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語部探偵事務所  作者: 天村真
少女の影
4/15

 風に揺れる紫煙を視界に捉えながら、富野(とみの)は煙を口一杯に吸い込んだ。

 まだ肺に入れる程煙草に慣れていない富野はそれだけでも顔をしかめながら、輪っかを作るようにぽっと煙を吐き出す。

 綺麗な輪になって空を漂よい消えてゆく煙を満足そうに眺め、次いで溜息を吐いた。

 手には新聞の切れ端を持っている。

 それに目を落とし、不快げに目を細める。


「バラバラ事件……ね」


 富野はこの手の事件にあまり好意的ではない。

 いや、大抵の事件に好意的では無いが、何が嫌かと言えば対象を子供に縛るところである。

 その理由も、非力な、抵抗できない子供を狙うなど卑怯である、といった変な理屈ではない。 狙うならば弱い者というのは、ある意味で納得のできる理由だ。

 故に、富野が子供を狙う事件を嫌悪するのは、富野が自他共に認める変態(ロリコン)であるからだ。


 とは言え、それはかなり広義の意味で当てはめた場合である。

 ロリコンといえども幾つか種類はある。

 よくテレビに出てくる、唾棄すべき種類の人間もこの言葉には含まれるが、それと一緒くたにされては富野としても返事に困るというものだ。

 富野が子供達に抱くのはあくまで庇護欲であり、子供達の無垢な笑顔を見ていたいだけである。

 そうは言っても、普通理解のできる話ではないだろうが。


 とは言え、目下の所彼を悩ませるのは風評被害などではなく、事件そのものなのだ。

 子供が、狙われている。

 既に三人が被害に遭い、犯人は尚も捕まっていない。

 そんな事が許せるわけがない。

 俺の街で何をやっているのだと声高に叫びたい所であるが、残念ながらその様な度胸も無ければ、己の正義を実行できるだけの力も無い。

 どれだけ護りたいと思えども、それに見合う力が無いのでは、正義のヒーローになどなれはしない。


 だから、自分がヒーローになれないのならば、他人にその役を演じてもらうしあるまい。

 金銭を支払って、対価を与えて、ヒーローになってもらうしか、方法は無い。


 丁度、その様なあてもある。

 探偵だ。

 あてと言っても、偶然見つけたというだけだが、それこそ何かの縁というやつだろう。

 普通に生活していて、尚且つ独身とあっては探偵などとは中々に縁が無い。

 勿論、フィクションに出てくるような、迷宮入り一歩手前の難事件を解決する、といったような事ばかりが探偵の仕事ではないという程度の基礎知識は持ち合わせているが、逆に言えばその程度の関わりしかないという事だ。

 物語上では、否応なくキーパーソンとなるような職業も、現実ではそれ程華やかでもないのだろう。

 それは建物を見れば分かる。


 『語部探偵事務所』と、でかでかと貼り出された看板が、赤煉瓦の背の高い建物にくっついていた。

 草が建物に纏わりつき、一見すると廃墟のような煉瓦造りの建物に、そこだけ新品の看板がくっついている様は、些か冗談めいても見える。


 信用できるかどうかなど分かりはしないが、これも何かの縁。

 入ってみてもいいだろう。

 値段を聞いて、考えてみても、いいだろう。


 富野はそう結論づけると、短くなった煙草を一気に吸う。

 先程と同様に、口を開いて輪っかの煙を吐く。

 それは突然の風に煽られて容易く掻き消えた。


 無論吸い殻をポイ捨てるような事はしない。 携帯灰皿に火が消えたのを確認してからねじ込み、ポケットに戻す。


 富野は数度咳払いしてから、インターホンを鳴らした。


 一度目。

 誰も出ない。

 留守という可能性もあるが、気づいていないだけかもしれないので、もう一度。


 二度目。

 今度は繋がる音がして声が聞こえる。


『もしもし。 語部探偵事務所です』


 意外な事にそれは変声期を迎えたばかりであろうかという、まだ幼さの残る声であった。


「今、少しお時間よろしいでしょうか」


『ええ。 少々お待ちください』


 声はそう答えると一度黙り、何やら鈍い音が聞こえた。


 パタパタと足早に駆ける音がやけに大きく聞こえ、次いでガチャガチャと幾重もの鍵を外す音がした。


「お待たせしました」


 開かれた扉から現れたのは、見慣れぬ亜麻色の髪と、サラサラした前髪から覗く蒼い瞳の少年であった。


 富野は我知らず生唾を飲むと少年を凝視する。


「どうぞ」


 男装した女子の様であるが、声は少女のそれよりも邸い。

 そうは言っても男子の中では高い部類には入るだろうが。


「あ、え、ええ」


 富野はたどたどしく返事をすると、言われるままに戸をくぐる。

 入り口すぐに階段があり、先程の足音がやたら大きかったのは、此処を駆け下りてきたからだろうと推測された。

 階段を登りきった先にはまた扉があり、そこには朱の縦書きで『語部探偵事務所』と書かれている。


 扉を開けると簡易珈琲の焦げ臭い匂いが鼻をついた。

 二つある作業デスクと足の邸いテーブルの上だけは、書類に埋もれてしまっているが、それ以外は外観に見合わず概ね清潔な様である。


 テーブルの向かい、二人掛け程度の革張りのソファには男が一人で腰掛けていた。


 伸びっぱなしの癖毛は肩の辺りまであり、そぞろに生えた無精髭を摩りながら大欠伸をする。

 これで着流しなど着ていようものなら、まだ時代錯誤か、或いは好んでその様な格好をしている様にも見え無くはないが、同柄のベストにズボンとあってはただの不摂生で身なりに無頓着なだらしのない大人でしかない。


「突然お邪魔して申し訳ありません」


 富野はそう言うと軽くお辞儀をする。


「いえいえ、構いません。 ところで、」


 男はそう切り出す。


「僕達はどこかでお会いしたことがありますかね」


 いや、そんなはずはないだろうと富野は内心で首を横に振った。

 この様な人物は見た事もない。 或いは街ですれ違ったのかもしれ無いが。

 一応念入りに記憶を探ってみたが、やはり外套する様な知り合いはどこにもいない。


「申し訳ありません。 貴方とは初対面だと記憶します」


 男はそれで合点がいったという様に手を叩いてみせる。


「成る程。 成る程。 僕の知り合いでなく、その様子では菊助君の知り合いでもなさそうだ。 なら、何かしらの依頼の話ですか。 いやぁ客など一人もとった事が無いものですから、どうも慣れなくていけないねぇ」


「とすると、私は初めての依頼人という事ですか」


 恐る恐るといった様子で尋ねる富野に男は笑顔でうなずいて答える。


「この町で初めての、お客様です」


 だらしのない探偵は言って富野に席を勧めた。


「私は多部加多利、その子は助手の菊助です」


 加多利は富野の背後を指さす。


「下部菊助です」


 菊助は凛とすました瞳で、笑みを色素の薄い小さな口にたたえてお辞儀をする。

 髪が生糸のようにサラリと流れた。


富野悠木(ゆうき)です」


 慌てて名乗り返す富野に、菊助は微笑みかけると、


「御茶、お出ししますね」


 そう言って部屋の隅にある剥き出しのシンクにある湯沸し器から、湯気の立つ湯を急須に注ぎだした。

 富野はじっと見る。


「それで、」


 富野はハっとして加多利に向き直る。


「一体どの様なご用件でしょうか」


 加多利の目に何か黒い靄がかかったように見えた。


「あぁ、いえ。申し訳ありません。珍しい色をしていたもので」


 加多利の目にかかった靄は、霧の如く消え去り、後にはそうでしょうという言葉と浮かんだ笑みだけが残る。


「まるで磁器人形(ビスク・ドール)みたいでしょう」


 まるで自分の事のように自慢気に言ってみせる加多利に向かって、富野は何度も相槌を打つ。


 菊助が盆に湯呑三つと急須を載せて運んできた。


「粗茶ですが」


「安い茶葉だから、本当に粗茶だ」


「本当の事ですが、知らぬが花という言葉もありますよ」


「この場合、知らない方が良いのは花ではなく、葉だがね」


 二人の掛け合いに富野は苦笑いしながら、置かれた湯呑に手を伸ばす。


「頂きます」


 普通の茶だ。

 ヘンテコな味はしないし、目の前の二人のような奇怪な風味も無い。


「依頼内容の話でしたね」


 富野は茶を半分ほど一気に飲んだ後にそう告げる。


「ある少女を、捜して欲しいのです」


 そう切り出した富野を、探偵二人は興味深気に見据えた。


「少女、と言いますと、失礼ですがお幾つくらいですか」


 富野は首を横に振って答える。


「正確には知りませんが、十四、五だと思います」


「娘さんですか」


「いえ」


「では、妹さん」


「いえ。 私の血縁者では無いのです」


「富野さんは教師ですか」


「いいえ」


 そこまでまくし立てると、困ったというように加多利は顎に手を当てて唸る。


「依頼人についてアレコレ詮索するというのは探偵としていけないのでしょうが、一つ聞かせてください」


「なんでしょう」


「富野さんとその少女はどのような関係なのですか」


 富野は顎に手を当ててしばし黙考する。


「そう、ですね。 例えるならば、初恋の相手と申しましょうか」


 加多利は意外そうな顔をして富野の言葉を待っている。


「いえ、初恋の相手に似ているという訳では無いのですよ。 なんと言うか、初恋と言っても何通りも有るのでしょうが、私は遠くから眺めていられれば満足な性質(たち)だったのです」


 富野は恥ずかしそうに打ち明けた。


「その子とは一、二度挨拶を交わしたという程度で、話した事もありませんし、親しい間柄でもありませんでしたし」


 話し終えたらしい富野に、加多利はしばし黙考する。


「分かりません。 いえ、初恋のくだりは大いに理解できます。 僕もそういうタイプの人間ですからね。 ただ、」


 加多利はそこで言葉を区切ると、盆から湯呑みを取り上げて一口啜る。


「失礼。 ただ、相手が、その、子供というのは些か困りますね。 いえ、人の恋路にとやかく言うつもりはありません。 例えそれが道ならぬ恋だとしてもね。 しかし、」


 菊助がクシュっと可愛らしいくしゃみをした。


「しかし、我々としては犯罪の幇助をするという訳にも参りません」


「いえ、いえ。 それはごもっともな話です。 だから、私が頼みたいのは誘拐の類ではなく、捜索なのですよ」


「見つけて攫ってこいではないのですか」


「ええ、違います。 私が頼みたいのはそのような事ではなく、彼女を捜す事です」


「成る程。 ふむ。 捜すという事は、その子は行方知れずなのですか」


 富野の顔がパッと明るくなった。


「受けて頂けるのですか」


「先ずは話を聞いてからですがね」


 富野はしきりに頷き、事の顛末を話し出した。


 探して欲しいという少女の名は水谷(みたに)美空(みく)

 中高大一貫のお嬢様高である私立星ノ宮学園に通っているらしい。

 中等部二年生、可愛らしい容姿と少しずれた言動も相まって、一部の男子に大変人気なのだそうだ。


 その他交友関係から家族構成まで、何処からその情報を得たのだと聞きたくなるようなものも含めて、およそ一個人のパーソナリティと呼べるもの全てを聞かされ、唖然とする加多利に、富野はまだ話し足りないといった様子で口を開きかけるが、菊助に制された。


「富野さん、十分です。 貴方がどれだけその子を愛していらっしゃるのかも、その子自身の事も、よく分かりました」


 菊助は茶菓子にと、スーパーで半額シールが貼られていた苺大福をそれなりの皿に盛って出す。

 

「それで、先生。 呆けている時間があるのなら、受けるかどうか決めてはいかがですか」


 話を聞いていたのかも怪しい様子で、ぼうっと富野を凝視していた加多利は、そこでようやく我に返ったように二、三度瞬きした。


「ん、ああ、いや。 お言葉ですが、それだけ調べられるのならご自身で探してはどうですか。 正直、私が調査してもその半分の内容もピックアップできなかったでしょう」


「いえいえ。 これは相手が彼女だからできた事ですよ。 誘拐犯の言動なんて理解できませんって」


「理解できた方がおかしいですからね」


「そうでしょう」


 富野はおかしそうに笑う。


「いえ、成る程、富野さんがどれだけその子に想いを向けているかは分かりました。 此方でも出来る限りの事はしてみましょう」


 そう言うと加多利は苺大福にかぶりつく。


「報酬は、そうですね。 捜索ということなら二万程ですか」


 モゴモゴと口を動かしながら言う加多利を菊助が嗜めた。


「我々は車などもありませんし、富野さんは記念すべき御客様第一号だ。 この基本料金だけで良しとしましょう」


「そんなものですか」


 唖然とした様子で、富野は続けた。


「てっきりもう少しするのかと思いましたが、それならお願いできますか」


「では、此方の用紙に目を通した上でサインか印鑑を」


 そう言って加多利は菊助から手渡された用紙を差し出す。

 富野はザッと目を通した後、渡されたボールペンで自分の名と連絡先を記す。


「よし。 これで契約成立だ」


 加多利は満面の笑みでそう言うと、すくっと立ち上がって伸びをする。


「ここからは私達にお任せ下さい。 なあに、行方不明の子供ぐらいささっと見つけ出してみせますよ」


「ええ、よろしくお願いします」


 富野は一礼すると、最後に菊助に向かってにっこりと微笑む。


「美味しいお茶でした」


 バタンと音をさせて扉が閉まり後には喜色満面の加多利と、無表情の菊助だけが残された。


「先生、いつまでそんな気色の悪い顔をしてるんですか」


「いや、客の相手なんてやっぱりするもんじゃないね。 肩がこるよ」


「普通探偵って言ったらもっと傲岸不遜なイメージがありますけどね」


 菊助は結局富野が手をつけなかった苺大福を口に放り込んで、酸いも甘いも一緒くたにモチャモチャと口を動かす。

 加多利は膨らんだ菊助の頬を面白そうに弄くり回した。


「それは実力の認められた極一部の人間だろうさ。 探偵なんて客商売だよ。 相手の好みを調べて、為替の愛を振り撒くキャバ嬢と大して変わらないさ」


 菊助はゴクリと苺大福を飲み込むと、半分残った加多利の茶を飲み干す。


「キャバ嬢にも探偵にも失礼な話ですね」


「探偵と名探偵とは別物だって話だよ」


「夢のない話です」


「ならば、君は名探偵を目指せばいいじゃないか」


 考慮しますと呟き、菊助は湯呑と茶請けのの皿を片付ける。

 加多利はというと既にソファに寝転がり、大きく欠伸をかいていた。


「それで、どうするんですか」


 菊助は顔だけ加多利に向け、食器を慣れた手つきで手早くあらっている。


「どうって、何がだい?」


「少女の捜索ですよ。 受けるといった以上、見つけ出さないと信用に関わるでしょ」


「見つけると言ってもねぇ。 どうせバラバラ事件でしょ。 僕らが見つける前に警察が見つけるさ。 その子の屍体をね」


「家出の可能性もあるでしょ」


「それは無いね。 もしも家出なら、富野君が知らないとは思えない」


 菊助はしばし黙考すると、それもそうですねと頷いてみせた。


「しかし、それにしてもです。 仮に警察よりも先にその現場を抑えれば、少なくともいい宣伝効果にはなるでしょう。 その時少女が生きていればラッキーってとこで、捜してはいかがですか」


「そうかい。 君が言うならそうなんだろう」


「じゃ、始めますか」


 加多利はふん、と、鼻を鳴らすと、自分の格好を見下ろす。


「今日は何曜日だっけか」


「土曜ですが、それがどうしました?」


「なら、明日でいいか」


「働きましょうよ」


 呆れ顔で言う菊助に、加多利はキザに人差し指を横に振る。


「僕も考え無しにこんな事言ってるわけではないのだよ」


「じゃ、なんなんですか」


「それは明日のお楽しみだねぇ」


 ニタリと厭らしい笑みを浮かべながら、加多利はふふふと笑った。



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