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夢と現の狭間を縫って、意識は光と闇を彷徨う。
どちらが光でどちらが闇か、繰り返しの往復でその区別すらもつかない。
影の無い、光と闇にきっぱりと別れたこの世界では、光に向かって進むならば、それは自然と闇を背負う事になる。逆もまた然りだ。
どちらに進んでもどちらからも逃れられず、選択の余地はどちらを従えて歩くのか、唯それのみ。
どうしたものかと考え込んでいる時、ふと声がかけられた。
「先生」
それは果たして、どちら側から聞こえたものか。
確認するよりも早く、声のした方に歩き出した。
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「先生。 起きてください先生」
頬に熱を感じながらの目覚めは、えてして苦いものである。 いや、今は苦味よりも強い鉄の味を感じた。
「起きてる。 起きてるからその手を止めなさい」
振りかざしたところで止められた手は、白く細い腕に血管が浮かぶ程強く握られている。
革のソファで眠る加多利に馬乗りになっている少年は、自分の手と加多利の顔の間で数度視線を迷わせると、ゆっくりとその手を開いた。
「やっと起きたんですか。 全く、何度平手で叩いても起きないから困りますよ」
「いやいや、何を言ってるんだい君。 しっかりと拳を握ってたじゃないか」
「あまりにも起きないから殴ってもいいのかと考えたんですよ」
「それはあんまりじゃないか。 口の中切れてるよ、これは。 起きてからこっち鉄の味と香りしか感じないよ」
「軟弱者が」
「僕が悪いのかい」
口内は鍛えられないだろうと愚痴りながら、加多利は少年を下ろした。
「跡が残るよ、コレ」
「僕からの愛の印です」
「苛烈だねぇ」
加多利は立ち上がると簡易珈琲を淹れるために湯沸かし器の電源を入れる
「先生、それ水入ってませんよ」
ソファで寝転がりながら少年は言う。
「そうかい」
気にした風もなく窓際の特等席である無駄に豪奢な椅子に座る加多利に、少年は冷たい目を向けながらポットに水を足す。
「なんで僕が使用人みたいな事をしなくちゃいけないんですか」
「なんでって、そりゃ君が私の助手だからだろう」
「なんで僕が助手なのかっていう話です」
「下部菊助。 君の名前にぴったりの仕事じゃないか。 僕で助手だ」
少年――――菊助はきっと加多利を睨み付けるともごもごと口を動かす。
「僕の方が優秀なのに」
「この場合に優劣は関係ないさ。 それに、考えてもみたまえ、探偵本人より劣る助手に何の意味があるんだい。 往々にして思うのは、探偵自らが単独で事件を解決できるのに、何の為に助手が必要なのかさ」
「以前何かで読んだのでは、『探偵がその推理を理路整然と解り易く説明する相手がいる』とかありましたね。 助手は読者へのサービスですよ」
「それはフィクションでの話だろう。 現実ではそんな無能は即刻首だよ。 それこそ珈琲の一杯でも淹れてくれないとね」
菊助は沸いたポットの湯を簡易珈琲の粉が入ったカップに注ぐ。
チープな珈琲の香りが沸き立った。
「その無能であるところの先生に付いていくのですから僕ほど優秀な助手もいませんね」
「優秀を自称するのなら依頼人の一人でも捕まえてきてはどうだい」
「ヤですよ。 面倒くさい」
珈琲を運んできた菊助に上目づかいで頼む加多利に、菊助は熱い珈琲が冷めそうなほど冷たい目で言う。
「それは探偵としてもその助手としても一番言ってはならん言葉だよ」
「分りましたよ。 行けばいいんでしょう、行けば」
「飛び切りの美人を捕まえてきておくれよ。 僕もこの一杯を飲んだら行くからさ」
「先生が来たらどんなモノ好きでも飛び上がって逃げ出しますよ」
加多利は顎に手を添えると困ったという風に眉をひそめてみせた。
菊助も一瞬言いすぎたかとくらい不安がよぎったが、加多利に傷ついた様子はない。
「それじゃあ仕方がない客引きは君に任せて、僕は依頼者が来た時のために体力を温存しておこう」
加多利はそう言うと珈琲に口をつけ、一口啜る。
口の端を歪めて笑う加多利に、菊助は苦い顔をした。
《語部探偵事務所》――――それは優秀な助手と無能なる探偵のたった二人で構成された、何処にでもある、しかしありふれない、何でも屋である。