――世界は暗転した。



 気がつくと傍で菊助が心配そうに加多利を見ていた。

 自分でも分からぬ内に加多利の手が動き、菊介の頭の上に乗せられる。

 菊助はそれを嫌がる素振りは見せず、されるがままに絹のようなその髪を撫でさせた。


「大丈夫ですか」


 声の中にはどこか悲壮な響きがある。


「ああ、ただの夢だ」


「そう、ですか」


 加多利は心配そうに自分を覗き込む菊助に微笑んだ。

 もう少し心地よい髪質を堪能したかったが、それは諦めて、とりあえず身を起こす。


「それより、こんな時間まで一体何をしていたんだい」


 菊助は困ったように暫く口籠もると、もごもごと呟く。


「帰りにスーパーでお弁当と、駅前の肉屋さんでコロッケをと思いまして」


「あそこのコロッケは美味しいからね」


 駅の方まで行ってたのなら遅くなっても仕方ないかと納得すると、急に空腹感が主張してきた。

 丁度手渡されたコロッケを頬張る。


「美味しいね」


「ええ」


「菊助君」


「なんですか」


「分かったよ、今回の失踪事件の顛末が」


 菊助は手にしたコロッケを取り落しそうになるのをこらえながら、目を丸くした。


「正気ですか? 先生、本当に熱でもあるんじゃないですか」


「そこまで言われるといっそ清々しいね。 いいや、僕は大真面目だよ」


 菊助はやはり信じられないといった顔で加多利を見ている。


「明日、もう一度水谷邸に行くよ」


 状況に追いつけない菊助の手からコロッケを奪い取ると、二口で平らげる。


「あ、」


「うん、やっぱり美味い」




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