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第十二話

 とりとめのない話が続いた。

 少女が眠ったことを確認してから、アレンは腰を上げた。

 もっと早くに退散するつもりだったが、事情が許さなかったのだと自身の心を説き伏せた。階下で飲んだ酒はきれいに何処かへ飛んだらしく、脳髄の底辺りがしきりにアルコールを求めていた。

 陰鬱な気分に追い打ちをかける雨音は、陰気な音階をしつこく垂れ流し続けていた。

 マスターの部屋から明りが漏れている。まるで遭難者が目指す山小屋の明りのようだった。


 グラハムは出た時と同じに、椅子に腰かけていた。テーブルには帳面が広げられていた。収支決算でも調べていたのだろう、暇つぶしに。戻ったアレンに気付いて顔を上げた。

「寝かしつけてきたか、ご苦労さんな事だな。」

「ああ。護衛というより子守りだな。」

 心底うんざりとして、アレンは答えた。子供の相手は疲れるものだと心底で思った。

「あんまりガキ扱いしてやるなよ、いっぱしのレディのつもりなんだから。」

 グラハムは半分面白がっているようだ。顔は笑っていなくとも、目は輝いていて嫌な気分を誘った。

「そんなもん、知るか。」

 標的は、古参の暗殺者が隠しているお宝だ。意趣返しに、まっすぐ進んで吊戸棚を襲撃した。

 秘匿された極上のブランデーが取り出される様を目にして、グラハムの口がぽかんと開かれた。秘密の漏えいが信じられないと言いたげな顔だ。ナイトキャップ用にと、大事にされてきた形跡がほとんど減りのない容量に見て取れた。


 アレンは瓶のコルクを指で捻ってこじ開けた。喉に流れ込む琥珀の水流は決して少なくはない、グラハムは口を開けたままで見ていた。舌先に、痺れるような、苦みの混じった濃厚で芳醇な香りが刺す。熱い塊が喉を降りていった。

「おいおい、高い酒はチビチビ呑めよ。」

 アレンが瓶の口を離した時、ようやく、文句を言った。

「ケチってると禿げるぞ。剃る必要さえなくなるぜ?」

 酒は手放さないまま、アレンがからかうように声を弾ませた。

「うるせぇよ、ロクデナシ。こいつはファッションだ、禿げてんじゃねぇ。お前のほうこそ、毎晩、毎晩、飲んだくれやがって。女々しいったらねぇ。」

「酒くらい大目に見ろよ。呑まなきゃやってられん。」

 似合わぬ軽薄さだった。無理に声を出して笑ってみたが、乾いていた。グラハムがやるせなく首を振った。


 少女の憤りが乗り移ってきたかのようだ。

 病の女王、歪んだ制度、腐った政治、疲弊した民衆、戦争の爪痕。答えはなかった。


 酒が足りない。もう一度、高級な酒を呷ると、僅かばかりの満足が得られた。

 いい酒はきっと明日には持ちこされない、酒としての優秀さを示すだろう。

 グラハムの説教じみた声が聞こえた。

「ローアセリア様は、気丈な方だってのに。ご本人は健気に耐えていらっしゃるってのによ、国民が嘆き悲しんでても仕方あるまいよ? あのお方の望みは、そんな事じゃないだろ。」

 語りの中の、国民という箇所には、本来別の単語が入ることにアレンは気付いていた。

「解かってる。……見えている芽から潰していくさ。」

 乱暴に扱われたガラスの瓶が甲高い悲鳴を漏らした。テーブルに戻された宝物を、グラハムは慌てて自身の懐へと仕舞い込んだ。ふぅ、とため息をついた後にマスターの表情は緩んだ。

 アレンを見上げた時には、厳しいものに代わっていた。

「あの子が連れてきたのは、言ってみれば首領への刺客だったってわけだ。」

 アレンは頷いた。

「当面は、あの連中だな。」

 水面下の戦いは激化していた。


「さて、酒も入って素面に戻ったところで……作戦会議だ。」

「アル中め、」

 吐き捨てるようにグラハムが返した。

「此処へ誘い込みたいところだが。」

 投げられた嫌味などは平然と受け流して、アレンは議題を提示した。小娘、アリーシャを追って来た連中の素性はすでに明らかだ、正式の騎士団でないならば後々の面倒は考えずとも良い。

 マスター、グラハムも頷く。

「連中があの娘の行方を探り当てるのにどれだけかかるか、だな。」

 開いていた帳面をぱたりと閉じて脇へ押しのけ、彼は本格的に聞く態勢を作った。


 アレンはマスターがいつも使っているベッドの脇へ腰掛け、足を組んだ。サイドテーブルに向かっていたグラハムが身体をひねり、こちらへ向き直した。対面する位置からこの太ったマスターを眺める。

 大事そうに抱えた酒瓶は、次に掠め取るのが困難そうだった。

「奴らが来たのはいつだ?」

 チラリと遣った視線をマスターの顔へ戻し、アレンが問いかけた。

「聞き取りによれば5日前に大挙して現れたらしい。やはり、通常運行の列車に乗ってきたんだろうな。真面目に探してる風でもなかったようだが、そろそろ足取りくらいは掴んでもおかしくないな。」


 奇妙な話になっている。アレンは首を傾げ、顎に手をやった。

「娘の近辺に敵の内通者がいると思ったが……。」

「だったらもっと早くに此処へ来てるだろう。殺す気がないにしても、5日も開ける必要はないさ。」

 グラハムの指摘はもっともだった。指先で軽く顎を撫でながら、アレンは僅かな頷きを返した。

 公爵領に踏み込ませることで彼らの目的は達成されている、あとは娘を連れ去るだけのはずだった。何かの手違いで消息を掴み損ねたのだろうとは思っている。

 敵もまた、こちらと同じく完全に統制が取れた一枚岩の組織、あるいは結束はない、と結論した。

 その結論はまた、先輩であるグラハムとも同じだったらしい。

「連中は手違いが生じたことで焦ってるだろうな。クライアントとの契約遂行のためにはあの娘の身柄が必要だ。あの連中がここを嗅ぎつけるのは時間の問題だが、そん時にはどう出るかね?」

 どう出るか、と聞かれ、アレンは二通りの解釈を浮かべた。そして、連中が、という意味に取った。 

「傭兵には傭兵の理屈がある。が、アサシンのようにスマートな考え方はしていまい。」


 ターゲットだけを狙うのが暗殺者であり、日が悪ければ何度でも出直し確実性を高める。傭兵の考え方は乱暴だ。目撃者を作らない為の方策が、暗殺者とは対極になる。寂れた小さな街の住民ならば皆殺す事を選択するだろう。良くも悪くも彼等は戦時向きの存在だ。

 グラハムの目は冷たい光を宿していた。引退したと宣言しても、一度染まった血は抜けないものなのだ。

「お嬢ちゃんの身柄は移しておいた方が良さそうだな。」

「ああ。」

 自身の冷めた声音と同じものだった。


 連中にはグラハムの手配した諜報屋が張り付いている。動きがあり次第、逐一の報告が上がる。この店のマスター、グラハムは、現在では60名ほどの手下を配下に持つ諜報屋の親玉だ。アサシンズギルドとは、一枚岩の組織ではなく、こういった小規模集団が利害一致で集まっている組織に過ぎない。それぞれのファミリーの調整役を、ここの領主が買って出ているだけだ。一番大きな権力を持っている、それが理由だった。

 暗殺の危険は常に付きまとっていた。


 サイドボードの隣には姿見の大きな鏡が立てかけられていた。一人の背中の陰に、もう一人男が映っていた。

印象に残らぬ、影の薄い男がベッドの脇に腰を下ろしている。特徴のない造形の顔は、どこにでも居る不可のない顔立ちだった。目を引く要素は何もなかった。アンバランスではなく、整いすぎてもいない。面白味のなさそうな、細身の男だった。顎はシャープで、繊細そうな指先が触れていた。

 まったくもって、面白味のない男だと当人も思っていた。


 アレンは一度足を組み直し、ふたたび思慮に耽った。

 すぐに遮るような言葉がグラハムよりもたらされた。

「そろそろ休んだほうがいいな、一刻でも眠ると眠らないじゃ大違いだ。」

「そうだな、悪いが先に休ませてもらう。」

「ああ、そうしな。お前さんは今後が長いからな。」

 言葉の代わりに頷いた。

 ここで思案することは不要だ。少なくとも、ここでなくてもいい。アレンは素直に従った。

「お嬢ちゃんも顔色が悪かったからな、大丈夫だといいんだが。」

 二人が、互いに印象の薄い顔を見合わせた。

 陰気に続いていた雨の音は、いつの間にか終わっていた。




 懸念は的中し、アリーシャは翌朝になって高熱を発した。

 苦しげに眉根を寄せる少女の傍にはアレンが付いていた。サイドテーブルの上にはたらいが置かれ、少女の額には濡れたタオルが当てられていた。さきほど、グラハムが木製の丸い鍋敷きを置いていった。

 熱に浮かされた少女は浅い眠りと微かな目覚めを繰り返していた。


 医者は一人だけ居た。寂れた街に酔狂で居座り続ける廃業間近な老医者だ。ほとんどの症例をお手上げだと宣言してしまうヤブ医者だったが。

「風邪っぴきじゃな。寝ておれば治るわい。」

 これといった治療も無しに、医者の爺はそう言った。瓶の底のように分厚いレンズが入った丸いメガネを掛けていて、重たいそれを何度も指で持ち上げた。

 真っ白の髪はいつも洗髪されて清潔なのだが、いつでも爆発後のように膨れていた。トレードマークの白衣とて清潔なはずだが、どこか貧相だった。着古したシャツに擦り切れたズボン、金は無さそうに見えた。

 もっとも、この街の住民に金を持っていそうな者など見当たらなかったが。


「薬はないのか?」

 アレンが聞いた。

「モルヒネならあるぞぃ。」

「そんなもの使えるか、ヤブ医者。」

「だから、必要ないと言っとるだろうが。三日過ぎても熱が下がらんようなら、ちゃんとした医者に診せるんじゃな。」

 アレンは首を左右に振った。返事はしなかった。

 開け放たれたドア越しにグラハムが顔を見せる。さっきまで階下に居たと思ったが、昇ってきたらしい。

「あんたは医者じゃないのかよ。」

 グラハムが呆れたように言葉を返した。にたり、と笑っただけで老人は肯定も否定もしなかった。


 グラハムは肩を竦め、作業に戻った。リゾットの皿を赤いキルティングの鍋つかみで掴み、サイドテーブルに乗せた。先に木製のコースターが来たが、これを置くためだったらしい。

「すいません、迷惑をかけてばかりで……、」

 消え入りそうに弱くなった声で、アリーシャがまた詫びた。高熱は睡魔がもたらす悪戯だ、少女もやはり眠たげに、しきりに瞬きを繰り返した。

 グラハムは少女の起きようとするを手伝ってやり、背中を支えた。

「今さらだ、気にせんでいいさ。それより、眠る前にこいつを食っちまいな。」

 顎で示した先に、サイドテーブルに置かれたリゾットの皿があった。少女の視線もそちらへ向かった。漂う匂いに刺激されたのか、少女がごくりと喉を鳴らした。マスターの得意料理、トマトとナスのリゾットだった。


 ざく切りのトマトが赤い塊になって飯粒の中に埋まっている。ナスは小さめの乱切りで黒い背をちらほらと見せていた。トマトの色に染まった粥状の米がつややかに光って、ふっくらと、柔らかく煮えていた。

 オリーブとガーリックの匂いが、甘酸っぱいトマトソースの香りに混ざっていた。

 一番上には茶色く焦げ目の付いたラムのばら肉が骨付きで乗っていた。

「寝てるだけでも腹は減るもんだ、遠慮せずに食いな。」

 アリーシャは少し姿勢を正した。ベッドの中で背を伸ばし、両手を胸の位置で組んで祈りの姿勢を取った。

「すべてが無事に済んだ暁には、必ずここへ戻って、お世話をおかけした分の代金をお返しします。今は、御厚意を、ありがたく頂戴いたします、有難うございます。」

 神に捧げる感謝と同じ礼儀をもって、少女はマスターに深く頭を垂れた。グラハムは驚いた顔をし、次には照れ笑いを浮かべて禿げ頭を爪で掻いた。胸中を満たすものがある、アレンは二人を見つめ、それから皿に手を伸ばした。熱くて持てないリゾットの皿から幾らかを小皿に取り分けて、給仕をしてやる。

 少女に手渡して言った。

「食欲があるならいい。食ってからゆっくりと眠れ。病が癒えれば自然と眠気も醒める。」

「あ、ありがとうございます、」

 少女の頬が一段と上気した。


 小皿からはみだしそうな骨付きラム肉の塊に、少女は視線を落として固まっていた。

 グラハムがテーブルクロスを少女の膝あたりに広げ、笑った。

「ああ、ソイツは無理して食わんでもいいさ。スープにばっちり溶けてる、栄養は満点だ。」

 本当ならたっぷりのチーズが上に乗せられ、とろけているが、今日の分はさっぱり味に仕上げてある様子だった。アレンは眉を顰める。骨から切り離してやるべきだったかと思案した。ベッドでの食事でナイフとフォークを使うことは難しいだろう。

 切ってやろうと手を伸ばしかけた。少女の手がそれよりも早く、ラム肉の骨部分を摘まんだ。

 ぱくり。と。

 少し悩んだ素振りの後に、アリーシャは口を開けて肉に噛みついた。並びの良い白い歯が、むしりと肉を噛み取った。アレンは目を見開いていた。グラハムは顔をほころばせた。

「おお、なかなかいい食いっぷりじゃないか、」

 グラハムは、少女が骨付き肉にかぶり付く様を見て喜んだ。取り澄ました貴族とは違う、本当に美味しそうな、彼が好む食事の仕方だった。

 アレンは無言だった。唖然としていた。


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