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第十一話

 視線を合わせない為に目を閉じたようなものだったが、グラハムの存在感は、その視線は否応なく自身に向けられている事を感じ取らせていた。

 重い瞼を上げる。マスターの目線とぶつかった。動揺は消し去ったつもりだが、視線を外そうとしない相手に折れた。そこに用事などなかったが、アレンの視界はこの部屋の床を映し出した。


 焦げたような濃いブラウンの床板だ。ワックスを掛けてあるわけでもなさそうだが、黒く光っていた。

 床板に刻まれた木目に注意が行きかけたあたりで、グラハムの声を聴いた。

「しかし、どうやって此処まで来れたんだ? 偵察の集めた情報によると、護衛の連中は逃げた娘を追ってわざわざヴェンハームトから列車に乗ったと喧伝していたらしいが。」

 その声には、先ほどの剣呑な視線が指す意味は含まれない。現女王ローアセリアに関わる件は脇へ置こうという意味にアレンは受け取った。自身も意識を切り替える。センチメンタルなど無用だ。


「恐らくあの娘は南のエドナ領近辺の貴族出身ってところだ。大陸横断の超特急が使える。そのチケットは高額で、田舎領主の娘程度の小遣いでは取得不可能な事がネックだがな。」

「首領が密かに渡していたって事は? ……ない、か。」

 マスターの目はアレンの表情を窺い見ながら、その思い付きを否定へと向かわせた。

 幾つかの回答が考えられた。過保護な親が万が一に備えていたという可能性、気の利く公爵家の執事あたりが細工をした可能性、だが、敵の細工である可能性がもっとも高そうだった。

 同じことを考えるのだろう、グラハムの言葉はアレンの思考の裏付けだ。

「候補の娘が不審な形で失踪すりゃ、誰かが疑われることになるな。しかも、後々、奇跡の力を暴露しようってんならなおさらにな。」

 どちらに転んでも、敵には利益となる。候補の娘が逃げ出し、黒い噂の絶えぬ公爵領で消息を絶つ。口さがない人々は、また一つ、根も葉もない噂話を増やすだろう。

 眉間に深い皺を刻んだままアレンは沈黙を守る。続けて、グラハムは言った。

「これはひょっとすると……首領ボスはハメられたかも知れん。」

「わざわざ鉄道経由で来させるなら、そういう事だろう。」

 自身の声に不機嫌さが滲み出ていた。


「一石二鳥どころか、三羽も狙ったってことか。欲張り過ぎだろ。」

 グラハムは肩を竦め、ついでに座った椅子の位置を正した。ギシリと床が鳴った。騒がしい音は続き、何かが気に入らないのだろう、首を傾げながらでグラハムは椅子を動かし続け、ついでに口も動かした。

「エドナ公爵領のヴェンハームトを発着したら首都ヴルンシェムまで停車駅は無し、あとは終着のシルバードーンまでノンストップだ。そうなりゃ辻褄も合う、娘の足で追手を逃れてきたにしちゃ、時間差が大きすぎると思ったもんだが。」

 言葉の終わりとともに、椅子の移動にも得心したようだ。小さく頷いた口元は笑みを作っていた。

 酒場でアリーシャが話した事情を、男たちが眉唾に聞いていた理由が語られた。グラハムがまた口を利こうとするところを、アレンは構うことなく遮る。

 割り込みが入ると、続く言葉をグラハムは素直に引っ込めた。

「超特急、サウス・ノース・ロード・エクスプレスだ。一日一本のみの発着だからな、追手が通常運行の鉄道を使っても六日余りの差が開く。馬なら半月。」

 南北を横断する超特急寝台列車の名を挙げて、アレンはもう一度腕を組み替えた。

 グラハムが、指を折って数える仕草を見せた。


 南北横断鉄道は、帝国の版図が広がる中での必然によって産み落とされた。戦線へ兵を送り出し、物資を輸送し、また商業ルートの開拓基盤ともなった。長い戦争により国土は疲弊したが、同時にあらゆる技術は向上した。国という社会の枠組みが大きくなるには、距離の短縮が不可欠だった。

 グラハムは思いついた疑問をアレンにぶつけた。


「翌日の超特急を使ったってのは?」

「ないな。たかだか護衛に過ぎない連中が大挙して、高額チケットを必要とする列車に乗っていれば、その方が不自然だ。」

 グラハムは軽く頷いてみせた。

「それもそうだな。」

 彼は次に何かを言おうとしていた。だが、言う前に口を閉じた。二人同時の沈黙に、雨音がボリュームを上げたように感じた。ウェイトの軽い者の足音が、降りやまない雨の音に混じって近付いてくる。二人同時に息を潜めた。


 ふいの来訪者は二度、扉を叩いた。

 ノックの音は何の警戒も作為もない類のものだ。裏表もなしに、単純な理由の為に扉を叩いた音だった。それでも素早く、音もなく立ちあがったグラハムは扉の正面を避ける進路で壁へ張り付き、ドアノブに手を掛けた。

 暗い廊下には確かに人の気配があり、アレンもまた扉正面から身を避けている。瞬発的にノブを回して開け放つ。室内の明りが廊下に立つ人物を照らした。


「お嬢ちゃん、起きてきたのか? まだ顔色が悪いようだが?」

 最初、マスターの声は拍子抜けと安堵感を。続いては我が子を案ずる父親の声へと変化した。

「大丈夫です、力を使いすぎただけなので……。」

 遠慮がちに答えて、廊下に裸足で立つ少女はその場で何かに気付いて身をよじった。一点へ注がれた視線は二人を通り抜けており、アレンはその視線を追う。

 暖炉の前に置かれた少女の靴に辿り着いた。

 ずぶ濡れだった少女の服は全て洗濯しなければならなかったし、革製品の幾つかは駄目にならないようにと細工をする必要があった。靴は、木枠を嵌めて、暖炉で乾かされていた。

 作法を重んじる躾を受けた少女は、断りなく部屋への侵入を試みたりはしない。じっと、入室の許可が下りるまで、催促もせずに待ち続けようとしていた。裸の足裏が冷たいのだろう、もじもじとつま足立ったり、左右を重ねたりといじましい。

 ネルのパジャマの上下は、真冬の夜中にはいかにも寒々しかった。


 苛立ったアレンの声が発せられた。

「寝ていろ、夜も明けちゃいない。」

「でも、」

 つかつかと歩み寄った男は、少女の傍に立つマスターを押しのけて細い肩を掴む。

 アリーシャは抵抗する。掴まれた肩から男の手を外そうともがいてみせた。真正面から男を見据え、訴えた。

「こうしている間にも追手がやって来るかも知れないんです……!」

 切羽詰った表情だけで、彼女の焦りは伝わってくる。来訪の目的も。けれど、アレンはその肩を放さなかった。


 イライラと焦燥が募る。何に対して憤っているのか、時折解からなくなった。

 アリーシャは自身が犠牲にしたあの娘に似ていた。だからだろう、健気さを見せられればそれだけ、苛立ちが強まる。何に苛立っているのかは、わざと考えずにいた。縋るような眼差しまでが、二人の少女を重ねる。

 生真面目な娘は、同じような性質で同じような口調をしていた。

「一刻も早く、ここを離れないと……!」

「そんな状態で逃げたところで同じことだろう!」

 つい、声を荒げてしまい、アレンは言葉を切った。怯える少女の目から逃げるように視線を外し、顔を背けた。二つの視線に咎められている。無言だがグラハムは苦い顔をしていた。

 細い肩を掴んだ手に、不自然な力が掛かる。アリーシャが小さく呻いた。

 我に返り、慌てて手を放した。


「いいから。寝ていろ。守ると言った以上は、必ず守ってやる。」

 アリーシャの頭に軽く触れた。その柔らかな髪を撫で、そして、親愛の情を込めて抱き締める。

 子供をあやす仕草で小さな背中を叩くと、やにわに少女は突っ撥ねるようにアレンの腕から逃れた。

「し、失礼です! わたしは子供じゃありません!」


 頬が赤く染まって、瞳が潤んでいた。視線を微妙に外して、唇を引き結んでいた。

 目尻が熱を持っていて、女となっていた。微妙な年頃なのだと今さらで思い出した。

「子供だからムキになるんだ、」

 言葉では否定を、行動ではそれなりの態度に切り替えて、エスコートで退出を促す。軽く背を回してやると、気取ったダンスのように少女はステップで反転した。大人たちに、大人を演じてみせた。心臓が跳ねるように打ち付けているのだろう。


 グラハムが、小さな背にからかい半分の声を浴びせた。

「そうだぞ、お嬢ちゃん。アレンの言う事を聞いておきな。逃避行ってのは体力が必要だ、今のお前さんじゃ足手まといになっちまうぞ?」

 アリーシャが振り返った。強気な視線は、階下の酒場に来た時のままだ。

 グラハムがおどけた様子で口笛を吹く。


 不満げな顔をして、少女はぷいと前を向いた。しゃんと伸ばした後ろ姿に精一杯の虚勢が伺えた。

 だが、細い肩に見えた呼吸は不安定だった。

「眠って少しでも体力を回復するんだ、この先はどう転ぶか解からん。」

 もしやと、腕を回して額に掌を置いた。微かに熱く、アレンは眉を顰める。長い時間、雨に濡れたままだったのだから、無理もないことだ。少女の身に微熱を感じて、内心に舌を打った。

 後ろから目隠しのように被さった手に、アリーシャの身体がびくりと震えた。

「扱い難いお嬢ちゃんだ、」

「貴方は失礼です、」

 鼻で笑って告げた言葉に、少女はわざわざ振り返って噛み付いた。



 廊下に灯りはない。窓もなく、けれど目は暗がりに慣れていて墨色の景色を映していた。すぐ前には白い影が同じように歩いていた。昼間の光溢れる中では金色に輝くおさげが、今は白抜きのネガとなって揺れる。白黒の、写真の世界だ。

 アレンが後ろをついて歩くことを少女は不審に感じた様子で、チラリと視線を送り付けた。

 促すように視線を受け止めた。

「なんだ?」

「大事な話をしていたんだと思ったので、」

 アリーシャは口ごもり、後の言葉は口内だけで発せられたようだった。


 なぜ付いて来るのかが解からない、そんな事を言いたげな少女の視線を受け止める。見つめ合ったのは一瞬で、アリーシャの方が逃げ出し、前を向いた。男を意識しているらしい。乳臭い匂いを漂わせ、不釣り合いな仕草を見せる。少女の特徴だ。


 部屋のドアを開けたところでアリーシャは立ち塞がるようにドアと支柱とをそれぞれの手で掴んだ。なかなか勘が良い、アレンの侵入を防ごうという意図が測れた。俯いた少女の耳は赤く染まっていた。

「こ、ここで結構です。自分で、休みます。」

 だが残念ながらアレンは、自身を紳士だとは認識していなかった。

「途中で起きだして来たくせに何を言ってるんだ。さあ、通せんぼはなしだ、中へ入れ。」

 存外素直に道を開けた少女に、アレンはまた子ども扱いで頭を軽くこづいた。

 みるみるむくれていく少女の頬は、庭園で見かけるリスのようだと思った。


 アリーシャはむくれた頬のまま、乱暴にベッドの掛け布団をまくり、潜りこんだ。

 布団を引き揚げ、顎まですっぽりと被せてやった時に、少女は僅かに眉を寄せた。

「わたし、前にもこんな風に男の方に寝かし付けられた気がします。」

「そうか。」

 父親でも神父でも、この程度のことはするだろうに、少女の言い方は持って回ったものだ。

「この地方の領主様で、御存じですよね、ヴェルトーク公爵様。一度だけお会いしたんです。」


 室内が、嫌な空気に変化したような気がした。じっとりと絡みつく気配は危険を孕んでいた。

 聞いてはならない言葉を聞かされる、身構えたアサシンの苦慮を少女は気付かない。

「背格好が、とても貴方に似ています。でも、貴方とは違ってとても紳士です。」

 きっぱりと言い切って、少女はアレンを睨んだ。

 気が抜けた。文句を言いたかっただけらしい。

「そいつは悪かったな、」

 少女の気持ちを逆撫でる言葉を、軽薄な笑いと共に送り出す。

 まだ何か言いたそうな少女を黙らせるべく、アレンは布団を頭にまで引き上げた。

「いいからもう寝ろ。寝付くまで見張ってるからな。」

 アリーシャは目だけを覗かせていた。まだ不満げだった。


 ベッドの隅に腰掛けて、アレンは頃合いを測っていた。

 眠り付くまで傍にいるつもりなどなかった。今は気が昂ぶっている、落ち着いたら退散するつもりでいた。

「アレンさん、さっきはごめんなさい。」

 ふいに少女が殊勝なことを言い、アレンを訝らせた。

「何がだ?」

「貴方を酷い目に遭わせてしまいました。」

 たった一言で、どん底の気分に突き落す。負け知らずだったアレンに泥を舐めさせた少女。

 ふたたびアレンは己の腹を片手で押さえた。ありもしない傷を。

「よせ。それでなくても小娘に負けたんだ、傷を抉るな。」

「……ごめんなさい、」

 無敗を誇る男に死の淵を覗かせた娘は、消え入りそうな声で詫びた。


 しばらくの沈黙が流れた。

 アレンはベッドの隅に腰掛けたまま、所在なく壁のシミを数えていた。漆喰の白い壁だけがかろうじて闇に慣れた視界に映る。他はすべてが黒だった。

 とつぜんに、また少女が喋り出した。

「わたしは知りませんでした。女王選出に掛かる幾つもの問題を、無関心に、何も知らずに呑気に過ごしていました。自分には関係ないと、別世界の事のように捉えて深く考えようとしなかった。」

「多くの国民はだれでもそうだろう、子供が気に病むような事じゃない。」

「関係のない者はそれでいいでしょう。けど、わたしは、そうじゃありませんから。」

 感傷的になったアリーシャの目尻に光るものが見えた。

 アレンはため息をこぼす。

「一次選考で落選するとか言っていたのに、なんの心配だ?」

「だって、おかしい事だらけじゃないですか……! とんでもない大金をかけてっ、多くの人に迷惑をかけてっ、無駄ですっ。時間も、設備も、色んなことが全部! 無駄で不正で! 一部の者の都合の為だけに動いていてっ!」

 気を高ぶらせて、少女は不満を一度にぶちまけた。

 女王選出が始まるまでは気付かなかったこと、選出が始まってからは気付いても言えなくなったことを。

「女王など、成りたい人だけで勝手に決めればいいのにっ……!」


 気持ちが落ち着くまでの間、アレンは沈黙を守った。

 少女の呼吸がいくぶんゆっくりとしてきた。控えめに、深呼吸をしはじめた。

 確認してから、男は口を開いた。

「最初は世襲制だった。王冠は女王の娘に直接受け渡されたが、やがて謀反で国が割れた。次に立候補制になった。時代の流れと共に、候補の娘は国中から無理強いして掻き集められるようになった。掻き集めた娘が多すぎて、より多くの選別期間が必要となり、不正がはびこった。これから先は……どうなるのか、誰にも解からん。」

 ある程度の教育を受ければ誰もが知ることとなる、この国の歴史を、アレンはシンプルな形に直して少女に聞かせた。


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