第8話 約束
《アルカナ・ナイツ》
第8話 約束
惑星アルカナ、フィリア機構、ドルシア基地にて。
私は延々(えんえん)とグランドを走らされていた。
「う・・・・・・うぐ・・・・・・」
喉が-ひりついた。
もう何時間、この炎天下で走り続けているのか?
水を飲みたかった。
渇きで咳が止まらなかった。
ただでさえ、呼吸困難を起こしそうなくらいに
走らされているのに、これでは本当に死んでしま
う。
頭がグルグルとして、世界が白黒に映る。
限界だ。
そして、私は意識を失った。
冷たい感触で目を覚ます。
水だ。水を掛けられたのだ。
ありがたい。
顔を伝う水をすするように吸う。
すると、顔面を蹴られた。
視界に火花が散る。
「誰が水を吸って良いと言ったッ!貴様は犬か?
人なら、コップを使え!この人以下の畜生が!」
との教官殿の容赦ない-お言葉が降りかかる。
「はいッ!」
と、私は声を絞り上げる。
声が小さければ、また殴られるからだ。
「よし、なら、罰として腕立て200回!」
との不条理な言葉が掛けられる
「はいッ!」
と、私は元気よく答え、腕立てを開始した。
気力と体力は限界に来ている。
それでも全身の力を使い、腕を折り曲げる。
「何をしているッ!腰を落とすなッ!楽ばかりしようと
するんじゃない!」
「はいッ!」
そして、私は-ひたすら反復を繰り返した。
口の中には、切ったわけでも無いのに鉄の味が-にじんだ。
本当の限界が近かった。
私は朦朧とする頭で、回数を叫んだ。
「165ッ!」
あまりの苦行に涙が-にじんでくる。
もっとも、水分が足りないから-こぼれ落ちる事は無いが。
体が小刻みに痙攣する。
それでも声を張り上げ、回数を叫ぶ。
「172ッ!」
もう、無理だ。これ以上は死んでしまう。
いくら、この世界に治癒魔法が-あっても、
これは酷すぎる。
意識が遠のく。
その時、私の脳裏に、一人の女性の姿が浮かんだ。
それは機械人形と呼ばれる存在だった。
彼女は娼婦をさせられていた。
転生前の記憶は良く覚えていないが、
私は彼女と商売としてでなく、心から
愛しあった。
少なくとも、私は-そう思いたかった。
ハンナ・・・・・・ハンナ・・・・・・君を助けると約束したのに、
こんな異世界に飛ばされ、帰る手段も分からず、生きる
事だけで精一杯で・・・・・・ごめん、ごめんよッ・・・・・・。
そして、私は回数を叫んだ。
「187ッ!」
もう、手足の感覚すら怪しい。
苦しいなんて次元じゃなかった。
とんだスパルタだ。
水すら飲まされず、延々(えんえん)と筋トレをさせられる。
気絶しても叩き起こされる。
前近代的な手法だ。
でも、文明レベルが-そうなのだから、仕方ない。
だけど、辛くて、苦しくて・・・・・・このまま眠るように
死んで楽になりたい程で。
でも、ハンナの受けていた苦しみに比べたら、大した事は
無い。
彼女には拒否権は無かった。
ただ、ただ、毎日、欲にまみれた男達の相手をさせられる。
私が公安の協力者として、組織に潜入した時も、今にも心が
壊れてしまいそうだった。
本来の任務を越えて、彼女と親しくなり、私は彼女を愛する
ようになり・・・・・・。
彼女を知れば知る程、彼女の中の闇を見る事となり。
そんな彼女の痛みに比べれば、これしきの軍事教練が
なんだ?
結局、私は志願して訓練を受けてるんだ。
軍に所属して、この世界の情報を集めるために。
そして、今も待っているだろう彼女のもとへ帰るために。
だから、これしきの痛みッ・・・・・・。
「198ッ!199ッ・・・・・・」
「どうしたッ!声が出てないぞッ!あと、10回、追加だ!」
との死刑にも等しい宣告が、教官からなされる。
しかし、文句など言えようはずも無い。
それに言う気も無い。
これは罪だ。彼女を待たせ苦しめている私の罪だ。
「はいッ!199ッ!・・・・・・200ッ!・・・・・・…201ッッ!」
叫び続ける。
口から小さな泡が漏れ出す。
それでも、構わない。
鼻から血が伝う。
ああ、貴重な水分が。
今の私は-こっけいな姿だろうな。
あぁ・・・・・・ハンナ、ハンナ。
「207ッ!」
体が冷たい。
凍れるようだ。
でも、彼女を想えば、心は暖かくなる。
今は-それで十分だ。
たとえ、抑制石が付けられ、マナや魔力が
扱えずとも、この世界において想いは力なのだから。
「209ッ!」
最後だ。あと一回で・・・・・・あと一回で。
その時、私の意識は暗転していきそうになった。
意識を持っていかれそうになる。
でも、その時、ハンナの笑顔が浮かんだ。
まれに見せてくれる、その-ひまわりのように明るく美しい
笑顔が。
歯を食いしばる。
そして、最後の力を振り絞り、腕を屈伸させる。
「210ッ!」
と、口から血の泡を吐きながら叫んだ。
そして、とうとう本当の限界が訪れた。
私は糸の切れた人形のように、崩れた。
もはや、水をかけられようと目覚めることは当分ないだろう。
しかし、どういうワケか、声だけはノイズ混じりに聞こえた。
足音がした。
「しょ、少佐殿ッ!」
との教官の狼狽する声が聞こえた。
そして、敬礼の音がした。
「ああ。そう-かしこまらないでくれ。なる程。ずいぶんと
厳しい教練を行っているようだ」
との落ち着き払った声がした。
「ハッ!技官候補とは言え、体力の増強が肝要かと
存じまして」
「確かに。しかし、これでは脳に影響が出てしまうかも
知れないよ。今すぐ、衛生施設に
運び給え」
「ハッ!了解いたしましたッ!」
そして、教官は私の体を軽々と抱えた。
「あぁ、今すぐ向かってくれたまえ」
「ハッ!失礼いたしますッ!」
との教官の言葉と共に、私の意識は完全に失われた。
・・・・・・・・・・
私は夢を見ていた。
それは-あまりに幸せで非現実的で、すぐに夢だと分かった。
花畑でハンナと私は語らっていた。
以前、良く二人でデートしたものだった。
もっとも、そこは仮想空間でしか無かったが。
いや、仮想世界の住人である彼女を愛したのだから、
それは関係なかった。
それは本当に幸福な一時だった。
しかし、別れは訪れた。
ハンナは悲しげに-うつむいた。
気づけば私と彼女の間には川が流れていた。
私は川に足を踏み入れ、彼女のもとへ向かおうとしたが、
進めど彼女には近づけなかった。
そんな私を見て、彼女は首を横に振った。
そして、口を開いた。
それは私には《愛してる》と、言っているように見えた。
その時、濁流が押し寄せ、私の体を飲み込んだ。
そして、流れる水の中、私は意識を再び失った。
目を覚ませば、そこは病室だった。
「う・・・・・・うぅ・・・・・・」
私は男泣きに泣いた。
何か嫌な予感がした。
ハンナが失われてしまった気がした。
私は間に合わなかったのか?
すると、扉が開かれた。
見れば、そこには少佐の階級を付けた男が居た。
軍隊に居ると、真っ先に階級章に目がいく。
少しでも敬礼が遅れると、後で殴られるからだ。
そして、私は最敬礼を急ぎ、した。
腕や関節が-ひどく痛んだが、仕方ない。
その私のぎこちない動作を見て、少佐はフッと柔和な笑みを
浮かべた。
「楽にして良い、曹長」
曹長とは私の現在の階級だ。ちなみに教官は軍曹で
私よりは階級は一つ上であった。
たった一つの階級の違いでも、あれ程の身分の差が
生じるのだった。
ましてや、少佐など、下士官からしたら雲上人に
他ならない。
「ハッ・・・・・・!」
そして、私は腕を降ろした。
それだけで呻きたくなる程の痛みが走ったが、何とか-こらえた。
その時、私は少佐殿が-魔力で構成された白い仮面をかぶっている事に
気づいた。
それはフィリア機構でも英雄視されている軍人、
アポリス少佐のトレード・マークであった。
私は緊張で身を固くした。
「そう身構えないでくれ。クロード曹長」
と、アポリス少佐は私の名を言った。
「ハッ」
と、私は平静を装い答えた。それが命令なのだから。
「さて、クロード曹長。単刀直入に聞こう。君は
転生者だね」
との問いに私は言葉を詰まらせた。
それは未だ誰にも言っていない事だった。
「心配しなくて良い。私も転生者なのだから。
そう、私も元は日本人だったのだよ。
それが-ある日、異世界に、この惑星アルカナに
召喚されて来たんだ。まぁ、厳密には転生とは
呼べないだろうが、そこは気にしないでくれ」
「ハッ!」
「さて、君の教練課程は終了していないが、
君は明日より私の部隊に転入する事となる。
あぁ、ちなみに軍は君が転生者である事を
把握している。だからこその、厳しい訓練
だったのだ」
とのアポリス少佐の言葉に、私は愕然とした。
「え・・・・・・そうだったのですか?」
「ああ。転生者は通常の人間と分泌物が違う。
尿検査をしただろう?」
「はい」
と、私は答えた。その記憶は確かにある。
「ともかく、君は明日から技官の少尉として、
人型-汎用兵器・魔導アルマの整備を
行ってもらう。君に拒否権は無い」
「ハッ!」
「何か質問は-あるかね?」
とのアポリス少佐の言葉に、私は-しばし考え込んだ。
「はい、少佐殿。元の日本へと戻る方法というのは
存在するのでしょうか?」
と尋ねる私に対し、アポリス少佐は考え込む素振りを
見せた。
「難しい質問だね。結論から言えば、私は-その方法を
知らない。しかし、可能性は-あると言える。
そのヒントなら私は知っている。
クロード曹長、もし、君が私のために働いてくれる
なら、近いうちにそれを教えよう。どうかな?」
との言葉に、私は興奮を抑えられなかった。
たとえ、それが嘘でも、今は-それに乗るしか無かった。
「はいッ!アポリス少佐殿、私ごときの力で
よろしければ、是非」
すると、アポリスは唇の端を上げ、手を
差し出してきた。
「では、よろしくクロード曹長、我が同胞よ」
「光栄であります、アポリス少佐殿!」
そして、私は-その手を恭しく握るのだった。
これが私を激動の渦へと招く事を、この時の私には
知るよしも無かった。
しかし、私達は狂戦士ロータ・コーヨとの戦いを経て、
大気圏を越え、女神の国レフセルへと降り立ち、
そして、彼、カインと出会うのだ。
それは-まるで壮大なサーガの一節のようで、
そして、運命の紡がれたタペストリーのように
私をハンナの記憶へと-導くのだった。
・・・・・・・・・・