第十四話
老医師を見送るうちに、マスターがこっちを向いて言った。
「お嬢ちゃん、ほれ、あんたは気にせず食っちまいな。」
騒ぎの為に中断した食事がもう一度アリーシャの膝に戻された。肉の入った小皿を置いたのはマスターで、アレンは医師と共にすでに戸口へ向かっていた。
「奥の部屋に移すのが先ですよ、ボス!」
若い男が不服を述べた。
「ん? そうか、」
置いた小皿をもう一度取り上げて、マスターはテーブルへ戻した。何を思ったのか、アレンまでが出口付近からまた引き返してきた。妙に慌ただしい空気だった。
そして……やはりこの男はデリカシーがない。
「きゃ、」
「すまん、」
アリーシャは小さな悲鳴をあげた。いきなり布団を引っぺがしたアレンが感情の篭らぬ詫びを告げる。まったく悪いとは思っていないに違いなく、躊躇の無い腕が少女をそのまま抱え上げた。
デジャブかと思った。どこかで覚えのある感覚だった。
室内から廊下へ出る一瞬で、アリーシャは態勢を変えられた。恭しくお姫様を抱きかかえる騎士の支え方から、村娘を掻っさらう山賊の、荷物を肩に担ぐような支え方へ。
文句を言おうと頭を上げると、「鴨居にぶつける、下げろ、」と叱られた。民家の廊下は狭い、けれど他に無かったのかと不満を覚えた。
後ろから、リゾット皿を抱えたマスターと小皿を捧げ持つ若い男が見えた。小皿を持つ男は真剣そのものの顔で、はみ出した骨が落ちないようにと苦心していた。
一人、さっきの老医師が背を丸めて階段を下りていく。出来ればキチンと見送りたかった。
「アレン、娘の部屋へ入れてやってくれ。やもめのベッドじゃ可哀想だ、」
マスターの呼びかけで、少し向きが変わった。アレンがマスターを振り返ったらしい。扉の開く音がして、アリーシャは別の部屋へ運ばれた。立ち止まったと思ったら、次にはベッドの上へと放り投げられていた。
誰かが普段から使っていたらしい布団には、誰かの寝癖のへこみが付いていた。隣にクマのぬいぐるみが潜りこんでいて、くたびれたように耳を垂れている。本来この部屋の主である娘さんも、どこかへ避難した後だろうかと考えた。
ふたたび、アレンの手が額に乗った。それから前髪を掻き分け、頬を撫でた。目の前の男の表情は、無表情に近い。けれど、アリーシャには微かにだが、男の心配する気持ちが見えた気がした。
「また少し熱が上がっている。辛い時はきちんと言ってやれ、我慢するな。」
掛け布団をかけた後に、頬に軽くキスを落とした。
「行ってくる、」
一方的に宣言してアレンが離れて行った。
護衛は傍にいるものよ、と、言いかけてアリーシャは口を噤んだ。
部屋のドアを潜り、階下へ向かうアレンのすぐ後ろにマスターが続いた。二人の背中を見送って、アリーシャは呟くように「いってらっしゃい、」と言った。
聞こえないと思った声に応えるように、マスターの右腕が軽く挙げられた。
鼻歌交じりになにかしていた若い男が、振り返ってアリーシャに笑い掛けた。
「食事の続きにしようか、お嬢さん。」
マスターよりは幾分荒い手つきで、彼もアリーシャの背を支えて起き上がりを手助けしてくれた。
「あっ、自己紹介がまだだった。俺はオスカー・トレンダン、うちのボス……ここのマスターの部下で、しがない情報屋をやってる。宜しくな。」
きっと情報屋だけではない仕事も持っているのだろうとアリーシャは思った。それは言わずに黙って頷いた。
顔の印象が掴めなくて、男の笑顔はぼやけていた。
この種の人間の区別を、アリーシャは顔以外の特徴で捉えることにしている。例えばメリーアンなら豊満な胸を、マスターならピカピカの頭を、アレンなら黒ずくめの服装を、目印に出来る。似たような人間を並べられると区別が付かないが、大勢の中で見当を付ける程度ならば事足りた。この男の特徴で目に付いたのは、青みのある髪の毛だった。いずれも、服装次第で隠れてしまう特徴だとは、気付かなかった。
オスカーがアリーシャの前へ出した小皿には、小さくほぐした肉片が積み上がっている。スプーンを渡されて、小皿を持たされ、遅い朝食が再開された。
若い情報屋はアレンと同じ細身で背が高く、二人並べて後ろを向いていたら、どちらがどちらだか解からないほど似ていた。雰囲気だけが二人の違いを明確にした。
折り目の付いた青いスラックス、同系色のテーラードの上着、ラフなパーカー付きシャツを着ている。
なにげに身なりは良さげで、服の仕立てはセンスがあった。
「あの、ぶしつけですが、どちらかのご領地に関わる方ですか?」
おずおずと質問をぶつけてみたところ、オスカーは大層な驚き方で怯んだ。
「え!? な、なんで解かっちゃったの? 貴族らしい恰好はしてないと思うんだけど?」
「ああ、いえ、仕立ての良い服を着てらっしゃるから、どこかの家中の方かなと思っただけで……、」
庶民はたいてい着古した衣装をそれはそれは大切に着るものだ。古ぼけた印象の家屋の中で、彼の衣装のま新しい生地は場違いに映った。
「服、か……。そうか。」
なにかがオスカーの胸中ですとんと落ちたようだった。
照れ笑いを浮かべたオスカーは、さらに年若く感じた。本当のところは自身と変わらないかも知れないと、アリーシャが思うほどだった。
照れというより、バツの悪そうな顔をしてオスカーが謝辞を述べた。
「名前も知られてない中堅貴族の三男坊だから、名乗るほどのものじゃないさ。それに、実家に迷惑も掛けたくないからな、勘弁して貰えると有難いよ。」
「ごめんなさい、立ち入ったことを聞くつもりは無かったんです。無理にとは申しませんので、お気になさらないでください。」
うっかりしていたと、アリーシャは思った。慌てて取り繕うようにフォローの言葉を続けたが、出自を見抜かれたことを、男はかなりのショックに思っている様子だった。先程に比べると少々元気がなくなった。そして、オスカーの名乗った家名は偽りなのだろうと思った。
「そうか……、服装か。」
オスカーはさっきからずっと、自身の服ばかり気にしていた。出自を誤魔化す為に着崩した格好をしていたらしいが、逆に悪く目立ってしまっている。
「古着屋で買ったものならいい感じにくたびれていますよ、」
ちょっとだけ、お節介でアドバイスをしてみた。生意気と映っただろうかと心配になったが、彼はあまり気にしてはいなさそうだった。
「古着屋かー。なるほど。ありがとう、参考にする。」
素直に感嘆し、オスカーは少女に笑顔を向けた。
こちらも微笑んで返し、それからアリーシャは窓の外へ目を向けた。甍の波がオレンジ色に連なって、日焼けたレンガの瓦が白っぽい光を反射していた。今日は昨夜と打って変わったいい天気だった。
この辺りは首都や王都とは違って、平屋の家が多いようだ。宿を兼ねる酒場のこの家の二階から見える景色は屋根ばかりだった。先程までいた客間ならば表通りに面しているから、もう少しくらいは見晴らしがいいのだろうか。
中断していた食事の続きを始めた。ほぐした肉片とリゾットを混ぜても、また格別だった。
米の一粒まできれいに平らげ、アリーシャは神と農家とマスターとに感謝の祈りを捧げた。
皿をサイドテーブルに戻し、ベッドへ横になるとオスカーが念押しで言った。
「いいかい、お嬢さん。ちっとばかり騒がしくなるだろうが、じっとしてるんだぜ? ここにも敵が来るかも知れないが、俺がなんとかするから。」
男に言われ、アリーシャは布団の中で小さく頷いた。
どこかで銃声が響いていた。散発的に、あちこちの箇所から聞こえて、恐ろしくなった。
「下にはボスが居る。あの人は強いからな、まず無頼の輩は入って来れないはずだ。」
オスカーはそれでも用心の為と、自身の得物である剣を鞘から引き抜いて点検を始めた。
アリーシャは眠るどころではなかった。この状況でも病床の我が身には変わらず睡魔が襲い掛かる。眠気と必死に戦い、いざの時に備えようと懸命に耐えた。今、眠ってしまえば、きっとオスカーの負担になると思った。
心配ないと言いつつ、武器を見るオスカーの目は真剣そのものだ。
二刀流なのだろう、右手と左手、双方に形も長さも違う剣を二振り。右が長く、左は短い。二振りともに、背はギザギザのノコギリ歯となって、凶悪そうな武器だった。
椅子ではなく、皿をどかせたサイドテーブルに直接尻を乗せて、行儀悪く足を投げ出している。への字に曲げられた口元が、前触れなくにんまりと笑った。彼の装備には銃器が見えなかった。
「よし、」
明るい声で彼は誰かに返事をした。点検が終わったようだ。この男はとにかく口に出さねば気が済まない性質なのだろう。
オスカーは両刀を鞘に納めてアリーシャに向き合った。両方の剣を一度に鞘に納めてみせたので、感心した。まるで鞘を見ることをしなかった、彼自身も相当に手練れた暗殺者なのだと教えている。にこやかな笑顔は、底のあたりに不穏な影を宿していた。
「知ってるかい、お嬢さん。この領地で一番強い男を。」
アリーシャは聞かれた質問には首を横へ振って、男を観ていた。
「一番は、アレンだよ。アレン・ストレンジだ。最強のアサシンだ。……昨日まではね。」
意味ありげなウインクだった。
熱が少し上がったような気がした。こんなに早く情報は伝わってしまうものなのだろうか。
「こんな可愛いお嬢さんのどこに彼を倒せるほどの力が隠されてるのかって、もっぱらの話題はみんなそっちさ。探り出せないのが残念でならないよ、死にたくはないからね。」
大袈裟な身振りで肩を竦め、オスカーは首を左右に振った。
秘密を聞きたいわけではなさそうだった。彼にしてみれば、話題の一つ程度の意味なのだろう。聞けば殺されてしまうのだろうと、アリーシャはアレンがした宣言を思い出していた。
オスカーは突然の行動が多い男だった。
急に、マーモットのようにぴょこんと立ち上がって、流れるような素早さで窓の脇へと移動した。
外を窺いながら、オスカーは強い命令口調でアリーシャに言葉を投げる。
「お嬢さん、ベッドから転がり落ちて床に貼り付け。」
無茶な要求だった。けれどアリーシャは素直に従い、身体を思い切って回転させた。二回転で、浮遊感を覚え、そのまま硬い床に落下する。綿の入った掛け布団がいくらかの衝撃を和らげてくれたが、肘をしたたかに強打した。遅れてバシンと何かが爆ぜる音が聞こえた。ベッドの向こう側の壁に穴が開いていた。
「こっちへ転がれ! スナイパーだ!」
言われるまま、少女は布団を巻きつけて転がり、その跡を追うように銃弾の開けた穴が増える。銃撃の音はあちこちで響いていて、どれが自身を狙った凶弾の音かは解からなかった。
簀巻きになってアリーシャはどすんと行き止まった。視界はない、彼女の頭だけが巻いた布団の端から覗いているような状態だ。中からは咄嗟の身動きが取れない。音だけの世界は恐慌をもたらした。
刹那の時間、ほんの数秒のはずだ。複数の足音が床を軋ませ、家財をなぎ倒している。
激しい銃撃の音は、すぐ間近から聞こえる。刃の合わさる鋭い金属音が混じった。それから、オルガンのような、空気が抜けて出る楽器の音色が響いた。けたたましい破壊音が続いた。
そして静かになった。
「お嬢さん、大丈夫か?」
派手だった音響の割に、落ち着き払ったオスカーの声が上から降ってきた。
ぐるぐると急激な逆回転がかかり、アリーシャは回転しながら自由になった。今度は額を強打した。
手で押さえて痛みをやりすごしていると、アレンよりずいぶん乱雑な若者は無造作に椅子を引き、そこへアリーシャの身体を座らせた。放り込むような乱暴さだった。チラリと見えた扉側の壁は大破して、大穴が開いていた。ベッドには護衛騎士の服を着た誰かが、うつ伏せでピクリとも動かない。
さきほどの破壊音には悲鳴が混じっていたと、床に散る赤い液体を見て思い出した。
「ほら、これ持ってな。」
死体から取り上げた拳銃をアリーシャの手に握らせて、オスカー自身は太い縄を手にした。
負ぶって逃げる、をオスカーは実行に移した。
アリーシャはほどなく身体を椅子に縛り付けられ、椅子ごと彼の背に負われることになった。用意周到な暗殺者は、すべての材料を揃えて待ち構えていたらしい。しっかりと椅子に括られた少女は呆然としているしかなかった。背負われて、視界がずいぶん高い位置になる。
窓の外は路地を隔ててすぐが、向かいの建物の屋根だった。狙い撃つには角度が厳しく、その為の移動だったのだと気付いた。
男は窓からジャンプする。
溝のように狭い裏路地が真下にちらりと見え、すぐにオレンジの日焼けた瓦になった。
「バランスが肝心だ、じっとしててくれよ!」
走りながら、オスカーはまた無茶な注文をした。
最初の客間は前方の障害物がほとんど無く、狙い打つには格好の部屋だった事をアリーシャは理解した。




