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菊助は今度こそ女装などせず、常時のお気に入りの服をきれて満足気である。
隣の加多利はというと、此方は菊助からの仕返しという事で着流しを着させられていた。
そんな加多利達を車の中から富野が遠目に見ていた。 加多利達の話は、小型のマイクを通して富野にも聞こえるようになっていた。
加多利がチャイムを鳴らす。
『また貴方? いい加減にしないと警察を呼びますよ』
呆れたような声で美空の母が出た。
「御冗談を、警察なんて呼べないでしょう。 それより、今回一度だけ話を聞いてくだされば、もう二度とここには来ません」
加多利が自信満々にそう言うと、母親は黙り込んだ。
「……本当に、もう来ないのね」
「約束は守りますよ」
暫くして家の中から母親が出てきた。
「お手数をおかけします」
加多利は不敵な笑みを浮かべながらそう言った。
「さて、それじゃ今回の事件を振り返るろうか」
「ちょっと待って、いったい何の事なの?」
「水谷美空失踪事件ですよ」
「その事について貴方に何が分かるって言うの!」
母親は顔を真っ赤にさせ、叫ぶように喚いた。
それを窘めたのは菊助だ。
「落ち着いてください奥さん。 確かに、先生は無能ですが、頭が悪いわけじゃないんです。 きっと解決してくれますよ」
菊助は最後に僕も信じがたいですがと付け足した。
「ありがとう。 えっと、じゃ先ず何から行こうか。 うん、そうだね、僕たちの依頼人は美空ちゃんの事なら何でも知っていた、そんな人物に気づかれず、どうやって彼女は失踪したか」
「だから、失踪してないとあれ程――――」
「そう」
口を開いた母親の指さす。
「彼女は始めから居なくなってなんかいなかったんだ」
「それはどういう事でしょうか?」
菊助はきょとんとした様子で尋ねる。
「今回の一件は、全て美空ちゃんが仕組んだ事だったんだ」
「つまり……どういう事です?」
「簡単な話さ、失踪したなどという事も何もかも、捜索対象である美空ちゃんが仕組んだ罠なんだよ」
「罠、ですか」
「そうでしょう、奥さん?」
「いいえ、違います」
加多利はやれやれといった風に首を横に振った。
「罠といっても対象は僕達じゃない。 僕達の依頼人の方さ」
「でも、何故?」
「ストーカーを炙り出す為、とかね。 今回は僕達探偵にその役が回ってきたけど、もしかするとストーカーが警察に連絡するかもしれないだろう、心配で。 そこに漬け込んだのさ」
「両親を味方に引き込んで、ですか?」
「そういう事だね」
菊助は目を閉じてその話を反芻する。
「詰まり、美空ちゃんはこの家の中にいるって事さ」
それが全てであった。
母親は顔面蒼白で加多利の話を聞いている。
「僕達の出番はここまでだよ。 犯罪の幇助はしない、これで依頼終了だ」
加多利はそう言って車を振り返った。
そちらには依頼人である富野がいる。
「帰ろうか、菊君」
菊助の方を向く。
菊助は先のまま、真剣な顔をしていた。
「先生、一つ良いですか?」
「うん? コロッケなら返さないよ」
加多利は茶化すようにそう言って笑うが、菊助は真面目な顔のままだ。
「その場合は、一体どこから依頼人は美空さんが失踪したという話を得たのですか?」
加多利の顔が固まった。
「見ていて分かる物じゃないでしょうし、それこそ体調が悪いのだと思うでしょう。 かと言ってここを訪ねて聞いたわけでもない。 もしそうならその時点で通報されますからね」
菊助の問いに、加多利は答えられなかった。
「これは僕が勝手に想像した事ですが、美空さんは本当に失踪しているんじゃないでしょうか? いいえ、これはそもそも失踪でもない、単なる、家出ではないかと思ったんです」
「そんなわけないだろう。 もし単なる家出なら、何故彼女はこうも頑なに娘は居ると主張するんだい」
「奥さんには失礼ですが、それは単なるプライド、或いは世間体でしょう。 現に、息子さんも家を出ている。 子供二人共が逃げるのなら、それは親の過失じゃないかって思われるのが我慢ならなかった。 違いますか?」
菊助は美空の母親に尋ねた。
母親の青白い肌は、遂には屍体の様に白く染まる。
「私達の所為なんかじゃない……。 私達が悪いんじゃないわ! あの子達が、悪いのよ!」
母親は漏らす様に、叫びにも似た声をあげた。
「私達はただ良かれと思って、あの子達にはそれだけの能力があると思って、それに見合った教育をしてきただけなの。 間違いなんて何一つ無い、無いのよ!」
叫びはやがて嗚咽の混じったものに変わっていった。
「僕が初めてここに来た時も、家には車が一台足りなかった。 それが日曜日の事。 忙しい旦那様なのでしょうが、もしかするとあれは美空さんを探していたんじゃないですか?」
母親は何も答えない。 代わりに加多利が口を開いた。
「しかし菊君、それなら美空ちゃんは一体何処に居るって言うんだい?」
「そうですね、それは僕からではなく彼から話してもらいましょう。 ね、富野さん。 いや、水谷悠木さん」
「悠木!」
車から降りた富野を見て、母親は幽鬼を見たかのような表情で叫んだ。
「久しぶり、母さん」
「一体、どういう……」
先ほどの菊助の様に加多利は状況に追いつけないといった顔をしている。
「昨日君から連絡が来た時には驚いたよ。 気付かれるような事はしてなかった筈だからね」
「その説明は後でしますから、今は貴方の話をお願いします」
「そうよ、どういう事か説明して頂戴! 勝手に出て行ってその上美空まで!」
「僕は美空に頼まれただけだよ」
悠木は虚ろな眼差しで自分の母親を見る。
「家を出たいって、匿ってくれって。 僕は美空の言う事に従うしか無かった。 僕の所為だから」
「美空はどこに居るの!」
悠木は母親に背を向け、菊助と加多利に向き直った。
「貴方には言わない。 加多利さん、菊助君、付いてきてもらえますか?」
「いいえ。 僕達にも知る権利はありません。 僕達の仕事は依頼人に捜索対象の居場所を教えるだけです、既に知っているのなら、もう終わっているんですよ」
菊助は優しげな笑みを浮かべてそう言った。
「帰りますよ、先生」
半ば放心状態の加多利を引っ張る。
数メートル行ったところで、残された二人を振り返った。
「そうそう。 先生は頭が悪いわけじゃないと言いましたが、別に良いわけでもありませんよ。 先生は無能なんです、良い意味でも、悪い意味でもね」
それだけ言うと今度こそ、振り返らず、やがて陽炎のように姿を消した。